カテゴリー「日本美術 L'art japonais」の26件の記事

2009年1月 3日 (土)

2008年に鑑賞した美術展一覧

私がブログを書き始めたきっかけは、展覧会の感想を忘れように書き留めておくためだったのですが、いつの間にか方向が変わってしまいました。まあそれも良いのですが、それにしても、昨年の実績はひどいものです。

なんと、昨年1年間に鑑賞した美術展は、たったの38・・・。以前はこの倍の数見ていたのに・・・悲しいかな、これではとても”美術鑑賞が好きなんです!”とは言えませんね。

でも昨年は、本当に興味のある展覧会だけを見に行ったので後悔はありません。ただ、春に京都l国立博物館で開催された「河鍋暁斎展」を見なかったのは、ほんとに残念!この頃は、旅行が詰まっていて忙しかったのです。

今年は目標が低いのですが、1週間に少なくとも1つの美術展は鑑賞して、その感想も少しでもいいから書きたいと思っています。パンフレットだけのときもあるかもしれませんが・・・。

一応忘れないために、昨年の一覧を書いておきます。この作業をしながら、だんだんその美術展を見たときの感激を思い出しました・・・それなのに、この観覧記の数の少なさといったら・・・なんと情けない。すぐに書かないといけませんね。

<1月>
★(1)「故郷のスイスの村のぬくもり アンカー展」 Bunkamura 2007/12/1-2008/1/20 観覧記

★(2)「ティツィアーノ《うさぎの聖母》 聖なる詩情」 LOUVRE-DNP ミュージアム・ラボ 2007/10/27-2008/3/1 観覧記

F_2 ★(3)「近代日本画 美の系譜」(水野美術館コレクションの名品より) 大丸ミュージアム東京 1/10-1/28

こんなに見事な美術品を豊富に持っている美術館が長野県にあるとは、全然知りませんでした。ぜひとも訪れてみたい美術館の一つになりました。山種美術館の長野版のようです。このような日本画は、ほんとうにいいですねえ。

橋本雅邦「紅葉白水」、横山大観「鶉」、下山観山「春秋」、池上秀畝「歳寒三友」、上村松園「夕べ」、鏑木清方「大川の虹」、樫山南風「朝の月」、山口蓬春「夏蔭」、杉山寧、高山辰雄、加山又造など。

F_3 ★(4)「没後100年 橋本雅邦展」 川越市立美術館 1/12-3/9

雅邦の、江戸末期から明治初期に渡る作品を見たいとずーっと思っていました。でも、今回のは、ほとんどが明治以降のものばかり。

維新前の雅邦の作品が少ないのは、明治3年の火災によって全てを失ったからと知ったのですが、気の毒なことに、それより1年前に奥さんがあまりの環境の変化によって発狂していたのです。江戸末期の画家は大変な時期を過ごしました。彼の作品については、また書きたいと思っています。

Photo ★(5)「相原求一郎記念室」 川越市立美術館常設展

名前だけは知っていたのですが、作品を認識したのは今回が初めてです。風景画を描いているのに、幾何学模様のようで、しかもおだやかでなつかしいような不思議な感覚になり、気に入ってしまいました。

相原求一郎(1918-1999)川越に生まれ。なんとモダニズムの猪熊弦一郎に師事し、抽象か具象に悩む。1980年以降は北海道の大地をライフワークとして描く。北海道中札内村に”相原求一郎美術館”があるとのこと、いつか訪れてみたいです。

さらに、この川越美術館には、私の好きな画家、小茂田青樹の絵も多く所蔵していることを知りました。彼は川越出身だったのですね。

Photo_2 ★(6)南川三治郎氏の写真展 「世界遺産巡礼の道を行く」  FUGIFILM SQUARE 2007/12/28-2008/1/30

南川氏の2冊の写真集の中から私が見たのは、”カミーノ・デ・サンティアゴ”の写真でして、ヴェズレーからサンティアゴまでのロマネスクの教会を美しく感動的に映し出していました。

大きい写真はなんと畳一畳ほど。圧倒されました。フランスについては訪れたことのある教会ばかりでしたが、スペインの北の方は未知の世界なので、憧れもあり、うっとりとそして食い入るように見てしまいました。

少し先の話ですが、主人が退職した暁には、ぜひともレンタカーで廻りたいと思っております。それまでには、スペイン語もなんとかしなければいけないのかな・・・?

Photo_3 ★(7)「ロートレック展」 サントリー美術館 1/26-3/9

「日本初出品となるオルセー美術館のロートレック・コレクションをはじめ、各国から集められた油彩画の名品、挿絵、素描など250点を公開する」展覧会。

彼のポスターはほんとにかっこいい!なんとセンスが良いのだろうといつも感心してしまいます。「赤毛の女(身づくろい)」も繊細な線が、娼婦達の心の、力強くもあり崩れやすくもあるもろさを表しているようで、美しく切なかったです。

<2月>
★(8)「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」 東京国立博物館 1/2-2/24

F_4 ★(9)「王朝の恋ー描かれた伊勢物語」 出光美術館 1/9-2/17

日経新聞に「日本絵画の古典を見る楽しさを素直に喜べる展覧会だ」と評されていましたが、展示に工夫がされていて、ほんとにそのとおり、とても気持ちよい美術展でした。

仮名と絵の調和の美、そして男側からみる多様な恋の行方が、鎌倉時代の絵巻物から始まり、伝宗達の色紙や華やかな屏風に描かれ、ほんとに目だけでなく心まで楽しませてもらったように思います。

さらに、場面ごとに内容の説明が書かれているので、私のように古典に疎い人でも十分に楽しめてとても有難かったです。

<3月>
Vinusf ★(10)「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」 西洋美術館 3/4-5/18

少々疲れ気味で観覧したため、気分が乗らず、あまり楽しめなかった美術展でした。前述の”王朝の恋”のように、展示に工夫がされていると、私のようなボーットした頭で見ている人もひき付けられたと思うのですが・・・。

美の象徴としてのヴィーナスは、かつては神話の中のような、つまり中性のような印象を与えていたのだけれど、視線がぐっとこちらに向けているティツイアーノの絵によって、意思を持った、実際に生活をしている女性を表している絵に変わっていました。

これがまた、マネによって模倣されるのだけれど、ジョルジョーネのヴィーナスと3つを並べれば面白いだろうなあなどと、関係ない事を考えていたので、他の絵の印象はまったく無し、私のポカです。

アンニバレ・カラッチの、ティツイアーノと違った美しさ、エレガントさを確認できた事が、私にとって唯一の収穫でした・・・

<4月>
Guppio ★(11)「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとグッピオの書斎」 イタリア文化会館

イタリアのルネサンスの頃は、各地に芸術や文化復興に尽力した優秀な領主がいたのですね。ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(Federico da Montefeltro 1422-1482)もその一人だそうです。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵で彼を見た事はありましたが、彼については全然知りませんでした。ウルビーノへは行ったことがないので、また勉強しなければなりません。

Guppio2 グッピオで彼が使用していたというこの美しい書斎。本物は、ニューヨーク・メトロポリタン美術館へ売却してしまったため、5年の歳月を費やして再現したそうです。書斎内部すべてが、遠近法とトロンプ・ルイユ(Trompe-l'oeil 騙し絵)が組み込まれた寄木細工でできているという信じられない部屋です。

寄木細工といえば、教会の聖職者席でよく見ますが、このような部屋全体というのは、初めてです。しかも、この格子模様もすべて木、物の影までも木で表現されていて、あまりの細かな技巧に驚きの連続でした。

数学者でもあったピエロ・デッラ・フランチェスカの「遠近法論」のファクシミリ版も展示されており、他のページも見てみたいなあと思いながら、食い入るように見てしまいました。こんな珍しいものが見られたなんて、感激です。

Sakura2008 ★(12)「桜さくらサクラ2008」 山種美術館 3/15-4/20

この山種に通っていると、何度も同じ絵と出会うことになるのですが、桜のやさしいピンク色は、ほんとに華やかで、どんな時もやさしく心豊かにしてくれるので、また足を運んでしまいます。

奥村土牛の淡いピンク色の広がる山々も、橋本明治の華やかな桜も、松岡映丘の平安調も、石田武の朧な月夜も、すべて大好きです。ほんといいですねえ・・・

★(13)「21世紀展」 東京美術クラブ

--- ここまで書いてきたのですが、すみません・・。今回の報告は、これまでとさせていただきます。馬鹿な私です、毎回、少しでも書けば、こんなに苦労することは無かったのに・・・。

<7月>
★(14)「コロー 光と追憶の変奏曲」 西洋美術館 6/14-8/31 観覧記
★(15)「対決ー巨匠たちの日本美術」 東京国立博物館
★(16)「フランスが夢見た日本」 東京国立博物館
★(17)「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」 国立新美術館 7/2-9/15
★(18)「エミリー・ウングワレー展 アポリジニが生んだ天才画家」 国立新美術館 5/28-7/28
★(19)川村美術館

<8月>
★(20)「フェルメール展」 東京都美術館 8/2-12/14
★(21)「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」 東京藝術大学美術館 8/26-9/23 観覧記

<9月>
★(22)「源氏物語の1000年」 横浜美術館
★(23)「五姓田のすべて」 神奈川県立歴史博物館 8/8-9/29 観覧記
★(24)「田村能里子展」 日本橋高島屋 9/17-9/29 観覧記
★(25)「西洋絵画の父ジョッドとその遺産展」 損保ジャパン 9/13-11/9

<10月>
★(26)「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」 西洋美術館 9/30-12/7
★(27)「ボストン美術館 浮世絵名品展」 江戸東京博物館 10/7-11/3
★(28)「ピラネージ版画展2008ー未知なる年の彼方へ」 町田国際版画美術館 10/4-11/24 観覧記
★(29)「大琳派展ー継承と変奏」 東京国立博物館 10/7-11/16
・「フェルメール展」 2回目

<11月>
★(30)「線の巨匠たち アムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展」 東京藝大美術館 10/11-11/24
★(31)「輝く書物ー中世写本フェクシミリー展」 東京芸大美術館
★(32)「近代初期風俗画 躍動と快楽」 たばこと塩の博物館 10/25-11/30

<12月>
★(33)「琳派から日本画」 山種美術館
★(34)「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」 国立新美術館 10/4-12/14
★(35)「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」 Bunkamura 11/8-12/23 観覧記
★(36)「丸紅コレクション展ー衣装から絵画へ 美の競演」 損保ジャパン 11/22-12/28
★(37)「いとも美しき西洋版画の世界」 八王子夢美術館 2008/12/5-2009/1/27 観覧記
★(38)特別企画 「追悼展 巨匠・ 関川雄揮のすべて」 成川美術館(芦ノ湖) 2008/12/12-2009/3/12

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2008年11月24日 (月)

「日本美術」 記事一覧 L'art Japonais

今まで書いた日本美術に関する記事一覧です。少ないですね、好きなのですが・・・

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2009-01-03  2008年に鑑賞した美術展一覧
2008-10-31  印象的な色 田村能理子の絵
2008-10-04  知らなかった明治の西洋画画家集団 五姓田一門
2008-09-04 明治初期の日本画画家 狩野芳崖
2008-01-14 現代の仏像を彫る澤田政廣の世界
2007-10-03 知らなかった画家 谷 文晁 un Peintre japonais qu'il s'appelle TANI Buncyou
2007-08-26   花鳥礼讃ー泉屋博古館 分館
2007-08-25   夏の恒例チャリティーイベント
2007-08-22   谷川にある秘美術館・天一美術館 Tenichi Museum à Tanigawa
2007-08-15  金刀比羅宮 書院の美② 裏書院
2007-07-23  金刀比羅宮 書院の美① 表書院
2007-07-11  SHOING-ARTIST 吉川壽一 JUICHI YOSHIKAWA
2007-05-17 佐伯祐三と佐野繁二郎展
2007-01-03 2006年の美術展について sur l'exposition de l'année dernière au Japon
2006-12-16 松島の瑞巌寺 Zuiganji temple
2006-11-12 智積院の長谷川等伯 Tôhaku HASEGAWA à Chisyaku-in
2006-10-22  鬼才のなせる業 円空の仏像 Statue du Bouddha par Enkûu
2006-10-14 国宝「伴大納言絵巻」 出光美術館
2006-09-17 日本画風波の表現 La représentation de la vague en style japonais
2006-09-10 見方が変わった・・・ J'ai changé d'avis
2006-09-01  若冲の回りで 三の丸尚蔵館にて Autour de Jakucyu
2006-08-12 日本人と桜 les Japonais et les fleurs de cerisier
2006-07-29 艶かしい鳳凰 Un phénix séduisant
2006-07-19 応挙の弟子、長沢芦雪という画家 Un peintre Rosétsu qui était un élève de Ôkyo
2006-07-17 日本画はやはり美しい L’art japonais est toujours plein de beauté

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2008年10月31日 (金)

印象的な色 田村能里子の絵

(旅行の話をするべきところなのですが、写真の整理が上手くいかないため、また後ほど書くことにします。)

私はこの画家の名まえも作品も全然知りませんでした。9月下旬、日本橋高島屋の展覧会のパンフレットを見てその色の派手さに惹かれて見にいったのですが、これが、大本山天龍寺塔頭宝厳院本堂再建襖絵だそうです。

http://tamuranoriko.yukigesho.com/info20081.html

すごいでしょう?展示場では、こういう立体的な展示ではなかったのですが、とにかく私は初めてこのオレンジ色に覆われた絵を見てびっくり。禅宗の建物にこの赤色の襖!

寺社に赤、というと、銀閣寺の奥田元宋氏の襖絵(私は数年前、特別公開日に実際に見てきました。)を思い出すのですが、あの絵は、彼のいつもの衝撃的な赤よりは少し落ち着いて見えました。

田村氏の経歴を見ると、日本各地に壁画を描かれていらっしゃる。メルヘンチックなものもあれば、強烈な赤が印象的なのもあり、どれも非常に明るく、見ている側が楽しくなる壁画ばかり。

それらの作品と比べると、今回の襖絵は色数が少なく、静けさというか、音の無い世界が占めていました。人々が向かい合って話している様子なのに、声は全然聞こえない。人々の周りには、風が舞っているように見え、砂漠という過酷な大自然の中のにいる舞台だからなのか、それとも彼女の絵の具の塗り方からくるのか、女性の表情から来るのか、私にはわからない。とにかく、静かな感じ。

砂漠というだけでとてつもなく広大で過酷な世界を想像してしまいますが、そのイメージと沈黙の世界がぴったりと一致。

座っている女性が祈りの姿にも見えますね。思った以上に、いいのかもしれません。でも・・・夜見ると、どのような雰囲気になるのでしょうか?白い人物が浮き出て見えるのでしょうか?オレンジ色が血の色には見えないのでしょうか?想像すると、ちょっと怖い感じ?

後半は彼女の1978年から最近までの絵が見られるのですが、これがよかったのです!佐伯祐三を思わせる味わいのある白い壁!その壁に広がる幻想的な世界。

インドの滞在経験が大きく影響していて、強い太陽を避けて座っている人々の姿が、幻想的な雰囲気の中で表現されていました。

特に印象的だったのは、女性や男性の足の裏!!!普通、画家でもそんなに人の足の裏を描く人はいないのではないでしょうか(カラヴァッジョを除いて)。彼女は、足首より下の部分を何度も書き直していて、非常な注意をもって描いているのが分かりました。

私もインドへ旅行していたときに、人々が普通の事のように地べたに座っている人たちを多く見ました。はだしの人たちも多いのです。ベナレスでは、細い裏通りを、はだしで牛の糞にまみれながら歩いている人を何人も見ました。また、ガンジス川へ続く道の両側に座って、物乞いをする多くの人々・・・

また、ごみ矯めで、(のら)牛や豚などが食べ物をあさっている横で、数人の人が食べ物を探している姿には、ショック!絶句!彼らは当然裸足です・・・ インド旅行で、私も人の足の裏を意識した一人でした。

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彼女は、壁画のように不特定多数の人が見る壁画においては、明るいリズムをデザインし、絵画においては、インドの空気感漂う幻想的な世界をかもし出しています。

女性の日本画家で、このように活躍されている方を知ることができ、ほんとうに満足して会場を後にしました。片岡珠子さんのように、精力的に作品を出し続ける画家になってほしいと思います。

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2008年10月 4日 (土)

知らなかった明治の西洋画家集団 五姓田一門

Goseda1 先日といっても9月上旬の事ですが(どうしてこんなに早く月日は経つのでしょう・・・)、久しぶりに横浜へ行ってきました。もちろん、横浜美術館で開催されている「源氏物語の1000年」を見に・・・ではなくて、私の本来の目的は、神奈川県立歴史博物館で開催されている「五姓田のすべて- 近代絵画への架け橋」(8月9日~9月28日 神奈川県立博物館)を見ることでした。

当然ながら、「源氏・・・」は見たのですが・・・うーん、なぜか心に響いこない・・・板橋区立美術館のように工夫すれば、いくらでもおもしろく、魅力的にできたはずだと思うのですが・・・。それとも、何も期待しなかった私が悪いのでしょうか?

Goseda_panph2 それより今日は、江戸の終わりから明治にかけて西洋画に貢献した五姓田一門の話をしてみたいと思います。
いつの頃からか五姓田芳柳という名まえを意識するようになりました。でも彼の情報が全然入らないため、明治という難しい時代に、どういう存在だったのか、どういう事をしたのか知るために行ってみることにしました。(左は、パンフレットの裏面です。クリックして大きくすると、五姓田一族の絵がよくわかります。)

久しぶりの馬車道、あたりは淡ーい明治の雰囲気!いいですえ!会場の神奈川県立歴史博物館を見てまたびっくり!趣ある建物です。入り口の階段には赤い絨毯がひかれていて、その先にあるドアは明治時代の木枠でできたもの。そこはかつての横浜正金銀行本店本館だったのです。廊下も両側の部屋の入り口も明治時代の雰囲気を漂わせ、素敵な空間です。

でも会場は、床は大理石で素敵だったものの、全体的に暗く、狭い場所にたくさん詰め込んだようで、おまけにすべてがガラスの向こうにある為、一昔前の展示場の雰囲気なのです。なんか、不思議な感覚・・・

明治初期、五姓田派という初代五姓田芳柳を中心にした家族とその弟子達の絵画集団が、横浜で活動していたのだそうです。この”活躍”というのは、江戸時代のように将軍お抱え絵師、というのではなく、日本の様子を絹に水彩画で描き(横浜絵という)、外国人に絵を売って生活をしていた、という意味なのです。大変革の最中、その混乱の中でもがんばって絵を描いていたグループがあったんですね。みんなが畳のあちらこちらで横になって描いている様子を見ると、生活は楽ではなかったとはいえ、そのひたむきさに感心しました。

Goseda_kazoku それだけではなく、宮内省から天皇家の肖像画の依頼を受けたりしているので、ある意味社会的成功も治めたといえるでしょう。

さらにこの五姓田派に注目する点は、当時油絵の画材は手に入りにくかった為、鉛筆画を基本としてその技法を、弟子達が日本の学校教育の場に広めていったことです。この五姓田派が、日本の絵画教育の基礎を築いたという事を今回始めて認識したしだいです。

家系図と弟子達の名まえを上げておきましょう。
                                   
初代五姓田芳柳|--- 友之助              
  (1827-1892)  |--- 義松(1855-1915) ワーグマンに入門、天皇の肖像画など
 横浜絵     |   技法を弟子達に伝達、1880-1889 フランス留学     
 肖像画      |   
          |   渡辺文三郎(1853-?) 義松に習う、高校の図画教師
          |    |
          |--- 勇子(幽香) 義松に習う
          |
          |   二世芳柳(1864-1943) 新潟県で図画教師、名誉賞
          |    |     明治神宮嘱託
          |--- 登女子

弟子:山本芳翠、平木政次、松原三五郎、土方力三郎、山内愚遷など。

Goseda_2sei2 この親族の一番出世は、なんといっても義松。才能もあったのでしょう、フランスに渡航した当初は、日本では描かれないような群集の絵を描いて、サロンにも入選しています。彼の上手さを象徴する「男裸体」(右)をアップしておきます。1881年の作なのですが、いやはや見事。

ところがなんとこの人、フランス渡航当初は、真面目に勉強し作品も描いているのですが、その後9年という長期にわたってフランスにいながら作品は少なく、しかも山本芳翠に何度も借金を重ねているのです。日本政府の奨学金を受け取っているのに、いったい何をしていたのやら・・・

帰国後は絵画塾を開き、教育活動は続けたものの、主だった作品は無く、更に悪いことに宮内庁奉納の絵が拒否されるという事も起こっているようです。同じようにフランスへ渡った芳翠の活躍と、なんと違うのでしょう・・・才能はあったのに、何か道を間違えたのだろうか・・・。

Goseda_2sei1 子供達の中では、二世芳柳の絵が気に入りました。「羅漢図」(左)、丹精な絵です。

はやり西洋絵画排斥運動という難しい時期、西洋画技法を習った二世芳柳は、日本画に上手くそれを取り入れたと言っていいのではないでしょうか。

一方、山本芳翠(1850 岐阜生 - 19?)ですが、彼は五姓田派の一員だったのですね。全然知りませんでした。京都で南画を習った後、中国絵画を習おうと横浜へ来て芳柳に入門、程なく独立しています。彼の凄いところは、目的の為になんと密航を企てた事。彼の意思の強さが分かるようです。

その後、ワーグマンに出会ったり、パリ万博で仕事をしたり、サントノーレでアトリエを持つという、ここまでの経歴は義松と似ているのですが、やはり人物が違っていました。

彼は黒田清輝と出会い交友を深め、彼に画家になることを奨めたり、また、林忠正とも親しくなり、その後の行動も共にしているので、きっと西洋と日本のこれからの関係、そして日本美術の行く末など議論を交わしたのではないでしょうか。そして林を通して、芳翠はこれからの日本絵画を道を見つけたのではないかと私は想像しました。

Hosui_nue

コランを思い起こさせるような美しい裸体(1880年作)にはびっくり。当時の日本男性もこんなに魅力的に女性を描けるんですね。しかし、これはフランスで描いたもの。日本に戻って描いたのは、有名な「浦島図」(1893-95)。日本美術排斥運動中にヨーロッパへ留学し、帰国してみると西洋画排斥運動中という、気の毒な画家は他にもいますが、彼は見事に克服しているように見えます。

Hosui_urasimazu

最後になりましたが、この五姓田(ごせだ)という姓は、初代芳柳が幼くして両親を亡くしたため養家を転々とし、姓を五つ経験したことから、彼が明治初年頃この名を作り出したのだそうです。変わった名だなと思っていましたが、こういう理由があったのですね。

明治時代の日本画壇の動きは、ほんとうに面白いです。これからもこういうマイナーな画家を取り上げる美術展があったら、行ってみたいです。           

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2008年9月 4日 (木)

明治初期の日本画画家

Niousokki やはり「仁王捉鬼図」はすばらしかった!

いったい何色の色を使っているのだろう?緑色のグラデーション、背景の青色からオレンジ色への移り変わり、背景の繊細な模様の中にある薄いピンクや黄色、そして薄い赤、オレンジっぽい赤、仁王様が巻いている紐の色だけでも黄緑色、青、くすんだ緑、ピンク、くすんだピンクと5色ある。色の洪水。

今回は、2年前よりもしっかり見た。仁王の手の中にいる邪気の様子がとてもおもしろい。目が飛び出し、手足は引きつり、その様子が漫画を見ているよう。ズボンの色がピンク色も笑いを誘う。

背景のシャンデリアのようなランプ、その向かいの黒っぽい柱には小さな竜がいる。ランプの飾り?それともこの世界の生き物?右下の槍を持った小さな人物は、邪気を追いかけているのかな?それとも彼自身が逃げている邪気なのかな?

芳崖が苦しんでこの作品を生み出したのではなく、楽しんで完成させたと信じたい。

先先週見に行った、芸大美術館での「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」でのこと。

以前から、狩野芳崖(1828-1888)と橋本雅邦(1835-1908)については、その全貌を知る展覧会を開いてくれないかなと、首を長くして待っていた。今年は、その願いが2つともかなってしまった。

橋本雅邦については、今年2008年1月下旬、川越市立美術館で開催された「没後100年 橋本雅邦」で、多くの作品を見ることができた。そして今回やっと狩野芳崖を見る機会が訪れた。

Rakan_2 この二人は、似たような人生を歩んでいる。生まれは、雅邦は江戸、芳崖は長府と離れているけれど、同じように狩野派絵師の家に生まれ、幼い頃から絵を学び、江戸で木挽町狩野派の門下に同日入門しているのだ。これは、運命的出会いというしかない。(左は、羅漢図)

二人はめきめきと力を伸ばし、入門10年後”二神足”と呼ばれるほどになっていた。しかし、さらに10年後には明治維新となり、今度は二人とも職を失う。

雅邦はなんと海軍に入り、どうにか生活は続けていけたらしいが、彼の妻は、時代の波についていけず発狂し、数年後に亡くなっている。

一方芳崖は、家を継ぐために長府へ帰っていたが、維新後絵の仕事は何もしていない。屋敷などを売ったお金で養蚕業を始めたが失敗し、文具店などを開いたりしている。苦しかったのだろう。

芳崖が50歳の時、知人を伝に東京へ上京、細々と陶器などの下絵を描く仕事を始める。52歳の時、雅邦の紹介で島津家雇いとなり安定して絵を描けるようになる。後に芳崖の養子と雅邦の三女が結婚し、彼らは親戚関係に。

Sisi_3 フェノロサに会ったのは1882年彼が55歳の時。1888年、岡倉天心から東京美術学校の教諭に推薦されたにもかかわらず、この年に亡くなっている。享年61歳。彼がフェノロサの庇護を受け、影響を強く受けたのは、たった5年間ほどでしかない!

一方雅邦は、ビゲローの庇護を受け、同じように東京美術学校の教諭となったのが54歳の時。以降74歳でなくなるまで、横山大観や菱田春草などの日本画家を育てると共に、展覧会にも毎回積極的に作品を出している。

だから・・・狩野芳崖の作品の点数は多くないし、晩年の作品は天心のおかげで東京芸大に残っているが、若い頃つまり江戸末期の作品は、彼の故郷である下関市立美術館や山口県立美術館からの出品が多かった。

数え15歳の時描いたという「馬関真景図巻」には驚いた。赤間関の景色と描いたものだが、巻物状で、これでもかというほど細かく家々、船、人々が描かれてた。子供の頃から丁寧な狩野派の技術を受け取っているのがよくわかる。

右の「獅子図」は、フェノロサからの影響を受けてからの作品。描かれた年(明治19年、芳崖59歳)、なんとイタリアから曲馬団が来日していて、ライオンや像を使ったサーカスを東京各地で興行したのだそうだ。芳崖は、このサーカスを見て、多くのデッサンを残している。

それにしても、この頃イタリアからサーカス団が来ていたとは驚き。見たこともなかったライオンも生々しい力強さを表に出している。

Oowasi_3 力強いといえば、この鷲の迫力もすごかった。最晩年61歳時の作「大鷲」は、当時の首相伊藤博文に贈りたいと弟子達も巻き込んで一緒に作成したという。

下がってみなければ全体が見えないほど大きくて、首相に日本画のすばらしさを見せたいという芳崖の気持ちが感じられる。日本画の卓越性を信じていたフェノロサや天心の影響も大きかったと想像できるし、また、「廃仏毀釈」の流れも変わり、再び日本画の時代が訪れた芳崖の喜びの表れではなかったのだろうか。

そして、絶筆のなった「悲母観音」へと続くのだが、その前に何枚もの大小さまざまな下図も展示されていた。

Sitae 右図の中央下の裸体図を見て、またびっくりした。胸のラインをキッと太く強調しているのは、私がデッサンを習ったときと似たような線だったからだ。

日本画でこのようなリアルな線を描くのだろうか?私はわからないが、これはやはりフェノロサがアメリカから持ってきた西洋のデッサン画を見て、芳崖も描いたのではないかと思ったりした。

Hibokannon そしていよいよ部屋の中央にどーんと置かれている「悲母観音」へ。その前にはいすが置かれていて、ゆっくり見られるようになっている。国立近代美術館で展示されていたのを見たことがあるので、新鮮味はないけれど、やはり今回の主題でもあるのでじーっと見てしまった。

観音様は、小さな髭は残っているものの表情が穏やかで、目は優しく幼児の方を向いている。日本画で、このように漢音様が子供に慈愛のまなざしを向ける図はあるのだろうか?日本にそのような考え方があるのだろうか?

芳崖に孫が生まれたので、こういう図が浮かんだのではないかと書かれていたが、私はフェノロサから見せられた絵の中に、聖母マリアの絵があったのではないかと想像している。

初めて見たときから、この絵は、天空のマリア様が、ただ衣装を変えただけのように感じていた。衣装はほんとに繊細で美しくやわらかく描かれていて、奈良にある薬師寺の国宝「吉祥天図像」の美しい衣装を思い出させる。

芳崖は、この絵に落款を自分で押すことはできなかった。最後の仕上げである金砂子の蒔き付けを、15歳からの友人であり親戚にもなった雅邦に託して亡くなったのだ。

雅邦の悲しみも相当大きかったのではないかと想像される。共に学び、共に不遇な時代を生き抜き、共に日本画に励んできた二人。しかし、彼らが切り開いた日本画の新しい道は、彼らの技術や精神と共に、ちゃんと弟子達によって継承されている。

付け足しなのですが、この展覧会では、芳崖自身の生涯についてはあまり触れられていない。

激情家だったと言われる芳崖。狩野派の元で勉強しておきながら、その粉本主義から脱却できないことを批判し、「絵画を進歩させるには、別に更に自己というものを出さねばならぬ」(橋本雅邦図録より)と公言した。そして、禁止されていた文人画や宋元絵画の技法を取り入れるなど、狩野派の「法外」を自認し、その名の由来となったことなど、少しは説明があってもよかったのではないかと思うのだが・・・。でも、今回の展覧会の主題とは関係ないので、必要ないかな?

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2008年1月14日 (月)

現代の仏像を彫る澤田政廣の世界

Photo_2  さて今年最初の美術記事は、年末に訪問した熱海梅園内の滝の上にある素敵な建物「熱海市立 澤田政廣記念美術館」を紹介したいと思います。

2度目の訪問でしたが、今回の方がより丁寧に味わえたような気がします。なぜなら、彼の作品が静かで力強い精神力を持っているから。1回目は、何も知らずに入り、彼の作品に心を合わせるまでに時間がかかったのです。

彼の彫刻は、女性像の前に立つとエレガントさ(今回は展示されていなかったのですが、体を反らせた「人魚」は美しかった)や静けさ、緊張を感じたり、仏像を前にすると、新旧の同居の不思議な魅力や同時に気迫を感じたりできます。

Photo 澤田政廣(さわだ せいこう 1894-1988 なんと享年93歳!)という彫刻家は熱海生まれ、高村光雲の高弟子山本瑞雲に師事し、85歳のとき文化勲章を受けています。作品は、聖徳太子を表した「救世太子」などの歴史や神話から、また人魚のような幻想的題材、そして彼にとって比重の高い仏像などからなっていて、彼の描いた絵なども展示されています。

左:「紅衣笛人」1941年45歳 木彫 彼の言葉「女性を彫る時心に感じた詩を謳いあげるつもりで彫ります。ポエムであり。情熱であり、夢です。仏像を彫るときもそうです。ただ仏像に関しては、私は私の現代の仏像を彫り続けています。」
この彫刻の周りは、凛とした美しさと緊張感が漂っていました。

Photo_4  彼の言葉:「無心で彫る仏像」 - 「仏像は一つの宗教的なものです。基礎がしっかりしていない若いときにやり始めるものじゃないという気持ちを持っていたんですよ。日本の伝統として、一番すばらしいのは仏像です。そして、古典的なものほどいいんです。それは、作家が一番正直に感じて、技巧に無頓着であっても無心に彫ってくるということで、仏さまに彫らされているような状態になっているわけです。となると、芸術としても最高になってくるわけです。古い仏像にはそういったのが多いですね。」

右の作品「役行者」(1963年69歳)は印象的な作品でした。頭巾を被り、錫杖(しゃくじょう)を右手、経典を左手にして、巨岩にどっしりと腰をおろしている役行者(えんのぎょうしゃ)像。

その像の大きさや力強いのみの跡、厳しい表情、骨と皮の鍛え上げられた体、一本歯の下駄を履いた筋肉質の足などから恐ろしいほどの気迫を感じ、その前から動けなくなってしまいました。

この気迫、どこかで同じように感じたことがあるな、と考えたら、東京国立博物館にある高村光雲の「老猿」でした。大好きな作品。澤田氏は彼の弟子の弟子だったんですね、納得です。鷲と争った直後の鼻息が感じられるほどの気迫を動的気迫と表現すれば、澤田氏の役行者は、自分との内的戦いをしている静的気迫といえるでしょう。

美術館は円形が繋がったような変わった建物で、入り口上部は自分で作成した天女が飛んでいる青色の美しいステンドグラスがはめられています。熱海の梅園にいらしたら、ぜひともこちらの彫刻も見て、心の落ち着きを味わっていただきたいと思います。

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2007年10月 3日 (水)

知らなかった画家 谷 文晁 un Peintre japonais qu'il s'appelle TANI Buncyou

Photo 自宅からはちょっと遠く感じる板橋区立美術館。ここは実にいい展示をするのだけれど、どうもアクセスが悪い為に行く気がなえてしまうことが多いのです。しかし今回は、主人も行ってくれるというので、散歩のつもりで気持ちよく出かけました。

この谷文晁(1763-1840)という画家の事は、全然知りませんでした。ところが、この美術館のサイトに、
『文晁は多くの弟子を育て、幕府の御用絵師・狩野派一門に対し、江戸の民間の画壇で最大の流派となりました。当時の江戸画壇は、酒井抱一・葛飾北斎といった巨匠が活躍し、かつてない活況を呈していましたが、文晁もその中心的存在として君臨していました。』
と書かれていて、一体どんな画家なのだろうと、興味が沸いてきてしまったのです。

Photo_7 Photo_4 おまけに彼は、『南画・写生画・水墨画など、日本・中国の様々な画法を見事に折衷し、独自の画風を築き上げ』たのだそうで、この折衷画とは、どんなのかしらと興味深深。

ここにアップした上部3つの絵、すべて谷文晁の作品です。でも、あまりにも特徴が異なる為、とても同一人物の作品に見えません。

左は一見、俳句が出てきそうな酒井抱一風掛け軸。抱一は文晁の友人だったそうです。右は、墨を豪快に使っていますね。あまりにも大胆な構図。

他にも三次元的表現方法を取り入れた絵もあり、折衷画というより、彼は、好き嫌いなく、いろんなジャンルの絵を描いた、といった方が良いような気がしました。

絵だけを観て、「あっ、これは文晁の作品だ!」と言い当てるとか、「これは、文晁らしい良さが出ているね」とか感想を述べることはどうも出来なさそうですね。

弟子達の絵も南宋画風だったり墨絵だったリ様々な特徴を持っています。狩野派のように一つの形に押し込めなかったのは、民間の人々が求める絵が、多様だったからなのかな、と思ったのですが、本当はどうでしょうか?

なんと渡辺崋山も文晁の弟子の一人で、南蘋派や琳派、やまと絵など様々な絵の勉強をしていたようです。彼は全く苦労人。今回出ていた作品は、「福海図」といってこうもりが海の上を飛んでいる図。こうもりを漢字で書くと「蝙蝠」で、後ろの文字が”福”に通じるということで、こうもりは吉兆画題なのだそうです。彼は、幸福になりたかったのですね。でも、苦しいことばかりでした。絵を描いているときは、幸せだったのかもしれません。

Photo_9 Photo_10 その中でも私のお気に入りは、はやり江戸のボタニカルアートと言える南蘋派の作品。泉屋博古館の「花鳥礼讃」以来、千葉市美術館の「若冲とその時代」展(まだ感想を書いていませんが)でも、この南蘋派が美しくてしかたありませんでした。

当時もかなり多くの人から好まれたらしいのですが、南画や文人画を描いていた中山高陽という画家は、「近頃、沈南蘋の絵が非常に広がっている。彼は甚だ匠なり。されども画法は俗にして格卑し。」と、南蘋派の絵をけなしているのを知り、ちょっとショック。でも、綺麗なのは変わらないはずですよね!

左は金子金陵「花鳥図」、右は岡田閑林「玉堂富貴図」。綺麗でしょう?両方とも鳥が向かい合っている構図ですが、これは南蘋派の特徴なのだそうです。

左の金子金陵という人は、旗本の家臣で沈南蘋風の花鳥画を得意としたそうですが、なんとこの人が、お金が払えず別の画工から破門された渡辺崋山を気の毒に思って、門人として受け入れた情け深い人なのです。おかげで崋山は彼を通して、文晁の教えを受ける事ができたのです。

Photo_12 でも、今回の目玉は、はやり、これかな?
主人に、「どれが一番良かった?」と聞くと、迷わず「蛍図」と答えました。私もそう思います。

目賀田介庵の「蛍図」。なんと斬新なのでしょう!説明では、画面全体を暗く塗り潰すという絵は、当時の絵画の中では珍しい、と書かれていました。確かに、こんなに薄暗い絵は見ませんね。幻想的でほんと素敵でしたよ。

この美術展には、派手さはありませんが、じっくりと江戸末期の民間の作品を味わうことができる、貴重な時間だったと思います。

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2007年8月26日 (日)

花鳥礼讃ー泉屋博古館 分館

Shinanpinusagi 六本木一丁目ある泉屋博古館分館(センオクハクコカン)は、広くはないので出展数は多くないものの、いつもきらっと光る作品を必ず見つけることができるので、(頻繁には行かないが)割と気に入っている。

今回の展示「花鳥礼讃ー中国・日本のかたちと心ー」は、特に良かった。江戸時代中心の落着いた絵ばかりで全部気に入ったといっていいほど。森狙仙、呉春、土佐光起、森徹山など、これから勉強したい画家も多かったが、今回は特に目を引いた2人の画家沈南蘋と椿椿山だけについて書いてみたい。

先ず入ってすぐ右にある作品、沈南蘋(しんなんぴん1682-1760)という画家の「雪中遊兎図」(右図)の前で足が止まってしまった。

古典的、保守的といわれるかもしれないが、兎だけでなく木の幹のうねり方(若冲の葡萄図を思い出した)、そしてその根本、雪の表現(応挙の雪を連想)など、非常に丁寧に美しく描かれている。

”沈南蘋”という名は前に何処かで見たことがあると過去を思い出したら、昨年8月に若冲の絵と共に三の丸尚蔵館で見た「餐香宿艶図」という植物と虫のリアルで丁寧な絵を長い巻紙に描いていた人だった。(この観覧記はこちら

今回は初めて調べてみた。中国清朝の18世紀前半の画家で、江戸幕府の依頼により1731年から1733年にかけて長崎に滞在し、その華麗な画風は南蘋派(長崎派)と呼ばれ、江戸画段に大きな影響を及ぼしたらしい。

なんと2001年秋に千葉市美術館で「江戸の異国趣味-南蘋風大流行-」と題してまさしくこの沈南蘋が影響を与えた画家たちの展覧会が開催されたようだ。サイトを見ると美しい絵が並んでいると同時に、写実的でかつ装飾的な沈南蘋の絵が、若冲、応挙、司馬江漢、与謝蕪村にまで影響を及ぼしていたのだと説明されている。

前回、三の丸で沈南蘋の絵を見て若冲を連想したのは、当たっていたのだ!しかし、この展示を見た人の観覧記を読むと、結構空いていたらしい。この千葉市美術館は良い企画を頻繁に行っているのに、遠い為か残念ながら一度も行った事が無い。あっ!でも、今見ると「若冲とその時代展」を開催しているのを発見。知らなかった・・・ぜひとも行ってみよう!良い画人の名前を知ることが出来たと改めて納得。

Tsubaki_chinzanhuki

なんと華やかな絵!!椿椿山(つばきちんざん1801-1854)という画家の「玉堂富貴・遊蝶・藻魚図」。中央は富貴を表し、左右は子孫繁栄を表しているのだとか。この人の名も、時々見てはいたのだけれど、あまり注目していなかった。今まで見たのは、水墨画や文人画っぽいが多かったから。

ウイキペディアを調べてみたら、美しい絵がまたまた出てきて嬉しかった。どうも彼は文人画家に分類されるらしい。彼は旗本生まれだったので、学問だけでなく武術も習得していた。絵は先ず沈南蘋風の花鳥画を習い、その後同じく武士出身の渡辺崋山に付いたようだ。それで今までの絵も理解できる。

Jyakucyumejiro_2 『同門の者から不器用といわれたが、画の修業を怠らずたいへんな努力をした。これを知った華山は「後に必ず名をなすだろう」といったという。早い時期に槍組同心を辞職し、画業と学問に専念する。』 とか、『椿山は穏やかで誠実な人柄であり寡黙であった。友人からは「飯少なく、遊少なく、眠少なく、言葉少なく、磨墨少なく、着筆少なく、彩色少なく、酒を飲まず、女に近付かず、煙草を喫せず、故に十少と称す」と評されていた。』 など、椿山という人は、相当真面目な人だったのが分かる。

あと、忘れてはならないのが、伊藤若冲の「海棠目白図」(右)。相変わらずの若冲ワールド!中央の目白押し状態の目白の姿がめちゃめちゃに可愛い。ころころっとした丸い感じが出ていて、前向きだったり後ろ向きだったり、まるで春の喜びを楽しんでいるかのような賑やかなさえずりまで聞こえてきそう。

この企画、9月24日まで行われているので、ぜひとも多くの方に見て欲しい。

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2007年8月25日 (土)

夏の恒例チャリティーイベント

Panphe_okura_2 少し前のことになるが、毎年8月に行っているホテルオークラの”チャリティーイベント アートは世界の子供を救う”と副題のあるアートコレクションに行ってきた。

副題の大げさな表現が気にならないといえばうそになるが、個人や企業所有のあまり目にすることの無い作品を見ることができるので、数年前から毎年この展来会は見ている。しかもこの鑑賞券は、大倉集古館と泉屋博古館も見ることができるので、美術三昧の一日が送れて満足できる。

今回もなかなか良い作品がでていた。西洋絵画では、パンフレットに載っているモディリアーニの「ポール・アレクサンドル博士の肖像」。服装は単純化されているが、見事にそのポイントは押さえていて、凛々しい雰囲気が伝わってくる。顔の色の使い方は凄い!こうやって描けばいいのか・・・とじろじろ見てしまった。

ラファエル・コラン「樹下」、シスレー「サン=マメスのロワン運河」、モイーズ・キスリングの「ブイヤベース」は、山のように置かれている魚達の色が華やかで、思わず見入ってしまった。ルドンの花もとてもいい。

そうそう、忘れてはならないのが、藤田嗣治の「猫の学校」!これは最高だった。最後のアンケートでも一番よかったのは?という質問に、この絵の名前を書いたぐらい。授業中というのに、教室の後ろでけんかしている猫達、それを見ている猫、寝ている猫、勉強している猫、お澄まししている猫・・・見ているとこちらまで楽しくなってくる。机の木目の描き方もすばらしい。さすが猫好きの藤田、猫が生き生きしていた。

やはり杉山寧の絵は良い。「気」と題する今回の絵は、緑青を背景に3羽の鶴が水面に佇んでいる姿。3羽3様の姿が水面に移っていて、幻想的な絵となっている。彼のはいつもどっしりした落ち着きがあり、音が無いような世界観を出している。

Soutatu_hasenmenryuuzu

今回の目玉であろう宗達派の「扇面流図」(上)は相変わらず美しい。でも、日本画にしては手が込みすぎて、ちょっと派手かも。いつも大倉集古館の展示で思うのだけれど、どうして片方しか展示しないのだろうか?保存の問題もあるのかもしれないが、こういう広い場所で両面並べて見てみたい。

応挙の「波濤図」、近くで見るとどうって事の無い絵に見えるが、少し離れて見ると並みの荒々しさがよく表現されていて、うまいなあ、と思う。保存が悪かったのか、色が変色していて墨が薄くなっているのが残念。

実は、私は前田青邨が大好き。ここに毎回来るのも青邨の絵が見られるからだ。今回は小ぶりな「三羽鶴」「鯉」の2点。鏑木清方の「雨月物語」もよかった。雨月物語って、能の道成寺に話が似ているのね、どういう関係なのかな、と独り恥ずかしい質問。

Saeki_yuuzouself 日本人の絵では、やはり佐伯祐三の「パレットを持つ自画像」が良かった。パリに着いてすぐに描いた絵なのだそうだ。自分はこのパレットで生きていくんだ、と主張しているように見える。しかし、デューラーのように真正面の自分を描いていないことを考えると、少なからず不安もあるのかもしれない。

しかし、なんと味のある、いい色の使い方をしているのだろう。自分には到底出来ないが、このような色の使い方、描き方をしてみたい。

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2007年8月22日 (水)

谷川にある秘美術館・天一美術館 Tenichi Museum à Tanigawa

Photo_2 「麗子に遇いに水上へ行った、と書くと、いで湯の町であいびきをしたように思われるかもしれない。実は岸田劉生の名作『麗子像』を見るため、先週末、群馬県水上町にできた天一美術館に出かけた。」

これは、群馬県北部谷川岳に近い水上温泉の近くにある、岸田劉生や佐伯祐三、ルノワールなどの絵が見られる「天一美術館」を訪れた時に頂いた、小さなパンフレットに書かれていた産経新聞からの一節。

山の中にある小さなこの美術館、めずらしく主人がネットで見つけてきた。しかも建物は、建築家・吉村順三の最後の作品なので、ぜひとも見に行きたいと、いつになく主張する。私は建築についてはよくわからないけれど、美術館は賛成、ということで訪問することにした。

Entrance 関越自動車道・水上インターを降り、291号を北上、水上温泉を過ぎ、「谷川」と書いてある交差点を左折して細くなった道をどんどん登っていくけれど、なかなかたどり着かない。結構山奥にあるようだ。

交差点でようやく小さな矢印を見つけた。どうも角地のちょっとした崖の上にあるようで、左の写真のように階段が入り口。車椅子の方は、ぐるっと廻って建物正面に駐車可能らしい。

Panorama 建物の正面を見て、「オ、オーッ」の声。平屋に見えるこの屋根の低さが、上品な落ち着きを保っている。喜んで中に入ると、受付の女性が、「終わりましたら、ここでハーブティーのサービスがあります。」とおっしゃる。ますます嬉しくなってしまった。

この「天一」とは、一体何?解説を読むと、このコレクションは、矢吹勇雄という「銀座 天一」の創業者が当時の知識人と交流を深め、収集したものだそうだ。

そして建物は、元東京芸大の建築学科の教授で和を尊ぶ吉村順三氏が設計した。実は、2005年芸大美術館で開催された「吉村順三建築展」も見ていたのだが、私はすっかり忘れてしまっていた。

Interieur_2 内部は、展示室が3つ、そして左の写真のように、山の緑が窓一面に見える、気持ちのよい談話室が広がっていた。床の木の色が美しい。特に私には、車椅子用に滑り止めのため横に溝をいれた木のスロープが一番美しく思えた。

私達だけしかいないせいか、部屋の空気も山のすがすがしい空気のように澄んでいて、実に実に気持ちよい。

裏庭は、平らなコンクリートの灰色とその向こうに広がる芝生の緑、この2色が見えるのみだった。まるで音の無い世界のように、凛としている。

さて、展示品の数は多くはないが、小ぶりながら質のよい作品が並んでいる。おまけに、このゆったりとした建物のおかげか、気持ちにゆとりが出て来ているようで、ゆったりと1作品ずつ楽しみながら廻った。

Photo_4 第1展示室では、劉生のほか梅原龍三郎、藤田嗣治、熊谷守一、青木繁、ロダン、ルノワール、ピカソ、ルオーなどの西洋画が集められている。奥の部屋に劉生の麗子像がまとまって展示されているのだが、右の「村娘」と題するこの絵の、昔は気持ち悪いと思っていた”でろり”が、なぜか愛しくすばらしく見えた。昨年、近代美術館での「モダン・パラダイス」で受けたショックが、ちゃんと根付いているようだ。

上のデッサンと比べてみると、彼がいかに頬の膨らみや目鼻などにこだわったのかがよく分かる。彼は、愛情を込め情熱を込め描いたのだ。

この展示室の入り口脇に、当時の文豪達の賛美の声が書かれていた。面白かったのは、武者小路実篤の「岸田君の絵は、私は水彩画がいいと思う」という言葉。では、油絵は彼にとって駄目なのか?劉生がこんなに心を込めて描いていたのに・・・。思わず笑ってしまった。

Photo_5 佐伯祐三の「弥智子」は初めて見た。なんと可愛いのでしょう!筆は非常に荒いのだけれど何度も塗り重ねていて、子供絵への愛情を感じる。佐伯の腕ははやはり凄いなあ。彼が亡くなった後、この弥智子はすぐ追うように亡くなったらしい。

第2室は、日本画の展示室。伝曾我蕭白の屏風があったが、この美術館のホームページにはそのことが描かれていないところを見ると、やはり「伝」なのだろう。丁寧に描かれた山水画だったのだけれど・・・

民衆絵画という分野の「大津絵」というのも初めて見た。仏画が素朴で楽しい。

第3室は、陶磁器の展示。中国・朝鮮・日本と点数は少ないけれど、ざーっと歴史を追うように展示されている。なんとバーナード・リーチ作のお皿もあり驚いた。

最後にこの美術館の入場券をアップして終わることにします。ここには劉生が大事にしていたと言う珍しい麗子像の正面図が載っています。

Photo_6

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