1月22日の早朝、ピエール神父が肺炎のため亡くなった。94歳。テレビ、新聞で大きく取り上げられており、シラク大統領が国葬に決定し、26日の午前11時からパリのノートル・ダムで葬儀が行われた。
franc2で生中継をしていたので、最後のほうを少しだけ見たのだが、あの広い教会が人で埋まり、教会前の広場には液晶の大画面が設置され、中に入れない人も中の様子が見られるようになっていた。実に荘厳だった。
少し普通と異なるのは、シラク大統領を初め、ド・ヴィルパン首相、サルコジ内相、その他の閣僚、有名俳優やいろんな組合の人々そして大勢の一般人と共に、一見してSDF(Sans Domicil Fixe ホームレスの人のこと)と思われる人も多く参加していたことだ。これは、ピエール神父の望む事だっただろう。
ピエール神父は、パリの本屋に行くと必ずこの人の写真が表紙になっている本を目にすることが出来る。ほとんど全フランス国民に愛され尊敬された人だと言えるだろう。
という私も、パリに居た時初めて知った。通っていた学校の近くには宗教関係の小物や本を売る店が多くあり、帰り道によくぶらぶらと覗いていた。どの店に行っても「Abbé Pierre」(ピエール神父)と書かれた表紙の本が、何種類も店頭に並んでいたので、店の人に尋ねてみた。
「この人は誰ですか?」「この方はとても立派な方で、弱い人の為にずーっと戦ってくれている人なの。フランス人ならみんな知っているわよ」
この人の詳細を、http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbé_Pierre で読み、驚いた。彼は、まさしく「戦いの人生」を歩んだ人だった。テレビでも Sa vie est il combat. (彼の人生は戦いだ)とアナウンサーが言っていた。
本名アンリ・グルエス(Henri Groués)は、1912年8月5日、リヨン(繊維、織物の街として有名)で元絹の商売をしていた裕福で敬虔なブルジョアの家庭に生まれたが、16歳ですでに神の道に入ろうと決心している。
19歳(1931年)、カプチン会(フランシスコ会の)で請願を立て、彼の所有財産すべてを慈善団体に寄付した。その時、ピエールという名が与えられ、その名前がずーっと使われることになる。26歳(1938年)で司祭。
彼の逸話として、”第二次大戦時代に2人のユダヤ人を匿い、スイスへ逃がした”、という話があるが、これは、確証がないとこのwikipédiaには書かれている。しかし、ド・ゴール夫妻をスイスに逃がし、抗独レジスタンス組織maquisの創設にも参加している。ドイツ軍に捕まり、釈放され、スペインを通ってアルジェリアへ行き、レジスタンス運動に加わる。途中、従軍司祭にもなっている。
終戦後、彼はド・ゴール派からの勧めにより、MRP(人民共和派1944から65の政党)の国会議員(1946-51)にもなるが、政界の立場や政党社会を非難し、議員を辞職する。その後、アルベール・カミュやアンドレ・ジイドと共に急激な国際的エゴイズムの台頭に反対し、アメリカ大使館前で自分のパスポートを破り捨てた。(おお、なんと激しい行動!)
これからの彼の活動が目覚しい。1949年(37歳)の時、恵まれない人々、特に家の路上生活者を助ける、非宗教団体エマウス(Emmaüs 1971年国際化)を創設する。仕事は、廃品回収、それを修理し販売し、弱者の為に家を建てることでして、路上生活者自身が行うだけでなく、ボランティアも参加できるようになっている。(こちらに日本語でその案内が書かれてます。)
ピエール神父が有名になったのは、特に寒い冬の日1954年2月1日のラジオ・リュクサンブルグ(後RTL)で放送されたメッセージからだった。
《Mes amis, au secours... Une femme vient de mourir gelée, cette nuit à trois heures, sur le trottoir du boulevard Sébastopol, serrant sur elle le papier par lequel, avant hier, on l'avait expulsée... Chaque nuit, ils sont plus de deux mille recroquevillés sous le gel, sans toit, sans pain, plus d'un presque nu. Devant l'horreur, les cités d'urgence, ce n'est même plus assez urgent ! 》
「友よ、助けを求む。この深夜3時、セバストポール大通りの歩道で一人の女性が亡くなった、前日アパートから強勢退去させられた彼女は、手に退去通知の紙を握り締めていた・・・。毎晩、2000人以上の人が屋根も無くパンも無くほとんど裸同然で冷たい道路の上で丸まっている。こういう痛ましさを前にして、街は非常に緊急を要する。」
《La météo annonce un mois de gelées terribles. Tant que dure l'hiver, que ces centres subsistent, devant leurs frères mourant de misère, une seule opinion doit exister entre hommes : la volonté de rendre impossible que cela dure. Je vous prie, aimons-nous assez tout de suite pour faire cela. Que tant de douleur nous ait rendu cette chose merveilleuse : l'âme commune de la France. Merci ! Chacun de nous peut venir en aide aux « sans abri ». Il nous faut pour ce soir, et au plus tard pour demain : cinq mille couvertures, trois cents grandes tentes américaines, deux cents poêles catalytiques......Grâce à vous, aucun homme, aucun gosse ne couchera ce soir sur l'asphalte ou sur les quais de Paris. Merci ! 》
「天気予報では、ひどい寒さの一ヶ月だと言っている。厳しい冬、貧困のために死にそうな兄弟達を前に、たった一つだけ我々の間に存在している意見があるはずだ。それは、不可能と思える堅固な善意だ(?)。お願いです。それをすぐに実行して頂きたい。多くの痛みが私達に奇跡を起こさせますように。フランスの共通精神よ、ありがとう!我々の誰でもが、住宅の無い人を助けることができるのです。今晩、明日でもいいです。5000の毛布、300の大きなテント、200のコンロ(ストーブ?)をお願いします。・・・(以下集合場所などが説明される) あなた方のおかげで、今晩どの大人も、どんな子供もパリの川岸やアスファルトの上で寝ることが無いでしょう。ありがとう」
翌日、報道では「善意の蜂起(l'insurrection de la bonté)」とタイトルを付けた。なんとこの呼びかけによって、多くのボランティアや様々な物質以外に、50億フラン(内、200万フランはチャーリー・チャプリンから)という当時にしては途方も無い金額が集まったのだ。社会現象を起こしたといってもいい。
その後の神父の働きかけにより、政府が緊急に12000個の簡易住宅を建設したり、冬のある一定期間は、アパートの所有者は借家人を追い出すこと禁止の法律まで出来ている。
右の写真は、1954年2月3日、多くのボランティアが集まっているところ。
その後の彼は、家の無い人や弱者を助け続けるだけでなく、カトリック教徒の教義にまで反対(聖職者も結婚可能にすべきだ、とか、エイズの爆発防止にコンドームは必要だと主張)したり、常に身近な人間の立場に立った考え方で、体を張って意欲的に戦ってきた。
エマウスは今や世界40数カ国、500の組織が存在している。
印象的な彼の言葉も少しここに書いてみる。
« Sur ma tombe, à la place de fleurs et de couronnes, apportez-moi les listes de milliers de familles, de milliers de petits enfants auxquels vous aurez pu donner les clés d’un vrai logement. » (私もお墓の前には、花束や花輪のかわりに、あなたが本当の家の鍵を与えることができるであろう幾千の家族や子供達の名前のリストを持ってきてください。)
« Les hommes politiques ne connaissent la misère que par les statistiques. On ne pleure pas devant les chiffres. » (政治家は統計でしか貧困を知らない。人は数値を前にして泣く事は無い。)
« L’enfer, c’est les autres, écrivait Sartre. Je suis intimement convaincu du contraire. L’enfer, c’est soi-même coupé des autres.» (”地獄、それは他人だ”とサルトルは書いた。私は、心の底からその逆を確信している。地獄、それは他人から切り離されたその人自身だ)
左の漫画は、フランスの新聞に掲載されていたもの。いろんな箇所を探していて、ピエール神父の漫画ばかりを集めたページを見つけ保存したのだが、その元のページを失念した。
内容は、「おいで、こちらでは快適に住めるよ」と神が言うと、天に昇ろうとしているピエール神父は、「むしろ、下の世界の人々に家々をお与えください。」 まさしくピエール神父の言いそうな言葉。
このようなのもあった。
シラク大統領、サルコジ内相、ロワイヤル女史などによって運ばれている中で、ピエール神父が「自分がこんなに重いとは思わなかった・・・」と言っている。当然、この”重い”という言葉は2重の意味を持っている。
ピエール神父、ありがとう!貴方の活動を知り、信念と共に行動することの大切さを知りました。私も何が出来るか考えてみます。
ここでお断りですが、すべてCojicoが訳したので意訳・誤訳があるかと思いますが、大体の意味を感じ取っていただければあり難いです。写真はすべてクリックで大きくなります。
ピエール神父の葬儀時の写真(14枚)はこちら 、 活動している写真(10枚)はこちら で見られます。
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