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2012年10月の4件の記事

2012年10月28日 (日)

ポーランド:マウォポルスカ地方の木造教会群①

Kracmaria2この夏(2012年)は、アエロフロートでモスクワ経由、ポーランドのワルシャワ3泊とクラコフ3泊の8日間を旅をしてきました。主人と二人だけの旅とあって、ドキドキすること(クラコフへの列車の車両がわからず(車両番号がばらばらな上に、列車の進行方向を間違えてしまった為)、プラットホームで焦る!など)もありましたが、まあ、なんのトラブルもなく帰国することができました。

(右は、クラコフのメイン、聖マリア教会。内部は、次の写真のように、信じられないくらい豪華!奥に小さく見える木造彫刻の祭壇(近くによると、とても大きい)は、国宝。)

興味深い訪問箇所はたくさんあり、それぞれに思い入れはあるのですが、その中でもなんといっても一番は、クラコフでレンタカーを借り、その車でヴィエリチカ岩塩坑やアウシュヴィッツへ行き、次の日には、朝早く出て、南東へ3時間ほど行ったところにある、小さな木造の教会を回り、さらにカルヴァリア・ゼブジドフスカへ訪れたことです。

(ここで、聖マリア教会の写真をアップしたのは、次の素朴な木造教会との違いを強調したい為なのですが・・・余計なことかな?でもいつか、この教会についても書いてみたい。)

Kracmaria1
クラコフから南東部に広がる山岳地帯は、小ポーランド(マウォポルスカ)地方と呼ばれ、木造の築100年以上の木造教会が232も点在しているのだそうです。そのうちカトリックと東方正教の木造教会は162(内39件が東方正教に属する)あり、価値の高い6つのカトリック教会が2003年世界遺産に登録されているのだそうです。

Map1_0001
(この地図は、左上の方向にクラコフがあります。右端真ん中より少し下に世界遺産の教会Binarowej、さらに下(南)にSekowejが見えます。クリックすると拡大します。)

レンタカーは、マニュアルでカーナビは無し。その地方の詳細地図を苦労してみつけ、主人の運転に私が横で地図を見ながら、”次の交差点で右!、次、左!”などと指示しながら、まあ、どうにか世界遺産の3つの教会を含む合計6個を見て回ることができました。クラコフで、さらにもう1日あれば、残り3個の世界遺産の教会も回れたのに・・・残念ながら主人の仕事の関係で、これ以上休みは取れません。

まずは、これらの世界遺産の教会へ行く途中にあった教会から。クラコフから東に3時間弱。メインの車専用道路から外れ、なだらかな山道を通っていた時、主人が、「あそこに立派な教会が見えるよ。止まってみる?」「うん!」と車を降りたところ、その教会から少し離れた芝生の上に、なんとかわいい木造の教会が見えたのです!「うわーっ!かわいい!」

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これは、Siemiechowという村の教会。近くには、近代的な大きな教会が建てられていて、この木造教会は、閉ざされたままでした。

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そうかそうか、こうやって教会を見つけていくのね、とその時、この地域の木造教会を見つけるコツがわかったような気がしました。新しい土地というのは、こういう経験を経て慣れていき、もう大丈夫と思った頃、旅は終わるものなのですよね。右の写真は、この教会の後ろ側でみつけたガーゴイル。

二つ目は、Gromnikという村の教会でした。塔の先端の玉ねぎ型が、ちょっとロシア風。この村も、同じ敷地内に、モダンな立派な教会が建てられていました。

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3つ目は、Roznowiceという村。世界遺産ということで予算が入ったのか、最近修復したような新しい木肌の教会でしたが、なんといっても階段状の塔がいいですね。

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それにしても、少し離れているだけで、こんなにも外観の異なる教会があるなんて、不思議。この辺りは昔、ほんとの山奥で、建築物の材料としては、日本のように木々しかなかったのでしょうね。石の教会と木の教会とでは、印象がこんなにも違うのかと、自分でも驚いてしまったほどです。民衆に根付いた信仰の深さ、素朴さを感じます。

次回は、内部が見事な壁画で覆われているビナロヴァの大天使ミカエル教会を紹介します。

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2012年10月18日 (木)

ケルンのロマネスク カピトール丘の聖母マリア教会(St. Maria im Kapitol)

朝早く着いたカピトール丘の聖母マリア教会は、礼拝か何かの葬儀のために入れませんでした。時間がないので終わるまで待つことはできず、内部を少し覗き込んだ以外は、回廊を回っただけで終わりました。旅は諦めも肝心。よくあることです、門の目の前にいながら、入れないことは。

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ミシュランによりますと、この教会は、ローマ時代カピトール丘寺院(西暦50年頃)の土台の上に建てられた後期オットー朝時代の建築(1065年)で、その3つの半円形後陣のある内陣Dreikonchenchor(三つ葉形内陣Kleeblattchor)は、ケルン最古だそうです。さらに、内陣のほぼ全域にわたって地下聖堂が掘られており、これは、シュパイアーのドームの地下聖堂に続いて、ドイツ最大のものだとか。う~ん、つくづく残念。

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かわいいとても気持ちの良い回廊でした。この手前の通路を行き、その先の階段を登ると、教会に入れます。後方からこっそり撮った写真です。

Kapitol01

フランス語で書かれた小さな紙によりますと、690年頃、中ピピン(ピピン2世)の宮宰の妻が、ローマ時代の寺院の跡地にマリアに捧げられる教会の建設を命じ、作られたのだそうですが、それは、ローマ時代の神に対してキリスト教の神が勝利したことを意味するのだとか。

Kapitol14さらに300年後、イーダという女性の大修道院長が、当時のオットー朝の皇帝の家庭に出入りするようになり、そこでこの地にベネディクト派の素晴らしい修道院の建設を願い出ました。彼女は、建物の大きさだけでなく、価値をも高めようと、皇帝のお城の礼拝堂を思い出させるような礼拝堂を教会内に作り、さらに、平面図をベツレヘムの聖誕教会に似せて作らせたのだそうです。左は、1665年の絵。

ところで、三つ葉形の内陣というのは、ケルン独特のものらしいのですが、内からも外からも見ていないので、そのようなのか実感がわきません。おまけにこの教会は、アパートの建物に囲まれているので、どのように動けば、アプシス側から見られるのかわかりませんでした。もし見られるとすれば、このようなものだそうです。

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とてもきれいですねえ。見たかったなあ。でもここも、回廊に展示されていた写真を見ますと、完全に破壊されていました。跡形もなくといった感じです。よくここまで再現したものですね。ケルンのロマネスクの本から、平面図と側面図をアップしておきます。さらに、私のとった回廊と柱頭の写真を。
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訪れた日はフランクフルト到着後3日目の朝でした。予定では、その日はケルン大聖堂近くにあるヴァルラフ=リヒャルツ博物館(Wallraf-Richartz-Museum)を見た後、アーヘンへ行き、時間があればコルネーリミュンスターとブリュールのアウグストゥスブルグ城館を見、マリア・ラーハ近くに予約したホテルに着くはずでした。今考えれば、とても無理な話。

前日のゲーレオン教会の美しさに魅せられた私は、予定を変更。まず地下鉄で他の2つのケルンのロマネスク教会を見た後、また大聖堂近くに戻り(車を置いているホテルが近かったので)、とても外せない中世ケルンの板絵の膨大なコレクションを持つヴァルラフ=リヒャルツ博物館を見学し、そしてアーヘンへ行くことに決定、それ以外はすべてを諦めることにしたのです。私が計画する旅行は、いつも内容が盛り沢山すぎるのがよくないところです。


大きな地図で見る

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2012年10月14日 (日)

ジェームス・アンソール展ー写実と幻想の系譜ー損保ジャパン

Ensor2_0001久しぶりに、美術展訪問記も書いてみます。手短にさっぱりと書けばいいのに、ついつい長くなるのが悪い癖です。(それよりも、根気のないのが最悪なのですが。)

この損保ジャパンは、あまりメインでない画家の展覧会をするので、わりと気に入っています。さらに今回の展示は、アンソールが活躍する前の世代の画題の価値基準とか、同時代の画家たちの動きなどもわかりやすく説明していたり、彼を取り巻く、または影響を受けた画家達の絵も展示されていて、とても充実していると感じました。

私の今までのアンソールについて知っていることといえば、この右のパンフレットのような、仮面と骸骨のイメージで、人の心の暗い部分を、鮮やかな色とのコントラスト(特に強い赤と緑という補色を使って)で描き出す、といったもの。

ところが今回の展示では、アンソールの若い時代の周りの影響を受けた時代の絵、つまり、アカデミックなものや、ターナーの模写、クールベへの尊敬、印象派の影響などをも炙り出していました。

右の絵の題は、「陰謀」(1890)。1階で放送されていたビデオによりますと、これは結婚式の場面で、周りの人たちは、お祝いをするどころか心の奥底では陰謀をたくらんでいるというのです。その説明がなければ、とてもそうとはわかりませんでした。

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左は「牡蠣を食べる女」(1880)という縦2メートルの大きなもの。自信を持って発表したものの、女性が食べている場面を絵の題材にするなどとんでもない、と非難の的になってしまった曰くの絵。しかしよく見ると、アカデミックな技術の上に印象派の光をうまく取り入れた立派な絵ですよね。

これをきっかけに、1880年代中頃から、彼の絵は、今の私たちが知っているような題材に変化してきたのだそうです。仮面という題材は、彼が住んでいたオステンドという町には仮面の祭りがあり、母親が経営していた土産物店には、その仮面を売っていたのだそうで、彼にはなじみがあったのです。

ビデオによりますと、骸骨の題材は、イギリス人で知識人だった父親がアルコール依存症になり、路上でその死体が見つかったことから影響受けたのではないか、と説明していました。

ところが、絵の価値が世の中に認められ、彼の社会的評判も向上し始めてからは、彼は描かなくなったのだそうです。やはり、人間というもの、その環境に満足をし向上心を失なってしまったら、創作はできないのですねえ。

彼の作品は1891年までのしかありません。彼は89歳で亡くなっているのに、30歳代前半で彼の画家生活は終わったのでしょうか?後の時代、来客があると、好きなピアノを弾いていたという・・・。

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さすが、アントワープ王立美術館!と感心させられずにはいられなかったのは、ルーベンスの「ミネルヴァ」やピーテル・ブリューゲル(子)のフランドルのことわざの絵を見られたこと。実は、アントワープ王立美術館の目の前には行ったのですが、車の調子が悪く(なぜだかロックをかけることができず)悔しい思いをしてこの美術館を去った記憶が蘇ってしまいました。

ただ大聖堂のルーベンスの絵だけは見ようと、真夏の暑い日、主人と交代で一人が車に残り一人が見に行くという方法で、焦って見に行ったのでした。13年ほど前のことです。

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2012年10月13日 (土)

ケルンのロマネスク 聖ゲーレオン教会(St.Gereon)

長くお休みをしてしまいました。さぼっている間にも、旅行にだけはさぼらずせっせと実行していたのですが、書く方が追いつきません。

さてこのケルンのロマネスクは、昨年(2011年)5月の連休中、レンタカーでフランクフルト中心に、北はケルン(12年ぶり2回目)、アーヘン(初)、マリア・ラーハ(初)、エーベルバッハ(初)、南はシュパイアー(10年ぶり2回目)、東はローテンブルグ(11年ぶり2回目)、ヴェルツブルグ(10年ぶり2回目)までを、気持ちよく走り続けた旅の写真とともに書いています。日程は、こちら

この聖ゲーレオン教会(St. Gereon)、以前にも書きましたが、西側の外観は特に注目をひくものではありませんでした(上部のロンバルディア帯は美しいですね)が、内部は、特にこの十角形の空間は、今まで見たこともない形、色で覆われていて、そのあまりの美しさに忘れられないものとなりました。

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入り口は、正面左側小さなところですが、その周りを囲っている彫刻は、その角が取れている様子から、オリジナルだというのがわかります。

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上部は、大天使ガブリエルによる受胎告知のように見えます。左の彫像は、足元に立派な鳥(鷲?)がいるので、福音書記者聖ヨハネかも。右の彫像は、羊のように見える・・・ライオンだと聖マルコなのだけれど、とてもそうは見えない。うーん、誰だろう?

ローマ時代の墓地跡に4世紀、ケルンの守護聖人ゲーレオン(黄金伝説には無掲載)とキリスト教迫害の犠牲者のために、聖ゲーレオン墓地教会(Grabkirche fur den hl.Gereon)が建立されたのだそうです。12世紀に、八つの壁龕を持つ古典末期の長方形建物が、内陣、塔、地下聖堂(モザイクの床、11世紀)の周りに増築。13世紀初頭(1227年)には、壮大な十角形建築の洗礼堂が増築されたのだそうです。

ナルテックスにあったオリジナルらしい彫刻。

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洗礼堂内部に入った時の驚きは、今でも忘れられません。フランスでよく見るステンドグラスの色とは違うのです。ピンク色とか黄色、緑などの様々な色があふれ、さらに、ツートンカラーの石の組み合わせが美しいのです!ステンドグラスの絵は、よく見るとかなりモダンなのですが、高いところにあるので、それを感じさせません。

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天井は、このように見えます。

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内陣は、左右の階段には登れないようになっていたため、下から撮るしかできませんでした。ミシュランによりますと、このタペスリーは、フランス・リムーザン地方のオービュッソン織りのタピスリーなのだそうですが、すみません、私には、織り方も価値もわかりません・・・。

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ここで、平面図をアップしておきましょう。(ドイツ語の本なので、説明もあるのですが、残念なことに読めない!)

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地下へは、確かに左に入り口が見えたのですが、戸が閉まっており、しかも聖職者らしい方が近くにいらして、なんとなく近寄れなかったのです。そのクリプトには、床はモザイクで、奥に石棺があったらしいのですが。

右側にある礼拝堂(Tauf-kapelle)には、13世紀の壁画が下のように薄く残っていました。中央の絵は、Thebaischen という地方の2人の殉教者、とのことです(ドイツ語で書かれているので、アヤフヤ)。

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この部屋の上部の白い壁を見て、再建されたのだはっきりわかります。購入した小冊子に、以下のような第2次大戦直後の写真が掲載されていました。ほんとに悲しい姿ですね。

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破壊される以前の写真も載っていたのですが、現在のとほぼ同じです。ただし、周りの付属建築物は完全に土台だけになっていました。次のは、アプシス側(東側)からの写真。こちら側から見ると、堂々とした美しい教会です。

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最後に、西側正面からの写真をアップして、終わりにします。

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