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2009年1月の9件の記事

2009年1月29日 (木)

美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会② Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

これが、前述したベンティヴォーリオの礼拝堂(Cappella Bentivoglio)です。写真を入れ替えました。以前は、鉄柵の外側から撮った写真でした(私のは一眼レフのカメラなので、この間を通すことができなかったのです)が、なんと主人がコンパクトカメラで、中に手をいれて撮ってくれていました。知らなかった・・・有難いです。

    Sgm8_cap19

購入した小冊子に寄りますと、1399年、聖ジョヴァンニと聖アンドレアに献納された礼拝堂で、1445年にベンティヴォリーオ家の所有となり、その後大改造をして現在の礼拝堂の形になったそうです。

E_costa1_famiglia ジョヴァンニ・ベンテヴォーリオ2世(Giovanni Ⅱ Bentivoglio)統治の時代(1462-1506)、彼の庇護下にいたロレンツォ・コスタ(Lorenzo Costa 1460-1535)というフェラーラ出身の画家が、礼拝堂装飾の責任者になりました。上の写真の両側の壁と祭壇上部の半円形の絵は、彼によって描かれています。

右の画像(絵葉書)は、礼拝堂右側の壁に描かれてる絵で、上の写真の右側に見えているものです。これは、ロレンツオ・コスタの「玉座の聖母とベンテヴォーリオ一族 1488」でして、中央右よりの赤い帽子をかぶっているのがジョヴァンニ2世だそうです。(画像はすべてクリックすると拡大します。)

コスタは、フェラーラで生まれ育ったので、当然コズメ・トゥーラ(Cosimo Tura)の影響を受けたのは納得できますが、この絵をみると、かなり保守的ですね。

彼より20歳の年上のマンテーニャが、このボローニャのすぐ近くのマントヴァで、同じく自分が仕えていたゴンザーガ一族を描いた「夫婦の間」のフレスコ画と比べると、その差は歴然!!マンテーニャの偉大さが分かります。確かに、礼拝堂と個室という目的の違いはありますが・・・。

    L_costa2_gaushe     

礼拝堂左側の壁に描かれている2つの絵はコスタによるもので、左は「名声の勝利 Trionfo della Fama 1490」、右は「死の勝利 Trionfo della Morte 1490」。小冊子には詳しい説明が載っていなくて、ただ、聖書や神話、歴史などから多く引用されていて、”ダンテ的”と書かれていました。

彼は、ペルジーノや次に述べるフランチャなどから影響を受け、”感性が鈍いのは、非難されるべき”と考えるようになった、と書かれています。ペルジーノの影響はここにまで及んでいたのですね。

彼はフランチャと共に、隣のサンタ・チェチーリア祈祷所にも絵を描いていますので、また、いつかアップすることにします。

F_francia_madonna

正面の祭壇画は、コスタの友人であったフランチェスコ・フランチャ(ライボリーニ) Francesco Francia( Raibolini 1450-1517)の「玉座の聖母と聖人たち Madonna in trono e Santi 1494」(右上の画像)が描かれていました。美しい絵ですね。ルネサンス以前の絵としては、完璧ではないでしょうか。

この絵を描いた12年後、ベンテヴォーリオ家の支配は終わり、ボローニャは教皇領になるわけで、ちょうどその頃近くのマントヴァでは、マンテーニャが亡くなったので、ゴンザーガ家はこのフランチャとコスタを受け入れたようです。歴史的見事なタイミングだと思います。

ウィキペディアのフランチャの説明の中で、ラファエロの「聖セシリア」(ボローニャのピナコテーカで見られるようです。)を見て、激しい劣等感に襲われ、そのせいでうつ病にかかって亡くなったらしいと書かれていましたが、同じ画家として、地理的に離れていたとはいえ、その差を見せ付けられたショックは大きかったでしょう。

Smg17 ボローニャからフィレンツェへ車で行った時、始めてこの二つの街の距離を知りました。山を越えると又次の山というふうに、山がいくつも繋がっていて、車でも超えるのは大変だったのです。つまりフィレンツェは、鎌倉のように自然要塞を持っていて、車の無い時代では、ボローニャとフィレンツェは簡単に行ける距離ではなかったと思われます。

ということは、ボローニャは、残念ながら天才達がいたフィレンツェの高い文化の影響は受けていなかったということで、フランチャのショックは相当だったと想像できます。当時、旅をして他の街を廻るという事は、貴重な文化吸収の機会だったのが良く分かる話ですね。

さて次は、美しい金ぴかの多翼祭壇画。とても鮮やかに見えますが、これは絵葉書からで、実際は右下の写真のように、暗くて地味な部屋にありました。とても同じ祭壇にはみえませんよね。

Sgm4_paolo_veneziano

Sgm9_cappella14 これは、パオロ・ヴェネティアーノ Paolo Veneziano(活動期1333-1358)の1344年の作品だそうです。(絵の聖人は、左から聖アゴスティーノ、使徒の聖ヨハネ、使徒聖ペテロ、聖パウロ、聖ヤコブ、聖アンブロージョ。)

こちらを見ると、ヴェネチアのアカデミア美術館に美しい多翼祭壇画を残していますね。また、イタリアのウィキを読むと、なんとヴェネチアのサン・マルコ寺院内陣のあのきらきらの祭壇画パーラ・ドーロ(サン・マルコ寺院の中で、別料金を支払って見なければなりません。大きくてまぶしいほどきらきら。)を制作した方のようです。知らなかったー!

彼は、ヴェネチアのアンドレア・ダンドロ(Andrea Dandolo)に仕えて、息子のMarco, Luca, Giovanniと共に祭壇画を主に作製していたそうです。その作風は、ビザンチン風、後にゴシック様式で作製され、ジョッドから影響を受けているのだとか。

Sgm_plan こうやって少しずつ見ていくと、この教会はまったく美術品の宝庫だと思うのですが、私にとってはもう十分なので、これで終わりとしたいと思います。左は、この教会の平面図です(クリックしますと、拡大します)。左上の19番がベンティヴォーリオ礼拝堂、14番がCartari-Cavazzoni礼拝堂で、上述の多翼祭壇画があります。

Sgm_mappa_2 最後に、面白いものを見つけました。1702年の地図です。”S. Giacomo”と書かれた回廊の下にある四角い場所が、もとアウグスティーノ修道会所属の建物です。

ナポレオン侵略以降、なぜこれがサン・ジャコモ教会に属するようになったのか、分かるような気がしますね。すぐ側に別の教会があったので、一つにしただけとか・・・(違うかな?)。

この教会自身は、その道路側(建物の下の面)の部分にあたります。こういう古い地図が大好きなので、どうしても見つけるとアップしたくなります。イタリアの古い地図は、”上が南”となっている場合が多いようです。

これをみると、現在の様子と全然変わっていません。石とかレンガの建物は偉大ですね。

関連記事:サン・ジャコモ・マッジョーレ教会の外観と内部

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2009年1月24日 (土)

知らなかったデュッセルドルフの美術館

Klee_panph4 知らなかったです、デュッセルドルフにこのような20世紀の絵画作品を多数展示している美術館があったとは・・・。

デュッセルドルフは日本企業の支店が多く、日本人が沢山住んでいる街でパチンコもできるらしいと、パリ時代うわさに聞きました。観光する箇所はあまりないらしいので、行こうとは思わなかったのですが、こんなすばらしい美術館があったのですね。

渋谷・Bunkamuraで今開催している「ピカソとクレーの生きた時代」展は、そのデュッセルドルフにある「ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館」の所蔵する作品展だったという事を、会場に入って始めて知りました。

Klee_panph3 実は行く予定にはしていなかったし、時間が余ったので足を運んだ、という状況だったのです。だって、ピカソもクレーも頻繁に見てきたし、これからも見る機会は沢山あるでしょうから・・・。

ところが、見始めてすぐに、これはいいぞ!と思い始めていました。一緒に行った主人の感想も良かったです。

ピカソは数は少ないものの「鏡の前の女」など良い作品が来ていましたし、シューレアリズムの有名な画家達の絵もある程度あり楽しませてくれました。また、この美術館の目玉でもあるクレーの作品についても詳しい説明があり、チュニジア旅行で感激し、彼の絵の転機になったこと、デュッセルドルフの美術学校で教鞭をとっていたこと、ナチスドイツに追放され絵は没収となったことなど、多くの事を知りました。

Klee_panph2 しかし、私が一番興味を持ったのは、ナチスドイツ時代に前衛画家だということで、迫害を受けたという、名まえの知らない前衛画家達の絵でした。

今までドイツの美術館で興味を持って見てきた絵は古い絵ばかりでして、20世紀の画家達の活動や作品は、私の頭には全く無かったのです。目を開かされた思いでした。彼らの絵は、パンフレットには載っていないので、お見せできないのが残念です。

まず、ジョージ・グロス「恋わずらい」:描き方がかくかくとしていて、一瞬佐伯祐三の「郵便配達夫」に似ているな、という印象。喫茶店に座っている男の人の顔は青く全く生気が無くて、タイトルとは程遠いほどの絶望感。

彼はドイツのダダイズムの画家のようで、パネル説明によりますと、ナチスドイツ時代に追放された彼は、アメリカへ亡命したようです。

Klee_panph1 その隣にあったマックス・ベックマン「夜」:これも怖い絵でした。画面いっぱいの悲劇的な拷問、十字架、悲壮感。ナチスへの批判まるだしです。画家も追われる羽目になるのは分かっていたにもかかわらず、描かずにはいられなかったのでしょうね。

今まで見たことも無かった画家達の作品は、新鮮に思えました。その他、ルネ・マグリット、エルンスト、イヴ・タンギーなど有名なシューレアリスト以外にも、リヒャルト・エルツェ「日々の苦悩」も良かったかな。

この美術展には、点数は多くないのに満足できる不思議な魅力がありました。皆さん楽しめるのではないかと思います。、

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2009年1月22日 (木)

美術品で飾られたサン・ジャコモ・マッジョーレ教会① Chiesa di S. Giacomo Maggiore a Bologna

    Sgm10_int

なんと明るくて賑やかな教会でしょうか!壁はピンク色、彫刻もあればフレスコ画もあり、絵画もある、ここそこに、多数の美術品が目に入る贅沢な教会です。

相変わらず、イタリアの教会は派手ですね。この派手さ、にぎやかさ大好きです。ここは、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会(Chiesa di S. Giacomo Maggiore)、ボローニャの象徴とも言うべき2つの斜塔から国立絵画館の方へ歩いていく途中、右側にあります。

Sgm12_facade ところがこの教会の入り口を、なかなか見つけられなかったのです。入り口は教会の西側、ファサードの位置にあるはず!という固定観念から抜け出せず、写真のように閉ざされている扉を前にうろうろしてしまいました。

そこに掛かっていたプレートに寄りますと、この建物は、

・ナポレオンによって廃止される以前、この建物はアウグスティーノ修道会が所有していた。
・13世紀に始まり、19世紀初頭に改築された。

・1752年、アルフォンソ・トッレッジャーニ(Alfonso Torreggiani)によって計画された大階段(何処にあるのか不明)を残し、そして、A. G. Pioによって作成された彫像によって装飾された。
・1805年からは、”ジャン・バッティスタ・マルティーニ”という音楽学校の活動拠点になっている。

と書かれていました(訳があっていればいいのですが・・・)。

とにかく、入り口が分からず、真夏の太陽の中、2度街の中心から足を運んだのです。どうして中を見たくて・・・。

Sgm11_ext もう見られないのかと諦めて、仕方なく、すぐ隣にある聖チェチーリア礼拝堂へ行こうと絵画館の方向へ歩き出したとき、偶然見つかりました。歩道(ポルティコ)を歩いていて、はっ!ここは何?と入ったのが、ラッキーにもこの教会だったというわけです。

この写真の右の少し暗くなっているところが入り口です。まさか、こんな通路に狭い入り口があるとは、思ってもいませんでした。この教会の形はバジリカ形式で細長く、この通路の右側の壁は、教会の壁だったのです。

Sgm115_int 中に入ってびっくり!周りのたくさんの装飾に一瞬にして囲まれたような印象でした。特に、彫刻の多さには目を見張りました。そしてその配置の多様さも・・・。

2段目のアーチの上にも彫像がありますよね。その下は3つのアーチに分かれていて、その一つ一つのアーチにもそれぞれ模様の異なるフレスコ画が描かれて、とても鮮やかです。

全体的にこの教会、教会特有の身の引き締まるような荘厳さはなく、各ファミリーの礼拝堂が主体をなしていて、庶民的な感じがしてとても気に入りました。

Sgm6_p_fontana_1561 さて、どれから見ようかと戸惑うほどにぎやかにいろんなものがあります。左は内陣に近い右側の礼拝堂の写真で、絵はプロスペロ・フォンターナ(Prospero Fontana 1512-97)による”キリストの洗礼”です。

ヨハネがとても凛々しく、天上の神の周りも多くの天使たちと共にオレンジ色のグラデーションが素敵で、美しい絵でした。

こちらのウイキペディアを読みますと、フィレンツェでヴァザーリの工房に入り、ヴェッキオ宮殿のフレスコ画作成にも加わっているようですね。実力派です。短期間ではありますが、なんとカラッチ兄弟の先生をしていたとか。また、一人の画家の名前を覚えました。

Sgm7_tombo_2 右は、内陣の裏側の周歩廊に掛かっていたお墓です。立派なので思わず写真を撮ってしまったのですが、この人物はやはり当時の支配者の家族でした。

売店で購入した薄い冊子によりますと、1433年のヤコポ・デッラ・クエルチャ Iacopo della Quercia の作品「アントン・ガレアッツォ・ベンティヴォーリオの墓廟 Monumento sepolcrale di Anton Galeazzo Bentivoglio」だそうで、15世紀後半ボローニャの政権を握っていたジョヴァンニ・ベンティヴォーリオ2世という人物の息子のお墓だそうです。

丁度このお墓の向かいにあった美しい礼拝堂がベンティヴォーリオ家のもので、この教会の中で一番フレスコ画が鮮やかでした。ただし鉄柵があり、しかもその幅が狭くて、カメラを入れることができず、残念。とにかく次回、その絵をアップすることにしますね。

あまり期待していなかった小さな冊子には、この教会の平面図、そして教会内にある35全ての礼拝堂に飾られている美術品の簡単な説明が載っていました。こういう本は、本当にありがたいです。

平面図とベンティヴォーリオの礼拝堂、その他の美術品については次回書くことにします。

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2009年1月20日 (火)

アンドリュー・ワイエス氏への追悼

Andrew2_wyeth 先日16日、アンドリュー・ワイエス氏が91歳で亡くなったとネットのニュースで見ました。ああ、また偉大な画家が亡くなられたのかと、ちょっとショック。

先月、Bunkamuraで開催されていた「ワイエス展」を見て、感激しました。そこで流れていたビデオでは、素敵なお孫さんと元気にお話されていたのに・・・

日本では、彼はかなりポピュラーで、多くのファンがいるそうです。しかし恥ずかしながら、実は今回が私にとって初めての彼の展覧会でした。

もちろん、彼の存在は知っていました。彼の代表作「クリスティーナの世界」は、若い頃、以前の建物だったニューヨーク近代美術館で見ていたのです。でも、何の感動もありませんでした。

なにしろ当時は、ピカソの「ゲルニカ」がアメリカに疎開中でして、その近代美術館には、多くの人がゲルニカを見るために訪れていたと言ってもいい状態でしたから・・・。しかも、他にもすばらしい作品が沢山あったもので・・・。その後もワイエス氏の絵には全然興味が沸かず、今回の展覧会も見送るつもりだったのです。

Andrew1_wyeth_2 ところが、国立新美術館でピカソ展をみた帰り、地下鉄の駅で見たワイエス展の広告に思わず足が止まりました。

彼の「火打ち石」の広告にはあまり気持ちは惹かれなかったのですが、この人物の横顔は凄い!なんという描写力!思わず広告に顔を近づけ、しみじみとその深い皺、丁寧に描かれた柔らかな髪を見続けました。意思の強そうな、人生をまっすぐに歩いている人の目・・・人生の厳しさがひしひしと感じられました・・・

そしてそのまま、文化村へ直行したわけです。知りませんでした、ワイエス氏のいろんなことを・・・彼の作品のすばらしさは、確かな技術、緻密な描写力にあったのですね。

彼の作品は、ほとんどが水彩もしくはテンペラで描かれていることも今回知ったことの一つです。彼は重いタッチは好きではなかったようです。

何度も検討し描かれた素描も多数展示されていましたが、どれも惹かれました。

「絵を描くには(でしたっけ?)、手だけがあればいい。」という彼の言葉、気に入りました。これから先、またこういう展覧会がありましたら、是非出かけたいと思います。

ワイエスさん、素敵な作品を有難うございます。どうぞ、天国でも絵を描き続けていてください。ご冥福をお祈りいたします。

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2009年1月16日 (金)

旧ボローニャ大学 アルキジンナージオ Archiginnasio

Bl_archi1_2 パドヴァにて、パドヴァ大学の中庭を目の前にしながら、構内見学ツアーの時間が合わなくて入れなかったのがとても残念で、ぜひともこの旧ボローニャ大学(アルキジンナージオ Palazzo dell'Archiginnasio)には入りたいと思っていました。

場所は、街の中心ペトローニオ聖堂のすぐ左横の通り沿い、市立考古学博物館のすぐ先にあります。とても分かりやすいはずなのに、通りの雰囲気がとても良くて、気持ちよく歩いていたら、行き過ぎてしまっていました。それ程近いのです。

入り口から、このような紋章に覆われていて、うわっ!うわっ、凄~い!と興奮しながら中へ。

Bl_archi4 中庭もこのように紋章でいっぱい。パドヴァの大学と比べると、こちらの方が古いはずなのに、パドヴァの方が古く見えました。色が明るいからでしょうか?また、パドヴァの中庭もアップしますね。

この建物は、1562-63年に建設され、1803年までは旧ボローニャ大学の校舎、そして今では、写本を含む60万冊の蔵書を有する重要な市立図書館となっています。

今回は夏休みなのか時間の関係なのか、とにかく図書館は閉まっていて、その様子を見ることはできませんでした。

Bl_archi3 公開している解剖室は2階にあるらしいので、矢印従って階段の方へ行きましたら、ウワー!この狭い空間も右の写真のように、紋章模様でいっぱい!思わず写真を撮ってしまいました。

そして、上がりきって右方向をみると、下の写真になります。

Bl_archi8

2階の廊下にまで、紋章で溢れているのですね。といってもこの廊下、元はガラスは無くて、建物の外廊下になっていたはずだと思います。パドヴァの大学がそうでしたので・・・

この廊下正面が、図書館の入り口、右に曲がっていき、さらに曲がると、解剖室の入り口になります。

Bl_archi10 さて、いよいよ解剖室です。実はここで、監視係りの女性から、英語で書かれたA4サイズの解説紙を頂き、ついでに本も購入したのですが、なぜかそれらが見つからないのです!これで解剖室について詳しく書ける、と楽しみにしていたのに・・・残念です。

どうもこの部屋は作り変えられたとかで、天井だけが本物だそうです。手前の白い台が解剖台ですが、こういうのを見ると、レンブラントの絵「テュルプ博士の解剖学講義」(マウリッツハイス美術館)とか、前田青邨の「腑分け」(山種美術館)を思い出してしまいますね。

Bl_archi9 左は天井の写真。凝っていますね。(後述:井上ひさし氏「ボローニャ紀行」に寄りますと、真ん中の像は、医学の考案者とされるアポロ像で、周囲は星座の文様なのだそうです。)

ゆっくりと見学し、部屋を出ようとしたとき、その監視の女性が、私と側にいたスペイン語でガイドしていた女性に、なんとなく急かすように、「早くそこを曲がって、向こうの部屋に行きなさい!その部屋に私の友人がいるから、その人に、私からこちらに来なさいと言われた、と話しなさい!」と言うのです。

きっと時間の関係で、その部屋を閉めるのかもしれない、と思い、彼女にお礼を言い、急いで、階段を登りきった場所を反対側の方へ進み、正面の部屋に入りました。

うわー!なになに、この部屋は・・・!下のほうには本箱が並んでいるものの、壁という壁は紋章で埋まっています。中には、豪華なタピスリーになっているのもありました。

    Bl_archi12_2

別の女性にスペイン語(ポルトガル語かも?)ガイドをしていた女性が、私に英語で声をかけてきました。「ここでは昔、ロッシーニーが演奏をしたことがあるのよ。」「あっ、そうですか・・・」。

なんでも、ここでロッシーニーが「スタバト・マーテル」という曲の初演を行ったそうで、そういう理由から、この部屋は「スタバト・マーテルの間 Sala dello Stabat Mater」と呼ばれるのだそうです。現在でも、時々ここでミニコンサートも開催されているとか。

Bl_archi16 現地のパネルの地図を載せておきます。

1: スタバト・マーテルの間
2: 廊下に古い本の展示
3: 解剖室
ピンク色のエリア: 図書館関係

説明書が無いために、詳しいことが書けません。すみません、頂いた紙を探してみます。

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2009年1月11日 (日)

ボローニャのサン・ドメニコ教会 Basilica di San Domenico②

Sd_rosa1 ボローニャのサン・ドメニコ教会で一番大切なのは、前回書きました聖ドメニコのお墓ですが、それ以外の見所も少し紹介しておきます。

先ず聖ドメニコのお墓の真向かいにある、これまた広さ、装飾共に豪華な「ロザリオの礼拝堂Cappella del Rosario」。

入り口右側に置かれていたパネルを読みますと、キリスト教信仰の中では、ロザリオは聖ドメニコに与えられたのだそうです。ですから、すべてのドメニコ派の教会では、ロザリオのマドンナはとても崇拝されているとのこと。(そうだったのですか・・・よく分からないけれど・・・)

つまり、この礼拝堂も聖ドメニコのお墓ゆえに建設されたことになります。1370年に工事が始まり、1465年に完成し、後期ゴシック様式でできているのだそうです。

見事な天井のフレスコ画は1655年から2年かけてAngelo Michele Colonna と Agostino Mitelli によって描かれました。でもここで見たいのは、カラッチなど複数の画家が描いた言われる絵です。でも、それは何処にあるのでしょう?

Sd_rosa2 祭壇の前に来ました。近くに来ると、その大きさに驚きます。

正面のマリア様の像の周りには、四角に区分けされた所に何か描かれているようですが、小さい上に黒ずんでいて、しかも上のほうにある為、判別できません。

絵をさがして、上下左右きょろきょろ。見当たらないので、一旦この礼拝堂を出て、左右を見渡したらみつけました。

Sd_rosa4 礼拝堂入り口の左端の低い台の上に、手製の小さな解説板が置かれていたのです。誰も気に留めないような簡単なもので、とてもこれが中にある、大きな祭壇画の周りの絵の説明とは思えませんでしたが・・・

この礼拝堂で一番重要なものは、この祭壇の絵(黒くて判別できなかった絵)「ロザリオの神秘 Mysteres du Rosaire」だそうで、当時のボローニャ派を代表する画家達が中心となって描いたのだそうです。

でも、上の写真をみてもわかるように、絵の洗浄をしていただかないと、左のような絵には見えませんよね。

左の中央の絵の上下には、赤いマジックで「マリアの贈り物、ロザリオ」と書かれています。周りの絵は、キリストの生涯を表しており、話は左下が最初で、上へ、そして右下へと進んでいきます。画像はクリックすると大きくなりますので、ご覧ください。

1:「受胎告知」         ロドヴィーコ・カラッチ Lodovico Carracci 
2:「エリザベツ訪問」 ロドヴィーコ・カラッチ
3:「キリスト降誕」   バルトロメオ・チェージ Bartolomeo Cesi
4:「神殿奉献」     Denis Calvaert
5:「博士達との論議」 Lavinia Fontana
6:「オリーヴ山上の祈り」 バルトロメオ・チェージ
7:「鞭打ち」       ロドヴィーコ・カラッチ
8:「茨の冠」       バルトロメオ・チェージ
9:「十字架の動行」  ロドヴィーコ・カラッチ
10:「磔刑」       バルトロメオ・チェージ
11:「キリストの復活」 グイード・レーニ Guido Reni 
12:「キリストの昇天」  Francesco Albani
13:「精霊降臨」       バルトロメオ・チェージ
14:「聖母被昇天」     Domenichino
15:「聖母の戴冠」    Lavinia Fontana 

Sd_lippi1 1769年、モーツァルトが若い頃、父親と一緒にここへ来たとき、この礼拝堂でオルガンを弾いたのだそうです。

もう一つ忘れてはならない作品が、内陣の右側にある幅の狭い礼拝堂「Cappella di S.Caterina」の奥にある、フィリッピーノ・リッピの「聖女カテリーナの神秘の結婚」(1501年)です。

その礼拝堂はとても明るくて、丁寧にいすが整えられていたのですが、なんと鉄格子があって中へは入れないのです。しかも絵は奥の方にあるので、鉄格子の間からカメラを入れ、拡大して撮りました。とても美しい作品ですが、あまり大きくはないので良く見えませんね。

はやり、この教会で絵として一番印象に残ったのは、サン・ドメニコ礼拝堂の天井に描かれたグイード・レーニ作のフレスコ画「聖ドメニコの栄光」でしょうか。最後に大きくアップして、この教会を終わりにします。

Guido_reni

《関連記事》
サン・ドメニコ教会:聖ドミニコのお墓について

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2009年1月 8日 (木)

一人の日本人コレクターによって蒐集された美しい西洋版画

F_2 昨年12月の事ですが、一人の日本人コレクターにより蒐集された西洋版画、しかもデューラーからルーカス・クラーナハ、ブリューゲル、レンブラントさらにはジャック・カロまで見られるというので、これは行かなくてはと、初めて”八王子市夢美術館”を訪れました。

八王子からバスで3つ目(だったかな?)の停留所で下車。初めての美術館は、いつもわくわくします。大きな道路を横断し、近くをきょろきょろ。ホームページではビルの2階と書かれていたので、近くの大きなビルに向かう。当たり!入り口は明るい日差しを受けて気持ち良いし、受付の方も感じ良く、こんなかわいい美術館を知っただけでも満足でした。

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さて、中に入ると、ズラーっと並んでいる版画にびっくり。点数もかなりあり(160点と後で知る)そうですし、内容も最初から驚き。ションガウアーから始まり、デューラー、クラーナハ、ボス、ブリューゲルなどと超有名な画家の版画が続いているのです・・・す、凄い!

先ず、デューラー(1471-1528)「黙示録 第8章より」で足を止める。彼の版画の線の細かさは「メランコリア」などでおなじみですが、1498年当時27歳だった彼が最初に書物の体制で出版した版画が「黙示録」。この大成功により、彼の名声はヨーロッパ中に響くようになったそうです。彼の作品を好きな方は多いですよね。

Durer_apocalyps8 彼の木版画(そう、これは木版画でした!)はかなりの革新性に溢れていたようです。その独自性は、置かれていた説明書によりますと、

①作品の大きさ: 当時の版画は、文章の一部にはめ込まれるのがほとんど。当時の紙漉き技術や版木の事情から考えて、「黙示録」の縦40cm横30cmは最大限の大きさだそうです。

②出版物としての特異性: 通常、版画を書物の挿絵とする場合、版元が下絵師や刷り師に依頼して作っていたが、デューラーはそれらを一人で全てを行った。

③木版画としての革新性: それまでの版画の線は、物の輪郭線やエリアの境界線。ところがデューラーは、木版画ですばらしい立体感を表現した。これは、旅行で訪れたイタリアルネッサンスの影響。

改めて、デューラーの偉大さを思い知った次第です。上のパンフレットの表紙の版画もデューラー作「三日月上の聖処女マリア」。

Cranach_chrysostom 題材として興味を持ったのは、クラーナハの「聖ヨハネス・クリュソストモスの苦行」という作品(左の画像)。

この聖人は、一人の娘と通じて子をなしたが、二人を殺して埋めてしまった。それを悔いて、罪が赦されるまで絶対に口をきかず、天に顔を向けないと誓ったという。彼の罪が赦されたとき、殺された二人が発見される、という話。

版画の右端で、地面に手をついている裸の小さく描かれている人物が聖人で、手前に大きく描かれている裸婦と赤ちゃんが発見された親子だとか。

人を殺しても聖人になれるんですね!驚きです!この話が忘れられなくて、帰宅後、黄金伝説でこの聖人を探してしまいました。4分冊中まだ1冊しか購入していないのですが、その中になんとこの聖人がいらっしゃったのです!

Goltzius_adration 真実かどうか不明の逸話満載の黄金伝説ですが、残念ながらこの聖人には、前述のような話は書かれていませんでした。ただし、「温厚というよりはむしろ激越であり、信念を貫くためには石橋をたたいて渡るということはしなかった。」と書かれていまして、かなり激しい性格の人で、その人生も波乱万丈だったようです。上の話が無かったのは、良かったのかもしれませんが、ちょっとがっかり。

その他、ボス「盲人の手を引く盲人」、ピーテル・ブリューゲル(父)「最後の審判」「七つの大罪」、ヘンドリック・ホルツィウス「羊飼いの礼拝」(右の画像。作成途中とはいえ、美しい作品です。”一定のエリアごと掘り込んでいく”というエングレーヴィングの制作過程が分かるとか。) レンブラント「口ひげをたくわえた男の肖像」、ジョルジオ・ギージ Giorgio Ghisi(驚くべき細かい彫り)。

Callot_temtation やっと出てきました、ジャック・カロ!「戦争の惨禍」「インプルネータの市」(カロでは、こんな大きな版画は初めて)、「聖アントニウスの誘惑」(左の画像、奥行きのある見事な作品)、ピラネージ、ゴヤ、ドーミエ、ルドン・・・

このコレクターは50年前からこつこつと集めて来られたという。つまり1958年頃から集めていたわけで・・・東京オリンピック以前の時代から西洋版画の美しさを知り、惹かれ、集め始めていたということは、きっと家柄も良く、相当の見識があり、財政的にも豊かだった方なのでしょうね。

私達のような一般人に、苦労して集め、大切に温めてこられた価値ある作品を一同に公開してくださったことは、ほんとうに有難い事です。

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2009年1月 3日 (土)

2008年に鑑賞した美術展一覧

私がブログを書き始めたきっかけは、展覧会の感想を忘れように書き留めておくためだったのですが、いつの間にか方向が変わってしまいました。まあそれも良いのですが、それにしても、昨年の実績はひどいものです。

なんと、昨年1年間に鑑賞した美術展は、たったの38・・・。以前はこの倍の数見ていたのに・・・悲しいかな、これではとても”美術鑑賞が好きなんです!”とは言えませんね。

でも昨年は、本当に興味のある展覧会だけを見に行ったので後悔はありません。ただ、春に京都l国立博物館で開催された「河鍋暁斎展」を見なかったのは、ほんとに残念!この頃は、旅行が詰まっていて忙しかったのです。

今年は目標が低いのですが、1週間に少なくとも1つの美術展は鑑賞して、その感想も少しでもいいから書きたいと思っています。パンフレットだけのときもあるかもしれませんが・・・。

一応忘れないために、昨年の一覧を書いておきます。この作業をしながら、だんだんその美術展を見たときの感激を思い出しました・・・それなのに、この観覧記の数の少なさといったら・・・なんと情けない。すぐに書かないといけませんね。

<1月>
★(1)「故郷のスイスの村のぬくもり アンカー展」 Bunkamura 2007/12/1-2008/1/20 観覧記

★(2)「ティツィアーノ《うさぎの聖母》 聖なる詩情」 LOUVRE-DNP ミュージアム・ラボ 2007/10/27-2008/3/1 観覧記

F_2 ★(3)「近代日本画 美の系譜」(水野美術館コレクションの名品より) 大丸ミュージアム東京 1/10-1/28

こんなに見事な美術品を豊富に持っている美術館が長野県にあるとは、全然知りませんでした。ぜひとも訪れてみたい美術館の一つになりました。山種美術館の長野版のようです。このような日本画は、ほんとうにいいですねえ。

橋本雅邦「紅葉白水」、横山大観「鶉」、下山観山「春秋」、池上秀畝「歳寒三友」、上村松園「夕べ」、鏑木清方「大川の虹」、樫山南風「朝の月」、山口蓬春「夏蔭」、杉山寧、高山辰雄、加山又造など。

F_3 ★(4)「没後100年 橋本雅邦展」 川越市立美術館 1/12-3/9

雅邦の、江戸末期から明治初期に渡る作品を見たいとずーっと思っていました。でも、今回のは、ほとんどが明治以降のものばかり。

維新前の雅邦の作品が少ないのは、明治3年の火災によって全てを失ったからと知ったのですが、気の毒なことに、それより1年前に奥さんがあまりの環境の変化によって発狂していたのです。江戸末期の画家は大変な時期を過ごしました。彼の作品については、また書きたいと思っています。

Photo ★(5)「相原求一郎記念室」 川越市立美術館常設展

名前だけは知っていたのですが、作品を認識したのは今回が初めてです。風景画を描いているのに、幾何学模様のようで、しかもおだやかでなつかしいような不思議な感覚になり、気に入ってしまいました。

相原求一郎(1918-1999)川越に生まれ。なんとモダニズムの猪熊弦一郎に師事し、抽象か具象に悩む。1980年以降は北海道の大地をライフワークとして描く。北海道中札内村に”相原求一郎美術館”があるとのこと、いつか訪れてみたいです。

さらに、この川越美術館には、私の好きな画家、小茂田青樹の絵も多く所蔵していることを知りました。彼は川越出身だったのですね。

Photo_2 ★(6)南川三治郎氏の写真展 「世界遺産巡礼の道を行く」  FUGIFILM SQUARE 2007/12/28-2008/1/30

南川氏の2冊の写真集の中から私が見たのは、”カミーノ・デ・サンティアゴ”の写真でして、ヴェズレーからサンティアゴまでのロマネスクの教会を美しく感動的に映し出していました。

大きい写真はなんと畳一畳ほど。圧倒されました。フランスについては訪れたことのある教会ばかりでしたが、スペインの北の方は未知の世界なので、憧れもあり、うっとりとそして食い入るように見てしまいました。

少し先の話ですが、主人が退職した暁には、ぜひともレンタカーで廻りたいと思っております。それまでには、スペイン語もなんとかしなければいけないのかな・・・?

Photo_3 ★(7)「ロートレック展」 サントリー美術館 1/26-3/9

「日本初出品となるオルセー美術館のロートレック・コレクションをはじめ、各国から集められた油彩画の名品、挿絵、素描など250点を公開する」展覧会。

彼のポスターはほんとにかっこいい!なんとセンスが良いのだろうといつも感心してしまいます。「赤毛の女(身づくろい)」も繊細な線が、娼婦達の心の、力強くもあり崩れやすくもあるもろさを表しているようで、美しく切なかったです。

<2月>
★(8)「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」 東京国立博物館 1/2-2/24

F_4 ★(9)「王朝の恋ー描かれた伊勢物語」 出光美術館 1/9-2/17

日経新聞に「日本絵画の古典を見る楽しさを素直に喜べる展覧会だ」と評されていましたが、展示に工夫がされていて、ほんとにそのとおり、とても気持ちよい美術展でした。

仮名と絵の調和の美、そして男側からみる多様な恋の行方が、鎌倉時代の絵巻物から始まり、伝宗達の色紙や華やかな屏風に描かれ、ほんとに目だけでなく心まで楽しませてもらったように思います。

さらに、場面ごとに内容の説明が書かれているので、私のように古典に疎い人でも十分に楽しめてとても有難かったです。

<3月>
Vinusf ★(10)「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」 西洋美術館 3/4-5/18

少々疲れ気味で観覧したため、気分が乗らず、あまり楽しめなかった美術展でした。前述の”王朝の恋”のように、展示に工夫がされていると、私のようなボーットした頭で見ている人もひき付けられたと思うのですが・・・。

美の象徴としてのヴィーナスは、かつては神話の中のような、つまり中性のような印象を与えていたのだけれど、視線がぐっとこちらに向けているティツイアーノの絵によって、意思を持った、実際に生活をしている女性を表している絵に変わっていました。

これがまた、マネによって模倣されるのだけれど、ジョルジョーネのヴィーナスと3つを並べれば面白いだろうなあなどと、関係ない事を考えていたので、他の絵の印象はまったく無し、私のポカです。

アンニバレ・カラッチの、ティツイアーノと違った美しさ、エレガントさを確認できた事が、私にとって唯一の収穫でした・・・

<4月>
Guppio ★(11)「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとグッピオの書斎」 イタリア文化会館

イタリアのルネサンスの頃は、各地に芸術や文化復興に尽力した優秀な領主がいたのですね。ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(Federico da Montefeltro 1422-1482)もその一人だそうです。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵で彼を見た事はありましたが、彼については全然知りませんでした。ウルビーノへは行ったことがないので、また勉強しなければなりません。

Guppio2 グッピオで彼が使用していたというこの美しい書斎。本物は、ニューヨーク・メトロポリタン美術館へ売却してしまったため、5年の歳月を費やして再現したそうです。書斎内部すべてが、遠近法とトロンプ・ルイユ(Trompe-l'oeil 騙し絵)が組み込まれた寄木細工でできているという信じられない部屋です。

寄木細工といえば、教会の聖職者席でよく見ますが、このような部屋全体というのは、初めてです。しかも、この格子模様もすべて木、物の影までも木で表現されていて、あまりの細かな技巧に驚きの連続でした。

数学者でもあったピエロ・デッラ・フランチェスカの「遠近法論」のファクシミリ版も展示されており、他のページも見てみたいなあと思いながら、食い入るように見てしまいました。こんな珍しいものが見られたなんて、感激です。

Sakura2008 ★(12)「桜さくらサクラ2008」 山種美術館 3/15-4/20

この山種に通っていると、何度も同じ絵と出会うことになるのですが、桜のやさしいピンク色は、ほんとに華やかで、どんな時もやさしく心豊かにしてくれるので、また足を運んでしまいます。

奥村土牛の淡いピンク色の広がる山々も、橋本明治の華やかな桜も、松岡映丘の平安調も、石田武の朧な月夜も、すべて大好きです。ほんといいですねえ・・・

★(13)「21世紀展」 東京美術クラブ

--- ここまで書いてきたのですが、すみません・・。今回の報告は、これまでとさせていただきます。馬鹿な私です、毎回、少しでも書けば、こんなに苦労することは無かったのに・・・。

<7月>
★(14)「コロー 光と追憶の変奏曲」 西洋美術館 6/14-8/31 観覧記
★(15)「対決ー巨匠たちの日本美術」 東京国立博物館
★(16)「フランスが夢見た日本」 東京国立博物館
★(17)「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」 国立新美術館 7/2-9/15
★(18)「エミリー・ウングワレー展 アポリジニが生んだ天才画家」 国立新美術館 5/28-7/28
★(19)川村美術館

<8月>
★(20)「フェルメール展」 東京都美術館 8/2-12/14
★(21)「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」 東京藝術大学美術館 8/26-9/23 観覧記

<9月>
★(22)「源氏物語の1000年」 横浜美術館
★(23)「五姓田のすべて」 神奈川県立歴史博物館 8/8-9/29 観覧記
★(24)「田村能里子展」 日本橋高島屋 9/17-9/29 観覧記
★(25)「西洋絵画の父ジョッドとその遺産展」 損保ジャパン 9/13-11/9

<10月>
★(26)「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」 西洋美術館 9/30-12/7
★(27)「ボストン美術館 浮世絵名品展」 江戸東京博物館 10/7-11/3
★(28)「ピラネージ版画展2008ー未知なる年の彼方へ」 町田国際版画美術館 10/4-11/24 観覧記
★(29)「大琳派展ー継承と変奏」 東京国立博物館 10/7-11/16
・「フェルメール展」 2回目

<11月>
★(30)「線の巨匠たち アムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展」 東京藝大美術館 10/11-11/24
★(31)「輝く書物ー中世写本フェクシミリー展」 東京芸大美術館
★(32)「近代初期風俗画 躍動と快楽」 たばこと塩の博物館 10/25-11/30

<12月>
★(33)「琳派から日本画」 山種美術館
★(34)「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」 国立新美術館 10/4-12/14
★(35)「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」 Bunkamura 11/8-12/23 観覧記
★(36)「丸紅コレクション展ー衣装から絵画へ 美の競演」 損保ジャパン 11/22-12/28
★(37)「いとも美しき西洋版画の世界」 八王子夢美術館 2008/12/5-2009/1/27 観覧記
★(38)特別企画 「追悼展 巨匠・ 関川雄揮のすべて」 成川美術館(芦ノ湖) 2008/12/12-2009/3/12

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2009年1月 1日 (木)

新年ご挨拶

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新年明けましておめでとうございます。

いつも読んで下さっている皆様、そして検索ルーチンなどでいらしてくださる方々、ご訪問をありがとうございます。

そして、コメントを書いてくださる皆様、温かいお言葉、そして勉強になる内容など、いつも感謝しております。

いつもながらゆっくりとしか更新できませんが、これからもフランスとイタリアの教会の充実を図り、また時々の美術鑑賞記録を書き留めて参りたいと思っております。

この一年もまた、よろしくお願いいたします。

そして、皆様の一年も、すばらしい年でありますように。

(上の写真は、昨日撮りました。)

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