カテゴリー「イタリア Italia」の24件の記事

2009年8月27日 (木)

イタリア最初の世界遺産:ヴァルカモニカの岩絵群

  Camnica1_2

岩の上に描かれている絵が、お分かりになるでしょうか?ちょっと見慣れるまでに時間がかかるかもしれません。私も始めは分からず、何処にあるの?と主人と二人で一生懸命探してしまいました。そして、目が慣れてくると、ああ、ここにもあそこにも、という具合に見えてきたのです。

角のある動物とか人間も見えますよね。これがカモニカ渓谷で見られる、前期青銅器時代(紀元前1800年)から鉄器時代(前900~200)に描かれた絵なのです。先のとがった釘状のものでうがった穴を連ねて絵を描く技法によって彫られたのだそうです。

Cam5 イタリアでこういう前史時代の絵が見られると知ったのは、昨年10月から始まったNHKイタリア語講座「世界遺産を巡る旅」ででした。その初回がこのカモニカ渓谷の岩絵だったのですが、結構イタリアの事は知っていると思っていたのに全く初耳のこの話には、とても興味を持ちました。

しかも先生が、「掘りが浅い上に、常に風雨にさらされているので、いつか見えなくなるかもしれない」などと、危機感ある意見を述べられていたので、私は決心しました。絶対見に行こう!と。

2009年4月現在、イタリアには43のユネスコ世界遺産が登録されているそうですが、このカモニカ渓谷の岩絵群は、数ある遺産の中で、イタリア最初に指定された貴重な世界遺産です。正式名称は「ナクワーネ岩壁彫刻国立公園 Parco nazionale delle Incisioni rupestri di Naquane」。

ミラノの東にあるブレシアから北のほう全体がカモニカ渓谷でして、岩絵はこの広い地域に点在しているそうで、メインの場所の町の名は、Capo di Ponte です。

Cam_mapl Cam_mapr

きっとブレシア方面から来ると案内板もあったのかも知れませんが、私はサンモリップからの帰りに寄ったので、北から車で来たために、なんの看板もなかったのです。
どう行けばいいのかさっぱり分からず、Capo di Ponte の町(というか村に近い)に入り、水場のある小さな広場にいた人に尋ねました。「カモニカ渓谷の岩絵は、どう行けばいけばいいんですか?」と。

すると、そこにいた叔父さんとおばさんは、お互い顔を見合わせてにやっとし、「ここには、あちらこちらにあるから・・・」と、お互いにどの場所を教えようか迷ったようでした。そのうちおばさんが家に入り、また出てきて、パンフレット(上の画像、左側が北)を出し、「ほら、沢山あるでしょ?ここが大きいわよ。」と左下の国立公園を指差しました。

「Si,Si」と私が喜んで答えると、二人は争うように話し始め、結局おばさんの方が強く、「あなた、黙っててよ。私の言うのが正しいんだから!」見たいな事を言って、後はおばさんだけがしっかり説明してくれたのです。やはりイタリアはマンマが強い!

Cam2_sentier 教えられたとおり、上の図で右下の教会を廻ったあたりに着いたのですが、道はとても狭く、とてもこれ以上進めないと判断し、また私が車から降りて、近くの人に聞くことになりました。もう、いつも訊いてばかりです。「車で国立公園の入り口まで行けるのですか?」、答えはノー。駐車場はなく、このあたりに車を止めて、歩いていかなければならないのだそうです。(左は、入り口までの道、10分程)

Cam1_map そして、公園の中は右の図のようになっていて、山の中に散らばっている石を順に見ていくようにルートが示されています。番号が振られているので、迷わないようになっていますから安心を。

NHKの本には、「線刻画には、動物、狩り、舞踊、祈り、農業、航行、戦い、魔術などのテーマが描かれています」と書かれていましたが、実際に見ると、人とか動物の形は見分けがついても、そのほかは分かりません。しかし、それぞれの石には、右下のようなイタリア語と英語で書かれた説明板が立っていて、ゆっくり読めば何が書かれているのが分かるようになっています。(画像は全てクリックしますと拡大します。)

Cam4 Cam3_inf

Cam6_sac この説明と同じ内容の本(イタリア語のみ)が、入り口近くの売店に売られていたので買ってきたのですが、それを入れてくれたビニール袋の絵が良かったので、ここにアップしておきます。

今年2009年という年は、1909年のこの岩絵が始めて公に認められてから100年、そして、1979年にユネスコから世界遺産として認められてから30年という年に当たるのだそうです。結構いい記念になるかも!

それにしても不思議ですね。どんな時代でも、人間っていろんなメッセージを残そうとするんですね。イタリアに住んでいた、エトルリア人以前の古代民族「カムーニ」の日常生活を少し感じられて、満足してこの公園を後にしました。

今回、初めてグーグルマップを入れてみました。どんどんマイナスをクリックしていくと、広域地図になり、Capo di Ponte がイタリアのどのあたりかが分かると思います。

大きな地図で見る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月16日 (金)

旧ボローニャ大学 アルキジンナージオ Archiginnasio

Bl_archi1_2 パドヴァにて、パドヴァ大学の中庭を目の前にしながら、構内見学ツアーの時間が合わなくて入れなかったのがとても残念で、ぜひともこの旧ボローニャ大学(アルキジンナージオ Palazzo dell'Archiginnasio)には入りたいと思っていました。

場所は、街の中心ペトローニオ聖堂のすぐ左横の通り沿い、市立考古学博物館のすぐ先にあります。とても分かりやすいはずなのに、通りの雰囲気がとても良くて、気持ちよく歩いていたら、行き過ぎてしまっていました。それ程近いのです。

入り口から、このような紋章に覆われていて、うわっ!うわっ、凄~い!と興奮しながら中へ。

Bl_archi4 中庭もこのように紋章でいっぱい。パドヴァの大学と比べると、こちらの方が古いはずなのに、パドヴァの方が古く見えました。色が明るいからでしょうか?また、パドヴァの中庭もアップしますね。

この建物は、1562-63年に建設され、1803年までは旧ボローニャ大学の校舎、そして今では、写本を含む60万冊の蔵書を有する重要な市立図書館となっています。

今回は夏休みなのか時間の関係なのか、とにかく図書館は閉まっていて、その様子を見ることはできませんでした。

Bl_archi3 公開している解剖室は2階にあるらしいので、矢印従って階段の方へ行きましたら、ウワー!この狭い空間も右の写真のように、紋章模様でいっぱい!思わず写真を撮ってしまいました。

そして、上がりきって右方向をみると、下の写真になります。

Bl_archi8

2階の廊下にまで、紋章で溢れているのですね。といってもこの廊下、元はガラスは無くて、建物の外廊下になっていたはずだと思います。パドヴァの大学がそうでしたので・・・

この廊下正面が、図書館の入り口、右に曲がっていき、さらに曲がると、解剖室の入り口になります。

Bl_archi10 さて、いよいよ解剖室です。実はここで、監視係りの女性から、英語で書かれたA4サイズの解説紙を頂き、ついでに本も購入したのですが、なぜかそれらが見つからないのです!これで解剖室について詳しく書ける、と楽しみにしていたのに・・・残念です。

どうもこの部屋は作り変えられたとかで、天井だけが本物だそうです。手前の白い台が解剖台ですが、こういうのを見ると、レンブラントの絵「テュルプ博士の解剖学講義」(マウリッツハイス美術館)とか、前田青邨の「腑分け」(山種美術館)を思い出してしまいますね。

Bl_archi9 左は天井の写真。凝っていますね。(後述:井上ひさし氏「ボローニャ紀行」に寄りますと、真ん中の像は、医学の考案者とされるアポロ像で、周囲は星座の文様なのだそうです。)

ゆっくりと見学し、部屋を出ようとしたとき、その監視の女性が、私と側にいたスペイン語でガイドしていた女性に、なんとなく急かすように、「早くそこを曲がって、向こうの部屋に行きなさい!その部屋に私の友人がいるから、その人に、私からこちらに来なさいと言われた、と話しなさい!」と言うのです。

きっと時間の関係で、その部屋を閉めるのかもしれない、と思い、彼女にお礼を言い、急いで、階段を登りきった場所を反対側の方へ進み、正面の部屋に入りました。

うわー!なになに、この部屋は・・・!下のほうには本箱が並んでいるものの、壁という壁は紋章で埋まっています。中には、豪華なタピスリーになっているのもありました。

    Bl_archi12_2

別の女性にスペイン語(ポルトガル語かも?)ガイドをしていた女性が、私に英語で声をかけてきました。「ここでは昔、ロッシーニーが演奏をしたことがあるのよ。」「あっ、そうですか・・・」。

なんでも、ここでロッシーニーが「スタバト・マーテル」という曲の初演を行ったそうで、そういう理由から、この部屋は「スタバト・マーテルの間 Sala dello Stabat Mater」と呼ばれるのだそうです。現在でも、時々ここでミニコンサートも開催されているとか。

Bl_archi16 現地のパネルの地図を載せておきます。

1: スタバト・マーテルの間
2: 廊下に古い本の展示
3: 解剖室
ピンク色のエリア: 図書館関係

説明書が無いために、詳しいことが書けません。すみません、頂いた紙を探してみます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月25日 (木)

「イタリア」関連記事一覧

Stmarco

なんだかこわそうな人がいますねえ・・・

イタリア関連の記事一覧ですが・・・あまりにも少ないのでびっくりです。やはりフランスの記事が多くなってきています。

大好きなイタリア関連の記事も、どんどん書きたいのですが・・・とにかく、ゆっくりしか書けません。自分でもじれったいです。

2009-02-12  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群②
2009-02-07  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群①

2009-01-29  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会②
2009-01-22  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会①
2009-01-11 ボローニャにある聖ドメニコのお墓② サン・ドメニコ教会 ロザリオの礼拝堂、リッピの絵
2008-12-24 ボローニャにある聖ドメニコのお墓① サン・ドメニコ教会 外観、内部、聖ドメニコのお墓

2008-09-27  破壊されたマンテーニャのフレスコ画 パドヴァ・エレミターニ教会
2008-01-29   マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について②  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova
2008-01-23  マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について①  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova 

2007-09-28  ゲーテを不愉快にさせた街フェラーラ②  エステ城
2007-09-23  キリコに影響を与えた街フェラーラ①  大聖堂
2007-09-09  レンガの塔が美しいポンポーザ大修道院

2007-05-25  知らなかったピエトロ・ペルジーノ② Pietro Perugino che non conoscevo
2007-05-23  知らなかったピエトロ・ペルジーノ① Pietro Perugino che non conoscevo 

2007-03-21 独自の文化を培ったシエナ(6) ドゥッチョと街
2007-03-20 独自の文化を培ったシエナ(5) 洗礼堂
2007-03-15 独自の文化を培ったシエナ(4) ピッコローミニ書架
2007-03-14 独自の文化を培ったシエナ(3) 大聖堂
2007-03-08 独自の文化を培ったシエナ(2) プブリコ宮殿2
2007-03-04 独自の文化を培ったシエナ(1) プブリコ宮殿1

2007-02-21 サン・ジミニャーノ(3) サンタゴスティーノ教会 Una citta dei torrei: San Gimignano(3)
2007-02-17 サン・ジミニャーノ(2) ポポロ宮殿 Una citta dei torri: San Gimignano(2)2007-02-14 サン・ジミニャーノ(1) 参事教会 Una citta dei torri: San Gimignano(1)

2007-02-11 ピサ(4) シノピエ美術館 Un antico paese marittimo: Pisa(4)
2007-02-05 ピサ(3) カンポサント Un antico paese marittimo: Pisa(3)
2007-02-04 ピサ(2) 洗礼堂 Un antico paese marittimo: Pisa(2)
2007-02-03 ピサ(1) 大聖堂 Un antico paese marittimo: Pisa(1)

2006-12-24  ヴェローナのDuomo il Duomo di Verona
2006-12-22 ヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場 Teatro Olimpico a Vicenza
2006-10-05 パヴィアの美しい僧院 Certosa di PAVIA
2006-09-13 マンテーニャが仕えていた街 マントヴァ Mantova où Mantengna s'est devoué à la peinture

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年8月19日 (火)

コレッジョに会えなかった・・・

3年ぶり10回目のイタリア旅行を終えてきました。6泊8日という短い旅でしたが、炎天下の中、街をあちらこちらへとうろうろし、もうよれよれです。

主人は私より多くイタリアへ渡っているはずなのに、訪れているのは同じ大きな街ばかり。今回は北イタリアの地方都市を回りたいという主人の希望を取り入れた為、私にとっては2度目の街も結構ありました。でも、そのおかげで前回パスしてしまった箇所を訪問できたり、記憶の確認にもなったりと、とても有意義な旅行になったと思います。しかし、以下でお分かりになると思いますが、失敗もたくさんありました・・・

Padova_rasione 
(パドヴァ ラジョーネ宮)

日程は・・・あまりにも日本人旅行タイプの忙しいスケジュールなので、書くのがちょっと恥ずかしいです。

8月9日(土) 夕刻ミラノ着 レンタカーを借りる。 マルペンサ空港近く泊
8月10日(日)                ヴェローナ泊 
  ◆マントヴァ Mantova
     ・エルベ広場 Pazza delle Erbe
     ・サン・タンドレア教会 Basilica di Sant'Andrea(マンテーニャの墓)
     ・サン・ロレンツォ円形聖堂 Roronda di San Lorenzo
     ・ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale
     ・テ宮殿 Palazzo del Te

 ◆ヴェローナ Verona
     ・サン・ゼーノ・マジョーレ教会 San Zeno Maggiore
   (ブロンズ製の扉、マンテーニャの3連祭壇画)
     ・ローマ劇場近くの展望台
     ・アレーナ Arena
     ・シニョーリ広場、エルベ広場、スカリジェリ家の廟
                                
8月11日(月)         パドヴァ泊
 ◆ヴェローナ VErona
     ・サンタナスタシア教会 Chiesa di Sant'Anastasia
  (ピサネルロのフレスコ画「トラプゾンの王女を救い出す聖ゲオルギウス」)
     ・Duomo (ティツイアーノ「聖母被昇天」)
     ・サン・フェルモ・マッジョーレ教会 Chiesa di San Fermo Maggiore
          (ピサネルロのフレスコ画「受胎告知」)

  ◆パドヴァ Padova
     ・パドヴァ大学、ラジョーネ宮
     ・スクロヴェーニ礼拝堂 Cappella degli Scrovegni(ジョット)
     ・サン・タントニオ教会 Basilica di Sant'Antonio 
   (ドナテルロのガッタメラータ騎馬像と主祭壇、アルティキエーロのフレスコ画、隣にある信徒会2階 ティツイアーノのフレスコ画を忘れる!)
     ・エレミターニ教会 Chiesa degli Eremitani
   (マンテーニャのフレスコ画、ジョットの弟子グワリエントのフレスコ画)

Basilica_di_santantonio 
  (パドヴァ サン・タントニオ教会)
                                 
8月12日(火)       ラヴェンナ泊
 ◆フェッラーラ Ferrara
    ・スキファノイア宮殿 Palazzo Schifanoia (「12ヶ月の間」のフレスコ画)
    ・サンタ・マリア・イン・ヴァード教会
    ・ロメイの家 Casa Romei
    ・Duomo (美術館は休館中)
    ・エステンセ城 Castello Estense (リッピ父子のフレスコ画)

Fer_smaria_in_vado1 
  (Ferrara サンタ・マリア・イン・ヴァード教会 )

 ◆ラヴェンナ Ravenna
     ・ネオニアーノ洗礼堂 BattisterobNeoniano
     ・サン・ヴィターレ教会 Basilica di San Vitale
     ・ガッラ・プラチディアの霊廟 Mausoleo di Galla Placidia
     ・サンタポリナーレ・ヌオーヴォ教会 Basilica di Sant'Apollinare Nuovo
     ・サンタ・マリア・イン・ポルト教会
     ・サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会 Basilica di Sant'apollinare in Classe
     ・ダンテ海岸 (下の写真 アドリア海は結構波が荒かった)

Rido_dante

8月 13日(水)     ボローニャ泊
 ◆ボローニャ Bologna
      ・斜塔、マッジョーレ広場、ネットゥーノの噴水
      ・サン・ペトロニオ聖堂 Basilica di San Petronio
      ・アルキジンナジオ宮殿 Palazzo Archiginnasio 旧ボローニャ大学
      ・サン・ドメニコ教会 Chiesa di San Domenico
   (ニコラ・ピサーノ作の墓所、フィリピーノ・リッピ「聖カテリーナの神秘的な結婚」)
      ・国立絵画館 (カラッチ家、グイド・レーニ)
      ・市庁舎 Palazzo Comunale (2階のフレスコ画、アート・コレクション)
      ・サン・ジャコモ・マッジョーレ教会 Chiesa di San Giacomo Maggiore
      ・聖チェチリア礼拝堂 Oratorio della Santa Cecilia
      ・サント・ステファノ教会 Cheisa di Santo Stefano

8月14日(木)    パルマ泊
 ◆モデナ Modena
     ・ Duomo (塔の修復中。地下聖堂に向かうジュペが美しい)
      ・エステンセ美術館 (図書館は閉館していた、残念。コスメ・トゥーラ「聖アントーニオ」はボルゲーゼ美術館に出張中で見られず。ヴェネローゼ、ティントレット、グレコ、コレッジョ、パルニジャーノ、ドッソ・ドッシ、カラッチ兄弟など)

 ◆パルマ Parma
  (午後に着いたので、ピロッタ宮殿内国立美術館とサンパオロ修道院は閉館。翌日の15日は祝日の為休館とか・・・要するに見られなかったのです・・・)
     ・Duomo (修復中の為コレッジョ見られず)   
     ・洗礼堂 6€ 美しいフレスコ画
     ・サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会(修復中の為コレッジョ見られず)

Par_duomo1 
 (パルマ Duomo内部)

8月15日(金) 祝日、美術館は休み、教会はミサ 21:45ミラノ発
 ◆クレモナ Cremona
     ・コムーネ広場、トラッツオ
     ・コムーネ宮 Palazzo Comunale (バイオリンのコレクション)
     ・Duomo
     ・サン・タゴスティーノ教会 (ペルジーノの祭壇画 とても美しかった)
     ・サン・シジスモンド教会 (郊外 一面のフレスコ画)

 ◆ピアチェンツア Piacenza ファルネーゼ宮殿は休館
     ・ゴティコ館
     ・Duomo (中へ入れず、塔の上に罪人のかご)

8月16日(土) 夕刻東京着
      

旅行の3分の2ほど終えたボローニャでトラブル発生。予約していたホテルが見つからないのです。車でホテル周辺を何度回ったことか・・・・。
電話してようやく分かったことは、なんとホテルの名前が変わり、しかも私達の予約が入っていないとか・・・ええーっ!!

いつもホテルの予約は、ネットのアップルワールドで予約をしていたのですが、このような問題は始めてでした。私達は既に代金を払っており、バウチャーをホテルに提出するだけでいいはずなのに・・・

Cre_sigis1_2  結局、ホテル側が先ず契約した会社に連絡をし、そこで取引をすること、それができなかった場合はこちらのカードから費用を引き落とすとの事。そして、私達が契約した会社と交渉をし、費用を取り戻す、という段取り。ホテルは宿泊できたので、後は、ホテルと会社の交渉が上手くいくことを期待するのみ。その後、携帯電話に何の連絡もなかったので、上手くいったのかもしれません。

コレッジョを楽しもうとパルマに行ったものの、祝日と修復工事の為に全然見られなかったのが想定外の失敗。また小さい都市の美術館は開館時間が午後2時までという事や、8月15日が祝日だという文化的なことを知らなかった事も大きな失敗。

旅行の前半のラヴェンナまでは私が2度目という事もあり、楽にたくさん見られたのですが、ボローニャ以降のモデナ、パルマ、クレモナは美術館を観ることができず散々でした。私の計画が非常に良くなかったようで・・・ほんとに残念です。
(右の写真は、クレモナのサン・シジスモンド教会天井)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年9月28日 (金)

ゲーテを不愉快にさせた街フェラーラ② FERRARA che e dispiaciuto a Goethe

Ferufficio 1786年9月から始まったゲーテ(1749-1832)のイタリア旅行、彼は10月中旬頃ヴェネチアから船で二晩かけて、アドリア海からポー川を上ってこのフェラーラに到着した。船旅は満足したらしのだが、着いた早々、次のように書いている。(右の写真は、元エステ家の最初の邸宅、現在は市役所)

『10月16日夜、フェララにて。
ドイツ時間で朝の7時にここへ着いたが、明日はもう立つつもりで用意している。この大きくかつ美しく、地形が平坦で人口の減少してしまった都市に来て、初めて私は一種の不愉快さにおそわれた。かつて荘厳な宮廷が、この市街を飾っていたのだ。・・・』

この街の案内人が、ゲーテの望んでいるような案内(ルネッサンスの作家タッソーの足跡をたどりたかった)をしなかったことに腹をたて、さらに、この街にも幻滅を感じたようだった。

Feresteex フェラーラは、1208年から1598年まで文化・芸術を擁護したエステ家の支配下におかれていたが、のち1797年まで法王領となっていた。ゲーテが訪れたのは、この法王領の時で、本の解説によれば、時の市の人口は2,3千人、かつてエステ家の領地であった頃と比べると、人口は約4分の1に減少していたのだそうだ。

別の本によると、エステ家最盛期はなんと人口4万人に達していたらしいので、そう考えると10分の1以下ということになる。文芸の保護者を失った街は、生気を失っていく。ゲーテが訪れたときの街は、ゴーストタウンのようになっていたのかもしれまい。

Fereste1 しかも、エステ家の居城であったエステ城(Castello Estense 上の写真)は、旅行案内書にもあまり魅力ある建物とは書かれていない。確かにマントヴァのゴンザーガ家の宮殿であるドゥカーレ宮殿と比べるとははるかに及ばないけれど、私は、それなりにおもしろかった。

見るものは天井のフレスコ画と地下の牢獄、そして上の写真に見える塔の一番上に登れること(階段が大変だった・・・上からの写真はフェラーラ①を参照)など。(右の写真は、お城1階内部)

要塞のようにがっしりしたこの建物は、イタリアのお城にしては珍しくお堀に囲まれている。それは、エステ家が、ルネッサンス文化を大いに繁栄させた反面、妻や愛人を殺したり、甥を暗殺したりなどのむごい歴史も持つという負の面が、このように建造物を閉じたものにしたのかもしれない。

Fereste4_2 しかし、天井のフレスコ画は、とてもとても綺麗だった。あまりにも天井画が高いので、部屋の中ほどに長方形の大きな硝子が斜めに置かれていて、それを見ると、天井を見上げなくても楽に上のフレスコ画が見られるようになっている。

左の天井画は、撮りかたが悪くて分かりませんが、(ローマ時代のような)男の人たちがいろいろなゲームをしている様子が描かれていて、あまりにも立派で丁寧に描かれていたので思わず写真をとってしまった。けれど、どうしてこのような社交場の天井に、色は美しいけれど、エレガントさに欠ける場面を描いたのだろうか・・・私には理解できなかった。

Fereste5 この右写真も別の部屋の天井画、ピンク色などパステルカラーなども入っているので、優しい感じがする。このエステ城は、全体の部屋の4分の1ぐらいしか公開していないので、お城としては、物足りないかもしれない。それなのに、7ユーロもかかる。見学者が少ないから高いのかなあ。

ちょっと怖かったのは、地下の牢屋。
1階の通路上(つまり地面)に大きな木扉があり、そこから下への階段を降りるようになっている。このドアは廊下側、つまりドアの上から大きな鉄製の鍵がついているので(牢獄へ行くのに鍵は当たり前だけれど)、水平的でなく上下でドアを閉められてしまうとことになり、ドアの上に重しを置かれたりすると、絶対開けられない!そういうことを思うと、ぞっとした。

さらに、下には、土で囲まれた窓の無い牢獄が並んでいて、それぞれに重い木の扉、何重にもある大きな鉄の鍵など、閉所恐怖症の私には気持ち悪くなるほど怖かった。見学者が私達以外にいなかった事が、さらに恐怖を増幅させたのかもしれない。逃げるように小走りで、その場所を離れた。

Ferdiamanti 他に訪れたのは、外壁がダイオモンドのように見えるディアマンティ宮殿(Palazzo dei Diamanti)。これは、なんと1万2500百個の大理石をダイアモンドのようにカットしたもので、フェラーラのような平らな土地には大理石が無いことを考えると、全く豪華な建物といえる。

中は、国立絵画館(Pinacoteca Nazionale)になっていて、フェラーラのルネッサンス期の画家の絵を見ることができる。ところが恥ずかしいことに、フェラーラ派と呼ばれる絵の特徴が摑めず、さらに、適当な図録も無かったので、もう記憶に残っていない・・・残念。

Garofalo_and_dosso_dossi_polittico_ 買ってきた絵葉書を頼りに写真をアップすることにして、これは、ガロファロとドッソ・ドッチ合作の「コスタビリ多翼祭壇画」。いろんな意味で、もう一度見ないといけない、と改めて思う。

さて、見学した建物はこれだけだが、見るべき価値のあるものは、祝宴用の別宅スキファノイア宮殿だったようだ。保存はあまりよくないものの、各月に相当する神々の勝利の場面や、黄道12宮の寓意像などが描かれている壁画がすばらしいのだそうだ。実は、この建物も予定には入れていたのだけれど、大聖堂とエステ城、そして美術館とで疲れてしまい、パスしてしまった・・・残念。どうしてもフェラーラはもう一度行かなくてはならない。

さて、このフェラーラで言及しなければならないのが、中世の彩飾写本芸術の最高といわれる「ボルソ・デステの聖書」(Bibbia di Borso d'Este 1465完成)。

Bibbia_17_di_borso_deste

文芸保護者であった(派手好みでもあったらしい)ボルソ(在位1450-1471)は、当時貴族が好んで自分専用の豪華な聖書を持つことを欲していたように、彼も1455年、写字生ピエトロ・パオロ・マローネ、写本彩飾画家タッデーオ・クリヴェッリ、フランコ・ディ・ルッシと契約し、聖書の写本を作成させた。どうです、うそのように美しいでしょう?

実は私はこれを、2002年の6月ごろ、飯田橋近くの印刷博物館で開催された「ヴァチカン教皇庁図書館展」で見ている。もう本当に綺麗だった、他のどの聖書よりも!!硝子越しに、食い入るように見たのが忘れられない。この美術展は、印象に残るすばらしいものだった。

フェラーラに関する記事: フェラーラ大聖堂

その他のイタリアに関する記事は、こちらの一覧表から探してください。

| | コメント (6)

2007年3月21日 (水)

独自の文化を培ったシエナ(6) Siena est une ville qui cultivait une culture particulière (6)

シエナを話す上で、どうしても忘れてはならないのが、大聖堂付属美術館にある、ドゥッチョ・ブオニンセニャ(Duccio di Buoninsegna 1255-1318 彼の作品一覧はこちら)のマエスタ(Maesta 1308年注文を受け、3年後完成)(絵葉書より)です。

Duccio1_1 

この優しそうな聖母子を囲む厳かな感じの聖人達、どうしてこれが、大事なのでしょう?聖母子の絵だから?シエナ派の祖ドゥッチョの作品だから?ビザンチン風から脱却し、シエナ風に描かれた初期の絵だから?

いえいえ、それは、客観的な目から見た理由付けであって、シエナ人にとっては、この祭壇画は歴史的に見て、心の支えであり、彼らのプライドであり、守り神のような存在だったらしいのです。

13世紀の中頃は、シエナはフィレンツェを敵とする戦力はありませんでした。しかし、都市の運命をかけて戦わなければならなかった時のこと、統領に選ばれたブオーナグイダは裸足になり、シエナの城門の鍵を手にして、大聖堂に向かい、聖母マリアの加護を祈ったのだそうです。市庁舎の鐘は鳴り響き、市民もまた裸足になって聖堂の前に集まってきたのだそうです。

こうした市民の祈りが届いたのか、シエナは「モンタベルトの戦い」に奇跡的な勝利を収め、シエナが「聖母の加護を受けた都市」としての自覚に目覚めたというのです。その戦勝50年を記念する為、この祭壇画作製が依頼されたわけなのです。

実は、この絵の裏面には、26場面に渡って、次のように「キリストの受難」物語(絵葉書より)が描かれています。ほんとうはこの右側に、縦にもう3列の絵があります。

Maestaback

エルサレム入場(左下)から「ノリ・メ・タンゲレ」という言葉で有名な、マグダラのマリアの前に現れるキリストの場面(右上にあるのですが、この葉書には入っていません。)までが、金地に丁寧に描かれています。

Vitro1_1 大聖堂の丸窓のステンドグラスやファサードにあったピサーノ達の彫刻の本物は、この付属美術館にあります。

シルエットの人の大きさと比べてみると、丸窓の大きさとか、像の大きさがお分かりになると思います。 像の首が前かがみになっているのは、像が高いところにあり、人々を見守るように作られたからです。

Paysage3 この付属美術館からは、シエナ大聖堂をさらに大きくしようとした際作られた、高い壁の上を歩くことが出来るようになっていて、そこからは、雄大な美しいシエナの街を見渡すことができます。

それにしても、どうしてこんなにこの街は美しいのか、そして、どうしてカンポ広場は、「ヨーロッパで一番美しい広場」と言われているのでしょうか?

それは、当時から都市計画がなされていたからなのです。当時の都市の理想は、「美しいこと、堅固なこと、雄大なこと」だったそうです。シエナはそれに沿って、建物に様々な規制をしていました。

道路の幅の規制、建物の高さ制限、道路の掃除の義務化、狭い土地の建設禁止など、はやり街を美しくしようという理想が無いと、美しい街は出来ないのです。

Campo この理想を代表しているのが、カンポ広場なのです。人々が集まる広場を劇場のような趣を持たせ、周りを統一感ある建物で囲み、その舞台にあたる場所にプッブィコ宮殿を建てたのです。

世界にも稀な、貴族と市民とが一緒に作り上げたシエナ。私が訪れたとき、市民のプライドが感じられたのも当然なことだったのです。

私の一番の後悔は、シエナの国立絵画館の前を通りながら、入らなかったこと。シエナ派の絵はどれも同じに見えて、当時は興味がもてなかったのです。今度訪れることがあったら、ゆっくりと楽しみたいと思っております。(今回でシエナを終わることにします。)

参考:三輪福松著 「イタリア 美術・人・風土」

その他のシエナ ①プブリコ宮殿(執権の間と世界地図の間) ②プブリコ宮殿(九頭の間)  ③シエナ大聖堂  ④ピッコローミニ書架  ⑤洗礼堂  ⑥ドゥッチョとシエナ

その他のイタリアは、カテゴリーの「訪問した海外都市一覧」より選択してください。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年3月15日 (木)

独自の文化を培ったシエナ(4) Siena est une ville qui cultivait une culture particulière (4)

Duomo25では、もっと詳細へいきましょう。

ここで見ておきたいのは、ファサードを作成したジョヴァンニの父親ニコラ・ピサーノ(ピサ洗礼堂の説教壇を作製)が中心となり、ジョヴァンニ(ピサ大聖堂の説教壇作製)やそのほかの彫刻家とと共に作製した説教壇(記録1220-1284)です。

右の写真のように、全体的に見るとピサのよりかなり凝っているのが分かります。ピサのは、人物がローマ時代の彫刻のように超然としていて、落ち着きを持った優雅さがあり、表現も少し単純な印象を受けるのですが、こちらは、バロックを思わせるような、情緒的、感動的表現になっています。

Pisano2 左の「キリスト磔刑図」を見てみましょう。人々の様々な頭の向き、異なる悲しみの表現を通して、よりドラマティックに、迫力に満ちているのがわかります。

ピサーノ親子の作品群を見ると、彼らの獲得した美の表現は、古典芸術と人物表現の融合であるような気がします。ぜひとも近くで見ていただきたい作品です。

Coupolajpg_1 丸天井(1259-1264建設)を見てみましょう。これは、単純そうで、結構計算されて作られています(写真が曲がっていまてすみません)。先ず一番外側は6つの柱があり(その上には聖人の金色彫像が立っています)正六角形をしていますが、その内側は、変則12角形になっていて、42本の小さな柱が並び、その1つ1つの間に総大司教や預言者達の像が描かれています。あまり人の見えない場所にも手を抜いていないんですね。

Piccolomini3 さて今度は、暗い聖堂内にあって一番明るい場所、左側廊中程にある「ピッコローミニ書架」へ行きましょう。

綺麗でしょう!この部屋。後にピウス3世の名で法皇となった枢機卿フランチェスコ・ピッコローミニ・トデスキーニの命により、彼の母方の叔父の法皇ピウス2世の書架を保管する為に建設された図書館(1492年建設開始、3年後完成)です。

Piccolo6 展示されているのは、貴重な彩色聖歌集で、長方形の部屋を一周して、鮮やかな赤、青、緑などで描かれた1400年代イタリアの美しい飾り文字が見られます。(右の写真、ぼけていてすみません。)

部屋の周りの壁は、ベルナルディーノ・ディ・ベット 通称ピントゥリッキオ(1454-1513)によって、ピウス2世の生涯が絢爛豪華に描かれています。

Piccolomini2 ピウス2世は、シエナ大司教になった後、1458-1464にかけて法皇に選出された、人文主義者、外交官、教皇という卓越した人物だったようです。

上の写真右側の絵は、エネア・シルヴィオ・ピッコローミニ(後のピウス2世)が法皇カッリスト3世より枢機卿帽を受け取る場面。

左の写真の右側は、ピウス2世が聖カテリーナ・ダ・シエナを聖人として公布する場面です。

Piccolo9 この部屋の天井もほんとに綺麗です。これは(右)、2001年に撮った写真でして、ちょっと色合いが違って見えますが、鮮やかなのはお分かりになって頂けると思います。

この部屋に入る手前にピッコローミニ家の大理石でできた大きな祭壇(1481年建立)があります。いくつかの彫刻のうち、周りに有る大きい彫刻4体が若きミケランジェロの作品なのだそうです。残念ながら、私はその時、知りませんでした。

フランスのゴシック建築様式で建設された教会内部の装飾は、彫刻とステンドグラスが主流ですが、イタリアの場合は、フレスコ画なんですね。さらに、フランスの場合は、塔や教会の身廊の高さなどが1つのステイタスのようだったけれど、イタリアでは外観よりも内部装飾、そのうちの色彩が重要なポイントだったのだと感じました。そしてそれが、私のイタリアへの興味をそそられる要因の一つだと、今回自覚した次第です。

その他のシエナ ①プブリコ宮殿(執権の間と世界地図の間) ②プブリコ宮殿(九頭の間) ③シエナ大聖堂  ⑤洗礼堂  ⑥ドゥッチョとシエナ

その他のイタリアは、カテゴリーの「訪問した海外都市一覧」より選択してください。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年3月14日 (水)

独自の文化を培ったシエナ(3) Siena est une ville qui cultivait une culture particulière (3)

次は、シエナの一番高い場所に堂々と建っている有名なドゥオーモへ。(下:絵葉書より)。レンガ色の町に唯一白と黒(暗緑色のプラート産大理石)の縞模様の塔や、白い巨大なクーポラを持っているドゥオーモはシエナの象徴のような気がします。

Duomo5

目立つのは、そのファサード。誰でもあまりのカラフルな装飾に驚いてしまうでしょう。フランスだと、先ず見られない色合いで、神聖なはずの教会がこんなに派手でいいのかしら・・・とも思ってしまいそう。(次の写真、上半分だけで、すみません。手前に主人がドンといまして、カットせざるを得ませんでした・・・)

Duomoext

見ての通り、入り口の上は半円形なのに、その上は三角形、尖塔、彫像が目立ち、装飾のオンパレード状態です。まるで、象牙とかカメオに繊細な彫り物をしたよう。

そう、この教会、始まりは1136年、ロマネスク建築がまだ盛んだった頃で、壁などはその頃から作られたそうです。1282年、ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサの大聖堂の説教壇を作成した彫刻家)がファサードの建設に取り掛かり、彼の優雅な彫刻が施された入り口付近(下半分)ができあがりました(1284-86)。ところがその後引き継いだジョヴァンニ・ディ・チェコは、尖塔や小開廊をふんだんに組み入れた後期ゴシックの絢爛なファサード(上半分)を完成させた(1376)のです。

100年かかって、見事に美しく縦に2つの時代の様式が調和したファサードが出来上がったのですが、これは、フランスのシャルトルが、その異なる様式で建設された塔がさわやかなハーモニーを奏で、私達を魅了しているのと同じだと思います。

壁も白い大理石の間に暗緑色の大理石が横にアクセント模様のように入っていて、フランスの教会の石がかもし出す壮麗さとは全然異なる贅沢さが感じられます。

さて内部(9月、雨の日の写真)は、これも驚異に値するのではないでしょうか。

Duomo1

Duomo4 なんという凝っている内部でしょう!白と暗緑色の縞模様の立派な柱の数々。白と黒に見えるので、全くシエナ一色です。2色模様で出来ているドゥオーモといえば、アマルフィの大聖堂を思い出してしまいますが、内部の装飾の豊かさを考えると、このシエナの方が比較出来ないほどすばらしいです。

もっと驚くのが教会の床一面に広がっている色大理石でできたモザイク画です。同じく床のモザイク画で有名なのは、マルタのヴァレッタにあるヨハネ大聖堂。そこにある400枚もの見事な画は、すべて貴族達の墓標でした。

ところが、このシエナの床は、下のような聖書の1場面(下左:「嬰児虐殺」 *1))や、道徳的な徳(Virtu)、そして面白いことにギリシャ・ローマの巫女達(下右:*1)などが作成されているのです。幾何学模様が多いマルタのモザイク画に比べ、より優雅に感じられます。

Floor1 Floor2_1

とてもモザイク画とは思えないでしょう?これらは、一斉に作られたのではなく、1372年ごろから400年以上かけて徐々に出来上がっていったものだそうで、シエナの人達の技術と思いがずーと繋がっていたことを証明するものです。

なぜ、こんなにも内部装飾にこだわったか・・・それは、シエナが全盛時、この教会をもっと大きくしよう野心を抱き、建設し始めた(この名残りに登ることができます。)のですが、すぐにペストの流行や政権交代などで国が弱体化し続行不可能となったのです。その時の熱意が教会内部の過剰装飾へのエネルギーになったと言われています。

このすばらしい聖堂、多くの人に見ていただきたいです。

その他のシエナ ①プブリコ宮殿(執権の間と世界地図の間) ②プブリコ宮殿(九頭の間) ④ピッコローミニ書架  ⑤洗礼堂  ⑥ドゥッチョとシエナ

その他のイタリアは、カテゴリーの「訪問した海外都市一覧」より選択してください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 8日 (木)

独自の文化を培ったシエナ(2) Siena est une ville qui cultivait une culture particulière (2)

次の間は、う~ん、と考えさせられる部屋。ぐるっと見渡すと、なるほど、なるほど!と誰もが感心してしまう、プブリコ宮殿で一番有名なフレスコ画があるのです。

Bad1 先ず、入り口を入ると、正面の壁に左のフレスコ画(絵葉書より)が目に入ります。

角を生やしたサタンが真ん中に鎮座していて、その手前には、気持ち悪い怖そうな生き物がうじゃうじゃいます。

その左のほうには、もう薄れてよく見えないのですが、街は壊れ、人々が争ったり、襲ったりしている場面が広がっており、死体も見えます。

ふと、右の壁(左下:絵葉書より)を見ると、堂々とした老人を中心に、色鮮やかな服装をした人たちが、優雅に集っている場面が広がっています。

中央の人が着ている白と黒っぽい色の組み合わせは、シエナの旗「バルザーナ(2色模様)」を指し、市の紋章の色でもあります。つまり、この威厳ある人は、この国の王なのです。

王の左側には、正義、節制、寛大(ここでは、一人入っていませんが)の徳(virtu)を、右側には、賢明(女性の上に、PRUDENTE と読める文字有り)、剛毅、平和(頬に手をあて、斜めになっている女性、上にPAX と書いている)の徳(virtu)が、まこと淑やかに並んでいます。

Good1_1

向こうで買ってきた英語の本を訳しながら書いていきますと、(この絵葉書には載っていませんが)、王の右側少し離れて、正面を向いて堂々と座っている女性が、”正義の女神(GIUSTIZIA-Justice)”でして、天秤と共に描かれています。

王を支えているのは、彼の上を飛んでいる天使で”神学の3つの徳”、そして正義の女神を支えているのは、彼女の上に描かれている”叡智SAPIENZA-Wisdom”なのだそうです。

王と正義がほぼ同じ高さに描かれているのは、、政治と裁判はそれぞれ独立して働くべき、かつ、ほぼ同等の力を持つことを意味しているのだそうで、シエナの方針でもあったそうです。

ここは、「九頭の間 Sala dei Nove」、もしくは「九人執政官の間」といわれ、この国が有資格者から公平に選ばれた9人のメンバーで構成されていた九頭政治時代に評議会が行われていた部屋。「政治とは、どうあるべきか」を常に考えさせられるように、壁一面に「良い政府」と「悪い政府」の効果の寓意画(アレゴリー)が描かれているのです

Good3

「悪い政府の影響」が描かれている壁の反対側は、この「良い政府の効果」(上:絵葉書より)でして、人々の生活が克明に描かれています。ダンスをしている女性達、商売をしている人々、羊を連れている人や荷物を運んでいる人、この絵葉書には出ていませんが、テーブルでチェスのようなゲームに興じている人々、安全を守る警官のような人などが見えます。なんと生き生きしている人たちなのでしょう!

Good2_1 次のは城外の様子(絵葉書より)で、ぶどう畑、田畑が綺麗に開墾され、小作農の家、城が長閑に見え、人々はせっせと仕事に励んでいます。政治が安定していて、 人々の安全が保障されているので、路の通行も自然にでき、人々は自分の人生を謳歌できる様子が、克明に描かれています。

これらは、抽象的な物語ではなく、14世紀のシエナの光景そのものを描いているのだそうで、良い政府がもたらす、調和のとれた世界、人々の幸福な状態が現れています。

画家の名は、アンブロージョ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti 1285-1384 彼の作品はこちら。ウフィッツィ美術館にもいくつかあります。)。

その説明書によりますと、この公平な政治が行われていた九頭政治は1287年から1355年まで続き、その間の経済的、芸術的発展は世界でも珍しいほどだったのだそうです。

1337年、この9人は、シモーネ・マルティーニがアヴィニヨンへ去った後、当時残っていたシエナ派で卓越といわれていたロレンツェッティを呼び、このシエナの目標である”良い政治の精神”を描くよう依頼します。彼らの客人がこの部屋を訪れたとき、すぐに彼らの理想が理解できるようにしたかったのだそうです。

ああ、なんとフィレンッツェとは全く異なった道を歩んだのでしょう!!シエナ人の誇りがよくわかります。このような絵を、世界中の政治家に見てもらいたいです。昔も今も、人々が求めるものは同じなんですものね。

シエナよ!永遠なれ!

参考: The Palazzo Pubblico and the Civic Museum of Siena : Betti Editrice

その他のシエナ ①プブリコ宮殿(執権の間と世界地図の間) ③シエナ大聖堂  ④ピッコローミニ書架  ⑤洗礼堂  ⑥ドゥッチョとシエナ

その他のイタリアは、カテゴリーの「訪問した海外都市一覧」より選択してください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年3月 4日 (日)

独自の文化を培ったシエナ(1) Siena est une ville qui cultivait une culture particulière

部屋の中が乱れていると、こんなにも頭が散漫になるのかと、非常に驚いています。部屋も片付かず、授業の予習にも集中できず、焦っていました。ブログの更新なんて、とてもとても・・・でも、あともう少しで、元の生活に戻れそうです。

展覧会の感想も書きたいし、フランスのことも書きたい。でも、シエナのことも書きたい・・・う~ん、ピサ→サンジミニャーノときたので、自分の為にもシエナをまとめた後で、ほかの事をしよう!と決めました。

Siena1_1 シエナは素敵な街です。イタリアの小さな町は、どこも中世をそのまま残していて味わい深いのですが、ここは他より”プライドが高い”ように感じられました。

それも、隣街(といってもいくつかの丘陵を越えますが)の大都市フィレンツェに対抗しつづけ、皇帝党(ギベリニ)の立場を取ったり、ビザンチンを継承したりして、敢えて独自の文化を形成していったからなのでしょう。フィレンツェ近くにありながら、また違った色彩豊かで豪華なduomoや洗礼堂が私達を楽しませてくれのは、うれしいことです。

先ずは、私の大好きなプブリコ宮殿から。本来ならば、ドゥオモから説明すべきなのでしょうけれど、ここは、予期せぬ素晴らしい部屋を見ることができ、あまりにも感激してしまったもので・・・

右上の写真(絵葉書から)手前の広場が”ヨーロッパで一番美しい広場”といわれているカンポ広場。塔を中心にスロープのように軽く傾斜していて、貝のような形をしています。ここで、かの有名な競馬「パリオ」(解説はこちら)が行われるのですが、当日は内側は人で溢れ、周りの建物は、それを見るために窓が有るといった感じです。

Balia1 さて、その塔の下に現在市庁舎になっているプブリコ宮殿があります。細い階段を登っていき、矢印に従って部屋に入ると、工事現場のような部屋に入りました。壁画の修復工事をしているのです。

シエナには2001年と2005年に行ったのですが、2度とも同じ状態でした。今はどうでしょうか?足組みの向こうには、天井まで部屋一面の素晴らしいフレスコ画!!それが左の写真(*2)です。

ここは「執権(バーリア)の間」といって、昔はここで執権の役人達が集会を開いた場所だそうで、1407年シエナの画家マルティーノ・ディ・バルトロメが描いた、ヴェネチアと帝国の海戦(入り口の上部に船が沢山見えます。圧巻です。)や福音史家、皇帝、徳などを見ることができます。

普通のフレスコ画では見られない、黒が印象的な部屋です。

Chapel2_1 この部屋を通り抜けた次の部屋を左に曲がると、ウワー!す、すごい!と誰でもが感激してしまう絢爛豪華な礼拝堂(右:*1)に引き込まれます。

数々の福音史家、教会博士、預言者と共に、処女マリアの生涯などのフラスコ画が処狭しと描かれています。

脇にある木製のなんと素晴らしい聖職者祈祷席!背もたれのパネルには、信条の条項が象眼細工で図象化されて、丁寧な木細工技術が見事。

さて、アーチ状の壁を隔てて次の間が、有名な「世界地図の間」。といっても、今はその地図は無いのですが・・・。

Sal1_1 

ご覧の通り(上:*1)、天井は木製、壁の上部は、「キャナ渓谷の戦い」とか「皇帝丘陵の戦い」などの戦争場面で覆われていますが、広い細長い部屋の両側は、シモーネ・マルティーニ(Simone Martini 1283-1344 彼の作品はこちら)の大きな2つの代表作がこの部屋の荘厳さを強調しています。

Maestasimone_martini 正面は優美なマルティーニの「マエスタ」(右:*1)。サンジミニャーノでメンミが真似たのは、このフレスコ画。後ほど説明するドゥオモ美術館にある、ビザンチンの面影を残すドゥッチョ(Duccio di Buoninsegna)の「マエスタ」と共に、有名です。

聖人の一人一人が変化に富んでいて、服装も豪華で洗練された美しさがあり、雰囲気がとても柔らかです。

Guido3 その反対方向には、シエナにとって大事なフレスコ画「騎馬のグイード・リッチョ・ダ・フォリアーノ」(1329年)(絵葉書)が、堂々と描かれています。

これは、シエナ共和国に対する反乱を抑えた後の話で、豪奢な盛装に身を包み、征服した城に向かって堂々と勝利の行進をしている指揮官の姿は、シエナの誇りそのものではないでしょうか。

そして、次の間が非常に興味深いのですが、それは、次回に、ということにしましょう。

  • *1 シエナ:ロセッラ・ヴァンタッジ plusigraf より
  • *2 Siena-History and Masterpieces BONECHI より

その他のシエナ ②プブリコ宮殿(九頭の間) ③シエナ大聖堂  ④ピッコローミニ書架  ⑤洗礼堂  ⑥ドゥッチョとシエナ

その他のイタリアは、カテゴリーの「訪問した海外都市一覧」より選択してください。

| | コメント (11) | トラックバック (0)