美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会② Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna
これが、前述したベンティヴォーリオの礼拝堂(Cappella Bentivoglio)です。写真を入れ替えました。以前は、鉄柵の外側から撮った写真でした(私のは一眼レフのカメラなので、この間を通すことができなかったのです)が、なんと主人がコンパクトカメラで、中に手をいれて撮ってくれていました。知らなかった・・・有難いです。
購入した小冊子に寄りますと、1399年、聖ジョヴァンニと聖アンドレアに献納された礼拝堂で、1445年にベンティヴォリーオ家の所有となり、その後大改造をして現在の礼拝堂の形になったそうです。
ジョヴァンニ・ベンテヴォーリオ2世(Giovanni Ⅱ Bentivoglio)統治の時代(1462-1506)、彼の庇護下にいたロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa 1460-1535)というフェラーラ出身の画家が、礼拝堂装飾の責任者になりました。上の写真の両側の壁と祭壇上部の半円形の絵は、彼によって描かれています。
右の画像(絵葉書)は、礼拝堂右側の壁に描かれてる絵で、上の写真の右側に見えているものです。これは、ロレンツオ・コスタの「玉座の聖母とベンテヴォーリオ一族 1488」でして、中央右よりの赤い帽子をかぶっているのがジョヴァンニ2世だそうです。(画像はすべてクリックすると拡大します。)
コスタは、フェラーラで生まれ育ったので、当然コズメ・トゥーラ(Cosimo Tura)の影響を受けたのは納得できますが、この絵をみると、かなり保守的ですね。
彼より20歳の年上のマンテーニャが、このボローニャのすぐ近くのマントヴァで、同じく自分が仕えていたゴンザーガ一族を描いた「夫婦の間」のフレスコ画と比べると、その差は歴然!!マンテーニャの偉大さが分かります。確かに、礼拝堂と個室という目的の違いはありますが・・・。
礼拝堂左側の壁に描かれている2つの絵はコスタによるもので、左は「名声の勝利 Trionfo della Fama 1490」、右は「死の勝利 Trionfo della Morte 1490」。小冊子には詳しい説明が載っていなくて、ただ、聖書や神話、歴史などから多く引用されていて、”ダンテ的”と書かれていました。
彼は、ペルジーノや次に述べるフランチャなどから影響を受け、”感性が鈍いのは、非難されるべき”と考えるようになった、と書かれています。ペルジーノの影響はここにまで及んでいたのですね。
彼はフランチャと共に、隣のサンタ・チェチーリア祈祷所にも絵を描いていますので、また、いつかアップすることにします。
正面の祭壇画は、コスタの友人であったフランチェスコ・フランチャ(ライボリーニ) Francesco Francia( Raibolini 1450-1517)の「玉座の聖母と聖人たち Madonna in trono e Santi 1494」(右上の画像)が描かれていました。美しい絵ですね。ルネサンス以前の絵としては、完璧ではないでしょうか。
この絵を描いた12年後、ベンテヴォーリオ家の支配は終わり、ボローニャは教皇領になるわけで、ちょうどその頃近くのマントヴァでは、マンテーニャが亡くなったので、ゴンザーガ家はこのフランチャとコスタを受け入れたようです。歴史的見事なタイミングだと思います。
ウィキペディアのフランチャの説明の中で、ラファエロの「聖セシリア」(ボローニャのピナコテーカで見られるようです。)を見て、激しい劣等感に襲われ、そのせいでうつ病にかかって亡くなったらしいと書かれていましたが、同じ画家として、地理的に離れていたとはいえ、その差を見せ付けられたショックは大きかったでしょう。
ボローニャからフィレンツェへ車で行った時、始めてこの二つの街の距離を知りました。山を越えると又次の山というふうに、山がいくつも繋がっていて、車でも超えるのは大変だったのです。つまりフィレンツェは、鎌倉のように自然要塞を持っていて、車の無い時代では、ボローニャとフィレンツェは簡単に行ける距離ではなかったと思われます。
ということは、ボローニャは、残念ながら天才達がいたフィレンツェの高い文化の影響は受けていなかったということで、フランチャのショックは相当だったと想像できます。当時、旅をして他の街を廻るという事は、貴重な文化吸収の機会だったのが良く分かる話ですね。
さて次は、美しい金ぴかの多翼祭壇画。とても鮮やかに見えますが、これは絵葉書からで、実際は右下の写真のように、暗くて地味な部屋にありました。とても同じ祭壇にはみえませんよね。
これは、パオロ・ヴェネティアーノ Paolo Veneziano(活動期1333-1358)の1344年の作品だそうです。(絵の聖人は、左から聖アゴスティーノ、使徒の聖ヨハネ、使徒聖ペテロ、聖パウロ、聖ヤコブ、聖アンブロージョ。)
こちらを見ると、ヴェネチアのアカデミア美術館に美しい多翼祭壇画を残していますね。また、イタリアのウィキを読むと、なんとヴェネチアのサン・マルコ寺院内陣のあのきらきらの祭壇画パーラ・ドーロ(サン・マルコ寺院の中で、別料金を支払って見なければなりません。大きくてまぶしいほどきらきら。)を制作した方のようです。知らなかったー!
彼は、ヴェネチアのアンドレア・ダンドロ(Andrea Dandolo)に仕えて、息子のMarco, Luca, Giovanniと共に祭壇画を主に作製していたそうです。その作風は、ビザンチン風、後にゴシック様式で作製され、ジョッドから影響を受けているのだとか。
こうやって少しずつ見ていくと、この教会はまったく美術品の宝庫だと思うのですが、私にとってはもう十分なので、これで終わりとしたいと思います。左は、この教会の平面図です(クリックしますと、拡大します)。左上の19番がベンティヴォーリオ礼拝堂、14番がCartari-Cavazzoni礼拝堂で、上述の多翼祭壇画があります。
最後に、面白いものを見つけました。1702年の地図です。”S. Giacomo”と書かれた回廊の下にある四角い場所が、もとアウグスティーノ修道会所属の建物です。
ナポレオン侵略以降、なぜこれがサン・ジャコモ教会に属するようになったのか、分かるような気がしますね。すぐ側に別の教会があったので、一つにしただけとか・・・(違うかな?)。
この教会自身は、その道路側(建物の下の面)の部分にあたります。こういう古い地図が大好きなので、どうしても見つけるとアップしたくなります。イタリアの古い地図は、”上が南”となっている場合が多いようです。
これをみると、現在の様子と全然変わっていません。石とかレンガの建物は偉大ですね。
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