カテゴリー「モラリストたち Les Moralistes」の8件の記事

2011年6月10日 (金)

《カントの人間学》 中島義道

Kant1 ”中島義道”という哲学者、彼の多くの本の題名からちょっと危険な香りを感じていたので、なかなか手が出ないでいた。でも、とうとう買ってしまった。題名の意味を勘違いして、買ってしまったのだ。

”カントの人間学”とあるので、”カントが考える人間考察”だと思ったのだけれど、実際は違っていた。”カントが分析した人間考察”を、中島氏が”カント自身”に応用しし、カントという人物の分析を行なっていたのだ。

例えば、エゴイズムについては、”人は「私」という言葉を発する限りエゴイズムに陥らざるをえない”とか、それはカントによると、”「論理的エゴイスト」、「美的エゴイスト」そして「道徳的エゴイスト」という3種類に分けられること”を説明し、その後、”カントは論理的エゴイストか?”と中島氏の分析を始めているのだ。

さらに、”親切について”では、カントによる、”親切という行動は不平等を通じてだけ現れる”ものという、実に微妙な、心の奥の自分では知覚できない部分が解明されていた。

”カントは恐ろしいほど真実を語っている。他人に親切を施すとき、見逃してならないのは、そこに潜むある種の優越感であり、他人から親切を受けるとき、見逃し得ないのはそこに潜むある種の屈辱感である。・・・”

ほんとにそうなのかなあ・・・でも、そうかもしれない・・・とにかく、ドキッとする表明。カントの洞察は限りなく厳しい。

Koraku1en

           (小石川後楽園にて。種類が豊富)

さらに手厳しいのは、道徳的な親切の定義。物も豊かで恵まれた環境に育った幸せな人物が、道徳的な親切を他人に振る舞えるには、ただヨブのように自分の所有物をすべて失っても、依然として他人に親切である場合に限られるのだそうだ。

この時初めて、ヨブ記がかすかに見えてきたように思えた。私はどうしてもヨブ記が好きになれない。どうしてあそこまで人間をいじめるのか、神の意志が全然わからない。でも、このカントの親切の説明で、とりあえず違和感はなくなった。信仰とは、〜であるから信仰している、というものではないのだ。全てを失っても、それでも神を信じる、それが”信仰”というものなのだ。信仰とは、きびしいものですねえ・・・

”友情について”では、友情は、決して綺麗ごとだけではないこと、やはり、人間と人間の感情のぶつかり合いがあること、それでも相手を尊敬している感情だということ。心の葛藤は、人間であれば仕方ないのですね。

このように、内容はとても面白かった。カントという機械のような(変人?)人物が、以外にも人間的に感じられ始めた(まあ、これが著者の狙いではあるが)。だからといって、カントの思想がわかりやすくなった訳では、当然ない。

しかし見方を変えれば、反感を感じる人もいるかもしれないと思った。それほど、彼の筆は、鋼のように鋭い。カントの人物像を分析しながら、同時にそれは、私たちの心の奥底の分析にもなっていて、言葉が次々にグサーッ、グサーッと胸に突き刺さるのだ。

Koraku2en

           (小石川後楽園にて)

その中で最も興味をもったのは、中島氏の”あとがき”だった。この本は、《モラリストとしてのカントⅠ》という本を縮小改変したもので、題名に対していろいろ意見があり、《カントの人間学》というわかりやすいタイトルにしたのだそうだ。

へえ・・・中島氏は、カントをモラリストとして分析していたのかと、少々驚きだった。そして私が一番感心したのは、彼が”モラリストとはどういう人物か”を、自分なりに定義していることだった。この態度が真の哲学者!これが、”全てを自分の頭で考える哲学者”の姿なのだと、妙に納得した。

辞書に乗っている定義、一般に考えられている常識、それらすべてを捨て去り、自分の言葉にすること。これが、デカルトも求めた姿であり、哲学者がする仕事でもある。

私は、モラリストの定義さえはっきり考えたこともなかった。なんとなくこういうのかな・・・という感じ。これではいけないのね・・・

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2011年5月22日 (日)

デカルト《方法序説》、それは月世界だった

今回のは、昨年の12月末にデカルト《方法序説》を読んで、印象を忘れないようにと、ざーっと書いたものです。5か月も経ってからのアップになっていまいました。

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Descartes1 なんと無機質な内容なのか!びっくりした。これも数学者が書いたからなのだろうか?いえ、哲学書というのは、すべてこのようなものなのだろうか?

デカルトの思想の根本となる《方法序説》を読んでいる時、なんだか索莫とした、周りには色も香りも何もない、そう、月世界のような光のない空間に、身体はなく、精神だけの”私”がたった一人で、遠くに見えるような気がする光を求めて歩いているような、そんな孤独な印象を受けた。これが、かの有名な《方法序説》とは・・・

真実を見つけるために、証明できていないものは、すべてを否定していく。今まで学んだこと、本で読んだ知識、信じていたことなど、自分を取り囲むすべてを否定するということは、自分の過去も否定することになる。だから、廻りには時間も何もない、広い宇宙に漂っている自分を感じたのだ。

彼はこの手続きを、例を使って上手に説明している。それは自分の家の建て替え。

Descartes2 《この方法を取ることによって私は、自分がただ古い土台の上に建てたにすぎなった場合よりも、また幼い時に教え込まれた諸原理のみを、それが真理であるかどうか一度も吟味せずに、自分のよりどころとした場合よりも、はるかによく私の生活を導くことに成功するであろう。・・・・私の計画は、私自身の考えを改革しようと努め、また私だけのものである土地の上に家を建てようとする以上に及んだことは決してない。》

自分の肉体さえ、それを認識しているのは、私自信の認識だから、それも証明できない。だから存在も否定する。まったくその通りかもしれない。宇宙空間に一人、身体から独立した、考えている”私”だけが、存在している。《Je pense. donc je suis.》 (彼はこの本をラテン語で書いているので、これは邪道かもしれないが、習っているので書いてしまうと、スペイン語では、Pienso, luego soy) この命題から、デカルトの考えは始まり、数学で言うところの公理(理性では定義不可能で、理由なしに認めなければならないもの)を土台にし、証明できる真理・理論を組み立てていくのがデカルトの考え方だ。

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昨年の終わりから、なぜだか哲学に興味を持ち始め、理解能力もないのに、”なんとか入門”という種の本を読み始めた。1か月半ほど夢中で一気に次の本を読んだ。で、頭の中は、ごちゃごちゃに。

『哲学』 アンドレ・コント=スポンヴィル著 白水社
『哲学入門』 中村雄二著 中公新書
『方法序説』 ルネ・デカルト著 中公クラシックス
『プラトン入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『ニーチェ入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『カント入門』 石川文康著 ちくま新書
『ウィトゲンシュタイン入門』 長井均著 ちくま新書
『現象学入門』 竹田青嗣著 NHKブックス

分かったことは、竹田青嗣先生の本は、たたみかけるように繰り返し説明してくれるので、非常に分かりやすい、ということ。中村先生のような古い型の先生のは、読者に理解させようという意志は全然なく、自分の知識を単に述べているだけに過ぎないこと、つまりは、知っている人が読めば、良くまとまっているなと思われるかもしれないが、私のような超哲学初心者には、猫に小判状態。やはり初心者には、”初め”は、著者の読者に対する”理解してもらいたい”という意志が見える本が良い。

さらに生意気にも、超初心者が発見したといえば、たとえ分かりやすい説明で有名な竹田先生の本とはいえ、哲学者本人の本にはとてもかなわない、ということ。それは、デカルトの『方法序説』を読んで思った。きっと、”デカルト入門”なるものを読んだら、私はデカルトを機械か何かのように感じてしまい、この驚きとこの本の意義の大きさと、何よりも彼の意気込みや人物像を感じることはできなかったのではないかと思う。ただ、訳によって、この感じも変わってくるのも確かだが。

とはいっても、入門書や解説書は素人には必要だ。難解で理解不能の本が山のようにあるので、日本人哲学者による説明が欲しい。指導者の元、実際の本を読んでいくのがベストなような気がする。

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2010年12月25日 (土)

ヴォルテール《哲学辞典》とエラスムスの聖職者批判

Volphilo1 ヴォルテールを読むなんて、エラスムス同様に考えられなかった事だけど、文学の授業や友人達と読んでいるヴォルテールの作品などから興味がわき、この本をアマゾンで頼んでしまった。フランス語を続けていたおかげで、こんなところにまで世界を広げる事ができ、ほんとうに有り難いと思っている。

エラスムスとヴォルテールを交互に読んでいると、皮肉たっぷりに非難している方法とか、現状批判という二人の目指す方向があまりにも似ている(違いは当然あるが)ので、どちらが言っているのかこんがらがってしまう程だった。ヴォルテールもエラスムスを尊敬していた、と私は確信している。二人とも、イギリスに行って初めてその社会の見事さに感心し、目を開かされたという同じ経験をしている。面白い。イギリスって、よく歴史を知らないけれど(受験では世界史を取ったのに)、きっと偉大な国なのね。

200年も差があるのに、二人の批判内容が同じところを見ると、社会の矛盾はあまり変わっていず、やはり、フランス革命は起こるべくして起こったのかもしれないな、とも思う。ヴォルテールは言っている。”やれるなら何事によらずとことんまでやるのが人間であるから、この不平等は極端なものとなった”(《哲学辞典》”平等”)。そう、当時のフランス社会は、”極端”だったのかもしれない。

ところでこの《哲学辞典》は、”ヴォルテール自身の考察”と言いかえてもいいような気がする。”哲学”と書かれていても、恐れるなかれ、モンテーニュがエッセイで試みたのと同じ技法を使っていると考えていい。つまり、思索を集大成したもの。ただし、モンテーニュのような貴族的正当な思索ではなく、どちらかと言うと皮肉・批判も込めた啓蒙的考察と言えるだろう。

エラスムスの批判の仕方も素晴らしかったが、ヴォルテールの皮肉も負けていず、すばらしい。ここに、”神父”についての、二人の書き方を比べてみたい。口調の違いも味わってほしい。

---***---***---

まずは、エラスムスの司教批判部分。《痴愚神礼讃》57章から

Erasme1 王公の好敵手としては、至高の教皇、枢機卿、司教がたがおられますね。甲乙なしどころか、王公連中そこのけという勢いです。でも、そのうちのどなたかが、反省してごらんになったら、こういうことがおわかりになりましょうよ。

つまり、雪を欺く真っ白いその法衣こそ、汚点のない生活の表徴であるし、同じひとつの結び目で繋がっている二つの角のあるミトラ(頭にかぶるもの)こそ、新約と旧約とに対する均等でしかも深遠な知識があることを示しているし、両手を包む手袋は、秘蹟を授けるためにはいっさいの人間生活の穢れから清められておらねばならぬことを示すのだし、その法杖は、託された羊の群れを監視する旨の象徴だし、前に押し立てた十字架は、人間のあらゆる情念に対する勝利を意味するのだということ、などです。

こうしたことや、その他いろいろなことに思いをひそめたら、悲哀と不安との日々を送るはずでありますまいかしら?ところが、現在では全くうまくしたもので、これらの高僧たちは、美衣飽食磨る以外に何も考えません。子羊の群れの世話は、キリストご自身なり、「兄弟(フラテル)」と呼んでいる連中なり、自分達の代理なりに任せきりなのです。自分達の「司教」という称号が勤労と注意と配慮とを意味することは、お忘れになっていますね。 ところが、いざ金儲けという段になると、このご連中も正真正銘の「司教」になる始末。つまり、そういうときには、「目をおさましになる」わけです。

次は、ヴォルテール。《哲学辞典》神父 abbeから

Voltaire1 「どこへお出かけか、神父様、・・・(聖職者の見持ちを皮肉った当時の歌謡の一説。どこへ、お出でか、神父様、蝋燭なしでおでかけとは、目指す御方も見えまいに。娘子と会うんじゃ、おわかりだろう、という歌詞)」。貴方は神父が父親を意味することをごぞんじだろうか。貴方も父親になれば、、国のお役に立つことができるのだ。おそらく男のなしうる最高の勤めを果たせば、貴方から思考する存在がうまれるであろう。そうした行為には神聖な何かがふくまれているのだ。

・・・神父は彼らの精神上の父親であったのだ。だが、時代によって同じ名称がなんと違った事がらを意味することか。精神的神父は他の貧者たちの先頭に立つ貧者であった。ところが貧しい精神的父親達は、200年このかた40万リーブルの年金を受けているのだ。今日ドイツの貧しい精神的父親たちは、一個連隊の護衛をかかえているのである。

貧乏の誓いを立てた貧者が、つまりは支配者なのだ。これはすでに言われてきたことだが、何千回も繰り返すべきであり、許しえないことである。この悪弊は法の訴えるところであり、宗教の憤るところである。着物も食物もほんとうの貧者たちが、神父様の門口で哀訴の叫びをあげているのだ。

だが私は、イタリアやドイツやブランドルやブルゴーニュの神父様たちがこう述べるのを聞いている、何故われわれが財産や名誉を集めてはならないのか、・・・司教たちはそうなっているではないか、・・・彼らのひとり(ローマ教皇)は国王以上にのし上がっている、我々もできるだけ真似をさせてもらいたい、と。

神父様がたよ、貴方たちの言い分はもっともだ。土地を奪うがよい、それは強きものや巧みな者の奪い得である。貴方たちは、無知と迷信と狂乱の時代を利用して我々の遺産を奪い、我々を足下にふみにじり、不幸な人々の糧を私服で肥やしてきた。だが、理性の日の到来におびえたまえ。

---***---***---

どうです?批判視点は、そっくりですよね。宗教改革の前の人エラスムスと、後の人ヴォルテールの書く内容が同じとは、ほんと驚き!!!あんな血なまぐさい争いをしたのに、カトリック内部では大した変革はなされなかったということなのでしょうね。

モンテーニュは、宗教関係については一切触れていない。当然ですよね、争いが一番激しい頃、塔に籠って自分の思索にふけり、エセーを書いたんですもの、もしどちらかを擁護するような事を書けば、命も保障されなかったはず。賢者、危うきに近寄らず、彼はまさしくその道を選んだわけです。

しかも、彼の思索は、なにか社会の対象に対してではなく、人間そのものについてだし、しかも、まず彼はネガティヴな皮肉は書かないのだ。まっすぐに素直に豊かに、自分をそして人間を描きだしている。

エラスムスの皮肉は、素直で心地よい。ヴォルテールは弁論技法に自信を持っているのか文章は明解で、理論をぐいぐい読者に突き付け、圧倒される。時にかなりの棘を持つこともある。読んでいて面白いが、その強さゆえに時に心が重くなることも。

その点、モンテーニュはいいなあ。いつもこころが穏やかになる、ああ、人間ってみんな同じなんだと思える。

たしかに、人間というものは、驚くほど空虚な、多様な、変動する存在だ。」

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2010年12月16日 (木)

痛快!エラスムス《痴愚神礼讃》 Erasme "Eloge de la folie"

Erasme1 6月、bunkamuraで開催されていたブリューゲルの見事な版画を見た後の事。図録を買おうかどうしようか迷いながら、売店をうろついていた時、ふと目に入ったのが、このエラスムスの《痴愚神礼讃》。思わず手に取り、自分がエラスムスを読むなんて考えられないなと思いながら、なぜか迷わずこの本を購入してしまい、図録の事はすっかり忘れて売店を出てしまった。

読み始めてびっくり。”彼は知性の塊だ!”と、エラスムスの偉大さはすぐに分かった。ここそこに、彼の膨大な古典知識が溢れている。と同時に、彼のゆるぎない真理への確信と信念がつきぬかれている。

自ら痴愚神と名乗る女神が、次々と人間の愚かな行動を羅列し、それはすべて私、痴愚神のおかげであると述べ、痴愚だからこそ人々は幸せに生きているのだと、逆説的に述べる。

もう、読んでいて痛快でたまらない。身近な庶民の行いに対しては、暖かい笑いを込めた分析や皮肉に感じられるのだが、賢者、哲学者、神学者などは、彼の手(口?筆?)にかかったら、けちょんけちょんにけなされ、後半に至っては、戦争、支配階級、権力者、聖職者へと、その痛烈な皮肉はどんどんと厳しい批判へと変化し、核心へと迫っていく。

496pxholbeinerasmus2 《 皆さんの前で、ちょっとばかり詭弁者のふりをしてみるのも面白いと思ったわけですが、それは、やりきれないほどばかげたことを若い人々に注ぎ込み、女どもより強情張りな口喧嘩のやり方を教え込むご連中をまねようというのではありません。賢人という不名誉な呼び名を逃れるために詭弁者という名前を選んだ古代人達のひそみにならうわけです。あの人々は、熱誠を傾けて、神々や英雄達の賛美を書き綴りました。そこでこの私も、これからひとつ礼讃をお聞かせいたしますが、それはヘラクレスの礼讃でもソロンの礼讃でもありません。私自身の、つまり痴愚女神の礼讃なのです。・・・

・・・私以上に私のありのままの姿を描けるものが他にいるでしょうか?私以上に私を識(し)っている人はだれもおりますまい。

 第一、私が自分で自分を褒めましても、どこかの某と言われる学問のあるおかたや、某と言われる偉いおかたよりも、はるかに謙虚だと思います。こういう方々は、羞恥心が腐っていまして、お世辞の巧い頌詞作者(しょうしさくしゃ)やほら吹き詩人をお抱え料で買収なさり、ご自分にたいする褒め言葉を、つまりまっかな大嘘をお聞きになろうというのですからねえ。こういう恥じずがり屋のご当人のほうで、孔雀のように尾羽根を広げ、鶏冠をおっ立てておられますと、他方では恥知らずなおべっか使いどもが、無能なご主人を神々になぞらえ、音程を二倍にしてあらゆる美徳の完璧な典型はここにあると言って押し出し、烏を借り物の羽根で飾り立て、「黒人のエチオピア人を真っ白にし」(ギリシャの格言から)、「ハエを像だということにしている」(ギリシャの格言から)わけなのです。・・・》

これは、ほんの最初の部分ですが、彼の皮肉の手段がすぐにわかるでしょう。このように皮肉が山のように組み込まれているので、どこをピックアップすればよいのかわからない。

権力者に対しては、力を持っているからこそ、自分の立場、行うべき仕事を認識しなければならないのに、なんと愚かな道を歩んでいることか!と強く繰り返し非難している。自分を知れ!本来の自分のやるべきことを行え!と。

Erasme4 その表現の巧さには、思わず拍手することも度々。修道院に育った彼ならではの、宗教従事者の裏を知り尽くしくしているからこそ、また、それを正しい方向へ自ら自浄してほしいからこそ、書いたはず。しかし、それは叶えられず、後に禁書処分となってしまう。

エラスムスはラテン語で書いているのだけれど、変に読めると理由だけでフランス語で書かれたのが欲しくなってしまい、本屋に頼んでしまった。届いたので少し読んでみたけれど、む、むずかしい・・・後悔。この中公クラシックスの本は、翻訳が素晴らしいから面白いのだと痛感した。

その後、《平和の訴え Plaidoyer pour la paix》という本を読み、エラスムスというまっすぐな人物に益々魅せられた。しかしその時、初めて彼の厳しかった生涯を知り、久しぶりにその夜眠れないほどのショックを受けた。かれの生活環境は、モンテーニュやヴォルテール(牢獄に入ったとはいえ)のような優雅なものではなかったのだ。逆境の中で、ひたむきに学問を続けるエラスムス。胸が痛い。

また続けて、ツヴァイクの《エラスムスの勝利と悲劇》も読んでしまった。う~ん。いつかその感想も書きたいのだけれど、教会もイタリアも気になる。

とにかく、1466年ロッテルダムで生まれ修道院で育ち、必死の思いで勉強し、学問の為にヨーロッパ中を動き回り、一時は世界でトップの知識人と褒め称えられ、その後権力達とたった一人で戦いながら自分の信ずる道を貫き、宗教革命の卵を落としたと言われる一人の偉大な学者エラスムスは、1536年にバーゼルの知人宅で友人に囲まれて亡くなった・・・。

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2010年10月17日 (日)

モンテスキュー 「ペルシア人の手紙」 Lettres Persanes

Lettre1persanes 以前から気になっていたモンテスキュー (Montesquieu 1689-1755)の「ペルシア人の手紙」(Lettres Persanes 1721)を、軟弱ですが、上巻だけ、しかもフランス語ではなくて日本語で読んでみました。3権分立を唱えたモンテスキューの本を読むなんて、フランス語を知る前では、考えられなかったことです。

モンテスキューは、ボルドー近くの伝統的貴族の次男として生まれ、ボルドー大学で法律を学び、またパリにも遊学し、父親の死後は、親の職であったボルドー高等法院院長を引き継いだものの実務にはあまり興味を示さず、26歳の時、アムステルダムで匿名でこの《ペルシア人の手紙》を出版しました。

Montes つまりこの作品は、彼の処女作品であるうえに、後の思索の基礎となる当時の先進国であったイギリスもまだ見ていない時期であったにも関わらず、冷静にパリ社会を見つめ、ユーモアを交えつつも明確な当時の王政批判メッセージを発したのです。

とはいえ、絶対王政の時代、検閲があるので直接的には過激な批判はできません。そこで彼の選んだ設定は、パリ滞在中のペルシャ人が、初めて見たパリ社会の第一印象を、驚きをもってかつ良識をもって考えを広げながら故郷に送る手紙に書き記し、それを集めた書簡小説(Le roman epistolaire)という形を取って、庶民が楽しむ読み物として出版したのです。

内容は、想像していたのとちょっと違っていました。一人のペルシャ人が、一方的に故郷の同一人物に送ったのだとばかりと思っていたのですが、実際は、何人ものペルシャ人が、お互い交わし合った手紙を編集したもの、という形を取っていたのです。

ですので、パリの状況が書かれているだけでなく、故郷の出来事もまたハーレムの状況なども、手紙を読んでいると見えてくるのです。さすが!この本が大成功を収めた理由がよくわかります。

Lettres3_persanes パリに滞在しているのは、ユスベクとりカ。ユスベクは、母国イスパハンでは国の権力者でありハーレムの主人でして、複数の奥さんを持っている中年男性。非常に見識ある人物で、絶対的な見方を良しとしない結構律儀な人物。一方ユカは、エネルギー溢れる理論好きの若者。この2人が、モンテスキューの陰の代弁者となり、パリの状況が少々大げさに、皮肉たっぷりに語られています。特にリカの批判は、かなり強烈で嘲笑的です。

(第24信)リカからイバンへ

・・・・フランス国王は、欧州きっての盛君だ。隣国スペイン国王のように、金鉱山を持っているのでは決してない。がその富は、その国王を凌駕している。というのも鉱山よりも無尽蔵なその臣下の虚栄心によって、富を集める。彼が売物の栄爵のほかに何の資本もなくて、大戦争を始めるか、または継続するのを、人は見た。そして人間の持つ自尊心を惜しげもなく利用して、彼の軍隊は、給料を貰う、要塞は武装される、艦船は武装される。(無意味な戦争批判)

 一方、この王は魔術師だ。その死は医療で臣下たちの心までも左右する。自分の欲するように臣下たちに考えさせる。・・・ある戦争を楽に続けられず、しかも銭一文なくても、一片の紙切れが通用金だということを、臣下たちの頭に入れさせればいい。・・・(当時、法により、初めて紙幣が導入されたことを指す。)

 ・・・まだほかに王さまよりもずっと威勢のよい魔法使いがいる。国王自身民心の支配者だが、それより一層輪をかけてこの支配者の心の支配者だ。この魔術使いを《法王》と言う。彼は国王に、三つは一つに外ならぬとか、人の食べるパンはパンではないとか、人の飲む葡萄酒は葡萄酒でないとか、そのほか、幾千となくこういった種類のことを信じさせる。・・・(3身一体とか、パンはキリストの身体、ワインはキリストに血、と唱えるカトリックへの皮肉)

Lettres_persanes 一方、ユスベクはもっと冷静、客観的で、フランス社会だけでなく、自分達イスラム社会についても考えを巡らします。

(第17話)ユスベクから同じ人へ

・・・私達の立法者が、豚肉や、さては不浄のものと言われたあらゆる肉類を、私達に禁ぜられたは、何に由るか。私には、物は物自体としては、浄もなく不浄もなきものに思われる。・・・泥土が私達に汚れと映ずるは、ただそれが、わが視覚または、他のそこばくの感覚を悩ませるからに外ならぬ。・・・沐浴などしたこともない者の身体が、臭覚をも視覚をも悩ませぬとすれば、どうして、われらはその者どもが、汚れていると考えることが出来るのだろう。

物体は人間達、ひとしなみに、決して同じような感じを与えない。ある人には心楽しい感じを与えるものが、他の人々の心には思うも嫌な感じを与える。それで、感覚に訴えた結果というものは、ひと各々、その考えに従って、この点を決定し、自分に関係あるものについて、汚いものとそうでないものとを識別することが出来るとしか言わない限り、ここでは規矩準縄の役には立てないもの、ということになる。

・・・・

このユスベクの見方が大事なのだと、昨年受けた文学の授業で、初めて知りました。その先生によると、この《ペルシャ人の手紙》は、社会批判したと言うよりは、むしろ”異国の人がフランス社会をよく観察したことを書き記した”と言った方がいいのだそうで、モンテスキューが本当に重要なこととして示したかったことは、この《相対主義 relativisme》という考え方だったのだそうです。

外国人の素直な見方を通して見ると、今当然だと思っている私達の社会はそうではなく、また逆に、外国の社会・風習が、私達にとっては変に見える。つまり、絶対などはなく、すべて相対的存在するという考え方です。そうだったのか・・・と、この先生に感謝です。

一見理想的な事を訴えるユスベクは、一方で厳しい現実にも突き当たります。なんと気の毒なことに、自分の所有しているハーレムの女性たちに問題が起こったり、そこで仕えている宦奴達(中国の宦官のように去勢させられている)の悩み(上官によるいじめ、女性関係)まで、手紙で知ることになります。そこで彼は、パリから遠くに住む奥様方に、ほめたりなだめたり叱ったりと様々な手紙を書くことになるのです。

”ハーレム”ってどんな世界なんでしょうね。当時のフランス人達も相当興味を持ったのではないでしょうか。どうも奥様方は、子供の事から閉じ込められているようですよ。

(第62話)ゼリスからユスベクへ

娘が7つになりまして、ハーレムの中の部屋に移らせる時が来ました。黒人の宦奴に見張らせる十の年になるまで待っている必要はないと考えました。小さいときから不自由な思いをさせ、操正しい神聖な部屋の中で、神聖な教育を受けさせることは、どんなに早くからしても良いと存じます。・・・・・

・・・私達がただ勤めだけで、貴方様に結び付けられているのでしたら、たまには、その勤めを忘れるときもありましょう。また好んで勤めを守っていると致しましたら、たまには、もっと強い楽しみが勤めを怠らせることにもなるでしょう・・・(妻たちの浮気?)

・・・しかし、ユスベクさま、あなたが私よりもずっと幸せだとお思い遊ばしませぬように。私はここであなたのご存じのないたくさんの楽しみを味わいました。・・・・

・・・・

あれれ?!ユスベクも大変!のんびりとパリ観察などしている状態ではなさそうです。ハーレムでの問題発生は、当時の読者の興味を惹きつけるのと同時に、モンテスキューのハーレム批判の表れかもしれません。下巻を読んでいないので、この後どう展開していくのか分かりませんが、ここまででも読み物としてなかなか面白かったですし、偉大なる啓蒙思想家であるモンテスキューの考えを、垣間見ることが出来た事はほんとうれしいことです。ただ、旧漢字だったことが、私には問題でした・・・

モンテスキューやヴォルテールを代表とする啓蒙思想家達が示した批判的精神は、一見気難しそうに見える現代フランス人も非常に大事にしていることだと、パリ時代に習った先生が強調していました。この時代の思想家達の影響力の大きさに驚かされます。   

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2008年2月25日 (月)

モンテーニュとラ・フォンテーヌの「ハゲタカと鳩」 Montaigne et ”Les Vautour et les Pigeons” de La Fontaine

友人たちと読んでいるラ・フォンテーヌ(Jeab de La Fontaine)のFables寓話集の中で、最近読み終えた話「ハゲタカと鳩 Les Vautours et les Pigeons」の教訓内容が、モンテーニュの生き方にとても共鳴していることに気がつきました。

この話の内容は・・・(教訓の部分のみ仏文を載せておきます)

Fable_0707_2  「(戦争の神)マースが昔、大空全体を混乱に陥れた。あるテーマが鳥たちの世界に論争を起こさせたのだ。

”春の女神がその宮廷につれてくる鳥で、木の葉の下で手本や彼らの響き渡る声でヴィーナスの目を覚まさせるのは、(春の鳥と言われている)ナイチンゲールではなく、また、愛の神の母親の山車を引く(ヴィーナスの山車を引くのは、鳩といわれている)のは、彼ら(鳩)ではなく、鍵型のくちばしに鋭い爪を持ったハゲタカ族だ・・・”

一匹の犬の死がきっかけで、戦争が勃発したと言われている。血の雨が降った。私は決して大げさには言っていない。もし私が詳しく一部始終を話すとしたら、息もできないだろう。リーダー達も死んだ。ヒーロー達も息絶えた。岩の上のプロメテウスは、やがて苦痛が終わると期待した。

鳥達の奮闘振りを見るのは楽しいものだった。死んだ鳥達が落ちて行くのを見るのは哀れだった。勇気、巧妙さ、策略、不意打ちなど、あらゆる手段が使われた。

激しい怒りに我を忘れた両軍は、死んだ鳥たちが呼吸するあの世を一杯にするべき、いかなる手段も惜しまなかった。すべての要素(気、火、大地、水)は、冥界が持っている広大な閉ざされた世界を死者で満たした。

この激昂は、心優しく誠実で首の羽の色が変わる別の鳥族に同情を引き起こした。その鳥族は、このような戦争の和解をするために、仲裁をした。鳩族によって選ばれた使節が、非常によく働いたので、ハゲタカ達はもうつまらないことで争わなくなった。彼らは休戦し、平和条約が結ばれた。

ああ、なんと言うこと!それは、感謝すべき種族の犠牲によってなされたのだ。呪われた種族(ハゲタカ)は、すぐにすべての鳩達を追いかけ、大虐殺を行ない、野山や町をも過疎にした。

気の毒な鳩族は、あまりにも野蛮な種族を調停しようなどと、慎重さが足りなかったのだ。
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野蛮な者達は常に離反させたままにしておこう。地上の残りの安全は、これにかかっている。彼らの中に戦いの種を蒔こう。さもないと、あなた達は彼らと共に平和を手にすることはできない。ついでに言うと、私は黙る。
    Tenez toujours divisés les méchants;
    La sûreté du reste de la terre
    Dépend de là: semez enter eux la guerre,
    Ou vous n'aurez avec eux null paix,
    Ceci soit dit en passant: je me tais.

友人たちと訳した「ハゲタカと鳩」はこんな話です。直訳のため、少々読みにくいですね。きっと話にするならば、もっと技巧を凝らして良い文章を作るのでしょうけれど、今はご容赦ください。ラ・フォンンテーヌの話って、このようにギリシャ神話などがふんだんに繰り込まれていて、表現方法もかなり凝っています。戸惑いますよね。最後の教訓部分も、わかりにくいでしょう?

モンテーニュ(1533-1592)は、ラ・フォンテーヌ(1621-1695)よりほぼ100年前の人です。ラ・フォンテーヌはモンテーニュの生き方に、知恵を見出したのでしょうか?

Barthelemy_2  モンテーニュの生きた時代は、今のイスラム教のシーア派とスンニ派の戦いのように、フランス国内がカトリックとプロテスタントの2つに大きく分かれた宗教戦争(ユグノー戦争1562-1598)の激しい時代でした。

例えば、左の版画のように、1572年8月24日のサン・バルテルミの虐殺では、男女子供を問わずプロテスタント派2700人が虐殺されました。これをきっかけに、オルレアンでは3日間で1200人が殺され、ルーアン、リヨン、トロワと広がり、ボルドー(300人)、アルビ、トウールーズ(150人)など、10月までに27000人の犠牲者が出たのだそうです。(L'histoire de Franceより)

こんなご時勢に、モンテーニュは37歳で法務官という重要ポストを辞職し、宗教色を一切持たない「エセーLes Essais」を書いていたのです。1580年にこれを出版。

彼自身は当然カトリック。しかし、プロテスタントにも理解を示し、例えば、当時プロテスタントだったアンリ4世の侍従をしていた程です。アンリ4世は王位を継承するために、後にカトリックに改宗するのですが、彼の偉大なところは、両方の宗教を認めたあのナントの勅令(1598)を発布するという決断です。(この国民に愛された国王は暗殺され、その子供がルイ13世になるのです。)

モンテーニュのこの態度、争いの種こそ蒔きませんでしたが、争いに背を向け、一人思索の世界に入ったモンテーニュ、まさしくラ・フォンテーヌの言っている『私は黙る Je me tais.』に当てはまりませんか!!

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2008年2月19日 (火)

モラリストたちの文章

Micheleyquemdemontaigne_1_2  「読者よ、これは誠実な書物なのだ。この本では、内輪の、私的な目的しか定めていないことを、あらかじめ、君にお知らせしておきたい。君の役に立てばとか、私も名誉になればといったことは、いっさい考えなかった。もっとも、わたしの力量では、そうした企てなど不可能なのではあるけれど。・・・」

なんと、謙虚なお言葉・・・はずかいけれど、「読者に」というこの前書きに、驚き、かつ拍子抜けしてしまった。えっ?えっ?これがあの有名なモンテーニュ(Michel de Montaigne 1533.2.28-1592.9.13)のエセー(Essais)?

ある雑誌で、荻野アンナ氏が「煮詰まると、『エセー』を読んでガソリンを補給する」とエセーを推薦するような文章を読んで、興味を持ってしまい、ガラにもなく、宮下志朗氏による口語新訳「エセー」を購入してしまったのです。

理解不能の哲学的分野の本で、きっと難しい言葉がずらーっと並んでいると思いきや、上記のような書き出しだったのでほんとに拍子抜け。さらに次のような結びの言葉も面白い。

「つまり、読者よ、私自身が、私の本の題材なのだ。だからして、こんな、たわいのない、むなしい主題のために、君の暇な時間を使うなんて、理屈に合わないではないか。では、さらば。」
   Ainsi, Lecteur, je suis moi-même la matière de mon livre : ce n'est pas raison que tu emploies ton loisir en un sujet si frivole et si vain. Adieu donc. De Montaigne, le 12. de Juin. 1580

まだ全部を読んではいないのですが、なんだか心が沈んでいる時とか弱っているとき、モンテーニュならば、すーっとそばに寄ってきてくれ、「じゃ、一緒に考えようか・・・」とやさしく言ってくれるような気がする。

そして、「人間なんてみんな、そんなに強くはないんだよ。立派だといわれている○○も、こんな事したし、有名な△△においては、こんなこともあったんだよ。みんな悩みながら、考えながら生きているんだね。」と、こちらの痛みをわかってくれるような気がする。

Blaise_pascal それに比べて、パスカルの文章を見ると、『パンセ』の中で、「人間は、ひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは、考える葦である。(L'homme n'est qu'un roseau,le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant!)」という文が代表するように、「○○は××である。△△は□□である。理解しなさい!」と厳しく叱られ、お小言を言われているように感じてしまう。

この有名な部分は、「我々の尊厳のすべては、考えることの中にある。我々は、そこから立ち上がらなければならない・・・だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」と締め括られている。

こちらの精神的状態が充実しているときは、反感も持たずに理解しよう、納得しようと考えられるけれど、弱っているときは、厳しい、温かみのない言葉が並んでいるように見えてしまう。

敬虔なジャンセニストだったパスカルは、モンテーニュから感化を受けたにもかかわらず、カトリック教徒だったとはいえ文章の中に宗教的なことを書かなかったモンテーニュを攻め、また、デカルトに対しても、信じられないような厳しい言葉を残している。

「モンテーニュの欠陥は大きい。みだらな言葉(どうでもいいことをくどくど言い過ぎる、と後で指摘している。)。これは全く価値が無い。・・・・彼の著書は人を経験にさせるために書かれたものではないから、この義務は無かった。」

「私はデカルトを許せない。かれはその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっと思っただろう。・・・無益で不確実なデカルト。」

これには、ほんと驚いた。二人が神を敬っていないというだけで攻めているように見える。彼は、自分に対しても厳しい人だったのでしょうね。

同じくモラリストといわれているラ・ロシュフコーの言葉は、表現がうまい!という印象を受ける。事実を斜めから見て、やんわりと絶妙な言葉を使っての婉曲的表現が見事。思わずにやっとして納得させられてしまう。たとえば、次のよう。

「偽善は、悪徳が美徳に捧げる敬意のしるしである。」(L'hypocrisie est un hommage que le vice rend à la vertu.)

エセーに刺激され、これらの有難いお言葉を、時々ここに書いてみようと思った次第です。自分を戒めるためにも、必要のような気がしております・・・

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2006年8月26日 (土)

フランス人にとっての理想世界 le monde idéal pour les Francais

やっと、フランス語夏季講習としてとった”ユートピア思想の展望”が終わった。こういう授業を受けたことがない私にとっては、とても新鮮で面白かった。

たった6回だったので、先生は物足りなかっただろうけれど、ユートピアとパラディの違いが分からないような私には、これで十分だった。

Utopia 1516年にトーマス・モーアが作った単語(un néologisme)は、”UTOPIA”。”U”はギリシャ語語源でnonの意、否定の接頭語。topiaは”topos”で lieu,endoit 場所の意。

つまり、Utopiaは ”qui ne se trouve null part”(どこにもない場所)。

その後、1518年に彼は、”EUTOPIA”に変更している。”eu”はギリシャ語語源でbon、bien、良いの意。(”l'euphorie:幸福感”、”l'euphonie:調和音”)

ところが、フランスでは、ガルガンチュアを書いた天才的言語学者ラブレーによって、意味はそのままにしてスペルを”Utopie”とした。つまり、現実には存在しない理想社会を示す。

日本で”ユートピア”というと理想郷と思い、つい山奥の長閑な桃源郷などを考えてしまうが、西洋人の”ユートピア”は、理性raison によってコントロールされている人工的社会で、地理的には他の世界から隔離された孤島であり、到達するもの難しく、社会的には、機械的な生活、厳密な規律をまもり、不変である必要がある。

上の図が、モアの考えた理想郷、三日月形の島で、湾に入るには底に岩があって難しく、弧の外側は、要塞になっている。人々の生活も、町と農村を2年ごとに入れ替わるとか、服は頑丈で1つしか持っていないとか、読めば読むほど味気なく、息苦しくなる世界。

しかし、モアが書いた16世紀は疫病の蔓延や不安定な政治、貧困など混沌としていた為に、反面教師のような理想社会が、この微塵の揺らぎも無い管理社会だったのだろう。

つまり、ユートピアとは、現実社会の逆の社会を考えることによって、現実社会の批判することなのだ。これでは、全然桃源郷とは異なる。

講義は、逆ユートピアを初め、現代のジョージ・オーウェルの”1984年”までの考察をし、さらに、2005年に出版されたMichel Houellebecq”La Possibilité d'une île”(島の可能性)の一部分も読んだ。

印象的だったのは、授業の最後に先生が、「フランス人が理想と思う世界はこれ」といってボードレールの詩を引用した事。

”Les Fleurs du Mal”(悪の華)より ”La Beauté”(美)

    Je suis belle, ô mortels! comme un réve de pierre,
    Et mon sein, où chacun s'est meurtri tour à tour,
    Est fait pour inspirer au poète un amour
    Éternel et muet ainsi que la matière.

    Je trône dans l'azur comme un sphinx incompris;
    J'unis un cœur de neige à la blancheur des cygnes;
    Je hais le mouvement qui deplace les lignes,
    Et jamais je ne pleure et jamais je ne ris.

阿部良雄訳によると、

  おお死すべき者どもよ! 私は美しい、石の夢のように、
  そして、人々がかわるがわる触れては傷ついた、私の胸は、
  物質と同じように永遠で無言の愛を
  詩人の心に呼び覚ますように作られている。

  私が青空に君臨する姿は、さながら、不可解なスフィンクス。
  私は、雪の心を、白鳥の白さに結び合わせる。
  線を動かす運動は、私は忌み嫌うところ、
  ついぞ泣きもせねば、笑いもせぬ、この私。

先生の話によると、”感情の喪失、冷たい人間などが理想なのだ”とか。フランス人の理想は、全く複雑です・・・。

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