« 2011年1月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月の4件の記事

2011年5月29日 (日)

「イタリア」関連記事一覧

Stmarco

イタリア関連の記事一覧ですが・・・大好きなイタリアには11回も通い、訪れた都市は非常に多いのに、書き終えた記事は少なく、自分でもじれったいです。書きたい事柄は山のようにあるのに、進みません。でも、いつか書きたいことは書くつもり!・・・なのですが。

2011-05-28  フェラーラ③ スキファノイア宮殿の壁画
2010-09-26  山の斜面の中世の街 グッビオGibbio
2010-09-05  ペルージャ Perugia② エトルリアの遺跡
2010-08-28  ペルージャ Perugia① ペルジーノの絵の美しさを再発見
2010-08-22  5月の連休は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ

2009-08-27 イタリア最初の世界遺産:ヴァルカモニカの岩絵群
2009-08-22 この夏の旅行

2009-02-12  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群②
2009-02-07  ボローニャ:エルサレムを模したサント・ステファノ教会群①
2009-01-29  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会②
2009-01-22  ボローニャ:美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会①
2009-01-16 旧ボローニャ大学 アルキジンナージオ Archiginnasio  
2009-01-11 ボローニャにある聖ドメニコのお墓② サン・ドメニコ教会 ロザリオの礼拝堂、リッピの絵
2008-12-24 ボローニャにある聖ドメニコのお墓① サン・ドメニコ教会 外観、内部、聖ドメニコのお墓

2008-09-27  破壊されたマンテーニャのフレスコ画 パドヴァ・エレミターニ教会
2008-08-19  コレッジョに会えなかった・・・
2008-01-29   マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について②  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova
2008-01-23  マントヴァにあるマンテーニャの壁画「夫婦の間」について①  ”Camera degli Sposi” da Mantegna a Mantova 

2007-09-28  ゲーテを不愉快にさせた街フェラーラ②  エステ城
2007-09-23  キリコに影響を与えた街フェラーラ①  大聖堂
2007-09-09  レンガの塔が美しいポンポーザ大修道院

2007-05-25  知らなかったピエトロ・ペルジーノ② Pietro Perugino che non conoscevo
2007-05-23  知らなかったピエトロ・ペルジーノ① Pietro Perugino che non conoscevo 

2007-03-21 独自の文化を培ったシエナ(6) ドゥッチョと街
2007-03-20 独自の文化を培ったシエナ(5) 洗礼堂
2007-03-15 独自の文化を培ったシエナ(4) ピッコローミニ書架
2007-03-14 独自の文化を培ったシエナ(3) 大聖堂
2007-03-08 独自の文化を培ったシエナ(2) プブリコ宮殿2
2007-03-04 独自の文化を培ったシエナ(1) プブリコ宮殿1

2007-02-21 サン・ジミニャーノ(3) サンタゴスティーノ教会 Una citta dei torrei: San Gimignano(3)
2007-02-17 サン・ジミニャーノ(2) ポポロ宮殿 Una citta dei torri: San Gimignano(2)2007-02-14 サン・ジミニャーノ(1) 参事教会 Una citta dei torri: San Gimignano(1)

2007-02-11 ピサ(4) シノピエ美術館 Un antico paese marittimo: Pisa(4)
2007-02-05 ピサ(3) カンポサント Un antico paese marittimo: Pisa(3)
2007-02-04 ピサ(2) 洗礼堂 Un antico paese marittimo: Pisa(2)
2007-02-03 ピサ(1) 大聖堂 Un antico paese marittimo: Pisa(1)

2006-12-24  ヴェローナのDuomo il Duomo di Verona
2006-12-22 ヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場 Teatro Olimpico a Vicenza
2006-10-05 パヴィアの美しい僧院 Certosa di PAVIA

2006-09-13 マンテーニャが仕えていた街 マントヴァ Mantova où Mantengna s'est devoué à la peinture

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2011年5月28日 (土)

フェラーラ③ スキファノイア宮殿の壁画

イタリアは大好きな国。ずーっと気になっていたフェラーラの続きを久しぶりに。今までに2度、キリコに影響を与えた街フェラーラ と ゲーテを不快にさせた街フェラーラ という題で、大聖堂とエステンセ城について書きましたが、これは、2005年9月上旬、2週間ほど息子と二人で車で廻った後に書いたもの。今回は、2008年の夏、主人と2人で車で廻った時に訪問した、《スキファノイア宮殿》や《ロメイの館》について、少し書いてみます。

Ferrara_map

上の地図(クリックすると拡大します)で、左上が鉄道のフェラーラ駅。スキファノイア宮殿は、街の中心にある大聖堂をはさんで、ちょうど反対側、つまり右下の城壁に近い所にあります。私達は、大聖堂近くから、タクシーに乗りました。フェラーラは思った以上に広いので、これお勧めです。

フェラーラの街は、マントヴァに比べて、なんとなく近代的だなあと感じたのですが、こうやって地図を眺めると、その理由がわかる気がします。ほら、道がまっすぐ延びているでしょう?中世の街では、メインの道でも緩やかにカーブしているのが普通なのですが、ここでは、直線です。ほんと近代的ですね。こういうところからも、画家キリコはインスピレーションを感じたんでしょうか。

下の画像(以前にも同じ画像をアップしましたが)は、エステ城の塔から。結構大変でしたよ、登るのは。最後の方は、鋼鉄製の足元が網目状態になっているような階段を登りました。確か、この先にディアマンテ宮殿があります。道が直線でしょう?

Fereste3

話を戻して、スキファノイア宮殿は、下の写真のように、道路に沿って細長く建っており、何の変哲もない建物です。これがほんとうに宮殿なのかと疑われそうです。宮下先生の本によると、もともとは1385年に、エステ家のアルベルト世が娯楽場として建設した建物を、ボルソ公が、宮廷建築家ピエトロ・ベンヴェヌーティ・オルディニに命じて、大改築したのもだそうです。

Schiext

Schi1_fanoia 入口内部もシンプルで小さく、おばさんが一人いるだけなので、不安を感じながらもとにかく入ることに。左の簡単なチケットからわかるように、あまり力が入っているようにも思えませんし、しかも今見ると、ラピダリオ美術館もこの5ユーロのチケットで入れるようです。あの時、もう少ししっかり見るべきだったなあ・・・。

もう記憶も薄れているのですが、一階は何かの展示があり、変な中2階を歩き、(つまり、一階の上の方に臨時の廊下が続いていた。修復中だったのだろうか?)そしてまた少し階段を上がって、メインの大広間へ。写真は禁止でしたので、購入した本から。

Schifa1

ひろーい部屋は、壁画で囲まれていました。思わず、うわーっと声が出そうに。けれども認識できるのは、この画像の正面(ここらは入ってくる)と左側の面のみ。宮下先生の本によると、《月歴の間》と呼ばれるこの広間は、18世紀に漆喰で上塗りされ、19世紀になって再発見されたのだそうです。18世紀というと、フランスは革命の後、そしてイギリスは産業革命の真っただ中で、古いものは価値がない、とみなされていた時代かもしれません。

Schi_mar3 絵の構図は、壁面を月毎に縦割りにし、そのひと月を3段に区切り、上段は、各月に相当する神々の勝利の場面、真ん中の段は、黄道12宮の寓意像、下段は、ボルソ公の豪華な宮廷生活の場面が描かれています。

右の画像は、3月。上の部屋の画像では、正面右側にある壁画です。上段は、知性の女神ミネルヴァの勝利、中段は雄羊。画像の質が悪いので、その豪華さが感じられないのが残念です。

下段は下の画像の方がわかりやすいでしょう。右側に宮殿、ボルソ公と思われる人物を、人々が取り囲んでいます。中心から左にかけて、立派な馬に乗った、見目麗しき騎士達がずらーと並んでいます。足元には犬もいます。当時の宮廷には必須アイテムなのです。左上には、働いている人たちが描かれています。

Schi_marzo

4月のは、絵はがきがあったので買ってきました。修復後の絵なので色が綺麗です。4月は、軍神マルスの月、そして牡牛座です。しかし、全体の絵葉書はなくて、部分的です。これは、下段の右方向一部分。マンドヴァのマンテーニャの”夫婦の間”に描かれている人物に似ています。

Aprile1

これは、上段の右側一部分。上部は下段に比べて、保存が格段に良いようです。優雅な世界ですね。この3月と4月は、フランチェスコ・デル・コッサによるフレスコ画だそうです。

Aprile3_2

この4月の場面は、美しく修復されましたが、残念ながら残っている絵でも、下段は一部が欠けていたり、かなり色が剥げていて、時代の流れ、そして痛々しくも感じました。しかし、場面の取り方、人物の配置の仕方など、全体の構成は非常に素晴らしい。四面とも見ることが出来た時代は、さぞかし華やかであったことでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2011年5月22日 (日)

デカルト《方法序説》、それは月世界だった

今回のは、昨年の12月末にデカルト《方法序説》を読んで、印象を忘れないようにと、ざーっと書いたものです。5か月も経ってからのアップになっていまいました。

----- ***** ----- ***** -----

Descartes1 なんと無機質な内容なのか!びっくりした。これも数学者が書いたからなのだろうか?いえ、哲学書というのは、すべてこのようなものなのだろうか?

デカルトの思想の根本となる《方法序説》を読んでいる時、なんだか索莫とした、周りには色も香りも何もない、そう、月世界のような光のない空間に、身体はなく、精神だけの”私”がたった一人で、遠くに見えるような気がする光を求めて歩いているような、そんな孤独な印象を受けた。これが、かの有名な《方法序説》とは・・・

真実を見つけるために、証明できていないものは、すべてを否定していく。今まで学んだこと、本で読んだ知識、信じていたことなど、自分を取り囲むすべてを否定するということは、自分の過去も否定することになる。だから、廻りには時間も何もない、広い宇宙に漂っている自分を感じたのだ。

彼はこの手続きを、例を使って上手に説明している。それは自分の家の建て替え。

Descartes2 《この方法を取ることによって私は、自分がただ古い土台の上に建てたにすぎなった場合よりも、また幼い時に教え込まれた諸原理のみを、それが真理であるかどうか一度も吟味せずに、自分のよりどころとした場合よりも、はるかによく私の生活を導くことに成功するであろう。・・・・私の計画は、私自身の考えを改革しようと努め、また私だけのものである土地の上に家を建てようとする以上に及んだことは決してない。》

自分の肉体さえ、それを認識しているのは、私自信の認識だから、それも証明できない。だから存在も否定する。まったくその通りかもしれない。宇宙空間に一人、身体から独立した、考えている”私”だけが、存在している。《Je pense. donc je suis.》 (彼はこの本をラテン語で書いているので、これは邪道かもしれないが、習っているので書いてしまうと、スペイン語では、Pienso, luego soy) この命題から、デカルトの考えは始まり、数学で言うところの公理(理性では定義不可能で、理由なしに認めなければならないもの)を土台にし、証明できる真理・理論を組み立てていくのがデカルトの考え方だ。

----- ** ----- ** -----

昨年の終わりから、なぜだか哲学に興味を持ち始め、理解能力もないのに、”なんとか入門”という種の本を読み始めた。1か月半ほど夢中で一気に次の本を読んだ。で、頭の中は、ごちゃごちゃに。

『哲学』 アンドレ・コント=スポンヴィル著 白水社
『哲学入門』 中村雄二著 中公新書
『方法序説』 ルネ・デカルト著 中公クラシックス
『プラトン入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『ニーチェ入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『カント入門』 石川文康著 ちくま新書
『ウィトゲンシュタイン入門』 長井均著 ちくま新書
『現象学入門』 竹田青嗣著 NHKブックス

分かったことは、竹田青嗣先生の本は、たたみかけるように繰り返し説明してくれるので、非常に分かりやすい、ということ。中村先生のような古い型の先生のは、読者に理解させようという意志は全然なく、自分の知識を単に述べているだけに過ぎないこと、つまりは、知っている人が読めば、良くまとまっているなと思われるかもしれないが、私のような超哲学初心者には、猫に小判状態。やはり初心者には、”初め”は、著者の読者に対する”理解してもらいたい”という意志が見える本が良い。

さらに生意気にも、超初心者が発見したといえば、たとえ分かりやすい説明で有名な竹田先生の本とはいえ、哲学者本人の本にはとてもかなわない、ということ。それは、デカルトの『方法序説』を読んで思った。きっと、”デカルト入門”なるものを読んだら、私はデカルトを機械か何かのように感じてしまい、この驚きとこの本の意義の大きさと、何よりも彼の意気込みや人物像を感じることはできなかったのではないかと思う。ただ、訳によって、この感じも変わってくるのも確かだが。

とはいっても、入門書や解説書は素人には必要だ。難解で理解不能の本が山のようにあるので、日本人哲学者による説明が欲しい。指導者の元、実際の本を読んでいくのがベストなような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2011年5月15日 (日)

久しぶりのドイツ旅行

この連休は、主人と二人でレンタカーで、ドイツの西方あたりをぐるっと回ってきた。ドイツは10年ぶり8回目の訪問。初めての街や教会も、2度目の場所も、共に新鮮な気持ちで楽しめた。充実していたけれど、相変わらず忙しい旅だった。私が計画すると、いつも盛り沢山になってしまう。

Aruns1

 (アルンスブルグ修道院跡、周りはホテルになっていた。フランクフルト北60キロ程)

ところで、私達が接したドイツ人の方々は、本当に親切だった。なんと気持ちの良い人々なのだろう。主人曰く、「教育が良いから」。さらに、現在ドイツは非常に景気が良いので、どこへ行ってもみんな明るく、豊かな感じがした。

海外個人旅行だと、何かしら不都合なことが発生するものなのだけれど、すべてが日本にいるときのように、スムーズに運んだ。これも堅実なドイツだからだろう。

旅行の詳細を書くのはかなり先になると思うので、概要だけ書いておくことにする。

5月1日(日)JAL407便 12:15成田発 16:45フランクフルト着。17:25AVISでレンタカーを借りる。A5を北に走り、Butzbachという小さな街に泊まる。夜は8時半頃まで明るいので、町の散歩。

この街に泊まった理由は、近くでローマ帝国の国境を見ることができるから。世界遺産に指定されたこの国境跡は、かなり長い距離にわたって延びている。ネットでいろいろ調べた結果、この辺りで見られることが分かった為泊まることに。

このように、再現された見張り塔があり、横に説明が書かれていた。国境は、少し土地が盛り上がったようになっており、その上を人があるけるほどの小道が出来ていた。

Limes1

5月2日(月)
7:30出発 → ローマ帝国国境跡 → アルンスブルグ修道院跡(最初の写真) → マールブルグ(聖エリザベート教会、シュロス) → ケルン(大聖堂地下の駐車場) → 大聖堂、宝物館 →(徒歩) 聖ウルズラ教会(入口右側の小部屋に、120もの聖遺物胸像(つまり骨ばかり)圧巻です!) →(徒歩) 聖ゲーレオン教会(外観と内部の差にびっくり!十角形の内部は素晴らしい。アーチ、色すべて見事!下の写真) →(徒歩) 大聖堂近くのホテル泊。

Gereon1

5月3日(火)
8:30出発 →(大聖堂から地下鉄で)カピトール丘の聖マリア教会(ミサ中だった) →(徒歩) Museum Schnutgen(修道院跡が美術館になっている) → (地下鉄) Wallraf Richartz Museum(市庁舎の近くの建物) → アーヘン(下の写真。世界遺産指定、ラベンナを思い起こさせるような金のモザイク、凄い!でも、修復中だったので、天井は見られなかった) → 宝物館 → 市庁舎 → (車) ブリュールのアウグストゥス城と庭園(世界遺産、午後4時までの為入れず。庭は一般に解放されていたので、美しく手入れされた広い庭をゆっくり散策した) → マリア・ラーハ修道院近くのホテル(レストランでアスパラガスを注文)に宿泊。

Aachen1 Aachen2

5月4日(水)
9:00出発 → マリア・ラーハ修道院(バランスのとれた美しい建造物。柱頭などが面白い。) → エーベルバッハ修道院(レストランの経営、ワインの販売もしている。赤い外観を持つ美しく大きな建物。ロマネスクとゴシックのミックスの側廊を持つ。多数の年代物のワイン製造機や樽の貯蔵庫が必見!) → シュパイヤー(2度目の訪問、やはり凄かった!世界遺産)、地下聖堂(教皇とドイツ王のお墓を見る。前回は、鍵がかかっていて見られなかった) シュパイヤー泊

Laach2

        (上:マリア・ラーハ修道院。 下:シュパイヤーの大聖堂)

Speyer1

5月5日(木)
9:00出発 → Worms 聖ペテロ教会 →(徒歩) ユダヤ人墓地 → Lorsche (世界遺産の国立修道院跡やアルテンミュンスターを探すが、なかなか見つからない。インフォrメーションでようやく分かった。今や土台だけしか残っていないのだそうだ。どうして、世界遺産なのだろう。歴史が分からないといけないようだ。) → ローテンブルグへ (ここは2度目。前回は街の中心地しか歩かなかったが、今回は、周りの城壁の一部を歩く。魅力発見。) ”血の祭壇”のあるヤコブ教会の近くの素敵なホテルに宿泊。

下の写真は、街の南の方の城壁と野外劇場。今回、城壁を歩いて初めてローテンブルグの良さが分かった。2日歩いたのだけれど、ほとんど他の人に会わなかった。

Roten1burg

5月6日(金)
9:00出発 ローテンブルグの南門(シュピタール門辺りをまた散歩。まったく城壁の中は、中世を感じさせる。満足!) → ヴェルツブルグ(下の写真。ここも2度目、主人は3度目。それなのに、街中は歩いたことがなかった!レジデンツ前の駐車場に車を止めると、街を歩かずに終わっていたのだ。今回は街を歩く。) レジレンツ(世界遺産。あの見事な教会は、修復中で見られなかった。記憶はあったのだが・・・シュン・・・)、宮殿付属庭園 → 聖キーリアーン大聖堂(廻廊、クリプタ)、ノイエミュンスター → Messelの恐竜化石発掘現場(世界遺産) → フランクフルト空港2 → JAL408便 21:05発

Wurz1burg

Wurz2burg

5月7日(土) 15:25成田着 

気の早い話なのだけれど、次回のドイツ旅行のルートを、もう決めてしまった。ドイツはなんとなく全体を廻っているのだけれど、丁度真ん中あたりが抜けている。つまり、バンベルグより北で、ゴスラーより南、マールブルグより東でドレスデンより西。ここには、なぜだか世界遺産が集まっている。

デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国、アイスレーベントッヴィッテンベルグにあるルター記念建造物、古典主義の都ヴァイルマルなど。またこの近くには、ブーヒェンヴァルト強制収容所もあるし、その他お城や修道院もある。また魅力的なドライブコースができそうだ。しかし残念ながら、それよりも他にもっと行きたい箇所がある為、いつ実現するか分からない。

| | コメント (14) | トラックバック (0)
|

« 2011年1月 | トップページ | 2011年6月 »