カテゴリー「イタリアの教会 Le chiese di Italia」の23件の記事

2009年3月 1日 (日)

「イタリアの教会」 記事一覧

訪れた教会の数に比べて、なんとイタリアの教会についての記事数が少ないのでしょう!なんとかしなければ・・・

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2009.02.27  ヴェローナ:ピサネッロの壁画 サン・フェルモ・マジョーレ教会とサンタ・アナスタジア教会
2009.02.19  ヴェローナ:美しいフレスコ画のクリプタを持つサン・フェルモ・マッジョーレ教会②
2009.02.14  ヴェローナ:天井が美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会①
2009.02.12  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群②
2009.02.07  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群①

2009.01.29  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会②
2009.01.22  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会①
2009.01.11 ボローニャにある聖ドメニコのお墓② サン・ドメニコ教会 ロザリオの礼拝堂、リッピの絵
2008.12.24 ボローニャにある聖ドメニコのお墓① サン・ドメニコ教会 外観、内部、聖ドメニコのお墓

2008.9.27  破壊されたマンテーニャのフレスコ画 パドヴァ・エレミターニ教会
2007.9.23  キリコに影響を与えた街フェラーラ①
2007.9.09   レンガの塔が美しいポンポーザ大修道院
2007.3.20 独自の文化を培ったシエナ(5) 洗礼堂
2007.3.15 独自の文化を培ったシエナ(4) ピッコローミニ書架
2007.3.14 独自の文化を培ったシエナ(3) シエナ大聖堂

2007.2.17 塔の町 サン・ジミニャーノ(2) コッレジャータ(2)
2007.2.14 塔の町 サン・ジミニャーノ(1) コッレジャータ(1)
2007.2.05 かつての海洋国家 ピサ(3) カンポサント
2007.2.04 かつての海洋国家 ピサ(2) 洗礼堂
2007.2.03 かつての海洋国家 ピサ(1) ドゥオーモ

2006.12.24 ヴェローナのDuomo
2006.10.5 パヴィアの美しい僧院 Certosa di PAVIA

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訪問したイタリアの教会(北から順に列挙します。記事を書いた教会には、リンクをしているのですが、少ないですねェ~、もっと書かなければ・・・)

ミラノ 大聖堂(Duomo) 屋上に行くべし
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会: ネットで予約して行く
(Chiesa di Santa delle Grazie)
サン・タンブロージョ・バジリカ聖堂
(Basilica de Sant'Ambrogio)
コモ Como 大聖堂(Duomo)
サン・フェデーレ教会 サン・タポンディオ聖堂
コモ湖北: ピオナ修道院
ベルガモ サンタ・マリア・マッジョーレ教会
「サン・スピリト教会」
「サン・アレッサンロド・デッラ・クローチェ教会」
「アドリアーノ・ベルナレッジ美術館」
「カッラーラ絵画館」
「サンタ・マリア・マッジョーレ教会」(コッレオーニ礼拝堂)
「サン・ベルネルティーノ・イン・ピニョーロ教会」
パヴィア パヴィアの僧院(Certosa di PAVIA)
カルトゥジア修道会の修道院、
見事なファサード、壮麗な霊廟、2つの美しい回廊
トリノ ドゥオモ(Duomo San Giovanni)
キリストの聖痕で有名
ヴェネツィア サン・マルコ寺院(Basilica)
スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ教会
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
Chiesa di SAnta Maria della Salute
サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会
Chiesa di Santa Maria Gloriosa dei Frari
サン・ザッカーリア教会
Chiesa di San Zaccaria
ヴェローナVERONA ドゥオーモ Duomo
サンタナスタシア教会 Chiesa di Sant'Anastasia
サン・フェルモ・マッジョーレ Chiesa di Sant Fermo Maggiore
①内部と天井 ②クリプタ(壁画) ③ピサネッロの壁画
サン・ゼーノ・マジョーレ Sant Zeno Maggiore
パドヴァ Padova スクロヴェーニ礼拝堂 Cappella degli Scrovegni ネットで予約
サン・タントニオ聖堂 Basilica del Sant'Antonio
エレミターニ教会 Chiesa delgli Eremitani
破壊されたマンテーニャのフレスコ画

フェラーラ
Ferrara

ドゥオーモ(Duomo)
サンタ・マリア・イン・ヴァード教会 Chiesa di Santa Maria
ポンポーザ ポンポーザ大修道院 Abbazia di POMPOSA
ラヴェンナRAVENNA サン・ヴィターレ教会 Basilica di San Vitale
ガッラ・プラチディアの霊廟 Mausoleo di Galla Placidia
サンタポリナーレ・ヌオーヴォ・バジリカ聖堂 Basilica di Sant'Apollinare Nuovo
ネオニアーノ洗礼堂 (オルトドッシ洗礼堂 Battistero degli Ortodossi)
サンタポナーレ・イン・クラッセ・バジリカ聖堂
Basilica di Sant'Apollonare in Classe

ボローニャ
Bologna

サン・ペトロニオ聖堂 Basilica di San Petronio
サン・ドメニコ教会 Chiesa di San Domenico
  聖ドメニコのお墓  ロザリオの礼拝堂
サン・ジャコモ・マッジョーレ教会 
 
外観、内部  美術品と平面図
  Chiesa di San giacomo Maggiore
聖チェチリア礼拝堂
サント・ステファノ教会 複数の教会の集合
 平面図、聖十字架教会とセポルクロ聖堂、サン・ヴィターレ、アグリコラ教会  ピラトの中庭、トリニタ教会 
Chiesa di Santo Stefano
モデナ Modena ドゥオモ Duomo
パルマ
Parma
ドゥオモ Duomo
洗礼堂 Battistero
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会
Cheisa di S. Giovanni Evangelista
ピアチェンッア
Piacenza
ドゥオモ(ファサードのみ)
クレモナ
Cremona
ドゥオモ Duomo
サン・タゴスティーノ教会 Chiesa di Sant'Agostino
   ペルジーノの祭壇画
サン・シジスモンド教会 郊外 クレモナ派のフレスコ画
フィレンツェ ドゥオーモ
(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)
洗礼堂(Battistero)
13cの見事なモザイク
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
Chiesa di Santa Maria Novella
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サン・ロレンツォ教会 Chiesa di San Lorenzo
メディチ家礼拝堂 Cappelle Medicee
ミケランジェロの彫刻
サンタ・クローチェ教会 Santa Croce
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会
Affreschi di Santa Maria del Carmine
マザッチョの絵画
ピサ Pisa ドゥオモDuomo  カンポサント 壁画《死の勝利》
洗礼堂Battistero  シノピエ美術館
シエナSiena Duomo
サン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero San Giovanni)
サンジミニャーノ コッレジャータ Collegiata
アッシジ
Assisi
サン・フランチェスコ大聖堂Basilica di San Francesco
サンタ・キアーラ教会Chiesa di Santa Chiara
ペルージャ
Perugia
サン・ロレンツオ大聖堂 Cattedrale di S. Lorenzo
サン・セヴェーロ教会 Chiesa di S. Severo
サン・ドメニコ教会 Chiesa di S. Domenico
サン・ピエトロ教会 Basilica di S. Pietro
グッビオ Gubbio ドゥオモ Duomo
ウルビーノ
Urbino
ドゥオモ Duomo
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所
Oradorio di S. Giovanni Battista 一面の美しい壁画
サン・セポルクロ ドゥオモ Duomo ペルジーノの絵《キリストの昇天》
モンテルキ 墓地礼拝堂 ピエロ《出産の聖母》
アレッツオ
Arezzo
ドゥオモ Duomo ピエロの《マグダラのマリア》
サン・フランチェスコ教会
ピエロ・デッラ・フランチェスカの《聖十字架物語》
サンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会 S.Maria della Pieve
列柱アーチが美しい
ピエンツァ ドゥオモ Duomo
トルカーナ周辺 モンテ・オリヴェート・マッジョーレMonte Oliveto Maggiore
モンテ・プルチアーノ
サン・タンティモ S. Attimo
サン・キリコ・ドルチャ
オルヴィエート
Orvieto
ドゥオモ Duomo
トゥスカーニア
Tuscania
サン・ピエトロ教会 Basilica di San Pietro
サンタ・マリア・マッジョーレ教会 Basilica di Santa Maria Maggiore
タンパン、壁画
ローマ Roma サンタ・マリア・マッジョーレ教会 Basilica di Santa Maria Maggiore
サンタ・マリア・デル・フィオーレ

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会 Basilica di San Gionanni in Laterano
サンタ・スカーラ(聖なる階段)
ラレラノ洗礼堂 Battistero Lateranese

サン・クレメンテ教会 Basilica di S. Clemente
サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro
骸骨寺 Santa Maria della Concezione
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 Basilica Santa Maria Sopra Minerva
パンテオン Panteon
サンタ・マリア・デル・ポポロ Santa Maria del Popolo
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 Santa Maria degli Angeli
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会 Chiesa di Maria della Vittoria
サンタ・サビーナ聖堂(ヨーロッパ1古い木製の彫刻扉)
サンタ・プデンツィアーナ聖堂 Basilica Santa Pudenziana
サンタ・プラッセーデ聖堂 Basilica Santa Prassede
サンティ・クワトロ・コロナーティSanti Quattro Coronati
サンタ・マリア・イン・ドムニカ聖堂 Santa Maria in Domunica
サント・ステファノ・ロトンド聖堂
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂
ジェズ聖堂 Il Gesu
サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ聖堂
サン・クリソゴノ聖堂
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ
ナポリ サンタ・キアーラ教会 Chiesa di Santa Chiara
ドゥオモDuomo(地下はローマ遺跡)
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会(遺跡)
(Chiesa di San Lorenzo Maggiore)
この隣に最近発見された遺跡がある
バーリ サン・ニコラ聖堂 Basilica di San Nicole
カテドラーレ Cathedrale
アマルフィ ドゥオーモ・ディ・サン・タンドレア
(Duomo di Sant'Andrea)
パレルモ サン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会
モンレアーレのドゥオモ

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2009年2月27日 (金)

見られなかったピサネッロの受胎告知 サン・フェルモ・マジョーレ教会③ Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

Vf20_fac ヴェローナのサン・フェルモ・マッジョーレ教会 Cheisa di San Fermo Maggiorre のファサードです。

上層の教会を改築したのは、1313年、ベネディクト会から教会を購入したフランチェスコ会でした。このファサードの完成は1350年頃。

上半分はレンガ色と白い石との縞模様はこのあたりの特徴でしょうか。ヴェローナにある他の教会よりシンプルですが、美しい調和を保っていると思います。

入り口左に見える石棺は、ジョヴァンニ・ダ・トレンティーノ作アヴェンティーノ・フラカストーロ(1368年没)のお墓。この人物、当時の権力者だったスカーラ家のCangrande della Scalaの友人で、お医者さまだったようです。重宝されていたんですね。

Vf18_port 正面入り口には、新しく1997年にLuciano MInguzzi によって作成されたというブロンズ製のドアがありました。これは、サン・ゼーノ教会に見習ったのでしょうか?

聖フェルモと聖ルスティコの殉教とヴェローナ民衆の彼らへの信仰を表した24枚のパネルによってできています。左に見られるように、かなり斬新です。

Vf27_int 中に入ってみましょう。また、気に入った天井を強調した写真がありましたので、またアップします。ほんとに美しいですねえ、この船底型木製の天井!

そして、目に飛び込んでくるのは、右手にある赤い大理石の説教台(1360年製作、下の写真の右側)。細長く豪華な装飾のゴシック天蓋、そしてその周りはマルティーノ・ダ・ヴェローナによる美しいフレスコ画に覆われています。

そのには、ブレンツォーニ礼拝堂(15世紀)。入り口の周りには、《聖ボナヴェントゥーラの木》と呼ばれるフレスコ画の断片が見えます。全部残っていたら、もっと華やかだったでしょうね。

そして、入り口上部には、(上の方で見えにくいですが、両側に分かれている)ジョット派らしいの画家による「受胎告知」がみえます。

 Vf31_int

ところでこの教会の中で、美術界で重要な作品といわれているのが、入り口を入ってすぐ左側にみえるピサネッロの傑作「受胎告知」なのですが・・・

なんと残念なことに、修復の為にカバーが掛かっていたのです!ショック!

  Vf32_int

Vf37_pisanello 上の写真は、ファサードの裏側です(入り口を入って振り返って見た所。暗くてすみません)。この写真では右側に見える、白いカバーの中で光が見えている部分に、本来ならば、右のような(絵葉書)ニコロ・ブレンツォーニ(1422没)の碑 Monumento funebre di Nicolo Brenzoni があるのです。

石棺を囲んでいるのは、フィレンツェの彫刻家ナンイ・ディ・バルトロ Nanni di Bartoloによるキリストの復活シーン(1424-26作)。

その天幕の右上にはマリア、左上は大天使ガブリエルのフレスコ画がみえますが、これがピサネッロの「受胎告知」(1426)なのだそうです。この絵葉書では、微妙な色彩がよくわかりませんが・・・

ピサネッロ Pisanello については、ウィキペディアに詳しく書かれていますので、参照なさってください。

Pisanello ピサネッロの作品は多くないらしいのですが、このヴェローナでは、あと2箇所で見ることができます。

ひとつは、美術館になっているカステルヴェッキオ(とても広いですよ。)に保管されている《ウズラの聖母》(左)。マリア様の首の傾げ方と、髪のカーブ、洋服のカーブが一致していて、見事に優雅なバランスを生み出しています。冠とか衣装の模様もほんと美しく描かれています。

もうひとつは、ヴェローナで最大のサンタ・アナスタジア教会内にあるフレスコ画です。少し横道に逸れますが、サンタ・アナスタジア教会(この教会も修復中でした。)の内陣の写真をアップします。

どこにピサネッロのフレスコ画があるか見つかりますか?

  Santanastasia

ピサネッロの《女王を解放する聖ジョルシオ》は、右側に見える礼拝堂入り口の上部に見えます。四角く囲まれた箇所で、他のフレスコ画より一段と色が薄い部分です。

  Pisanello_fresco

写真を拡大してみました。色が薄いのは、重要な作品ゆえに、加筆できないためなのでしょうか?周りの修復されたフレスコ画の色が鮮やかなのとは、かなり対照的です。

でも、その描写力のすばらしさはよくわかります。 馬を、前から描くのではなく、背後から描くなんて、ちょっと面白いかも。女王の横顔は非常に気品があり、衣服も優雅に描かれています。

さて、元のサン・フェルモ教会に戻りましょう。

  Vf38_int

Vf1_plan 左側アントニオ礼拝堂の上部には《聖母の戴冠》、右のアゴニザン礼拝堂の上部には《マギの礼拝》、それぞれの上には、跪いている2人の姿。一番上には神がいらっしゃいます。

中央のマッジョーレ礼拝堂の天井には、4人の福音史家たちのシンボル、天使、牡牛、ライオン、鷲が鮮やかな色で描かれています。祭壇の下には、聖フェルモとルスティコの聖遺物が納められているそうです。

最後に、美しい後陣の外観と教会平面図をアップして、終わりにしたいと思います。

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サン・フェルモ教会の関連記事:
   天井が美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会①
   美しいフレスコ画のクリプタを持つ サン・フェルモ・マッジョーレ教会②

その他の教会については、訪問した教会一覧

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2009年2月19日 (木)

美しいフレスコ画のクリプタを持つサン・フェルモ・マッジョーレ教会② Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

  Vf21_ext

これは、サン・フェルモ教会北側側面です。上下2つの入り口が見えることから、2つの階があるのがわかります。以前は、この道路から直接下層階のクリプトへ行けたのですね。

現在は、一旦教会へ入り、祭壇向かって右側(つまり、この画像の面と反対側)から下へ降り、一旦外気を味わい、また別の入り口からクリプトへ入るようになっています。以前lここへ来た時は、クリプタがあるのを知らずでてきてしまい、残念に思っていました。今回、見ることができて、ほんとうによかったです。

一旦、外に出ると中庭が見えるのですが、ここには作業道具が置かれていたり、数台の駐車があったりと、一瞬興ざめ。しかし、降りてすぐ左に廻ったところに、素敵なフレスコ画がありました。ちょっと死角になっているので、見逃す人も多いかもしれません。

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気品のある聖母子です。購入した小冊子によりますと、14世紀の地元のジョット派(Giottesco)の作品だそうです。

そして、その下ある石棺は、法学者アントニオ・ペラカーニのお墓だそうで、その浮き彫りは、生前の彼の姿、つまり、生徒達に講義を行っている場面を表しているのだそうです。ノートを前にして頬に手を当てていたり、指をさしていたりしている生徒達の様子が微笑ましくて、思わず写真を撮ってしまいました。

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さて、いよいよクリプトに降ります。細い階段の壁にもフレスコ画が描かれているらしく、数人の女性が何かを吹き付けたりして、修復作業を行っていました。

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うわっ、素敵!!!いつもこんなに明るいほか、それとも、当時は内部も修復中だったので、作業の為に特に明るくしていたのかわかりませんが、とにかくフレスコ画の赤の色が鮮やかに見え、素敵な空間を作り出していました。

Vf23_plninf ここで、少しこの教会の歴史を勉強をしておきましょう。手渡されたパンフレットとクリプトの掲げられていたプレートの説明に寄りますと、304年アディジェ川の岸で殉教した聖フェルモと聖ルスティーコに捧げて、5世紀ごろヴェローナの初期キリスト教団が小さな礼拝所を建てたのが始まりだそうです。

右はクリプタ平面図で、黒い壁が現在の形、薄い黄色の四角い部分が、5世紀の建物跡です。

Vf11_fre5 殉教した聖人の聖遺物は、先ずアフリカの初期キリスト教団へ預けられ、その後、カポディストリア(Capodistria 調べてみましたら、スロヴェニアの街の名のようです。ここにはイタリア人が多く住んでいるのだそうです。)に移されたのだそうです。

755年、当時のヴェローナの司教サン・アンノーネ(S. Annone)は、大金を払ってその聖遺物を購入し(修道士カドフェル・シリーズの「聖女の遺骨求む」を思い出しますね。)、初期の建物に半円形の遺骨納室を作り、その中央に石棺を聖遺物と共に収めたのです。(上の平面図で、中央にある濃い黄色の半円形の部分にあたります。)

1065年から1143年にかけて、ベネディクト会が、当初2つの教会であったものを1つに統一する形で、下層階は聖遺物を保管するために、そして上階はキリスト教の宗教的儀式を行うために、より大規模なロマネスク様式の建物に再建しました。

Vf24_frs 1261年、フランシスコ会に代わり、1350年までかけて上層の教会を現在の形であるゴシック様式で広い身廊に変更し、見事な後陣を付け加えたのです。さらに、年月と共に教会内部には礼拝堂や祭壇、記念碑的作品などが加わっていきました。

1759年、アディジェ川の氾濫により、聖遺物と石棺は、上層の教会の主祭壇に移されたのですが、その際、それまで手付かずだった石棺を飾っていた周囲の石材が、なんと売られてしまったのだそうです。

2004年、聖フェルモと聖ルスティーコの殉教1700年祭に際し、地下の考古学調査を行ったところ、5世紀の遺骨納室の残がいが発見されたのだそうです。クリプトの壁には、発見された状態の写真が展示されていました。

ここに描かれているフレスコ画は、12世紀から14世紀の作品だそうで、確かに筆のタッチが異なる絵があるのはわかります。残念ながら、柱の下の方は、度々の川の氾濫により、絵がなくなっている部分も多いのだそうです。

有名な作品は、キリストの洗礼の場面だそうですが、私は見ていません。3番目の左の柱らしいのですが・・・。あの暗そうな場所だったかも・・・とにかく残念!

  Vf10_fre4

これは下層階の祭壇です。中央の木製の十字架は、14世紀のもの。

1807年8月30日、5世紀以上に渡ってこの建物を守ってきたフランシスコ会は、この修道院を放棄します。この時点で、ここは単なる小教区の教会となりました。

さてそろそろ、上の教会を見に行きましょうか!また階段を登っていきます。下は、出入口のあたり。こういう、フレスコ画で溢れた空間って、惹かれます。

  Vf9_fre3 

サン・フェルモ・マッジョーレ関連記事:美しい天井
                 上層階内部とピサネッロ

  

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2009年2月14日 (土)

天井が美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会(ヴェローナ)① Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

北イタリアの教会は、メインの装飾がフレスコ画ということもあり、色彩に溢れ、荘厳というより”華やか”という印象を受けます。どの教会も素敵なのですが、今回はその中でも少し変わっていて、少し地味に感じたけれど心に残ってしまうような、要するに惹きつけられてしまった教会を紹介したいと思います。

  Vf2_ext1

それは、ヴェローナの街を囲んでいるアディジェ川沿いに建つ、後陣の美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会 Chiesa di San Fermo Maggiore。

(話題が逸れますが、前回このヴェローナへ来たとき、何も知らずに、住民以外は駐車禁止区域である旧市内の駐車場に車を止めて罰金を払う目にあってしまったため、今回は駐車場に対して非常にナーヴァスになっていました。ですのでこの写真で分かるように(川の外側から撮っている)、川の外に車を止め、ちゃん駐車料金も払って歩き始めた次第です。車でいらっしゃる方、お気をつけください。)

ファサードやその他外観の画像のアップは後にすることにしまして、気に入ってしまった教会内部をまずお見せしたいと思います。

  Vf3_int1

天井のとても暗い色と、内陣や周囲の壁のフレスコ画のカラフルな色とのバランスが、一見不釣合いに見えます。でもでも・・・私にはとても素敵に見えました。

特に、正面の内陣の絵と天井の境目、半円形が次々と繋がって山形を造っているこの変わった形が気に入ってしまったのです。

Vf4_sof1 さらに、この木組みの天井も!!素敵でしょう?幾何学的に綺麗に並んでいるのに、美しい曲線を作り出していて、ほんとに見事!

ヴェローナでも人気のサン・ゼーノ教会の天井もこれと似ていますが、そちらはもっと洗練されていて、こちらの方がより人の手の温かみが感じられます。実際、こちらの方が古いのだそうです。

ところで、この天井にはある仕掛けがあるのです!写真はクリックすると大きくなりますので、よくご覧ください。

私はこの天井が気に入ってしまい、ぼーっと(口を開けて?)上を見続けていて気が付きました。な、なんと!たくさんある小さいくぼみ全部に、人の顔が描かれているのです!

もう数え切れません。興奮して、主人に話そうと歩き始めたとき、壁にその写真(下)が掲げられているのを見つけました。天井の全ての像が、このようにズラーっと並べられていたのです。

  Vf5_sof2

そこに書かれていた表題は、《木製天井の416人の聖人像 --- この街で、間違いなく一番豊富な1300年代の美術館》。

このように、あまり人の気づかない装飾なのに、なんと手の込んだ作業でしょうか。大変だったでしょうね、これらをこつこつと組み合わせていくのは・・・

さらにこの教会の魅力は、2層式教会になっていること。広い下層階のクリプタには、明るい色のフレスコ画がとてもよく残っているのですが、これも気に入った要素の一つです。次回から少しずつ書いていくことにします。

サン・フェルモ・マッジョーレ関連記事:クリプトについて
                      上層階内部とピサネッロ

ヴェローナ関連記事:ヴェローナのDuomo
             ヴェローナで罰金35ユーロ

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2009年2月12日 (木)

エルサレムを模したサント・ステファノ教会群② Monastero di Santo Stefano a Bologna

  Sst1_pilato

正面の八角形の建物は、前述のサン・セポルクロ教会。そして、この中庭の名前は「ピラトの中庭」!(右下の写真は、サン・セポルクロ教会外壁のモザイク、ロンバルド様式なのだそうです。)

ほんとに不思議。どうして修道院の中に、イエスを十字架に送ったユダヤのローマ総督の”ピラト”という名まえをつけたのでしょう?キリスト教信者にとっては辛いはず。

Sst3 と疑問に思っていたら、やはり、イエスが宣告された法廷の場であるエルサレムを忘れないために、こういう名前をつけたのだそうです。

さらに、この回廊に貼られていた解説版を読みますと、中央に置かれている洗礼盤のような形をした大理石のオブジェは、「ピラトの洗面器 Catino di Pilato」という名前なのだそうで、これまた、”ピラトがこの中の水で手を洗った”(つまり、自分の責任ではない事の暗示)ことを思い出させるために、こういう名前をつけたのだとか。

Sst32_cappella ところが現実には、この石の外側にラテン語で書かれている碑文によりますと、730年から740年ごろ作成されたこの物体の使用目的は、聖なる木曜日に寄進される品物を入れるためのものだったと分かったのだそうで。いやいや・・・

(左の写真は、サン・セポルクロ教会を出てすぐ左にあった、小さな礼拝堂の一つです。この一角だけは、天井も壁の色鮮やかなフレスコ画で覆われていて、思わず撮ってしまったものです。)

さらに、この中庭に面している一つの窓際には、「Gallo di S.Pietro(ペテロの雄鶏)14C」という名の石の鶏の彫刻が置かれている(私は見ていない)のだそうです。これも、イエスから「雄鶏が3度鳴く前に私を知らないというだろう」と予言されたとおり否定してしまったペテロを思い出すようにされているのですね。

もうこの庭は、遠いエルサレムを身近に感じられるように、至る所に仕掛けがなされているようです。

さて次は、ピラトの中庭を挟んで、サン・セポルクロと反対側にある、小さなトリニタ教会  Chiesa di Trinita 13c です。

  Sst33_pilato

  Sst22_trinita

Sst30_tri_chap_2 ここは昔から、4-5世紀では殉教教会、8世紀は、ロンバルディア族の洗礼堂、9世紀はフランカ教会 Chiesa franca、13世紀は、サンタ・クローチェ教会 Chiesa della Santa Croceなど、いろいろな名まえで呼ばれてきたようで、1910年から1923年にかけての大修復時に現在の姿になったそうです。

といっても、右側に小さな礼拝堂のような半円形のくぼみが5つあるだけで、祭壇も見当たりませんでした。でも、柱頭は11世紀から13世紀のものだそうで、少しですがこれは見る価値があります。

さて、いよいよ回廊です。といっても、モワサックのようではありませんが・・・

    Sst35_croitre

  Sst34_croitre

上下2段の回廊で、下は支える柱の幅が広くてどっしりとした感じ、上の階は柱が細く間隔も狭いので繊細な感じのする、バランスのよい回廊だと思いました。でも何か足りない・・・と考えていましたら、それは緑でした。はやり中央には草木があるといいな・・・

一階の回廊は上の写真のようでして、古い木の天井がいいですね。ここはどうも、2階の回廊が素敵らしくて、ところどころにかわいい柱頭を見られるそうです。私は行っていないので上がれるかどうか分からないのですが、もし、これから行く予定をされている方は、ぜひチャレンジしてみてください。

最後の博物館です。その隣に充実した売店がありました。

Sst18_musee  Sst20_musee

古くから発展してきたこの教会の経緯を、またアップしておきます。

Sst27_plan4  Sst28_plan5

Sst24_plan6 関連記事: 
エルサレムを模したサント・ステファノ教会群① (聖十字架教会、サン・セポルクロ教会、サンヴィターレとアグリコラ教会について)
その他の教会については、こちらから選んでください。

この教会のホームページは、こちら

最後に、教会前広場の写真をアップしておきます。統一感のある街って素敵ですね。

  Sst15_place

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2009年2月 7日 (土)

エルサレムを模したサント・ステファノ教会群① Basilica di Santo Stefano a Bologna

Sst16_ext1

このような変化のある教会建築は初めてでした。と言っても、上の写真のように、外見上は何の変哲も無くて、大きくもない建物を見ると、信じられないでしょう?

ここは、ボローニャの中心広場から南東に10分ほど歩いたサント・ステファノ教会。小さいながらもその内部は、クリプトや回廊だけでなく、今までの教会訪問の経験からは考えられないほど変化に富んだ教会だったのです。私は気に入ってしまいました。

Sst23_plan 右の平面図を見てください。変わっているでしょう?建物は一つだけではなくて、上の写真で説明しますと、右側の教会と、その左にある八角形の建物、さらに左に見える小さめの建物も全部中の通路で繋がっていて、それら全部を併せてサント・ステファノ教会を構成しているのです。

1-3:聖十字架教会
4:セポルクロ聖堂
5:サン・ヴィターレとアグリコラ教会
6:ピラトの中庭
8:トリニタ教会
9:ベネディクト修道会の回廊
10:マギのグループ
11:博物館

とても古くからここは神聖な場所だったらしく、西暦80年には(キリスト教からみると)異教の神イシスを奉っていた神殿があったのです。

その後、改築、増築を重ね現在の姿になっていきました。一つ一つ見て行きましょう。

  Sst12_crocif1

Sst31_crocifisso 先ずはメインの入り口である、1番から3番までの聖十字架教会(Chiesa del Crocifisso)から。8世紀に建てられた旧ロンバルト族の大聖堂で、12世紀に改築され、最終的に現在の姿になったのは19世紀のようです。単身廊、天井は木の梁でした。

内陣は、正面の階段を上がった所ですが、かなり新しそうで手前の身廊の古さと対照的です。丁度頭上に、 磔刑のキリストと共に、上部には裁きのキリスト、左右に聖ヨハネと聖母マリア、足元にはマグダラのマリアと聖フランチェスコが描かれた、Simone de Crocifissiによるキリストの十字架(1380 右)が掲げられていました。

クリプトの入り口は、階段の両側。購入した小冊子(フランス語)によりますと、この内陣への階段は19世紀になってから造られたもので、元のクリプトへの入り口は、上の写真で、正面両サイドに見える、閉じられた白いドアの部分だったそうです。

Sst13_crocif2

左の写真は、クリプトへ入るあたりを横から撮りました。上への階段を登ると内陣へ、少し下るとクリプトに入れます。

1019年に建設されたクリプトには、殉教者聖ヴィターレとアグリコーラの遺体が納められているそうで、さらに柱頭も面白いのが見られるとのことです。

しかし、私達が訪れたときは、奥で礼拝が行われていまして、何人もの修道士達が歌っていましたし、信者の方もいらして、とても写真を撮るという雰囲気ではありませんでした。

     Sst14_cript

Sst10_sepolcro2 さて、クリプトに入る手前左手に、隣の教会(4番)セポルクロ聖堂への連絡する小さなドアがありました。

ドアを通り抜けると、あまりの違いにびっくり!暗い!古い!

大理石とレンガの2種類の柱が円形に置かれていて、これだけを見ると、一瞬洗礼堂かと間違えそう。

でもここが前述した、この複合建築の中で一番古い部分でして、元イシス神殿のあった場所です。5,6世紀にキリスト教としての洗礼堂になり、11,12世紀にセポルクロ聖堂( Sepolcro di Cristo はキリストのお墓、埋葬地の意)になりました。

Sst9_sepolcro1 Sst11_sepolcro3

伝説によると、このボローニャの司教(431-450)だった聖ペトローニオ(後、ボローニャの守護聖人となる)がこの聖堂の立案者で、エルサレムの聖セポルクロを模して建築しのだそうです。

ですので、円の中にあるこの祭壇の下には、聖ペトローニオの聖遺物が納められているそうです。

建築物のここまでの変移は以下の通りです。

Sst29_plan1 Sst25_plan2

5世紀前後に、既にこんな立派な建物が建っていたのですね。そしてそれが現在にも残っているなんて、さすがイタリアです。

さて、更に左側にある5番のサン・ヴィターレとアグリコラ教会( Chiesa SS.Vitale e Agricola )に行きましょう。また半間ほどの狭い入り口を抜けると、このような古い教会内部が目に入ります。

  Sst7_vitale1

こちらも古いです!5世紀では、祈祷用の小礼拝堂だった建物が、6世紀には、司教座大聖堂となり、さらに8世紀から9世紀にかけて、改修および拡張され、さらに11-12世紀に現在の形になったのだそうです。

ここも、大理石の柱とレンガの柱が混ざっています。ここは他に誰もいなくて暗くて、少し怖くて(古かったから?それとも出入り口が一つだったから?)、早々に出てしまいました。

ピラトの中庭に出るには、またセポルクロ聖堂に戻り、左側にある出口から出なければなりません。

(ピラトの中庭以降は、次回とさせていただきます。)

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2009年1月29日 (木)

美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会② Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

これが、前述したベンティヴォーリオの礼拝堂(Cappella Bentivoglio)です。写真を入れ替えました。以前は、鉄柵の外側から撮った写真でした(私のは一眼レフのカメラなので、この間を通すことができなかったのです)が、なんと主人がコンパクトカメラで、中に手をいれて撮ってくれていました。知らなかった・・・有難いです。

    Sgm8_cap19

購入した小冊子に寄りますと、1399年、聖ジョヴァンニと聖アンドレアに献納された礼拝堂で、1445年にベンティヴォリーオ家の所有となり、その後大改造をして現在の礼拝堂の形になったそうです。

E_costa1_famiglia ジョヴァンニ・ベンテヴォーリオ2世(Giovanni Ⅱ Bentivoglio)統治の時代(1462-1506)、彼の庇護下にいたロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa 1460-1535)というフェラーラ出身の画家が、礼拝堂装飾の責任者になりました。上の写真の両側の壁と祭壇上部の半円形の絵は、彼によって描かれています。

右の画像(絵葉書)は、礼拝堂右側の壁に描かれてる絵で、上の写真の右側に見えているものです。これは、ロレンツオ・コスタの「玉座の聖母とベンテヴォーリオ一族 1488」でして、中央右よりの赤い帽子をかぶっているのがジョヴァンニ2世だそうです。(画像はすべてクリックすると拡大します。)

コスタは、フェラーラで生まれ育ったので、当然コズメ・トゥーラ(Cosimo Tura)の影響を受けたのは納得できますが、この絵をみると、かなり保守的ですね。

彼より20歳の年上のマンテーニャが、このボローニャのすぐ近くのマントヴァで、同じく自分が仕えていたゴンザーガ一族を描いた「夫婦の間」のフレスコ画と比べると、その差は歴然!!マンテーニャの偉大さが分かります。確かに、礼拝堂と個室という目的の違いはありますが・・・。

    L_costa2_gaushe     

礼拝堂左側の壁に描かれている2つの絵はコスタによるもので、左は「名声の勝利 Trionfo della Fama 1490」、右は「死の勝利 Trionfo della Morte 1490」。小冊子には詳しい説明が載っていなくて、ただ、聖書や神話、歴史などから多く引用されていて、”ダンテ的”と書かれていました。

彼は、ペルジーノや次に述べるフランチャなどから影響を受け、”感性が鈍いのは、非難されるべき”と考えるようになった、と書かれています。ペルジーノの影響はここにまで及んでいたのですね。

彼はフランチャと共に、隣のサンタ・チェチーリア祈祷所にも絵を描いていますので、また、いつかアップすることにします。

F_francia_madonna

正面の祭壇画は、コスタの友人であったフランチェスコ・フランチャ(ライボリーニ) Francesco Francia( Raibolini 1450-1517)の「玉座の聖母と聖人たち Madonna in trono e Santi 1494」(右上の画像)が描かれていました。美しい絵ですね。ルネサンス以前の絵としては、完璧ではないでしょうか。

この絵を描いた12年後、ベンテヴォーリオ家の支配は終わり、ボローニャは教皇領になるわけで、ちょうどその頃近くのマントヴァでは、マンテーニャが亡くなったので、ゴンザーガ家はこのフランチャとコスタを受け入れたようです。歴史的見事なタイミングだと思います。

ウィキペディアのフランチャの説明の中で、ラファエロの「聖セシリア」(ボローニャのピナコテーカで見られるようです。)を見て、激しい劣等感に襲われ、そのせいでうつ病にかかって亡くなったらしいと書かれていましたが、同じ画家として、地理的に離れていたとはいえ、その差を見せ付けられたショックは大きかったでしょう。

Smg17 ボローニャからフィレンツェへ車で行った時、始めてこの二つの街の距離を知りました。山を越えると又次の山というふうに、山がいくつも繋がっていて、車でも超えるのは大変だったのです。つまりフィレンツェは、鎌倉のように自然要塞を持っていて、車の無い時代では、ボローニャとフィレンツェは簡単に行ける距離ではなかったと思われます。

ということは、ボローニャは、残念ながら天才達がいたフィレンツェの高い文化の影響は受けていなかったということで、フランチャのショックは相当だったと想像できます。当時、旅をして他の街を廻るという事は、貴重な文化吸収の機会だったのが良く分かる話ですね。

さて次は、美しい金ぴかの多翼祭壇画。とても鮮やかに見えますが、これは絵葉書からで、実際は右下の写真のように、暗くて地味な部屋にありました。とても同じ祭壇にはみえませんよね。

Sgm4_paolo_veneziano

Sgm9_cappella14 これは、パオロ・ヴェネティアーノ Paolo Veneziano(活動期1333-1358)の1344年の作品だそうです。(絵の聖人は、左から聖アゴスティーノ、使徒の聖ヨハネ、使徒聖ペテロ、聖パウロ、聖ヤコブ、聖アンブロージョ。)

こちらを見ると、ヴェネチアのアカデミア美術館に美しい多翼祭壇画を残していますね。また、イタリアのウィキを読むと、なんとヴェネチアのサン・マルコ寺院内陣のあのきらきらの祭壇画パーラ・ドーロ(サン・マルコ寺院の中で、別料金を支払って見なければなりません。大きくてまぶしいほどきらきら。)を制作した方のようです。知らなかったー!

彼は、ヴェネチアのアンドレア・ダンドロ(Andrea Dandolo)に仕えて、息子のMarco, Luca, Giovanniと共に祭壇画を主に作製していたそうです。その作風は、ビザンチン風、後にゴシック様式で作製され、ジョッドから影響を受けているのだとか。

Sgm_plan こうやって少しずつ見ていくと、この教会はまったく美術品の宝庫だと思うのですが、私にとってはもう十分なので、これで終わりとしたいと思います。左は、この教会の平面図です(クリックしますと、拡大します)。左上の19番がベンティヴォーリオ礼拝堂、14番がCartari-Cavazzoni礼拝堂で、上述の多翼祭壇画があります。

Sgm_mappa_2 最後に、面白いものを見つけました。1702年の地図です。”S. Giacomo”と書かれた回廊の下にある四角い場所が、もとアウグスティーノ修道会所属の建物です。

ナポレオン侵略以降、なぜこれがサン・ジャコモ教会に属するようになったのか、分かるような気がしますね。すぐ側に別の教会があったので、一つにしただけとか・・・(違うかな?)。

この教会自身は、その道路側(建物の下の面)の部分にあたります。こういう古い地図が大好きなので、どうしても見つけるとアップしたくなります。イタリアの古い地図は、”上が南”となっている場合が多いようです。

これをみると、現在の様子と全然変わっていません。石とかレンガの建物は偉大ですね。

関連記事:サン・ジャコモ・マッジョーレ教会の外観と内部

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2009年1月22日 (木)

美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会① Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

    Sgm10_int

なんと明るくて賑やかな教会でしょうか!壁はピンク色、彫刻もあればフレスコ画もあり、絵画もある、ここそこに、多数の美術品が目に入る贅沢な教会です。

相変わらず、イタリアの教会は派手ですね。この派手さ、にぎやかさ大好きです。ここは、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会(Chiesa di S. Giacomo Maggiore)、ボローニャの象徴とも言うべき2つの斜塔から国立絵画館の方へ歩いていく途中、右側にあります。

Sgm12_facade ところがこの教会の入り口を、なかなか見つけられなかったのです。入り口は教会の西側、ファサードの位置にあるはず!という固定観念から抜け出せず、写真のように閉ざされている扉を前にうろうろしてしまいました。

そこに掛かっていたプレートに寄りますと、この建物は、

・ナポレオンによって廃止される以前、この建物はアウグスティーノ修道会が所有していた。
・13世紀に始まり、19世紀初頭に改築された。

・1752年、アルフォンソ・トッレッジャーニ(Alfonso Torreggiani)によって計画された大階段(何処にあるのか不明)を残し、そして、A. G. Pioによって作成された彫像によって装飾された。
・1805年からは、”ジャン・バッティスタ・マルティーニ”という音楽学校の活動拠点になっている。

と書かれていました(訳があっていればいいのですが・・・)。

とにかく、入り口が分からず、真夏の太陽の中、2度街の中心から足を運んだのです。どうして中を見たくて・・・。

Sgm11_ext もう見られないのかと諦めて、仕方なく、すぐ隣にある聖チェチーリア礼拝堂へ行こうと絵画館の方向へ歩き出したとき、偶然見つかりました。歩道(ポルティコ)を歩いていて、はっ!ここは何?と入ったのが、ラッキーにもこの教会だったというわけです。

この写真の右の少し暗くなっているところが入り口です。まさか、こんな通路に狭い入り口があるとは、思ってもいませんでした。この教会の形はバジリカ形式で細長く、この通路の右側の壁は、教会の壁だったのです。

Sgm115_int 中に入ってびっくり!周りのたくさんの装飾に一瞬にして囲まれたような印象でした。特に、彫刻の多さには目を見張りました。そしてその配置の多様さも・・・。

2段目のアーチの上にも彫像がありますよね。その下は3つのアーチに分かれていて、その一つ一つのアーチにもそれぞれ模様の異なるフレスコ画が描かれて、とても鮮やかです。

全体的にこの教会、教会特有の身の引き締まるような荘厳さはなく、各ファミリーの礼拝堂が主体をなしていて、庶民的な感じがしてとても気に入りました。

Sgm6_p_fontana_1561 さて、どれから見ようかと戸惑うほどにぎやかにいろんなものがあります。左は内陣に近い右側の礼拝堂の写真で、絵はプロスペロ・フォンターナ(Prospero Fontana 1512-97)による”キリストの洗礼”です。

ヨハネがとても凛々しく、天上の神の周りも多くの天使たちと共にオレンジ色のグラデーションが素敵で、美しい絵でした。

こちらのウイキペディアを読みますと、フィレンツェでヴァザーリの工房に入り、ヴェッキオ宮殿のフレスコ画作成にも加わっているようですね。実力派です。短期間ではありますが、なんとカラッチ兄弟の先生をしていたとか。また、一人の画家の名前を覚えました。

Sgm7_tombo_2 右は、内陣の裏側の周歩廊に掛かっていたお墓です。立派なので思わず写真を撮ってしまったのですが、この人物はやはり当時の支配者の家族でした。

売店で購入した薄い冊子によりますと、1433年のヤコポ・デッラ・クエルチャ Iacopo della Quercia の作品「アントン・ガレアッツォ・ベンティヴォーリオの墓廟 Monumento sepolcrale di Anton Galeazzo Bentivoglio」だそうで、15世紀後半ボローニャの政権を握っていたジョヴァンニ・ベンティヴォーリオ2世という人物の息子のお墓だそうです。

丁度このお墓の向かいにあった美しい礼拝堂がベンティヴォーリオ家のもので、この教会の中で一番フレスコ画が鮮やかでした。ただし鉄柵があり、しかもその幅が狭くて、カメラを入れることができず、残念。とにかく次回、その絵をアップすることにしますね。

あまり期待していなかった小さな冊子には、この教会の平面図、そして教会内にある35全ての礼拝堂に飾られている美術品の簡単な説明が載っていました。こういう本は、本当にありがたいです。

平面図とベンティヴォーリオの礼拝堂、その他の美術品については次回書くことにします。

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2009年1月11日 (日)

ボローニャのサン・ドメニコ教会 Basilica di San Domenico②

Sd_rosa1 ボローニャのサン・ドメニコ教会で一番大切なのは、前回書きました聖ドメニコのお墓ですが、それ以外の見所も少し紹介しておきます。

先ず聖ドメニコのお墓の真向かいにある、これまた広さ、装飾共に豪華な「ロザリオの礼拝堂Cappella del Rosario」。

入り口右側に置かれていたパネルを読みますと、キリスト教信仰の中では、ロザリオは聖ドメニコに与えられたのだそうです。ですから、すべてのドメニコ派の教会では、ロザリオのマドンナはとても崇拝されているとのこと。(そうだったのですか・・・よく分からないけれど・・・)

つまり、この礼拝堂も聖ドメニコのお墓ゆえに建設されたことになります。1370年に工事が始まり、1465年に完成し、後期ゴシック様式でできているのだそうです。

見事な天井のフレスコ画は1655年から2年かけてAngelo Michele Colonna と Agostino Mitelli によって描かれました。でもここで見たいのは、カラッチなど複数の画家が描いた言われる絵です。でも、それは何処にあるのでしょう?

Sd_rosa2 祭壇の前に来ました。近くに来ると、その大きさに驚きます。

正面のマリア様の像の周りには、四角に区分けされた所に何か描かれているようですが、小さい上に黒ずんでいて、しかも上のほうにある為、判別できません。

絵をさがして、上下左右きょろきょろ。見当たらないので、一旦この礼拝堂を出て、左右を見渡したらみつけました。

Sd_rosa4 礼拝堂入り口の左端の低い台の上に、手製の小さな解説板が置かれていたのです。誰も気に留めないような簡単なもので、とてもこれが中にある、大きな祭壇画の周りの絵の説明とは思えませんでしたが・・・

この礼拝堂で一番重要なものは、この祭壇の絵(黒くて判別できなかった絵)「ロザリオの神秘 Mysteres du Rosaire」だそうで、当時のボローニャ派を代表する画家達が中心となって描いたのだそうです。

でも、上の写真をみてもわかるように、絵の洗浄をしていただかないと、左のような絵には見えませんよね。

左の中央の絵の上下には、赤いマジックで「マリアの贈り物、ロザリオ」と書かれています。周りの絵は、キリストの生涯を表しており、話は左下が最初で、上へ、そして右下へと進んでいきます。画像はクリックすると大きくなりますので、ご覧ください。

1:「受胎告知」         ロドヴィーコ・カラッチ Lodovico Carracci 
2:「エリザベツ訪問」 ロドヴィーコ・カラッチ
3:「キリスト降誕」   バルトロメオ・チェージ Bartolomeo Cesi
4:「神殿奉献」     Denis Calvaert
5:「博士達との論議」 Lavinia Fontana
6:「オリーヴ山上の祈り」 バルトロメオ・チェージ
7:「鞭打ち」       ロドヴィーコ・カラッチ
8:「茨の冠」       バルトロメオ・チェージ
9:「十字架の動行」  ロドヴィーコ・カラッチ
10:「磔刑」       バルトロメオ・チェージ
11:「キリストの復活」 グイード・レーニ Guido Reni 
12:「キリストの昇天」  Francesco Albani
13:「精霊降臨」       バルトロメオ・チェージ
14:「聖母被昇天」     Domenichino
15:「聖母の戴冠」    Lavinia Fontana 

Sd_lippi1 1769年、モーツァルトが若い頃、父親と一緒にここへ来たとき、この礼拝堂でオルガンを弾いたのだそうです。

もう一つ忘れてはならない作品が、内陣の右側にある幅の狭い礼拝堂「Cappella di S.Caterina」の奥にある、フィリッピーノ・リッピの「聖女カテリーナの神秘の結婚」(1501年)です。

その礼拝堂はとても明るくて、丁寧にいすが整えられていたのですが、なんと鉄格子があって中へは入れないのです。しかも絵は奥の方にあるので、鉄格子の間からカメラを入れ、拡大して撮りました。とても美しい作品ですが、あまり大きくはないので良く見えませんね。

はやり、この教会で絵として一番印象に残ったのは、サン・ドメニコ礼拝堂の天井に描かれたグイード・レーニ作のフレスコ画「聖ドメニコの栄光」でしょうか。最後に大きくアップして、この教会を終わりにします。

Guido_reni

《関連記事》
サン・ドメニコ教会:聖ドミニコのお墓について

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2008年12月24日 (水)

ボローニャにある聖ドミニコのお墓 サン・ドメニコ教会① Basilica di St. Domenico

Arcade イタリアの記事がとても少ないので、気になっています。フランスの教会についてももっと書きたいのですが、しばらくイタリアに気持ちを切り替えたいと思います。

この夏、初めてボローニャに行きましたが、赤茶けたレンガ色に統一されている街の色に感激し、また何処を歩いてもアーチつきの歩道(ポルティコと呼ぶらしい)ばかりという街のこだわりに、一目ぼれしてしまいました。

旅行ガイド本によると、ポルティコの設置はなんと中世の条例で定められたのだそうで、現在では、全長42キロにも及ぶそうです。

さて今回は、街の南のほうにある、日本人の観光としてはマイナーかもしれませんが、カトリック教徒としては重要な聖ドミニコ(イタリア語では聖ドメニコ)のお墓のある、サン・ドメニコ教会(Basilica di San Domenico)を紹介したいと思います。

特に気に入ったというわけでもなく、また私はカトリック教徒でもないのですが、ある疑問からそれを整理したいと思い、話題として取り上げることにしました。またこの教会には、芸術面でもすばらしい作品がありますし・・・。

Exter1_2 その疑問とは・・・このボローニャに、どうしてフランスで活躍した聖ドミニコお墓があるのか?ということです。

どうも私はフランス側からみてるからこういう質問がでるのかもしれませんが、私の聖ドミニコについて知っていることはこうです。

スペイン北部出身、フランス南部に広がっていた異端と言われるカタリ派の人々の改宗という活動を通して、説教の重要性を確信し、ローマに赴き、「説教者修道会」の創設を依頼し、それが受け入れられドミニコ会の創始者となった・・・。

ですので、トゥールーズは彼にとっては本拠地みたいなもののはず。しかもトゥールーズには最初のドミニコ会修道院(Les Jacobins)があり、そこに彼のお墓があるはずと思っていたのです(訪問したことがあるのに、あの美しい天井以外は覚えていない)。なのに、どうしてボローニャにお墓があるのか???ボローニャと聖ドミニコの関係が分からず、私には大きな大きな疑問となったのです。

Nef_3 上の写真がサン・ドメニコ教会(Basilica di San Domenico)のファサード、手前の高い塔の上に、聖ドミニクの像が立っていました。左は教会の内部です。とても明るくて、新しい建築物のような気がしますね。

この教会のウィキペディア(フランス語)を読んでみますと、”1218年に初めてボローニャを訪れた聖ドミニクは、その街の活気に衝撃を受け、彼の伝道という使命には必要な街だと分かった”と書かれています。1219年に小さな聖ニコロ(San Nocolo)教会を手に入れ、彼はそこで過ごしたそうです。

1220年にこのボローニャで参事会総会が開催され、次の年の8月6日、長期療養していた聖ドミニクはこの地で亡くなったのです。これで分かりました、ボローニャに聖ドミニクのお墓がある理由が!

1219年から43年にかけて、ドミニク会はその小さな教会の周りの土地を買い集め、聖ドミニクの死後、1228年から40年にかけて、この教会を拡張させ、新しい複合修道院を建設しました。その後この教会は、ドミニク会のほかの教会の手本となったそうです。

1728-32年には、教会内部の改修をドミニコ会の教皇ベネディクト13世により後押しされ、建築家Carlo Francesco Dottiによって、バロック風に全面改築されたのだそうです。この写真で柱の上方に絵がいくつか見えますが、これは、この教会に伝わっているエピソードが10枚の絵に描かれているのだとか。

Arca_tutto 身廊の中ほど右側に、その有名なドミニコ会の創始者、聖ドメニコの立派な立派なお墓があります。全貌は右の写真!教会全体の改宗も含め、すべてが現在の姿に生るのに、なんと500年かかっているのだそうです。

最初は、祭壇の後ろに、大理石のシンプルな石棺が置かれたのだそうです。ところが、それを拝むためにあまりにも多くの巡礼者が訪れ、これでは不都合ということになり、新しい礼拝堂を造ったのです。それがこれ。

石棺は有名なニコラ・ピサーノNicola Pisano(1260年にピサの洗礼堂内部の説教壇を製作している)(1265-67)に依頼されました。

石棺の周りの彫像や背景の像は、Niccolo dell'Arca(1469), Michelangelo(1494), A. Lombardi(1532)などに少しずつ追加され、また、天井のフラスコ画「栄光の聖ドミニコ」は、なんとグイード・レーニ(Guido Reni 1613-15)によるものです。

Arca3

これが、ニコラ・ピサーノの石棺、凄いでしょう?クリックして拡大してご覧ください。周囲には、この聖人の数々の奇跡が掘り込まれています。

聖人の生涯を知るのに役立つ本「黄金伝説」を読んだのですが、いやー、もうほんとたくさんの逸話、奇跡が書かれていましたよ。彼が生まれる以前の、母親の夢まで出ているのですから、驚きです。

ここには両側に2つの燭台がありますが、その右側(つまりこの写真で一番手前)と、上段の正面左から2つ目の手に何か持っている像「聖ペトロニウス」が若いミケランジェロの作品といわれています。

Arca_dentro この石棺の裏側に廻ってみましょう。監視の人はいないのですが、はやり聖遺物の写真を撮るのは、気が引けました。でもちゃっかり撮ってしまいましたが・・・

この金色の聖遺物箱の下の広がっている部分には、聖ドミニコの頭蓋骨が入っています。

その上方に見える2つの小さな立像の右側、左手で服を肩にかけているような像「聖プロクルス」もミケランジェロの作なのだそうです。

ちょっとした疑問のおかげで、ドメニコ会の勉強ができました。ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」の中で、厳しく異端尋問する人ベルナール・ギー(Bernard Gui)という人物がいましたよね。拷問や火あぶりの刑に課せられた人がいましたが、あの怖ーい異端審問官が、なんとドミニコ会の修道士なのです!

ドミニコ会は、本来説教するのが仕事ですので、勉学に励み、多くの優秀な学者を輩出し、彼らをトゥールーズはもちろん、パリ、ボローニャ、ケルン、オックスフォードなどの大学に派遣したのです。このヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学(いつかアップしますね)でも、優秀なドミニコ会の修道士たちが教えていたのでしょう。そして、この地に聖ドミニコがやってきて、このボローニャ街に魅せられ、住み着いたのです。

ドミニコ会が「説教者修道会 Ordo Praedicatorum」として教皇ホノリウス3世から認められたのが1216年12月、その5年後に彼は亡くなっています。1233年になって、初めて教皇グレゴリウス9世がドミニコ会に異端審問の委託をしたことを考えると、聖ドメニコは、自分の会の修道士たちが異端審問する役を仰せつかるなど考えてもいなかったでしょうね。だって、彼の目的は、”説得をする”修道士を育てカトリックを広めていくことだったんですもの。

ドミニク会は、その後も優秀な学者を輩出し続け、また教皇にもたくさんなっているようです。当然、聖人カレンダーでは、8月6日が聖ドミニクの日です。

《参照サイト》
サン・ドメニコ教会について
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_San_Domenico_(Bologne)
聖ドミニクについて
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Dominique_de_Guzm%C3%A1n 

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