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2008年12月24日 (水)

ボローニャにある聖ドミニコのお墓 サン・ドメニコ教会① Basilica di St. Domenico

Arcade イタリアの記事がとても少ないので、気になっています。フランスの教会についてももっと書きたいのですが、しばらくイタリアに気持ちを切り替えたいと思います。

この夏、初めてボローニャに行きましたが、赤茶けたレンガ色に統一されている街の色に感激し、また何処を歩いてもアーチつきの歩道(ポルティコと呼ぶらしい)ばかりという街のこだわりに、一目ぼれしてしまいました。

旅行ガイド本によると、ポルティコの設置はなんと中世の条例で定められたのだそうで、現在では、全長42キロにも及ぶそうです。

さて今回は、街の南のほうにある、日本人の観光としてはマイナーかもしれませんが、カトリック教徒としては重要な聖ドミニコ(イタリア語では聖ドメニコ)のお墓のある、サン・ドメニコ教会(Basilica di San Domenico)を紹介したいと思います。

特に気に入ったというわけでもなく、また私はカトリック教徒でもないのですが、ある疑問からそれを整理したいと思い、話題として取り上げることにしました。またこの教会には、芸術面でもすばらしい作品がありますし・・・。

Exter1_2 その疑問とは・・・このボローニャに、どうしてフランスで活躍した聖ドミニコお墓があるのか?ということです。

どうも私はフランス側からみてるからこういう質問がでるのかもしれませんが、私の聖ドミニコについて知っていることはこうです。

スペイン北部出身、フランス南部に広がっていた異端と言われるカタリ派の人々の改宗という活動を通して、説教の重要性を確信し、ローマに赴き、「説教者修道会」の創設を依頼し、それが受け入れられドミニコ会の創始者となった・・・。

ですので、トゥールーズは彼にとっては本拠地みたいなもののはず。しかもトゥールーズには最初のドミニコ会修道院(Les Jacobins)があり、そこに彼のお墓があるはずと思っていたのです(訪問したことがあるのに、あの美しい天井以外は覚えていない)。なのに、どうしてボローニャにお墓があるのか???ボローニャと聖ドミニコの関係が分からず、私には大きな大きな疑問となったのです。

Nef_3 上の写真がサン・ドメニコ教会(Basilica di San Domenico)のファサード、手前の高い塔の上に、聖ドミニクの像が立っていました。左は教会の内部です。とても明るくて、新しい建築物のような気がしますね。

この教会のウィキペディア(フランス語)を読んでみますと、”1218年に初めてボローニャを訪れた聖ドミニクは、その街の活気に衝撃を受け、彼の伝道という使命には必要な街だと分かった”と書かれています。1219年に小さな聖ニコロ(San Nocolo)教会を手に入れ、彼はそこで過ごしたそうです。

1220年にこのボローニャで参事会総会が開催され、次の年の8月6日、長期療養していた聖ドミニクはこの地で亡くなったのです。これで分かりました、ボローニャに聖ドミニクのお墓がある理由が!

1219年から43年にかけて、ドミニク会はその小さな教会の周りの土地を買い集め、聖ドミニクの死後、1228年から40年にかけて、この教会を拡張させ、新しい複合修道院を建設しました。その後この教会は、ドミニク会のほかの教会の手本となったそうです。

1728-32年には、教会内部の改修をドミニコ会の教皇ベネディクト13世により後押しされ、建築家Carlo Francesco Dottiによって、バロック風に全面改築されたのだそうです。この写真で柱の上方に絵がいくつか見えますが、これは、この教会に伝わっているエピソードが10枚の絵に描かれているのだとか。

Arca_tutto 身廊の中ほど右側に、その有名なドミニコ会の創始者、聖ドメニコの立派な立派なお墓があります。全貌は右の写真!教会全体の改宗も含め、すべてが現在の姿に生るのに、なんと500年かかっているのだそうです。

最初は、祭壇の後ろに、大理石のシンプルな石棺が置かれたのだそうです。ところが、それを拝むためにあまりにも多くの巡礼者が訪れ、これでは不都合ということになり、新しい礼拝堂を造ったのです。それがこれ。

石棺は有名なニコラ・ピサーノNicola Pisano(1260年にピサの洗礼堂内部の説教壇を製作している)(1265-67)に依頼されました。

石棺の周りの彫像や背景の像は、Niccolo dell'Arca(1469), Michelangelo(1494), A. Lombardi(1532)などに少しずつ追加され、また、天井のフラスコ画「栄光の聖ドミニコ」は、なんとグイード・レーニ(Guido Reni 1613-15)によるものです。

Arca3

これが、ニコラ・ピサーノの石棺、凄いでしょう?クリックして拡大してご覧ください。周囲には、この聖人の数々の奇跡が掘り込まれています。

聖人の生涯を知るのに役立つ本「黄金伝説」を読んだのですが、いやー、もうほんとたくさんの逸話、奇跡が書かれていましたよ。彼が生まれる以前の、母親の夢まで出ているのですから、驚きです。

ここには両側に2つの燭台がありますが、その右側(つまりこの写真で一番手前)と、上段の正面左から2つ目の手に何か持っている像「聖ペトロニウス」が若いミケランジェロの作品といわれています。

Arca_dentro この石棺の裏側に廻ってみましょう。監視の人はいないのですが、はやり聖遺物の写真を撮るのは、気が引けました。でもちゃっかり撮ってしまいましたが・・・

この金色の聖遺物箱の下の広がっている部分には、聖ドミニコの頭蓋骨が入っています。

その上方に見える2つの小さな立像の右側、左手で服を肩にかけているような像「聖プロクルス」もミケランジェロの作なのだそうです。

ちょっとした疑問のおかげで、ドメニコ会の勉強ができました。ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」の中で、厳しく異端尋問する人ベルナール・ギー(Bernard Gui)という人物がいましたよね。拷問や火あぶりの刑に課せられた人がいましたが、あの怖ーい異端審問官が、なんとドミニコ会の修道士なのです!

ドミニコ会は、本来説教するのが仕事ですので、勉学に励み、多くの優秀な学者を輩出し、彼らをトゥールーズはもちろん、パリ、ボローニャ、ケルン、オックスフォードなどの大学に派遣したのです。このヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学(いつかアップしますね)でも、優秀なドミニコ会の修道士たちが教えていたのでしょう。そして、この地に聖ドミニコがやってきて、このボローニャ街に魅せられ、住み着いたのです。

ドミニコ会が「説教者修道会 Ordo Praedicatorum」として教皇ホノリウス3世から認められたのが1216年12月、その5年後に彼は亡くなっています。1233年になって、初めて教皇グレゴリウス9世がドミニコ会に異端審問の委託をしたことを考えると、聖ドメニコは、自分の会の修道士たちが異端審問する役を仰せつかるなど考えてもいなかったでしょうね。だって、彼の目的は、”説得をする”修道士を育てカトリックを広めていくことだったんですもの。

ドミニク会は、その後も優秀な学者を輩出し続け、また教皇にもたくさんなっているようです。当然、聖人カレンダーでは、8月6日が聖ドミニクの日です。

《参照サイト》
サン・ドメニコ教会について
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_San_Domenico_(Bologne)
聖ドミニクについて
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Dominique_de_Guzm%C3%A1n 

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コメント

こんばんは~♪
Adventが4週すぎて、いよいよクリスマスですね。東京は明るいし休暇期間でもないして、どうやってもヨーロッパのような雰囲気にはなりませんね。
イタリアの空と教会のレンガの色!イタリアはこの色ですね。ロココのイタリアもの、初めてみました。どことなくルネサンスっぽいような~?
カタリ派のことは自分のなかでどう落ち着けていいかまだみつかっていないので、ドミニコ会もどうしてよいやらなのです。(あくまでも自分の頭のなかだけの勝手なことですが)。でもこんなに祭られているなんて、やはりすごい影響力を残していったのですね。

投稿: あむ | 2008年12月24日 (水) 20時13分

あむさん、こんばんは。
メッセージをありがとうございます。
ドイツの12月は、広場に展開されるクリスマスグッズマーケットがほんと楽しくて多くの人で賑わっていますよね。残念ながら東京にはあの寒さも素朴な暖かさもちょっと欠けますが、どうぞ、クリスマスイヴを楽しまれてください。

今回は、ただ聖ドミニクの人生しか見ていないので、カタリ派についてはよくわかりません。
ただ、はっきりしたのは、トゥールーズ伯はカタリ派ではないにもかかわらず、地元の人々をかばったということです。ラングドック各地で、カタリ派とローマ教会の代表者(主にシトー派)とが激しい討論を繰り返していた最中、最悪の事態が起こります。
1208年に、サン・ジルでの会議の際、教皇特使が暗殺されてしまうのです。その嫌疑は当然トウールーズ伯にかかってしまいました。当時の教皇イノケンティウス3世はフランス南部各地の司教やフランス諸侯、フランス国王に異端討伐の十字軍参加を求めました。当時フランス国王の南部への野望という利害が一致し、カタリ派には気の毒な流れとなってしまったようです。
難しいですねえ・・・もう少し詳しく見なければいけないようです。

少し早いですが、どうぞ、良いお年をお迎えください。そしてあむさんにとって来年もすばらしい年でありますように!

投稿: Cojico | 2008年12月24日 (水) 22時47分

ボローニャの聖プロクルスはチロルのぶらんこ聖人です。一度みてみたいと思っています。

暗殺された教皇特使というのはフォンフロワド修道院長だったピエール・ド・カステルノーでした。最初シトー会に任されたカタリ派対策は、贅沢に慣れてしまったため、説得力に欠けてしまいました。フォンフロワドを訪れたドミニクスは、この状態をみて、相手と同じ清貧を実践した上で改宗活動をしなければならないと決心してドミニコ会の設立となりました。
時が経ち、20世紀になってフォンフロワド修道院はワイン実業家に買われ、その友人だったルドンが一夏を過ごし、図書室に大作『昼』と『夜』を制作します(詳しくはHNのリンクから)。

『薔薇の名前』と同じ1327年、フランチェスコ会はアヴィニヨンに異端の嫌疑で召喚されましたが、ドミニコ会でもマイスター・エックハルトが同じく呼び出されています。

投稿: Pirvs Lvdens | 2008年12月24日 (水) 23時32分

Pirvsさん、こんばんは。

暗殺されたのは、フォンフロワド修道院長だったのですか!カタリ派を知るには、この修道院を知らなければならないようですね。
車でペルピニャンからカルカソンヌへ行くとき、この修道院の存在を気にはしていたのですが、パスしてしまいました。ほんと残念です。
サイトを見せていただきましたが、フォンフロワド修道院ってシトー派の修道院らしく山の真っ只中にありますね。神秘的でとても素敵です。

そして、ルドンの「昼」と「夜」!信じられないほど美しいですね!Pirvsさんも書いていらっしゃいますが、作者名を伏せると、フォーヴィズムの画家の作品かなと思いたくなりますが、でも、フォーヴィズムの画家で、こんなんに上品で繊細で美しい色を使える人はいません。ほんとすばらしい!

ところで、聖プロクルスをネットを探しましたら、見つけました、ぶらんこ聖人!
http://www.archaeoastronomy.it/san_procolo_naturno.htm
ほんとに聖人がブランコに乗っていますね!面白い!
この聖人をフランスで買ってきた聖人一覧の中で探したのですが、それらしき名前は載っていませんでした。ベネディクトがBenoitのように、フランス名はかなり異なるのでしょうか?この聖人、元はヴェローナの司祭だったようですね。

同じ頃に出来上がったドミニコ会とフランチェスコ会、修道士たちの中で異端ぎりぎりの思想を持つ人も出てくるのですね。同じ会の友人をも裁かなければならないなんて、何時の時代も厳しいです。
いろいろ教えてくださり、ありがとうございます。

投稿: Cojico | 2008年12月25日 (木) 21時53分

すみません。ボローニャのプロコロはチロルのプロコロと同名異人でした。
自分のHPでもそう書いてあったのにうっかりしていました。
HNのリンクから入れます。
ネットのぶらんこ聖人よりもきれいな画像です。

フォンフロワドの特徴でもう一つ、聖堂の残響音が11秒と、とても長いことです。一人でフーガができるくらいで、明らかにそうした音響を意図した設計をしていると思います。

投稿: Pirvs Lvdens | 2008年12月26日 (金) 22時57分

Pirvsさん

ぶらんこ聖人以外のいろんな画像を楽しませていただきました。以前、Pirvsさんのこのページを見た時よりもいっそう興味深く、より具体的に感じることがきでいました。

チロル地方の澄み切った空の下にあるかわいい教会の写真、いいですね。中にある壁画群には驚きました。こんなにびっしり描かれているのですね。衣服の裾の描き方など、ビザンチンの壁画の影響もあるのでしょうか?

ヴェノスタ渓谷は、来年計画している地域よりも更に東なので、日数的に無理かな・・・と思っています。いえ、まだまだ、検討の余地はあるのかな・・もう少し勉強してみます。

いつも思うのですが、Pirvsさんはほんとうに大変な旅をされていますねえ。

聖堂の残響音が11秒・・すばらしく音が残り広がりボリュームたっぷりでしょうね。たくさんのCDをお持ちのようですが、教会を訪れた際、そこで録音されたCDを購入するのもいいですね。私もいくつか持っているのですが、イギリスの教会ばかりです。探し出して、ひさしぶりに聞いてみようかな・・・

投稿: Cojico | 2008年12月27日 (土) 13時03分

Cojicoさん、こんばんは。
サン・ドメニコ教会はぜひ訪ねたいと思っていたので、Cojicoさんの画像や解説を拝見し、ますますボローニャ再訪したくなりました。聖ドメニコの棺のミケランジェロも、ああこれが!と、しみじみと拝見させていただきましたです。

実は今回ボローニャに行った時、現地のFさんから井上ひさし著「ボローニャ紀行」を紹介され、井上氏がサン・ドメニコ聖堂に並々ならぬ想いを持っておられたことを知りました。読んでわかったのですが、氏の後見人であったカナダ人のドメニコ修道会士はボローニャの聖堂に詣でることを夢見ながら日本で亡くなったそうです。「薔薇の名前」にも出てくる異端審問官の時代から時は流れ、東北の地方都市で本来の「説得をする」修道士がその教えを全うし、その教えを受けた日本人がその著作を通して聖ドメニコについて触れるというのも...修道会の遺伝子が脈々と受け継がれているということなのでしょうね。500年かけて完成された聖堂を拝見しながら改めて宗教の持つ力って強いなぁと思ってしまいました。

投稿: 花耀亭 | 2008年12月30日 (火) 00時21分

花耀亭さん、こんばんは。

いつも、ありがとうございます。
返事が遅くなりすみません。温泉に泊まりに行っていました。

井上ひさしの「ボローニャ紀行」、知人がこの本に感激し、ボローニャに一週間も滞在して歩き回ったそうです。そこまでさせるほど人の心に沁みこむ話だっだのですね。
まだ読んでいない私は、てっきり第2次大戦時の市民の手で守り抜いた地下組織の活動を書いているのだと思っていました。
聖ドミニコの教えはいまも継承され、そしてこのような東の果ての国にまで来て、その職務を全うしている宣教師の方の話に、胸が熱くなりました。
ぜひとも読んでみたいと思います。

それにしても、イタリアの魅力は奥が深いですね。私はまだまだ至りませんが、これからも、花耀亭さんの真摯にカラヴァッジョに迫っている姿を追いかけながら、私も少しずつ積み重ねて行きたいと思っております。
また、来年もよろしくお願いいたします。

投稿: Cojico | 2008年12月31日 (水) 22時23分

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