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2010年12月15日 (水)

哲学する、ということなのかな?

Koisikawa1          11月28日、小石川後楽園にて

この秋、親しい友人のお母様が亡くなられた。闘病中、痛み止めのためうつろな時間の流れのなかで、時々意識がはっきりし、”あれ?私、何をしているのかしら?”と、おっしゃっていたという。

友人からこの話を聞いて以来、この言葉が、なぜか頭から離れない。人には皆、そうなのかもしれない、と思う。その気はないのに、まだしたいことはいっぱいあるのに、あれ?と本人の自覚もないまま、死んで行くのかもしれない。

私は一体、今まで何をしてきたのだろう、そして、あと平均寿命の半分以下となった残りの人生を、どういうふうに生きて行けばいいのだろう・・・

私のような普通の人の人生なんて、ほんとに些細なもの。この世に何が出来たかと言えば、将来、世界に役立つであろう人間が私の子孫から生まれるかもしれない遺伝子を、後世に伝えられただけである。そう、一番の功績は、子供を産んだことかもしれない、と思う。たった一人だけれど。

遺伝子は、混ざり混ざって、ある時見事な成果を出す。そういう意味において、すべての人に存在価値がある、と友人から聞いたことがある。それに参加できたことだけは、意識していなかったとはいえ、成果の一つと言えるのかもしれない。

でも、それ以外は?

現在、健康的に問題はあるとはいえ、主人の優しい愛や、友人達の支えによって、私の人生すべてが支えられている。ほんとに幸せだと思っている。しかし、こうやって偶然か神様からか分からないけれど、”生きる”という時間を与えられて、私はいったい、遺伝子を残す以外に、何をしなければいけないのだろう?

こうやって、自分の楽しい経験を積み重ねて行くのもいい。人に尽くすボランティア活動をするのも、もちろん素晴らしい。何かに情熱を傾けて活動し続けることは、精神的充実とか、生きがいという言葉にも繋がるはず。

今が充実していないのではない。あまりにも充実しすぎていて、忙しい。忙しすぎて、少々精神的余裕のない時さえある。満足している。しかし、何かをはっきりさせたい。

私はあまり難しいことは考えられないのだけれど、なぜだか、その”理由づけ”が欲しいような気がするのだ。

これも、今少々かじっているフランス文学の影響かもしれない。詩とかエッセイなどで、しばしば”raison”とか”raisonner”、”jusutifier”という言葉が使われる。”理性(判断力、理知、分別)に基づく理由づけ”とか”行動の正当性”という言葉が飛び交うのだ。難しい・・・

生きている意味 raisonを考えてみたい。これを”哲学する”と言うのかな?とても私には、できそうにない。

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コメント

こんにちは~

冬だから、家でブログに向かう時間も復活されたのでしょうか?

私、この、自分は(+我々は+地球は+宇宙は)どこからきてどこへ行くのか、が、こどものころからの謎で、ずーっと追いかけています。このごろやっとやっと、もうちょっとでみつかりそうなところまで来ました。

あとやっぱり、太古からあちこにち出てくる、「人間よ、汝自身を知れ」ですよね。

私は欲張りだから、これらを手に入れたうえで日々を生きられれば、自分にとってもだれにとっても、最高に無駄がなく経済的なことだと、本能的に思いこんでいるのです。へんな計算^m^

投稿: あむ | 2010年12月21日 (火) 09時44分

うわ~、あむさん!!!

ご無沙汰してしまい、すみませんm(_ _)m。
そして、メッセージをありがとうございます!

あむさんは、こういう哲学的思索は、自然にしてしまうのでしょうね。
以前から、偉いなあと思っていました。
”自分自身を知れば、無駄がなく経済的”。ほんとにそうですね。
みんながそれを知れば、社会の秩序も保たれそう。本能的に思っているなんて、芯から哲学者と言えるかもしれません。

しかし、なんと難しい・・・。愚かな自分は、自分が分からずに、他の自分を自分だと思ってしまっている。自分に置き換えて考えると、過去の言動を思い出すだけで、恥ずかしくなります。

私は、今まで自分を考えてこなかった、いえ、考えることから逃げていたような気がしています。これから、まっすぐに考えてみます。

ブログが書けないのは、一週間がフランス語で常に追いかけられているからなのです。もっと若い時からフランス語に接していたかったなあとつくづく思うこの頃。美しいフランス語バンザイ!もう少し、がんばってみます。

投稿: Cojico | 2010年12月21日 (火) 20時17分

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