カテゴリー「海外美術 L'art étranger」の23件の記事

2012年10月14日 (日)

ジェームス・アンソール展ー写実と幻想の系譜ー損保ジャパン

Ensor2_0001久しぶりに、美術展訪問記も書いてみます。手短にさっぱりと書けばいいのに、ついつい長くなるのが悪い癖です。(それよりも、根気のないのが最悪なのですが。)

この損保ジャパンは、あまりメインでない画家の展覧会をするので、わりと気に入っています。さらに今回の展示は、アンソールが活躍する前の世代の画題の価値基準とか、同時代の画家たちの動きなどもわかりやすく説明していたり、彼を取り巻く、または影響を受けた画家達の絵も展示されていて、とても充実していると感じました。

私の今までのアンソールについて知っていることといえば、この右のパンフレットのような、仮面と骸骨のイメージで、人の心の暗い部分を、鮮やかな色とのコントラスト(特に強い赤と緑という補色を使って)で描き出す、といったもの。

ところが今回の展示では、アンソールの若い時代の周りの影響を受けた時代の絵、つまり、アカデミックなものや、ターナーの模写、クールベへの尊敬、印象派の影響などをも炙り出していました。

右の絵の題は、「陰謀」(1890)。1階で放送されていたビデオによりますと、これは結婚式の場面で、周りの人たちは、お祝いをするどころか心の奥底では陰謀をたくらんでいるというのです。その説明がなければ、とてもそうとはわかりませんでした。

Ensor3
左は「牡蠣を食べる女」(1880)という縦2メートルの大きなもの。自信を持って発表したものの、女性が食べている場面を絵の題材にするなどとんでもない、と非難の的になってしまった曰くの絵。しかしよく見ると、アカデミックな技術の上に印象派の光をうまく取り入れた立派な絵ですよね。

これをきっかけに、1880年代中頃から、彼の絵は、今の私たちが知っているような題材に変化してきたのだそうです。仮面という題材は、彼が住んでいたオステンドという町には仮面の祭りがあり、母親が経営していた土産物店には、その仮面を売っていたのだそうで、彼にはなじみがあったのです。

ビデオによりますと、骸骨の題材は、イギリス人で知識人だった父親がアルコール依存症になり、路上でその死体が見つかったことから影響受けたのではないか、と説明していました。

ところが、絵の価値が世の中に認められ、彼の社会的評判も向上し始めてからは、彼は描かなくなったのだそうです。やはり、人間というもの、その環境に満足をし向上心を失なってしまったら、創作はできないのですねえ。

彼の作品は1891年までのしかありません。彼は89歳で亡くなっているのに、30歳代前半で彼の画家生活は終わったのでしょうか?後の時代、来客があると、好きなピアノを弾いていたという・・・。

Ensor4

さすが、アントワープ王立美術館!と感心させられずにはいられなかったのは、ルーベンスの「ミネルヴァ」やピーテル・ブリューゲル(子)のフランドルのことわざの絵を見られたこと。実は、アントワープ王立美術館の目の前には行ったのですが、車の調子が悪く(なぜだかロックをかけることができず)悔しい思いをしてこの美術館を去った記憶が蘇ってしまいました。

ただ大聖堂のルーベンスの絵だけは見ようと、真夏の暑い日、主人と交代で一人が車に残り一人が見に行くという方法で、焦って見に行ったのでした。13年ほど前のことです。

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2011年5月28日 (土)

フェラーラ③ スキファノイア宮殿の壁画

イタリアは大好きな国。ずーっと気になっていたフェラーラの続きを久しぶりに。今までに2度、キリコに影響を与えた街フェラーラ と ゲーテを不快にさせた街フェラーラ という題で、大聖堂とエステンセ城について書きましたが、これは、2005年9月上旬、2週間ほど息子と二人で車で廻った後に書いたもの。今回は、2008年の夏、主人と2人で車で廻った時に訪問した、《スキファノイア宮殿》や《ロメイの館》について、少し書いてみます。

Ferrara_map

上の地図(クリックすると拡大します)で、左上が鉄道のフェラーラ駅。スキファノイア宮殿は、街の中心にある大聖堂をはさんで、ちょうど反対側、つまり右下の城壁に近い所にあります。私達は、大聖堂近くから、タクシーに乗りました。フェラーラは思った以上に広いので、これお勧めです。

フェラーラの街は、マントヴァに比べて、なんとなく近代的だなあと感じたのですが、こうやって地図を眺めると、その理由がわかる気がします。ほら、道がまっすぐ延びているでしょう?中世の街では、メインの道でも緩やかにカーブしているのが普通なのですが、ここでは、直線です。ほんと近代的ですね。こういうところからも、画家キリコはインスピレーションを感じたんでしょうか。

下の画像(以前にも同じ画像をアップしましたが)は、エステ城の塔から。結構大変でしたよ、登るのは。最後の方は、鋼鉄製の足元が網目状態になっているような階段を登りました。確か、この先にディアマンテ宮殿があります。道が直線でしょう?

Fereste3

話を戻して、スキファノイア宮殿は、下の写真のように、道路に沿って細長く建っており、何の変哲もない建物です。これがほんとうに宮殿なのかと疑われそうです。宮下先生の本によると、もともとは1385年に、エステ家のアルベルト世が娯楽場として建設した建物を、ボルソ公が、宮廷建築家ピエトロ・ベンヴェヌーティ・オルディニに命じて、大改築したのもだそうです。

Schiext

Schi1_fanoia 入口内部もシンプルで小さく、おばさんが一人いるだけなので、不安を感じながらもとにかく入ることに。左の簡単なチケットからわかるように、あまり力が入っているようにも思えませんし、しかも今見ると、ラピダリオ美術館もこの5ユーロのチケットで入れるようです。あの時、もう少ししっかり見るべきだったなあ・・・。

もう記憶も薄れているのですが、一階は何かの展示があり、変な中2階を歩き、(つまり、一階の上の方に臨時の廊下が続いていた。修復中だったのだろうか?)そしてまた少し階段を上がって、メインの大広間へ。写真は禁止でしたので、購入した本から。

Schifa1

ひろーい部屋は、壁画で囲まれていました。思わず、うわーっと声が出そうに。けれども認識できるのは、この画像の正面(ここらは入ってくる)と左側の面のみ。宮下先生の本によると、《月歴の間》と呼ばれるこの広間は、18世紀に漆喰で上塗りされ、19世紀になって再発見されたのだそうです。18世紀というと、フランスは革命の後、そしてイギリスは産業革命の真っただ中で、古いものは価値がない、とみなされていた時代かもしれません。

Schi_mar3 絵の構図は、壁面を月毎に縦割りにし、そのひと月を3段に区切り、上段は、各月に相当する神々の勝利の場面、真ん中の段は、黄道12宮の寓意像、下段は、ボルソ公の豪華な宮廷生活の場面が描かれています。

右の画像は、3月。上の部屋の画像では、正面右側にある壁画です。上段は、知性の女神ミネルヴァの勝利、中段は雄羊。画像の質が悪いので、その豪華さが感じられないのが残念です。

下段は下の画像の方がわかりやすいでしょう。右側に宮殿、ボルソ公と思われる人物を、人々が取り囲んでいます。中心から左にかけて、立派な馬に乗った、見目麗しき騎士達がずらーと並んでいます。足元には犬もいます。当時の宮廷には必須アイテムなのです。左上には、働いている人たちが描かれています。

Schi_marzo

4月のは、絵はがきがあったので買ってきました。修復後の絵なので色が綺麗です。4月は、軍神マルスの月、そして牡牛座です。しかし、全体の絵葉書はなくて、部分的です。これは、下段の右方向一部分。マンドヴァのマンテーニャの”夫婦の間”に描かれている人物に似ています。

Aprile1

これは、上段の右側一部分。上部は下段に比べて、保存が格段に良いようです。優雅な世界ですね。この3月と4月は、フランチェスコ・デル・コッサによるフレスコ画だそうです。

Aprile3_2

この4月の場面は、美しく修復されましたが、残念ながら残っている絵でも、下段は一部が欠けていたり、かなり色が剥げていて、時代の流れ、そして痛々しくも感じました。しかし、場面の取り方、人物の配置の仕方など、全体の構成は非常に素晴らしい。四面とも見ることが出来た時代は、さぞかし華やかであったことでしょう。

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2009年2月 1日 (日)

「海外美術」 記事一覧

あまりにも少ないので、驚いています。見ていても、書いていないのが多くて・・・

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2009-01-29 美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会②
         Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

2009-01-24  知らなかったデュッセルドルフの美術館

2009-01-22 美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会①
         Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

2009-01-20  アンドリュー・ワイエス氏への追悼

2009-01-16  旧ボローニャ大学 アルキジンナージオ Archiginnasio

2009-01-11  ボローニャのサン・ドメニコ教会 Basilica di San Domenico②

2009-01-08  一人の日本人コレクターによって蒐集された美しい西洋版画

2009-01-03  2008年に鑑賞した美術展一覧

2008-11-13  ”夢は古代ローマを駆け巡る”ピラネージの版画
         Incisioni da Giovanni Battista Piranesi

2008-09-27  パドヴァにある破壊されたマンテーニャのフレスコ画
         Affreschi della Cappella Ovetari a Padova

2008-08-24 イタリアの静物画 La natura morta italiana

2008-07-15 知らなかったカミーユ・コローという画家

2008-01-29  マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について②ルドヴィーコ2世の家族  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova

2008-01-23  マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について①社会的意味  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova

2007-06-06 国立ロシア美術館展 Masterpieces of the State Russian Museum from Late 18th Century to Early 20th Century

2007-05-25 知らなかったピエトロ・ペルジーノ② Pietro Perugino che non conoscevo

2007-05-23 知らなかったピエトロ・ペルジーノ① Pietro Perugino che non conoscevo

2007-03-24 やはり画像がないと・・・シモーネ・マルティーニ「受胎告知」

2006-11-30 ブリューゲル(父)作(?)”イカロスの墜落”について La chute d'Icare peint par(?) Brugel l'ancien

2006-10-23 ムリーリョの絵画 La peiture de Murillo

2006-09-13 マンテーニャが仕えていた街 マントヴァ Mantova où Mantengna s'est devoué à la peinture

2006-09-07  世界を具象化するマンダラ Mandala qui représente le monde

2006-08-05  彼女がもう少し優しかったら(カミーユ・クローデルについて)・・・Si elle était un peu plus douce

2006-06-28 ユトリロの家 la maison de Utrillo

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2009年1月29日 (木)

美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会② Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

これが、前述したベンティヴォーリオの礼拝堂(Cappella Bentivoglio)です。写真を入れ替えました。以前は、鉄柵の外側から撮った写真でした(私のは一眼レフのカメラなので、この間を通すことができなかったのです)が、なんと主人がコンパクトカメラで、中に手をいれて撮ってくれていました。知らなかった・・・有難いです。

    Sgm8_cap19

購入した小冊子に寄りますと、1399年、聖ジョヴァンニと聖アンドレアに献納された礼拝堂で、1445年にベンティヴォリーオ家の所有となり、その後大改造をして現在の礼拝堂の形になったそうです。

E_costa1_famiglia ジョヴァンニ・ベンテヴォーリオ2世(Giovanni Ⅱ Bentivoglio)統治の時代(1462-1506)、彼の庇護下にいたロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa 1460-1535)というフェラーラ出身の画家が、礼拝堂装飾の責任者になりました。上の写真の両側の壁と祭壇上部の半円形の絵は、彼によって描かれています。

右の画像(絵葉書)は、礼拝堂右側の壁に描かれてる絵で、上の写真の右側に見えているものです。これは、ロレンツオ・コスタの「玉座の聖母とベンテヴォーリオ一族 1488」でして、中央右よりの赤い帽子をかぶっているのがジョヴァンニ2世だそうです。(画像はすべてクリックすると拡大します。)

コスタは、フェラーラで生まれ育ったので、当然コズメ・トゥーラ(Cosimo Tura)の影響を受けたのは納得できますが、この絵をみると、かなり保守的ですね。

彼より20歳の年上のマンテーニャが、このボローニャのすぐ近くのマントヴァで、同じく自分が仕えていたゴンザーガ一族を描いた「夫婦の間」のフレスコ画と比べると、その差は歴然!!マンテーニャの偉大さが分かります。確かに、礼拝堂と個室という目的の違いはありますが・・・。

    L_costa2_gaushe     

礼拝堂左側の壁に描かれている2つの絵はコスタによるもので、左は「名声の勝利 Trionfo della Fama 1490」、右は「死の勝利 Trionfo della Morte 1490」。小冊子には詳しい説明が載っていなくて、ただ、聖書や神話、歴史などから多く引用されていて、”ダンテ的”と書かれていました。

彼は、ペルジーノや次に述べるフランチャなどから影響を受け、”感性が鈍いのは、非難されるべき”と考えるようになった、と書かれています。ペルジーノの影響はここにまで及んでいたのですね。

彼はフランチャと共に、隣のサンタ・チェチーリア祈祷所にも絵を描いていますので、また、いつかアップすることにします。

F_francia_madonna

正面の祭壇画は、コスタの友人であったフランチェスコ・フランチャ(ライボリーニ) Francesco Francia( Raibolini 1450-1517)の「玉座の聖母と聖人たち Madonna in trono e Santi 1494」(右上の画像)が描かれていました。美しい絵ですね。ルネサンス以前の絵としては、完璧ではないでしょうか。

この絵を描いた12年後、ベンテヴォーリオ家の支配は終わり、ボローニャは教皇領になるわけで、ちょうどその頃近くのマントヴァでは、マンテーニャが亡くなったので、ゴンザーガ家はこのフランチャとコスタを受け入れたようです。歴史的見事なタイミングだと思います。

ウィキペディアのフランチャの説明の中で、ラファエロの「聖セシリア」(ボローニャのピナコテーカで見られるようです。)を見て、激しい劣等感に襲われ、そのせいでうつ病にかかって亡くなったらしいと書かれていましたが、同じ画家として、地理的に離れていたとはいえ、その差を見せ付けられたショックは大きかったでしょう。

Smg17 ボローニャからフィレンツェへ車で行った時、始めてこの二つの街の距離を知りました。山を越えると又次の山というふうに、山がいくつも繋がっていて、車でも超えるのは大変だったのです。つまりフィレンツェは、鎌倉のように自然要塞を持っていて、車の無い時代では、ボローニャとフィレンツェは簡単に行ける距離ではなかったと思われます。

ということは、ボローニャは、残念ながら天才達がいたフィレンツェの高い文化の影響は受けていなかったということで、フランチャのショックは相当だったと想像できます。当時、旅をして他の街を廻るという事は、貴重な文化吸収の機会だったのが良く分かる話ですね。

さて次は、美しい金ぴかの多翼祭壇画。とても鮮やかに見えますが、これは絵葉書からで、実際は右下の写真のように、暗くて地味な部屋にありました。とても同じ祭壇にはみえませんよね。

Sgm4_paolo_veneziano

Sgm9_cappella14 これは、パオロ・ヴェネティアーノ Paolo Veneziano(活動期1333-1358)の1344年の作品だそうです。(絵の聖人は、左から聖アゴスティーノ、使徒の聖ヨハネ、使徒聖ペテロ、聖パウロ、聖ヤコブ、聖アンブロージョ。)

こちらを見ると、ヴェネチアのアカデミア美術館に美しい多翼祭壇画を残していますね。また、イタリアのウィキを読むと、なんとヴェネチアのサン・マルコ寺院内陣のあのきらきらの祭壇画パーラ・ドーロ(サン・マルコ寺院の中で、別料金を支払って見なければなりません。大きくてまぶしいほどきらきら。)を制作した方のようです。知らなかったー!

彼は、ヴェネチアのアンドレア・ダンドロ(Andrea Dandolo)に仕えて、息子のMarco, Luca, Giovanniと共に祭壇画を主に作製していたそうです。その作風は、ビザンチン風、後にゴシック様式で作製され、ジョッドから影響を受けているのだとか。

Sgm_plan こうやって少しずつ見ていくと、この教会はまったく美術品の宝庫だと思うのですが、私にとってはもう十分なので、これで終わりとしたいと思います。左は、この教会の平面図です(クリックしますと、拡大します)。左上の19番がベンティヴォーリオ礼拝堂、14番がCartari-Cavazzoni礼拝堂で、上述の多翼祭壇画があります。

Sgm_mappa_2 最後に、面白いものを見つけました。1702年の地図です。”S. Giacomo”と書かれた回廊の下にある四角い場所が、もとアウグスティーノ修道会所属の建物です。

ナポレオン侵略以降、なぜこれがサン・ジャコモ教会に属するようになったのか、分かるような気がしますね。すぐ側に別の教会があったので、一つにしただけとか・・・(違うかな?)。

この教会自身は、その道路側(建物の下の面)の部分にあたります。こういう古い地図が大好きなので、どうしても見つけるとアップしたくなります。イタリアの古い地図は、”上が南”となっている場合が多いようです。

これをみると、現在の様子と全然変わっていません。石とかレンガの建物は偉大ですね。

関連記事:サン・ジャコモ・マッジョーレ教会の外観と内部

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2009年1月24日 (土)

知らなかったデュッセルドルフの美術館

Klee_panph4 知らなかったです、デュッセルドルフにこのような20世紀の絵画作品を多数展示している美術館があったとは・・・。

デュッセルドルフは日本企業の支店が多く、日本人が沢山住んでいる街でパチンコもできるらしいと、パリ時代うわさに聞きました。観光する箇所はあまりないらしいので、行こうとは思わなかったのですが、こんなすばらしい美術館があったのですね。

渋谷・Bunkamuraで今開催している「ピカソとクレーの生きた時代」展は、そのデュッセルドルフにある「ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館」の所蔵する作品展だったという事を、会場に入って始めて知りました。

Klee_panph3 実は行く予定にはしていなかったし、時間が余ったので足を運んだ、という状況だったのです。だって、ピカソもクレーも頻繁に見てきたし、これからも見る機会は沢山あるでしょうから・・・。

ところが、見始めてすぐに、これはいいぞ!と思い始めていました。一緒に行った主人の感想も良かったです。

ピカソは数は少ないものの「鏡の前の女」など良い作品が来ていましたし、シューレアリズムの有名な画家達の絵もある程度あり楽しませてくれました。また、この美術館の目玉でもあるクレーの作品についても詳しい説明があり、チュニジア旅行で感激し、彼の絵の転機になったこと、デュッセルドルフの美術学校で教鞭をとっていたこと、ナチスドイツに追放され絵は没収となったことなど、多くの事を知りました。

Klee_panph2 しかし、私が一番興味を持ったのは、ナチスドイツ時代に前衛画家だということで、迫害を受けたという、名まえの知らない前衛画家達の絵でした。

今までドイツの美術館で興味を持って見てきた絵は古い絵ばかりでして、20世紀の画家達の活動や作品は、私の頭には全く無かったのです。目を開かされた思いでした。彼らの絵は、パンフレットには載っていないので、お見せできないのが残念です。

まず、ジョージ・グロス「恋わずらい」:描き方がかくかくとしていて、一瞬佐伯祐三の「郵便配達夫」に似ているな、という印象。喫茶店に座っている男の人の顔は青く全く生気が無くて、タイトルとは程遠いほどの絶望感。

彼はドイツのダダイズムの画家のようで、パネル説明によりますと、ナチスドイツ時代に追放された彼は、アメリカへ亡命したようです。

Klee_panph1 その隣にあったマックス・ベックマン「夜」:これも怖い絵でした。画面いっぱいの悲劇的な拷問、十字架、悲壮感。ナチスへの批判まるだしです。画家も追われる羽目になるのは分かっていたにもかかわらず、描かずにはいられなかったのでしょうね。

今まで見たことも無かった画家達の作品は、新鮮に思えました。その他、ルネ・マグリット、エルンスト、イヴ・タンギーなど有名なシューレアリスト以外にも、リヒャルト・エルツェ「日々の苦悩」も良かったかな。

この美術展には、点数は多くないのに満足できる不思議な魅力がありました。皆さん楽しめるのではないかと思います。、

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2009年1月20日 (火)

アンドリュー・ワイエス氏への追悼

Andrew2_wyeth 先日16日、アンドリュー・ワイエス氏が91歳で亡くなったとネットのニュースで見ました。ああ、また偉大な画家が亡くなられたのかと、ちょっとショック。

先月、Bunkamuraで開催されていた「ワイエス展」を見て、感激しました。そこで流れていたビデオでは、素敵なお孫さんと元気にお話されていたのに・・・

日本では、彼はかなりポピュラーで、多くのファンがいるそうです。しかし恥ずかしながら、実は今回が私にとって初めての彼の展覧会でした。

もちろん、彼の存在は知っていました。彼の代表作「クリスティーナの世界」は、若い頃、以前の建物だったニューヨーク近代美術館で見ていたのです。でも、何の感動もありませんでした。

なにしろ当時は、ピカソの「ゲルニカ」がアメリカに疎開中でして、その近代美術館には、多くの人がゲルニカを見るために訪れていたと言ってもいい状態でしたから・・・。しかも、他にもすばらしい作品が沢山あったもので・・・。その後もワイエス氏の絵には全然興味が沸かず、今回の展覧会も見送るつもりだったのです。

Andrew1_wyeth_2 ところが、国立新美術館でピカソ展をみた帰り、地下鉄の駅で見たワイエス展の広告に思わず足が止まりました。

彼の「火打ち石」の広告にはあまり気持ちは惹かれなかったのですが、この人物の横顔は凄い!なんという描写力!思わず広告に顔を近づけ、しみじみとその深い皺、丁寧に描かれた柔らかな髪を見続けました。意思の強そうな、人生をまっすぐに歩いている人の目・・・人生の厳しさがひしひしと感じられました・・・

そしてそのまま、文化村へ直行したわけです。知りませんでした、ワイエス氏のいろんなことを・・・彼の作品のすばらしさは、確かな技術、緻密な描写力にあったのですね。

彼の作品は、ほとんどが水彩もしくはテンペラで描かれていることも今回知ったことの一つです。彼は重いタッチは好きではなかったようです。

何度も検討し描かれた素描も多数展示されていましたが、どれも惹かれました。

「絵を描くには(でしたっけ?)、手だけがあればいい。」という彼の言葉、気に入りました。これから先、またこういう展覧会がありましたら、是非出かけたいと思います。

ワイエスさん、素敵な作品を有難うございます。どうぞ、天国でも絵を描き続けていてください。ご冥福をお祈りいたします。

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2009年1月 8日 (木)

一人の日本人コレクターによって蒐集された美しい西洋版画

F_2 昨年12月の事ですが、一人の日本人コレクターにより蒐集された西洋版画、しかもデューラーからルーカス・クラーナハ、ブリューゲル、レンブラントさらにはジャック・カロまで見られるというので、これは行かなくてはと、初めて”八王子市夢美術館”を訪れました。

八王子からバスで3つ目(だったかな?)の停留所で下車。初めての美術館は、いつもわくわくします。大きな道路を横断し、近くをきょろきょろ。ホームページではビルの2階と書かれていたので、近くの大きなビルに向かう。当たり!入り口は明るい日差しを受けて気持ち良いし、受付の方も感じ良く、こんなかわいい美術館を知っただけでも満足でした。

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さて、中に入ると、ズラーっと並んでいる版画にびっくり。点数もかなりあり(160点と後で知る)そうですし、内容も最初から驚き。ションガウアーから始まり、デューラー、クラーナハ、ボス、ブリューゲルなどと超有名な画家の版画が続いているのです・・・す、凄い!

先ず、デューラー(1471-1528)「黙示録 第8章より」で足を止める。彼の版画の線の細かさは「メランコリア」などでおなじみですが、1498年当時27歳だった彼が最初に書物の体制で出版した版画が「黙示録」。この大成功により、彼の名声はヨーロッパ中に響くようになったそうです。彼の作品を好きな方は多いですよね。

Durer_apocalyps8 彼の木版画(そう、これは木版画でした!)はかなりの革新性に溢れていたようです。その独自性は、置かれていた説明書によりますと、

①作品の大きさ: 当時の版画は、文章の一部にはめ込まれるのがほとんど。当時の紙漉き技術や版木の事情から考えて、「黙示録」の縦40cm横30cmは最大限の大きさだそうです。

②出版物としての特異性: 通常、版画を書物の挿絵とする場合、版元が下絵師や刷り師に依頼して作っていたが、デューラーはそれらを一人で全てを行った。

③木版画としての革新性: それまでの版画の線は、物の輪郭線やエリアの境界線。ところがデューラーは、木版画ですばらしい立体感を表現した。これは、旅行で訪れたイタリアルネッサンスの影響。

改めて、デューラーの偉大さを思い知った次第です。上のパンフレットの表紙の版画もデューラー作「三日月上の聖処女マリア」。

Cranach_chrysostom 題材として興味を持ったのは、クラーナハの「聖ヨハネス・クリュソストモスの苦行」という作品(左の画像)。

この聖人は、一人の娘と通じて子をなしたが、二人を殺して埋めてしまった。それを悔いて、罪が赦されるまで絶対に口をきかず、天に顔を向けないと誓ったという。彼の罪が赦されたとき、殺された二人が発見される、という話。

版画の右端で、地面に手をついている裸の小さく描かれている人物が聖人で、手前に大きく描かれている裸婦と赤ちゃんが発見された親子だとか。

人を殺しても聖人になれるんですね!驚きです!この話が忘れられなくて、帰宅後、黄金伝説でこの聖人を探してしまいました。4分冊中まだ1冊しか購入していないのですが、その中になんとこの聖人がいらっしゃったのです!

Goltzius_adration 真実かどうか不明の逸話満載の黄金伝説ですが、残念ながらこの聖人には、前述のような話は書かれていませんでした。ただし、「温厚というよりはむしろ激越であり、信念を貫くためには石橋をたたいて渡るということはしなかった。」と書かれていまして、かなり激しい性格の人で、その人生も波乱万丈だったようです。上の話が無かったのは、良かったのかもしれませんが、ちょっとがっかり。

その他、ボス「盲人の手を引く盲人」、ピーテル・ブリューゲル(父)「最後の審判」「七つの大罪」、ヘンドリック・ホルツィウス「羊飼いの礼拝」(右の画像。作成途中とはいえ、美しい作品です。”一定のエリアごと掘り込んでいく”というエングレーヴィングの制作過程が分かるとか。) レンブラント「口ひげをたくわえた男の肖像」、ジョルジオ・ギージ Giorgio Ghisi(驚くべき細かい彫り)。

Callot_temtation やっと出てきました、ジャック・カロ!「戦争の惨禍」「インプルネータの市」(カロでは、こんな大きな版画は初めて)、「聖アントニウスの誘惑」(左の画像、奥行きのある見事な作品)、ピラネージ、ゴヤ、ドーミエ、ルドン・・・

このコレクターは50年前からこつこつと集めて来られたという。つまり1958年頃から集めていたわけで・・・東京オリンピック以前の時代から西洋版画の美しさを知り、惹かれ、集め始めていたということは、きっと家柄も良く、相当の見識があり、財政的にも豊かだった方なのでしょうね。

私達のような一般人に、苦労して集め、大切に温めてこられた価値ある作品を一同に公開してくださったことは、ほんとうに有難い事です。

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2008年11月13日 (木)

”夢は古代ローマを駆け巡る”ピラネージの版画 Incisioni da Giovanni Battista Piranesi

Panph 3週間ほど前のこと、主人に、「町田国際版画美術館へ、ピラネージを見に行こう」と誘ったら、「それ、誰?」と言われてしまった・・・ええっ!そうなのか・・・ピラネージはマイナーな芸術家なんだ、と納得した一瞬だった。

ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi 1720-1778)というと、反射的に”ローマの街や廃墟”が頭に浮かぶ・・・でも、詳しいことは何も知らないので、パンフレットを手にしたときから貴重な機会だと楽しみにしていた。

でも、町田国際版画美術館は遠い。しかも駅から距離があるためいつも往復タクシーを使っているので、余計な費用がかかる。気も重くなるけれど、大体館内は空いているので気持ちいいし、小さなカフェの全面ガラス窓から見える大きな木々がとても気に入っているので、それも楽しみの一つと思って出かけた。

ピラネージのローマ風景や廃墟の版画は実に印象的!。一度見たら、忘れられない。彼の作品は、本来は無機質な建築や普通の景色なのに、なぜあんなにも情緒豊かに感じるのだろう?その理由が今回の展覧会で掴めたように思った。

ヴェネチア生まれ、叔父から古い建築を学んでいた彼は、20歳の時ヴェネチア大使の教皇訪問に画工として随行し、初めてローマを訪れる。彼は完全にローマに魅せられてしまった。

当時も既に、海外から多くの芸術家や裕福な観光客が訪れており、記念としてローマ景観の版画が売れていたのだそうだ。あまり裕福でなかった彼は、興味と実益を兼ねるため、銅版画の技法を学ぶ。これが版画家ピラネージの誕生だった。

Antiqvus_circi_martial

会場の説明によると、彼はとても神経質なひとだったらしい。それは線を見ても分かる。レンブラントの版画とは全く異なるタイプの線で、とても繊細で美しい。バランスの悪いものとか、曲線ばかりの作品は彼にとっては有り得ない存在のようだ。建築家と自称するだけあって細かな箇所も正確に表現し、直線的建造物の中に、ローマ時代の芸術を曲線の集まりのようにちりばめ、装飾が豊かになっている。

彼の版画集「ローマの古代遺跡」や「ローマの景観」は当時の海外の多くの人を魅了したそうだ。上の版画は、「古代のマルスの競技場」。その周りにあふれんばかりの美しく装飾された壊れた彫像や石棺、壷、塔・・・。実際にこのようなものは無いのに、彼の想像でロマン溢れる作品に仕上がっている。どれだけ多くの人が彼の版画を見て、実際にローマを見たいと思ったことだろう・・・ゲーテもその一人だったらしい。

Porta_piramide 建築家なので、街を客観的に描いているのかと思えばそうではなくて、パンフレットの絵の川のように、これは「ティボリの滝」なのだが、実際にはそんなに大きくないのに川幅を大きく取り、豊富な水を流れさせ、川の豊かさを強調している。

右のピラミッドも同じ、中央下方にいる小さい人物と比べると、とても大きく見える。ところがこの版画の隣に掛かっていた写真をみると、そんなに大きくはない。そのあまりの差に、この版画うそ!と思った程(ゲーテもそう思ったとか)。でも、版画の中ではあまりにも大きいので、強烈な印象を受ける。

さらにピラミッドがローマにあるとは知らなかったので、その点についても驚いた。帰宅後急いで探したら、南に向かう地下鉄で、コロッセオから2つ先に”ピラミド”という駅があり、そこがこの絵の「サン・パオロ門」だと分かった。次回ローマへ行ったら、ぜひとも見に行こう!私もピラネージの版画に刺激されてしまったようだ。

Vedute_di_roma 見事な古代ローマの建造物に、くっきりとした割れ目や崩れた箇所を詳細に描き出し、さらに至る所に大小の雑草を生やし、回りには瓦礫を散らばらせたりしているのを見ると、時間的距離感を私達に与えていて、これがますます私達の情緒を揺さぶる。繊細にして雄大な彼の版画!彼は様々な技巧を用いて作品を魅力的なものにしていたのだ。

上は、「ローマの景観」の「扉絵」と呼ばれる版画集の最初のページにあたるもの。碑文のような場所には、”VEDUTE DI ROMA DISEGNATE ED INCISE DA GIAMBATTISTA  PIRANESI ARCHITETTO VENEZIANO”(ヴェネチア人の建築家ジャンバティスタ・ピラネージによってデザインされ彫られたローマの景観)と書かれている。

このように古代遺跡を思わせる石版にタイトルを描くのは、彼の常套手段だったのだそうだ。また彼は、建築家としては机上だけで、実際の仕事はしていないにもかかわらず、彼は必ず自分を名前の後に”ヴェネチア人の建築家”と主張しているところに彼のプライドを感じる。

Carceri_xvi

版画の中で彼が建築家だなと実感したのは、緻密な図面だけからではなく、「牢獄」シリーズの版画からもだった。前述の線とはまったく違う荒々しい線の集まりで、これが同じ作者の作品なのかと驚いた。恐ろしいほどの空間に不気味に存在する巨大な装置、そしてどのように繋がっているのか分からない階段の数々・・・衝撃的な作品群だった。
私はやっぱりローマなどの遺跡の場面の方がいいな。

芭蕉は”夢は枯野を駆け巡る”と言ったけれど、ピラネージは、”夢は古代ローマを駆け巡る”といった具合かな。彼の古代ローマへの憧れが染み込んでいる版画は、当時の人のみならず、現代の人をも魅了する。

イタリアのウイキペディアですが、版画がたくさん見られます。http://it.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Battista_Piranesi

東京大学付属図書館所蔵、亀井文庫でも、ピラネージの全ての作品がご覧になれます。  http://www.coe.l.u-tokyo.ac.jp:8080/piranesi.html 

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2008年9月27日 (土)

破壊されたマンテーニャのフレスコ画 Affreschi della Cappella Ovetari a Padova

Eremitani_ext フランスのスイヤックの話の途中ですが、今日は気分転換にイタリアの話をさせていただきます。

友人から、”来月(10月)からのNHKラジオイタリア講座は水曜日と木曜日が中級対象で、世界遺産の話よ!金曜日は音楽だし、面白そうよ!”と言われて、急いでテキストを買ってきました。

3ヶ月でイタリアの世界遺産を北から南までの10箇所を紹介する予定で、音楽も70年代から現代まで、幅広く紹介してくれるらしいですね。

そのテキストの中で、「世界遺産の成り立ち」という記事に目が留まりました。2つの世界大戦で、イタリアはどの国にも増して、歴史的、芸術的文化遺産の多くを爆破によって失なうかまたは損傷を負ったこと、そして戦後漸く、各国で生まれた文化財は、「人類共通の文化財」として広く認められ程されるべきという意識が高まり、1972年に世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約が採択された事などが書かれていました。たった35年程前に”世界遺産リスト”という言葉ができたのですね。もっと以前からあるのかと思っていました。

Erem_mant3_2 破壊されたイタリアの文化遺産の中で、たった一つだけ例として挙げられていたのが、パドヴァにあるオヴェターリ礼拝堂の、マンテーニャのフレスコ画だったのです。そこには、「そのフレスコ画はイタリア絵画のルネサンス期における分岐点を示すもので、おそらくイタリアの芸術分野における最も深刻な損失でした。」と書かれていました。

この夏、私はまさにそのフレスコ画を見てきたので、思わずその写真やそこにかかっていた写真などをアップすることにした次第です。左は2008年8月現在のオヴェターリ礼拝堂の状態、ちゃおちゃおさんがおっしゃるように、2011年の建国150周年に向けての修復作業が、ここでも行われていました。

オヴェターリ礼拝堂(La Cappella Ovetari)というのは、ジョッドの絵で有名なスクロヴェーニ教会の受付になっている市立エレミターニ博物館の右側にある目立たないエレミターニ教会(Chiesa degli Eremitani)の中にあります。(一番上の写真はそのファサード)

Eremitani1

これは教会内部。壁が変わっていて、興味をそそられます。でも、再建されたらしく新しい感じですね。問題のオヴェターリ礼拝堂は、正面に見えるアプシスのさらに右側にあり、この写真では見えません。さらに、修復の為の足場が組まれていて、写真には撮れなかったので、その反対側の壁に写真付きで説明されていた内容の一部と、現地で購入した”Padova”という本(イタリア語版)を読みながら、少し解説をしたいと思います。

Erem_mantegna1 元は、左のようなフレスコ画が両側の壁に展開されていたのだそうです。現地版の本に寄りますと、この壁画は、1448年アントーニオ・オヴェターリ(Antonio di Biagio degli Ovetari)の未亡人が、ヴェネチア人の画家アントニオ・ヴィヴァリーニAntonio Vivarini と ジョヴァンニ・ダレマーニャGiovanni d'Alemagnaに、「聖クリストフォルスの話」や「福音史家」「キリスト受難」の話を依頼し、また、パドヴァ人のニコロ・ピッツォロNicolo Pizzolo とアンドレア・マンテーニャ Andrea Mantegnaには、「聖ヤコブの殉教」や「聖母被昇天」「使徒達」の話を依頼したのです。

ところが、ダレマーニャとピッツォロの2人が亡くなり、さらにヴィヴァリーニが撤退してしまった為に、マンテーニャが一人で全部の仕事をすることになったのです。そこに掛かっていた古い写真を見ますと、マントヴァへ行く前の若いマンテーニャが描いたのは、ヴェネチア派の美しい色合いを取り入れ、また、当時パドヴァに居たフィレンツェから来ていたフィリッポ・リッピやドナテッロ、ウッチェロなどからの影響も受けた見事なボリュームの人物表現を取り入れ、遠近法を熟知した繊細かつ豪華な作品だったことが分かります。

Erem_mant2  Erem_mant4 

上の2つの画像を比べてください。左がマンテーニャの元の作品の一部、すばらしいでしょう?鮮やかな色合い、群集の配置、表情などものすごい力作ですよね。そして、右が破壊後の現状。断片と元の絵を見比べながら、元に戻す作業をしたのだそうですが、なんと悲しい・・・。

この爆撃をどうにか逃れることができたのは、「聖クリストフォロの拷問」(右側壁面、一番下の絵。下の画像)で、その理由は、この本に寄りますと、なんとあらかじめ剥がされていたからなのだそうです(この理由は、日本語のネット上には何処にも書かれていません。初めてかも!)。

Erem_cristoforo1

Erem_cristo2_2 右の画像は、観光の為に現地でもらったパドヴァの地図の表題部分。この絵を見て、何も知らない私は、「ウワー、凄い絵、誰が描いたのかしら・・・実際にみてみたいなあ」と思っていたところ、この場所に来て、初めてマンテーニャの絵だと分かったわけです。

ちょうど、上の絵の中央上部に当たります。このように、マンテーニャの絵は、今でもジョッドの絵が存在するこのパドヴァにおいて、この地を代表するフレスコ画なのですね。いえ、言い間違えました、”イタリアのルネサンス初期の代表作品”だったわけです。

上の葉に覆われたぶどう棚の生き生きさ、目に矢を受けて倒れそうな主人、それに驚いている付き添い人、その建物の装飾として描かれている浮き彫りの見事な表現。なんとすばらしい!

Erem_cristo3 そして右の画像は、上の全体図の右下の男性です。この表情を見ると、ああ、マンテーニャの絵だな、と納得できるでしょう?全体図を見直すと、建物の上で見ている人たちと、下の群集とのバランス。そして、右の建物の遠近表現など、見事です。

実は、今回のパドヴァ訪問は2回目でして、その訪問の目的の1つがこの壊されたマンテーニャの絵を見ることだったのですが、その絵がこんなにも価値のあるものだったとわかり、非常にうれしいです。この絵が残っていたら、マンテーニャの名前ももっともっと有名になっていたでしょう。

次は、教会の壁にかかっていた第2次世界大戦中、1944年3月11日の空襲後の写真です。壁が少し残っているだけで残りは粉々ですね。写真をクリックすると大きくなりますので、ご覧ください。

Erem_int3 Pad_guerra1_2

Erem_int5 この教会で美しいなと思ったのは、中央祭壇の左側のフレスコ画(右の写真)でした。作者は、グァリエント(Guariento di Arpo 1338-1370)というピオーヴェ・ディ・サッコという地で生まれた人物で、パドヴァで活躍していたようです。市立美術館で、彼のエンジェルを見ることができるようです。

NHKのテキストに戻りますが、イタリアは、第1次世界大戦中に、ヴェネチア、ラヴェンナ、ヴィチェンツァ、ヴェローナが爆撃され、第2次世界大戦争中には、ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、パルマ、パドヴァ、リミニ、ボローニャ、ローマ、ナポリ、パレルモなどが爆撃を受けたそうです。

ボローニャは、最も重要な建築物の多くが破壊されたり損傷しまして、それは歴史的建築遺産の44%にもなるのだそうです。ボローニャは、アーチが印象的な素敵な街でした。たしか歴史的にも、民衆が地下組織を作り、ドイツ軍に対抗したことでも有名な街です。ボローニャの話もたくさんありますので、いつか書くことになるでしょう。

パドヴァには、見残した場所が3箇所もあるのです。いえ、植物園も行っていないので4箇所、考えてみれば、ラジョウーネ宮も中に入れなかったので、これも入れて5箇所!
もう一度、行かなければならない街の1つです。

関連記事:
  マンテーニャが仕えていた街 マントヴァ
  マンテーニャの壁画「夫婦の間」 ① 社会的意味
                       ② ルドヴィーコの家族

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2008年8月24日 (日)

イタリアの静物画  La Natura Morta italiana

この夏の旅行は、私には過酷だったらしく、体調がなかなか戻りません。この一週間は寝てばかりでした。出発前から体調が良くなかったのがさらに悪化、旅行中は見事鼻ずるずるでのどは腫れ、持参した風邪薬1箱を全部飲んでしまった程です。帰国後は、主人も同様の症状に襲われ、二人とも1週間かかってようやくどうにか普通の生活が送れるようになりました。でも、未だに私は鼻声で、主人はのどが腫れているようです。

さて今回は、イタリアの静物画を画像だけですが、アップしたいと思います。
現在国立新美術館で「ウイーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」が開催されていますが、それに付随して行われた宮下規久朗氏の公演について書かれた花耀亭さんのブログを読んで、5年前、フィレンツェでみた「イタリアの静物画 カラヴァッジョから18世紀まで La Natura Morta italiana : Da Caravaggio al Settecento」という展覧会を思い出しました。

変化のない絵がたくさん並んでいた、という記憶だけで、よかったという印象はないのですが、偶然見つかった小冊子を見ると、フランドル地方の優雅さや変化は見られないもののそれなりに美しいので、アップすることにした次第です。
英語の説明も書かれているのですが、今は集中力がない為カット。イタリア語なら読んでもいいのですが・・・。

Biglietto21 

上は入場券。会場は、高級ブランド店が立ち並ぶトルナフォーニ通り、”グッチ”の目の前にあるストロッツィ宮(Palazzo Strozzi)。開催時期は、2003年6月26日から10月12日までで、開館時間は連日午前10時から驚きの午後9時まで。8ユーロのようですね。私は7月8日午後6時ごろ入館しましたが、会場では私以外の見学者は見当たりませんでした。

Caravaggio このときは、観光案内所で配られるフィレンツェの地図の表紙も、このウフィッツイ所蔵のカラヴァッジョ「バッカス」でしたし、この展覧会のパンフレット(40cm×50cm)の裏面全体が、この絵の果物かごの拡大図が印刷されていました。フィレンツェはかなり力を入れたのだと思うのですが、展覧会として成功したのでしょうか?

会場ではまず最初に、カラヴァッジョの絵3点([Bacchus],[Lute Player],[Boy bitten by a Lizard])と、アンチンボルトの絵[Greengrocer]がまとめて架かっていました。以降、地域ごと、主題ごとに分けられていました。

Boy_bitten_by_a_lizard Arcimboldi 

1:カラヴァッジョ以前 Doddo Dossi「Young man with a basketful of flowers」(下左)

2:ナポリの静物画 Giovan Battista Recco(下中央)、Giovan Battista Ruoppolo(下右)

Dosso_dossi  Giovan_battista_recco Giovan_battista_ruoppolo 

3:フィレンツェの静物画  Bartolomeo Bimbi(下左)、Jacopo Chimenti, Known as Jacopo da empoli(下右)

Bartolomeo_bimbi Jacopo_da_empoli 

4:ジェノヴァの静物画 Bernardo Strozzi(下左)、Giovanni Benedetto Castiglione, il Grechetto [Circe](下右)

Bernardo_strozzi Giovanna_benedetto_castiglione 

5:エミィリア、ロマーニャの静物画 Paolo Antonio Barbieri [Spice shop](下左)、Cristoforo Munari (下右)

Paolo_antonio_barbieri Cristoforo_munari 

6:ローマのバロック風静物画  Gabriele Salci(下左)

7:動物 Giovanni Agostino Cassana(下の右、上)、Jacob van de Kerchoven, known as Giacomo da Castello(下の右、下)

Gabriele_salci_3  Giovanni_agostino_cassana 

 Giacomo_da_castello 

8:花 Andrea Belvedere(下左)

9:18世紀 写実の画家 Giacomo Ceruti(下右、上)、GiuseppeMaria Crespi(下右、下)

Andrea_belvedere Giacomo_ceruti_2

 Giuseppe_maria_crespi 

美しい絵ばかりですが、あまり特徴がないでしょう?大きさもほとんど同じで、たくさんの絵がずらーっと並んでいました。

最後に、今回のウイーン美術史美術館 静物画の秘密展(2008.7.2-9.15)のパンフレット裏面もアップしておきます。傾向の違いが分かるかも・・・。

Wien_pamph2 

会期の初め頃私も見たのですが、デ・ヘーム「朝食図」、ブリューゲル「青い花瓶の花束」をはじめ、ガスバレ・ロペスの花々で飾られた風景などの美しさにため息をついたり、ヤン・ステーンの「逆さまの世界」などで楽しく人生を勉強したりと、充実した時間を過ごしました。

ウイーン美術史美術館で忘れられないのは、シンプルな外観とは想像もつかない、色とりどりの大理石で装飾された目もくらむような豪華な館内。じっくり時間をかけ鑑賞した後、2階のカフェで紅茶とトルテを食べたのが忘れられない思い出です。おまけに絵は一級品ばかり。すばらしいすばらしい美術館です。              

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