カテゴリー「アジア Asie」の4件の記事

2006年8月27日 (日)

フエ郊外 カイディン帝廟

フエは、Kaidinzentai 17世紀末から貿易の中心だった。

権力者グエンがここを都として、1802年、フランスの力を借り、グエン朝を建国。従って、1945年までに君臨した13人の歴代皇帝の内何人かの廟が、フエ郊外に存在する。その中でも、特に立派な2つの廟を訪問した。

その1つがこの写真、フランス植民地時代の1920年から12年かけて建設されたという12代皇帝カイディン帝廟である。

王国は既に力を失い終わりかかっているというのに、フランスに長く滞在し、統治能力も無いこの皇帝は、自分の廟を作る為に、地価税を30%に上げ、贅沢な中国と西洋の折衷様式の廟を建設した。

Kaidinkaidan   Kaidingate

一番下の階段は、龍、しかし、見上げるとフランスを思い起こさせるゲートが見えている。ほんとに不思議な取り合わせ。この廟の歴史は浅いのに、世界遺産に指定されたのは、こういう珍しさからなのだろう。

Kaidinplaces   Kaidin1

2段階に分かれている大きな階段を登ると、左の写真のように、両側にヴェトナム様式の家臣像達が出迎えてくれる。そこから上を見上げると、また、別世界フランス式の装飾を持った建物を目にすることになる。まったく面白い組み合わせ。

Kaidinimperi_1 歴代の皇帝は、中国式の庭園を作成しているが、この皇帝は庭園は造らず、あくまで建物の中身に凝ることに集中している。

内部の壁は、全面モザイクで装飾されているのだが、その材料が面白い。中国陶器や日本の陶器を割ったもの、その中に日本の戦前のビール会社「大日本酒造」と書かれた”ビールビンのかけら”まであった。

このカイディン帝という人は、フランスが大好きな一方、女性が嫌いで、生涯結婚しなかったそうだ。通常は子供が親の足跡を墓標に刻むのだが、彼は子供がいなかった為、??・・・・(どうしたんだっけ?どうやって墓標を作ったのかな?暑くてボーっとしていて、ガイドのこの後の説明を聞いていなかった・・・記憶の良い主人に聞いたら、”僕も聞いていなかったよ”ですって。ガイドの青年、私達に一生懸命説明してくれたのに・・・申し訳ない・・・)。

この廟の建設中に、ホー・チ・ミンはフランス共産党に入党している。国内情勢は不安定だったにもかかわらず、よくこんな立派な廟を作成したと感心する。

その他のヴェトナム記事 : ミーソン遺跡 、 中国人の町ホイアン 

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2006年8月23日 (水)

中国人の町ホイアン Hoian : une ville des Chinois 

Hoianmachi2       Hoianyane3

ヴェトナム中部の町ホイアンは、貿易で栄えた町、古くはシルクロードの拠点、大航海時代には、日本人町、中国人町、さらにはポルトガルやオランダの商人や宣教師達も住んでいたという国際都市だった。

Hoianhashi 1600年には、1000人程の日本人も住み、今ではホイアンのシンボルとなっている日本橋を作っている。この屋根付き橋は、日本人町と中国人町の境に作られ、中は、お寺になっている。

現在の街並みは、日本が鎖国政策を取った為少なくなっていった日本人とは対照的に、1700年後半から中国人によって建設されたのも。

建物は日本の京都の町家のように細長く、中庭を持っている。さらに、2階の部屋には、中央に2畳ほどの空いていて階下が見えるようになっている。これは、洪水のとき、下の家具を2階に持ち上げる為の空間なのだそうだ。

Hoianie      Hoianyane2

1999年には、洪水で人の高さほどの水に町が埋まったそうだ。その同じ年に、世界文化遺産に指定された。

話は飛ぶが、あまりの暑さに、2日目で首が変な風に赤くなり、”あせも”ができてしまった。肩は日焼け止めをつけていなかったために、真っ赤に焼けて痛いし、散々。夕方になり、ホテルに戻って、プールに入る。

Hoianresort プールは、白人の天下。夕方になっても、ぬるま湯のよう。プールに入ったまま、本を読んでいる人もいる。プールに入っている人とプールサイドに寝転んでいる人とが楽しそうにいつまでも会話している。そんな中、東洋人も同様に楽しむ権利があるんだよ、とばかり、しっかり泳いできた。

その他のヴェトナム記事 : ミーソン遺跡 、 フエ郊外 カイデン帝廟

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2006年8月22日 (火)

ミーソン遺跡 Un vestige: Myson 

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ヴェトナムの歴史は、戦争の連続。聖地といわれるこのミーソン遺跡群も例外ではないを知った。

古都ホイアンから50キロ、密林の中、草木に埋もれていたこの地域を、フランス統治下の1898年フランス人が発見する。フランス極東学院はこのチャム王国の聖地を発掘調査し、多くの貴重品を発見し、また破壊された寺院や堂塔を数回復元、修復した。

この時点では、70棟もの建築物があったそうだ。ところがその後、ベトナム戦争でアメリカ軍の激しい攻撃により、多数の遺産物が完全に破壊され、ベトナムが統一された1975年には現存している20棟しか残らなかったし、地面の下には地雷や爆弾が多数残されていたそうだ。

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4世紀から14世紀に渡って、多数の朝廷を経て、聖地で有り続けたこのミーソン。王位を継承すると新しく寺院を建立するのが通例となったため、この地には現在AからFまでの遺跡群が存在するが、BとC地域にしかその面影は残っていない。

時代によって建築様式が異なり、模様や彫刻も変わっているらしい。基本的にはレンガと砂岩で建てられているのだが、この堅固な組み立て方は、今もって解明されていないらしい。

この地には、王と神官(?)しか入れず、国の繁栄と豊作を祈る場所だったらしい。儀式の舞踊する場所や供物を掲げる場所も存在する。

Rimg1009b

1999年にUNESCOにより世界文化遺産に指定された。この美しい彫刻をはじめ、塔の形にしても、多くのレリーフもやはり隣の国、カンボジアのアンコールワット遺跡群より古い時代のロリュオス遺跡群に近いものを持っているように思う。

ここに参考までにロリュオス遺跡群のひとつロレイ(8世紀末)の写真を掲載しておく。

Anchorlolei

ここも確かレンガでできていた。塔の形が似ているだけでなく、リンガとシヴァを崇拝していたり、王が変わると新しい寺院を建てるという風習も同じ。大陸として繋がっているのだから、当然だとは思いますが・・・

その他のヴェトナム記事 : 中国人の町ホイアン 、 フエ郊外 カイデン帝廟

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2006年8月20日 (日)

ヴェトナム旅行 Un voyage au Viêt-nam

Rimg0976_1 

初めてのヴェトナム旅行をしてきました。はやり湿度80%の亜熱帯気候はきびしい。暑くて暑くて肌は常にべとべと、服はびしょびしょ。東南アジアへの旅行は冬の方がいいですね。

でも、ミーソン遺跡、ホイアンやフエの街並み、ハロン湾などの世界遺産もちゃんと見学し、満足です。日程は次の通り。

1日目 成田→(フライト5時間30分)→ハノイ(待ち時間2時間、入国検査、国内線チェックイン)→(フライト1時間15分)→ダナン→(車50分)→ホイアン(泊)

Rimg0999 2日目 午前:ミーソン遺跡(ホイアンから50キロ。車1時間、道路事情あまり良くない) チャンパ王国の聖地、元密林の中に存在。入り口からジープに乗って奥へ。

     午後:世界遺産の町ホイアン散策、安土桃山時代には既に日本人が1000人も住んでいたとか。タンキー(中国人商人)の家、福建会館、海のシルクロード博物館など。夕方から、ホテルのプールで泳ぐ。

3日目 車でハイヴァントンネル(日本が建設)を経て145キロ先のフエへ。カイデン帝廟、トードゥック帝廟、グエン朝王宮、ティエンム一寺、フォン川クルージング、宮廷料理の夕食

4日目 飛行機でハノイへ(1時間強)、文廟→民俗学博物館→ホーチミン廟(外から)→一柱寺→ホアロー収容所→歴史博物館、 夜は水上人形鑑賞。

5日目 ハロン湾へ(片道3時間半)、船の中で昼食を取りながら、ハロンの景色を楽しむ。鍾乳洞見学。

     夜中23:50ハノイ発→(フライト4時間40分)→6:40成田着

1枚目の写真は、ホイアンのVICTORIA HOI AN RESORTホテル。プライヴェートビーチを持ち、コテージが立ち並んでいる、美しいリゾートホテルです。フランス人、スペイン人がたくさん泊まっていました。

2枚目はミーソン遺跡の1つ。詳しくは、また、次回に。    

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