.コルネイユ「舞台は夢 L'illusion Comque」 at 新国立劇場
先日、久しぶりに楽しい劇を見てきましたので、報告します。舞台は新国立劇場でのコルネイユ「舞台は夢(L'illusion Comique)」。物語は・・・パンフレットから。
『行方の分からぬ息子の安否を気に病む父親プリダマンは友人ドラントとともに、洞窟に住む魔術師アルカンドのもとをを訪れる。プリンダマンは、「ご子息の輝かしい運命をお見せしよう」と言う魔術師にいざなわれ、息子の人生の有為転変に、まるで「観客」のように立ち会うこととなった。
次々と息子の身の上に起こる波乱万丈の果てに最後に行き着いたのは、いとしい息子の非業の死という悲劇的結末。絶望し、自らの命を絶つと口走る父親に、魔術師アルカンドが明かしてみせる秘密・・・。
幾重にも重なった複雑な「劇」のその先に、思いもかけない世界が立ち現われる。』
中劇場の中央に円形舞台を置き、その中に開いた穴から人が出たり入ったり・・、内容の面白さだけでなく、舞台にも変化を持たせた楽しい舞台でした。
実力派段田氏演じるほら吹き隊長のとんでもなく規模の大きい話に、始めは呆れていた私もだんだんその気になってしまい、”もっと、もっと、もっと大きな事を聞かせて!”と思わず拍手しながら、心の中で応援しておりました。
段田安則氏の他、高田聖子さん、堤真一氏、秋山菜津子さん達の演技が上手いのか、芸術監督鵜山仁氏の演出が効果的なのか、もともとのコルネイユ(左図)の戯曲がすばらしいのか、いえいえやはりその全てが絡み合っているからすばらしい舞台になっているのでしょう。
登場人物の意外さにしても、会話内容にしても話の展開にしても、ほんとに古典的だと思うけれど、演出の違いによってこんなに時代を感じさせない舞台になるんですね。
何年か前に見た、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「ヴェニスの商人」(これは見事でした!)の感激以来、久しぶりに我を忘れて舞台を楽しむことができました。
恥ずかしいことに、ピエール・コルネイユ(1606-84)は、悲劇作家だと思っていました。なぜなら代表作の悲劇「ル・シッド(Le Cid)」しか知らなかったのです。彼はデビュー作から喜劇だったなんて始めて知りました。しかもこちらのフランスのウィキペディアを見ると、この「L'illusion Comique」と「Le Cid」は、1636年彼が30歳の時、同じ年に書いているんですね。
さらに驚いたことに、(いえ、知らなかっただけですが)、彼は、モリエール(1622-73)より先に生まれていて、後で亡くなっていました。計算してみると、モリエールがまだ子供の頃、コルネイユは既にパリで、”舞台はすばらしいんだ!”とメッセージを作品中で主張していたのですね。コルネイユが「フランス演劇の父」と呼ばれているのも納得です。
翻訳者伊藤洋氏の話によると、原作L'illusion comiqueは、喜劇なのにアレクサンドランで書かれているのだそうで、それを今回の舞台用に全面的に改訳をされたのだそうです。
専門家とはいえ、大変だったでしょう。まったく古典的な12音節の韻を踏んでいる詩のような会話を、今回の演出に合わせて日本語の口語にしなければならなかったのですから・・・
実は2年前の春友人とパリへ行ったとき、本場コメディフランセーズComedie francaiseで、丁度公開中だった「Le Cid」を見てきました。前日に予約したせいか、なんと最前列で(ほんとうは、もう少し後ろがよかったのですが)、演技者の小さな表情の変化まで見て取れる距離、しかもみんなの会話で飛びかう唾まで見える席でした。(左は、Comedie-francaise内部 絵葉書より)
ル・シッドも実に古典的で、登場人物がどうしようもない苦しみを独白する場面が多く、しかもすべてがアレクサンドランで書かれているので、その言葉の途切れる韻の連続は、耳には歌のように聞こえました。美しかったですが、難しかったです。
舞台としては、全くの古典的演出でしたので、演技者の動きはあまり無く、その楽しみは、会話に集約されるのかもしれません。そういう点では、やはり喜劇の方がずーっと見て楽しいですね。
今、コメディフランセーズのサイト(以前のサイトとかなり変わっていました。)を見ましたら、この12月6日から来年6月まで、この「L'illusion Comique」の舞台が見られるようです。写真を見ると、かなり現代的演出のようですね。見たいのは山々、でも来年は、はやりイタリアへ行こうと思っているので、しばらくはコメディフランセーズは”お預け”です。(下は、Comedie-francaise外観 絵葉書より)
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