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2009年2月の5件の記事

2009年2月27日 (金)

見られなかったピサネッロの受胎告知 サン・フェルモ・マジョーレ教会③ Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

Vf20_fac ヴェローナのサン・フェルモ・マッジョーレ教会 Cheisa di San Fermo Maggiorre のファサードです。

上層の教会を改築したのは、1313年、ベネディクト会から教会を購入したフランチェスコ会でした。このファサードの完成は1350年頃。

上半分はレンガ色と白い石との縞模様はこのあたりの特徴でしょうか。ヴェローナにある他の教会よりシンプルですが、美しい調和を保っていると思います。

入り口左に見える石棺は、ジョヴァンニ・ダ・トレンティーノ作アヴェンティーノ・フラカストーロ(1368年没)のお墓。この人物、当時の権力者だったスカーラ家のCangrande della Scalaの友人で、お医者さまだったようです。重宝されていたんですね。

Vf18_port 正面入り口には、新しく1997年にLuciano MInguzzi によって作成されたというブロンズ製のドアがありました。これは、サン・ゼーノ教会に見習ったのでしょうか?

聖フェルモと聖ルスティコの殉教とヴェローナ民衆の彼らへの信仰を表した24枚のパネルによってできています。左に見られるように、かなり斬新です。

Vf27_int 中に入ってみましょう。また、気に入った天井を強調した写真がありましたので、またアップします。ほんとに美しいですねえ、この船底型木製の天井!

そして、目に飛び込んでくるのは、右手にある赤い大理石の説教台(1360年製作、下の写真の右側)。細長く豪華な装飾のゴシック天蓋、そしてその周りはマルティーノ・ダ・ヴェローナによる美しいフレスコ画に覆われています。

そのには、ブレンツォーニ礼拝堂(15世紀)。入り口の周りには、《聖ボナヴェントゥーラの木》と呼ばれるフレスコ画の断片が見えます。全部残っていたら、もっと華やかだったでしょうね。

そして、入り口上部には、(上の方で見えにくいですが、両側に分かれている)ジョット派らしいの画家による「受胎告知」がみえます。

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ところでこの教会の中で、美術界で重要な作品といわれているのが、入り口を入ってすぐ左側にみえるピサネッロの傑作「受胎告知」なのですが・・・

なんと残念なことに、修復の為にカバーが掛かっていたのです!ショック!

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Vf37_pisanello 上の写真は、ファサードの裏側です(入り口を入って振り返って見た所。暗くてすみません)。この写真では右側に見える、白いカバーの中で光が見えている部分に、本来ならば、右のような(絵葉書)ニコロ・ブレンツォーニ(1422没)の碑 Monumento funebre di Nicolo Brenzoni があるのです。

石棺を囲んでいるのは、フィレンツェの彫刻家ナンイ・ディ・バルトロ Nanni di Bartoloによるキリストの復活シーン(1424-26作)。

その天幕の右上にはマリア、左上は大天使ガブリエルのフレスコ画がみえますが、これがピサネッロの「受胎告知」(1426)なのだそうです。この絵葉書では、微妙な色彩がよくわかりませんが・・・

ピサネッロ Pisanello については、ウィキペディアに詳しく書かれていますので、参照なさってください。

Pisanello ピサネッロの作品は多くないらしいのですが、このヴェローナでは、あと2箇所で見ることができます。

ひとつは、美術館になっているカステルヴェッキオ(とても広いですよ。)に保管されている《ウズラの聖母》(左)。マリア様の首の傾げ方と、髪のカーブ、洋服のカーブが一致していて、見事に優雅なバランスを生み出しています。冠とか衣装の模様もほんと美しく描かれています。

もうひとつは、ヴェローナで最大のサンタ・アナスタジア教会内にあるフレスコ画です。少し横道に逸れますが、サンタ・アナスタジア教会(この教会も修復中でした。)の内陣の写真をアップします。

どこにピサネッロのフレスコ画があるか見つかりますか?

  Santanastasia

ピサネッロの《女王を解放する聖ジョルシオ》は、右側に見える礼拝堂入り口の上部に見えます。四角く囲まれた箇所で、他のフレスコ画より一段と色が薄い部分です。

  Pisanello_fresco

写真を拡大してみました。色が薄いのは、重要な作品ゆえに、加筆できないためなのでしょうか?周りの修復されたフレスコ画の色が鮮やかなのとは、かなり対照的です。

でも、その描写力のすばらしさはよくわかります。 馬を、前から描くのではなく、背後から描くなんて、ちょっと面白いかも。女王の横顔は非常に気品があり、衣服も優雅に描かれています。

さて、元のサン・フェルモ教会に戻りましょう。

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Vf1_plan 左側アントニオ礼拝堂の上部には《聖母の戴冠》、右のアゴニザン礼拝堂の上部には《マギの礼拝》、それぞれの上には、跪いている2人の姿。一番上には神がいらっしゃいます。

中央のマッジョーレ礼拝堂の天井には、4人の福音史家たちのシンボル、天使、牡牛、ライオン、鷲が鮮やかな色で描かれています。祭壇の下には、聖フェルモとルスティコの聖遺物が納められているそうです。

最後に、美しい後陣の外観と教会平面図をアップして、終わりにしたいと思います。

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サン・フェルモ教会の関連記事:
   天井が美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会①
   美しいフレスコ画のクリプタを持つ サン・フェルモ・マッジョーレ教会②

その他の教会については、訪問した教会一覧

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2009年2月19日 (木)

美しいフレスコ画のクリプタを持つサン・フェルモ・マッジョーレ教会② Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

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これは、サン・フェルモ教会北側側面です。上下2つの入り口が見えることから、2つの階があるのがわかります。以前は、この道路から直接下層階のクリプトへ行けたのですね。

現在は、一旦教会へ入り、祭壇向かって右側(つまり、この画像の面と反対側)から下へ降り、一旦外気を味わい、また別の入り口からクリプトへ入るようになっています。以前lここへ来た時は、クリプタがあるのを知らずでてきてしまい、残念に思っていました。今回、見ることができて、ほんとうによかったです。

一旦、外に出ると中庭が見えるのですが、ここには作業道具が置かれていたり、数台の駐車があったりと、一瞬興ざめ。しかし、降りてすぐ左に廻ったところに、素敵なフレスコ画がありました。ちょっと死角になっているので、見逃す人も多いかもしれません。

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気品のある聖母子です。購入した小冊子によりますと、14世紀の地元のジョット派(Giottesco)の作品だそうです。

そして、その下ある石棺は、法学者アントニオ・ペラカーニのお墓だそうで、その浮き彫りは、生前の彼の姿、つまり、生徒達に講義を行っている場面を表しているのだそうです。ノートを前にして頬に手を当てていたり、指をさしていたりしている生徒達の様子が微笑ましくて、思わず写真を撮ってしまいました。

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さて、いよいよクリプトに降ります。細い階段の壁にもフレスコ画が描かれているらしく、数人の女性が何かを吹き付けたりして、修復作業を行っていました。

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うわっ、素敵!!!いつもこんなに明るいほか、それとも、当時は内部も修復中だったので、作業の為に特に明るくしていたのかわかりませんが、とにかくフレスコ画の赤の色が鮮やかに見え、素敵な空間を作り出していました。

Vf23_plninf ここで、少しこの教会の歴史を勉強をしておきましょう。手渡されたパンフレットとクリプトの掲げられていたプレートの説明に寄りますと、304年アディジェ川の岸で殉教した聖フェルモと聖ルスティーコに捧げて、5世紀ごろヴェローナの初期キリスト教団が小さな礼拝所を建てたのが始まりだそうです。

右はクリプタ平面図で、黒い壁が現在の形、薄い黄色の四角い部分が、5世紀の建物跡です。

Vf11_fre5 殉教した聖人の聖遺物は、先ずアフリカの初期キリスト教団へ預けられ、その後、カポディストリア(Capodistria 調べてみましたら、スロヴェニアの街の名のようです。ここにはイタリア人が多く住んでいるのだそうです。)に移されたのだそうです。

755年、当時のヴェローナの司教サン・アンノーネ(S. Annone)は、大金を払ってその聖遺物を購入し(修道士カドフェル・シリーズの「聖女の遺骨求む」を思い出しますね。)、初期の建物に半円形の遺骨納室を作り、その中央に石棺を聖遺物と共に収めたのです。(上の平面図で、中央にある濃い黄色の半円形の部分にあたります。)

1065年から1143年にかけて、ベネディクト会が、当初2つの教会であったものを1つに統一する形で、下層階は聖遺物を保管するために、そして上階はキリスト教の宗教的儀式を行うために、より大規模なロマネスク様式の建物に再建しました。

Vf24_frs 1261年、フランシスコ会に代わり、1350年までかけて上層の教会を現在の形であるゴシック様式で広い身廊に変更し、見事な後陣を付け加えたのです。さらに、年月と共に教会内部には礼拝堂や祭壇、記念碑的作品などが加わっていきました。

1759年、アディジェ川の氾濫により、聖遺物と石棺は、上層の教会の主祭壇に移されたのですが、その際、それまで手付かずだった石棺を飾っていた周囲の石材が、なんと売られてしまったのだそうです。

2004年、聖フェルモと聖ルスティーコの殉教1700年祭に際し、地下の考古学調査を行ったところ、5世紀の遺骨納室の残がいが発見されたのだそうです。クリプトの壁には、発見された状態の写真が展示されていました。

ここに描かれているフレスコ画は、12世紀から14世紀の作品だそうで、確かに筆のタッチが異なる絵があるのはわかります。残念ながら、柱の下の方は、度々の川の氾濫により、絵がなくなっている部分も多いのだそうです。

有名な作品は、キリストの洗礼の場面だそうですが、私は見ていません。3番目の左の柱らしいのですが・・・。あの暗そうな場所だったかも・・・とにかく残念!

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これは下層階の祭壇です。中央の木製の十字架は、14世紀のもの。

1807年8月30日、5世紀以上に渡ってこの建物を守ってきたフランシスコ会は、この修道院を放棄します。この時点で、ここは単なる小教区の教会となりました。

さてそろそろ、上の教会を見に行きましょうか!また階段を登っていきます。下は、出入口のあたり。こういう、フレスコ画で溢れた空間って、惹かれます。

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サン・フェルモ・マッジョーレ関連記事:美しい天井
                 上層階内部とピサネッロ

  

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2009年2月14日 (土)

天井が美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会(ヴェローナ)① Chiesa di San Fermo Maggiore a Verona

北イタリアの教会は、メインの装飾がフレスコ画ということもあり、色彩に溢れ、荘厳というより”華やか”という印象を受けます。どの教会も素敵なのですが、今回はその中でも少し変わっていて、少し地味に感じたけれど心に残ってしまうような、要するに惹きつけられてしまった教会を紹介したいと思います。

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それは、ヴェローナの街を囲んでいるアディジェ川沿いに建つ、後陣の美しいサン・フェルモ・マッジョーレ教会 Chiesa di San Fermo Maggiore。

(話題が逸れますが、前回このヴェローナへ来たとき、何も知らずに、住民以外は駐車禁止区域である旧市内の駐車場に車を止めて罰金を払う目にあってしまったため、今回は駐車場に対して非常にナーヴァスになっていました。ですのでこの写真で分かるように(川の外側から撮っている)、川の外に車を止め、ちゃん駐車料金も払って歩き始めた次第です。車でいらっしゃる方、お気をつけください。)

ファサードやその他外観の画像のアップは後にすることにしまして、気に入ってしまった教会内部をまずお見せしたいと思います。

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天井のとても暗い色と、内陣や周囲の壁のフレスコ画のカラフルな色とのバランスが、一見不釣合いに見えます。でもでも・・・私にはとても素敵に見えました。

特に、正面の内陣の絵と天井の境目、半円形が次々と繋がって山形を造っているこの変わった形が気に入ってしまったのです。

Vf4_sof1 さらに、この木組みの天井も!!素敵でしょう?幾何学的に綺麗に並んでいるのに、美しい曲線を作り出していて、ほんとに見事!

ヴェローナでも人気のサン・ゼーノ教会の天井もこれと似ていますが、そちらはもっと洗練されていて、こちらの方がより人の手の温かみが感じられます。実際、こちらの方が古いのだそうです。

ところで、この天井にはある仕掛けがあるのです!写真はクリックすると大きくなりますので、よくご覧ください。

私はこの天井が気に入ってしまい、ぼーっと(口を開けて?)上を見続けていて気が付きました。な、なんと!たくさんある小さいくぼみ全部に、人の顔が描かれているのです!

もう数え切れません。興奮して、主人に話そうと歩き始めたとき、壁にその写真(下)が掲げられているのを見つけました。天井の全ての像が、このようにズラーっと並べられていたのです。

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そこに書かれていた表題は、《木製天井の416人の聖人像 --- この街で、間違いなく一番豊富な1300年代の美術館》。

このように、あまり人の気づかない装飾なのに、なんと手の込んだ作業でしょうか。大変だったでしょうね、これらをこつこつと組み合わせていくのは・・・

さらにこの教会の魅力は、2層式教会になっていること。広い下層階のクリプタには、明るい色のフレスコ画がとてもよく残っているのですが、これも気に入った要素の一つです。次回から少しずつ書いていくことにします。

サン・フェルモ・マッジョーレ関連記事:クリプトについて
                      上層階内部とピサネッロ

ヴェローナ関連記事:ヴェローナのDuomo
             ヴェローナで罰金35ユーロ

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2009年2月12日 (木)

エルサレムを模したサント・ステファノ教会群② Monastero di Santo Stefano a Bologna

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正面の八角形の建物は、前述のサン・セポルクロ教会。そして、この中庭の名前は「ピラトの中庭」!(右下の写真は、サン・セポルクロ教会外壁のモザイク、ロンバルド様式なのだそうです。)

ほんとに不思議。どうして修道院の中に、イエスを十字架に送ったユダヤのローマ総督の”ピラト”という名まえをつけたのでしょう?キリスト教信者にとっては辛いはず。

Sst3 と疑問に思っていたら、やはり、イエスが宣告された法廷の場であるエルサレムを忘れないために、こういう名前をつけたのだそうです。

さらに、この回廊に貼られていた解説版を読みますと、中央に置かれている洗礼盤のような形をした大理石のオブジェは、「ピラトの洗面器 Catino di Pilato」という名前なのだそうで、これまた、”ピラトがこの中の水で手を洗った”(つまり、自分の責任ではない事の暗示)ことを思い出させるために、こういう名前をつけたのだとか。

Sst32_cappella ところが現実には、この石の外側にラテン語で書かれている碑文によりますと、730年から740年ごろ作成されたこの物体の使用目的は、聖なる木曜日に寄進される品物を入れるためのものだったと分かったのだそうで。いやいや・・・

(左の写真は、サン・セポルクロ教会を出てすぐ左にあった、小さな礼拝堂の一つです。この一角だけは、天井も壁の色鮮やかなフレスコ画で覆われていて、思わず撮ってしまったものです。)

さらに、この中庭に面している一つの窓際には、「Gallo di S.Pietro(ペテロの雄鶏)14C」という名の石の鶏の彫刻が置かれている(私は見ていない)のだそうです。これも、イエスから「雄鶏が3度鳴く前に私を知らないというだろう」と予言されたとおり否定してしまったペテロを思い出すようにされているのですね。

もうこの庭は、遠いエルサレムを身近に感じられるように、至る所に仕掛けがなされているようです。

さて次は、ピラトの中庭を挟んで、サン・セポルクロと反対側にある、小さなトリニタ教会  Chiesa di Trinita 13c です。

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Sst30_tri_chap_2 ここは昔から、4-5世紀では殉教教会、8世紀は、ロンバルディア族の洗礼堂、9世紀はフランカ教会 Chiesa franca、13世紀は、サンタ・クローチェ教会 Chiesa della Santa Croceなど、いろいろな名まえで呼ばれてきたようで、1910年から1923年にかけての大修復時に現在の姿になったそうです。

といっても、右側に小さな礼拝堂のような半円形のくぼみが5つあるだけで、祭壇も見当たりませんでした。でも、柱頭は11世紀から13世紀のものだそうで、少しですがこれは見る価値があります。

さて、いよいよ回廊です。といっても、モワサックのようではありませんが・・・

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上下2段の回廊で、下は支える柱の幅が広くてどっしりとした感じ、上の階は柱が細く間隔も狭いので繊細な感じのする、バランスのよい回廊だと思いました。でも何か足りない・・・と考えていましたら、それは緑でした。はやり中央には草木があるといいな・・・

一階の回廊は上の写真のようでして、古い木の天井がいいですね。ここはどうも、2階の回廊が素敵らしくて、ところどころにかわいい柱頭を見られるそうです。私は行っていないので上がれるかどうか分からないのですが、もし、これから行く予定をされている方は、ぜひチャレンジしてみてください。

最後の博物館です。その隣に充実した売店がありました。

Sst18_musee  Sst20_musee

古くから発展してきたこの教会の経緯を、またアップしておきます。

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Sst24_plan6 関連記事: 
エルサレムを模したサント・ステファノ教会群① (聖十字架教会、サン・セポルクロ教会、サンヴィターレとアグリコラ教会について)
その他の教会については、こちらから選んでください。

この教会のホームページは、こちら

最後に、教会前広場の写真をアップしておきます。統一感のある街って素敵ですね。

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2009年2月 7日 (土)

エルサレムを模したサント・ステファノ教会群① Basilica di Santo Stefano a Bologna

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このような変化のある教会建築は初めてでした。と言っても、上の写真のように、外見上は何の変哲も無くて、大きくもない建物を見ると、信じられないでしょう?

ここは、ボローニャの中心広場から南東に10分ほど歩いたサント・ステファノ教会。小さいながらもその内部は、クリプトや回廊だけでなく、今までの教会訪問の経験からは考えられないほど変化に富んだ教会だったのです。私は気に入ってしまいました。

Sst23_plan 右の平面図を見てください。変わっているでしょう?建物は一つだけではなくて、上の写真で説明しますと、右側の教会と、その左にある八角形の建物、さらに左に見える小さめの建物も全部中の通路で繋がっていて、それら全部を併せてサント・ステファノ教会を構成しているのです。

1-3:聖十字架教会
4:セポルクロ聖堂
5:サン・ヴィターレとアグリコラ教会
6:ピラトの中庭
8:トリニタ教会
9:ベネディクト修道会の回廊
10:マギのグループ
11:博物館

とても古くからここは神聖な場所だったらしく、西暦80年には(キリスト教からみると)異教の神イシスを奉っていた神殿があったのです。

その後、改築、増築を重ね現在の姿になっていきました。一つ一つ見て行きましょう。

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Sst31_crocifisso 先ずはメインの入り口である、1番から3番までの聖十字架教会(Chiesa del Crocifisso)から。8世紀に建てられた旧ロンバルト族の大聖堂で、12世紀に改築され、最終的に現在の姿になったのは19世紀のようです。単身廊、天井は木の梁でした。

内陣は、正面の階段を上がった所ですが、かなり新しそうで手前の身廊の古さと対照的です。丁度頭上に、 磔刑のキリストと共に、上部には裁きのキリスト、左右に聖ヨハネと聖母マリア、足元にはマグダラのマリアと聖フランチェスコが描かれた、Simone de Crocifissiによるキリストの十字架(1380 右)が掲げられていました。

クリプトの入り口は、階段の両側。購入した小冊子(フランス語)によりますと、この内陣への階段は19世紀になってから造られたもので、元のクリプトへの入り口は、上の写真で、正面両サイドに見える、閉じられた白いドアの部分だったそうです。

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左の写真は、クリプトへ入るあたりを横から撮りました。上への階段を登ると内陣へ、少し下るとクリプトに入れます。

1019年に建設されたクリプトには、殉教者聖ヴィターレとアグリコーラの遺体が納められているそうで、さらに柱頭も面白いのが見られるとのことです。

しかし、私達が訪れたときは、奥で礼拝が行われていまして、何人もの修道士達が歌っていましたし、信者の方もいらして、とても写真を撮るという雰囲気ではありませんでした。

     Sst14_cript

Sst10_sepolcro2 さて、クリプトに入る手前左手に、隣の教会(4番)セポルクロ聖堂への連絡する小さなドアがありました。

ドアを通り抜けると、あまりの違いにびっくり!暗い!古い!

大理石とレンガの2種類の柱が円形に置かれていて、これだけを見ると、一瞬洗礼堂かと間違えそう。

でもここが前述した、この複合建築の中で一番古い部分でして、元イシス神殿のあった場所です。5,6世紀にキリスト教としての洗礼堂になり、11,12世紀にセポルクロ聖堂( Sepolcro di Cristo はキリストのお墓、埋葬地の意)になりました。

Sst9_sepolcro1 Sst11_sepolcro3

伝説によると、このボローニャの司教(431-450)だった聖ペトローニオ(後、ボローニャの守護聖人となる)がこの聖堂の立案者で、エルサレムの聖セポルクロを模して建築しのだそうです。

ですので、円の中にあるこの祭壇の下には、聖ペトローニオの聖遺物が納められているそうです。

建築物のここまでの変移は以下の通りです。

Sst29_plan1 Sst25_plan2

5世紀前後に、既にこんな立派な建物が建っていたのですね。そしてそれが現在にも残っているなんて、さすがイタリアです。

さて、更に左側にある5番のサン・ヴィターレとアグリコラ教会( Chiesa SS.Vitale e Agricola )に行きましょう。また半間ほどの狭い入り口を抜けると、このような古い教会内部が目に入ります。

  Sst7_vitale1

こちらも古いです!5世紀では、祈祷用の小礼拝堂だった建物が、6世紀には、司教座大聖堂となり、さらに8世紀から9世紀にかけて、改修および拡張され、さらに11-12世紀に現在の形になったのだそうです。

ここも、大理石の柱とレンガの柱が混ざっています。ここは他に誰もいなくて暗くて、少し怖くて(古かったから?それとも出入り口が一つだったから?)、早々に出てしまいました。

ピラトの中庭に出るには、またセポルクロ聖堂に戻り、左側にある出口から出なければなりません。

(ピラトの中庭以降は、次回とさせていただきます。)

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