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2008年9月の9件の記事

2008年9月27日 (土)

破壊されたマンテーニャのフレスコ画 Affreschi della Cappella Ovetari a Padova

Eremitani_ext フランスのスイヤックの話の途中ですが、今日は気分転換にイタリアの話をさせていただきます。

友人から、”来月(10月)からのNHKラジオイタリア講座は水曜日と木曜日が中級対象で、世界遺産の話よ!金曜日は音楽だし、面白そうよ!”と言われて、急いでテキストを買ってきました。

3ヶ月でイタリアの世界遺産を北から南までの10箇所を紹介する予定で、音楽も70年代から現代まで、幅広く紹介してくれるらしいですね。

そのテキストの中で、「世界遺産の成り立ち」という記事に目が留まりました。2つの世界大戦で、イタリアはどの国にも増して、歴史的、芸術的文化遺産の多くを爆破によって失なうかまたは損傷を負ったこと、そして戦後漸く、各国で生まれた文化財は、「人類共通の文化財」として広く認められ程されるべきという意識が高まり、1972年に世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約が採択された事などが書かれていました。たった35年程前に”世界遺産リスト”という言葉ができたのですね。もっと以前からあるのかと思っていました。

Erem_mant3_2 破壊されたイタリアの文化遺産の中で、たった一つだけ例として挙げられていたのが、パドヴァにあるオヴェターリ礼拝堂の、マンテーニャのフレスコ画だったのです。そこには、「そのフレスコ画はイタリア絵画のルネサンス期における分岐点を示すもので、おそらくイタリアの芸術分野における最も深刻な損失でした。」と書かれていました。

この夏、私はまさにそのフレスコ画を見てきたので、思わずその写真やそこにかかっていた写真などをアップすることにした次第です。左は2008年8月現在のオヴェターリ礼拝堂の状態、ちゃおちゃおさんがおっしゃるように、2011年の建国150周年に向けての修復作業が、ここでも行われていました。

オヴェターリ礼拝堂(La Cappella Ovetari)というのは、ジョッドの絵で有名なスクロヴェーニ教会の受付になっている市立エレミターニ博物館の右側にある目立たないエレミターニ教会(Chiesa degli Eremitani)の中にあります。(一番上の写真はそのファサード)

Eremitani1

これは教会内部。壁が変わっていて、興味をそそられます。でも、再建されたらしく新しい感じですね。問題のオヴェターリ礼拝堂は、正面に見えるアプシスのさらに右側にあり、この写真では見えません。さらに、修復の為の足場が組まれていて、写真には撮れなかったので、その反対側の壁に写真付きで説明されていた内容の一部と、現地で購入した”Padova”という本(イタリア語版)を読みながら、少し解説をしたいと思います。

Erem_mantegna1 元は、左のようなフレスコ画が両側の壁に展開されていたのだそうです。現地版の本に寄りますと、この壁画は、1448年アントーニオ・オヴェターリ(Antonio di Biagio degli Ovetari)の未亡人が、ヴェネチア人の画家アントニオ・ヴィヴァリーニAntonio Vivarini と ジョヴァンニ・ダレマーニャGiovanni d'Alemagnaに、「聖クリストフォルスの話」や「福音史家」「キリスト受難」の話を依頼し、また、パドヴァ人のニコロ・ピッツォロNicolo Pizzolo とアンドレア・マンテーニャ Andrea Mantegnaには、「聖ヤコブの殉教」や「聖母被昇天」「使徒達」の話を依頼したのです。

ところが、ダレマーニャとピッツォロの2人が亡くなり、さらにヴィヴァリーニが撤退してしまった為に、マンテーニャが一人で全部の仕事をすることになったのです。そこに掛かっていた古い写真を見ますと、マントヴァへ行く前の若いマンテーニャが描いたのは、ヴェネチア派の美しい色合いを取り入れ、また、当時パドヴァに居たフィレンツェから来ていたフィリッポ・リッピやドナテッロ、ウッチェロなどからの影響も受けた見事なボリュームの人物表現を取り入れ、遠近法を熟知した繊細かつ豪華な作品だったことが分かります。

Erem_mant2  Erem_mant4 

上の2つの画像を比べてください。左がマンテーニャの元の作品の一部、すばらしいでしょう?鮮やかな色合い、群集の配置、表情などものすごい力作ですよね。そして、右が破壊後の現状。断片と元の絵を見比べながら、元に戻す作業をしたのだそうですが、なんと悲しい・・・。

この爆撃をどうにか逃れることができたのは、「聖クリストフォロの拷問」(右側壁面、一番下の絵。下の画像)で、その理由は、この本に寄りますと、なんとあらかじめ剥がされていたからなのだそうです(この理由は、日本語のネット上には何処にも書かれていません。初めてかも!)。

Erem_cristoforo1

Erem_cristo2_2 右の画像は、観光の為に現地でもらったパドヴァの地図の表題部分。この絵を見て、何も知らない私は、「ウワー、凄い絵、誰が描いたのかしら・・・実際にみてみたいなあ」と思っていたところ、この場所に来て、初めてマンテーニャの絵だと分かったわけです。

ちょうど、上の絵の中央上部に当たります。このように、マンテーニャの絵は、今でもジョッドの絵が存在するこのパドヴァにおいて、この地を代表するフレスコ画なのですね。いえ、言い間違えました、”イタリアのルネサンス初期の代表作品”だったわけです。

上の葉に覆われたぶどう棚の生き生きさ、目に矢を受けて倒れそうな主人、それに驚いている付き添い人、その建物の装飾として描かれている浮き彫りの見事な表現。なんとすばらしい!

Erem_cristo3 そして右の画像は、上の全体図の右下の男性です。この表情を見ると、ああ、マンテーニャの絵だな、と納得できるでしょう?全体図を見直すと、建物の上で見ている人たちと、下の群集とのバランス。そして、右の建物の遠近表現など、見事です。

実は、今回のパドヴァ訪問は2回目でして、その訪問の目的の1つがこの壊されたマンテーニャの絵を見ることだったのですが、その絵がこんなにも価値のあるものだったとわかり、非常にうれしいです。この絵が残っていたら、マンテーニャの名前ももっともっと有名になっていたでしょう。

次は、教会の壁にかかっていた第2次世界大戦中、1944年3月11日の空襲後の写真です。壁が少し残っているだけで残りは粉々ですね。写真をクリックすると大きくなりますので、ご覧ください。

Erem_int3 Pad_guerra1_2

Erem_int5 この教会で美しいなと思ったのは、中央祭壇の左側のフレスコ画(右の写真)でした。作者は、グァリエント(Guariento di Arpo 1338-1370)というピオーヴェ・ディ・サッコという地で生まれた人物で、パドヴァで活躍していたようです。市立美術館で、彼のエンジェルを見ることができるようです。

NHKのテキストに戻りますが、イタリアは、第1次世界大戦中に、ヴェネチア、ラヴェンナ、ヴィチェンツァ、ヴェローナが爆撃され、第2次世界大戦争中には、ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、パルマ、パドヴァ、リミニ、ボローニャ、ローマ、ナポリ、パレルモなどが爆撃を受けたそうです。

ボローニャは、最も重要な建築物の多くが破壊されたり損傷しまして、それは歴史的建築遺産の44%にもなるのだそうです。ボローニャは、アーチが印象的な素敵な街でした。たしか歴史的にも、民衆が地下組織を作り、ドイツ軍に対抗したことでも有名な街です。ボローニャの話もたくさんありますので、いつか書くことになるでしょう。

パドヴァには、見残した場所が3箇所もあるのです。いえ、植物園も行っていないので4箇所、考えてみれば、ラジョウーネ宮も中に入れなかったので、これも入れて5箇所!
もう一度、行かなければならない街の1つです。

関連記事:
  マンテーニャが仕えていた街 マントヴァ
  マンテーニャの壁画「夫婦の間」 ① 社会的意味
                       ② ルドヴィーコの家族

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2008年9月26日 (金)

新しいプリンターに!

前回、プリンターの不調を伝えてから2週間が過ぎ、ようやく使用可能になりました。たかがプリンター1つの事なのに、なんと時間を費やしたことか!

最初にカスタマーセンターに連絡した次の週の木曜日、ようやく新ヴァージョン(v10と呼ぶ)のCDとインストール方法の書類が届き、作業を始めた。

①旧ヴァージョン(v9と呼ぶ)のアンインストール→V10のインストール
  ”インストールの完了”は画面に表示され、デバイスの認識も行うが、やはりテスト印刷は出力されず

②上記の途中、少しの私の手順ミスを発見し、それが原因だと思い、もう一度 V10のアンインストール→V10のインストールの作業を行う。しかし、結果は同じ。なぜだかデバイス認識時に、もう一度インストールルーチンが動き始め、終わらない。5時間もそのままの状態だったので、CTR+ALT+DELのタスク管理で強制終了。

次の日、HPカスタマーセンターに連絡、”V10のアンインストールをV9のアンインストール手順で行ったので、正常にV10がインストールされていない可能性もある”との事。
V10のアンインストール手順のFAXを受け取る。

③V10のアンインストール手順で、V10をアンインストール→V10のインストール
  結果は同じ。全ての作業は”完了”まで終えることができる。しかし、何かが悪くて、”エラーです!”というメッセージは出る。プリンタは準備完了になっているにもかかわらず、テスト印刷も出力されない。

次の日、HPカスタマーセンターへ連絡。状況を伝えると、次は、”CDからインストールするのではなく、CDの内容をHDにコピーした後、HDからインストールルーチンを動かしてみれば”と言われ、またFAXを受け取り、それを実行。

④V10のアンインストール→インストールCDをそのままHDにコピー→HDのsetup.exeを実行し、インストール開始。結果は、以前と全く同じ。インストールは”完了”まで行き、デバイスのインストールもできているが、何かがおかしい。プリンタは”準備完了”になっているのに、テスト印刷は出力されず。

HPカスタマーセンターへまた連絡。次の方は、かなり詳しい方のようで、電話を通して、いろんな作業をさせられた。しかし、全てダメ。

⑤突然、「XPはお持ちですか?」と聞かれた。「はい」と答えると、「XPにインストールしてみてください。」と言う。「いいですけれど・・でも廃棄直前のような状態で、立ち上げるまでに時間がかかりますが・・」と答えると、「お願いします。結果は、電話はかかりにくいので、FAXでしていただけますか?こちらから電話をかけ直しますのでー。」

そこで、先ず机の上を整理し、パソコンが置ける領域を確保し、もう2月から使っていないVAIOを置いた。XPの更新もNORTONの更新もしていない。しかし、それらは無視をして、プリンタのインストールを始めた。

結果は同じ。全て順調にソフトのインストールは完了し、デバイスのインストールも完了する。しかし、デバイスの認識の最後になって、「エラーです!」とのメッセージが!プリンタも準備完了になっているのに、テスト印刷はできない。

FAX2枚に渡り、その経過を報告。夜の7時ごろになり、電話が鳴った。落ち着いた声の人。

「HPの者ですが、FAXを見ました。どうもプリンタ本体が故障しているようです。保障期間内ですので、お取り替えしたいと思います。本体だけの交換になりますので、コードやインクはとって置いてください。」との事。

そして今日のお昼頃、新しいプリンタ到着。プリンタには、取り外したインクをセットし、電源を入れる。

プリンタの小さな画面に、「初期化を始めます。電源をはずさないでください。OKで続行」と表示されたので、OKボタンを押すが、画面は全然動かない!20分ほど待つ。

どうしようもないので、またHPカスタマーセンターへ電話。すると、インクは添付の新しいのをセットしなければ、初期化は始まらない、との事。そんなこと、何処にも書いていないのに・・・。インクを新しいのにセットし直す。

プリンタの単体テスト終了。UBSでパソコンに繋ぐ。どきどきしながら見ていたが、全て順調に進行。マニュアル通りに終了し、テスト印刷も成功。
Adobeから画像取り込みも実行。すべてOK!

ようやく、ようやく、プリンタを元のように使用できるようになりました・・・バンザイ!

上の⑤という数字は、インストール回数。実は、もう1回作業を行っているので、合計6回のアンインストールとインストールを行ったことになる。単に1回のアンインストールとはいえ、アンインストールのソフトを動かすだけでなく、いろんなホルダーに入り、ファイルやフォルダーを消す作業が入り、3度の再起動を行う必要がある。

私は機械は嫌いではない。むしろ好きといっていいぐらいだのに、こんなことになるとは・・・ほんと、疲れました。

以上、くだらない話を読んでくださり、ありがとうございます。

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2008年9月21日 (日)

驚くべき柱彫刻を持つスイヤック② Souillac

Soui_port_ex 教会内側出口の左側に、絵葉書と一緒に忘れ去られたように売られていた小冊子”SOUILLAC abbatiale sainte marie”を買っていました。薄くて表紙は色あせているし、ぱらぱらとめくると写真は白黒ですし、とにかくあまりぱっとしない本・・・気乗りのしないけれど、周りにお店があるがあるわけでもないので、その本を買う事にしたのです。こういう訪れる人も少ない小さな教会には、売店は普通ありません。脇にあった小さな小銭入れに、お札を押し込みました。(右上の写真は、教会入り口です。)

内容は全く期待していなかったのですが、丁寧に読むと面白い情報がたくさん書かれているのでびっくり。これならば、初めからこちらを読んでから書けばよかったと後悔した次第です。。

申し訳ないのですが、この小冊子を訳しながら、前回同様この比類なきすばらしいトリュモーTrumeauの説明をまとめていきたいと思います。当然修正も加えながら・・・(彫刻の全体像は、前回の記事を参照してください。)

右面は、てっきり戦っている場面かと思っていましたら、なんと《(宗教上の)罪(Péché)》を表しているのだそうです。7つの大罪ですね。そして正面に描かれているはその《罪の結果》、そして、左面は、《罪の贖罪》。そうだったのか!と納得です。

Trum_droit1_2 先ず右面の一番上の二人組み(左の写真)の説明から。写真がぼけていてすみません。暗いところ用の設定を忘れていたために、上手に撮れませんでした。

年配らしき人が、若者の頭を両手で押さえています。若者(右側)は、押さえつけられている為に首は前に垂れ、両手は体の前で合わせて、許しを請っているのか、お祈りしているかのように見えます。

そして前回も指摘したように、年配の人の首には、鋭いくちばしが付き刺さっていて、頭は苦しそうに後ろへ反り返っています。これは、人を抑圧している姿と、もう一人は侮辱されている姿を表しているのだそうです。

Trum_droit2Trum_droit3 真ん中(左の写真)と一番の下(右の写真)の組み合わせは、男女なんですって。私はてっきり男同士で戦っているのかと思っていました。

確かに、激し戦いでもなさそうですし、一方の体つきは柔らかそう。二組の男女とも上半身は裸で、顔のしわから判断して、真ん中の男性のほうが下の男性より年配のようです。

さらによく見ると、2番目の年配の男性の表情は少し苦しそう、なんと彼の首には、紐がかかっているのです!こ、これは、何を意味するのでしょう?愛欲からは逃げ出せない”業”を表しているのでしょうか?

要するにこれら右面の彫刻は、傲慢、抑圧、色欲を表現しているのだそうです。ミシュランでは、単に”煩悩”と書いていたけれど、詳細はこういうことだったのですね。

Trum_gauche_2 さて、次は正面。何度見ても、この彫刻には圧倒されます。左の写真は、出口に向かって左側上部にある、たったこれだけの高さしかない彫刻ですが、主題は同じで、上部の羊に2匹のライオン?が噛み付いています。このライオン、バツ印に交わった構図とか、お腹に乳首が見えるなど、モワサックのと全く同じです。でもモワサックのは構図の美しさ、エレガントさが見て取れますが、こちらは見事に獰猛さが強調されています。

これらの混沌とした彫刻群は、憤慨、混乱、憎悪など、罪の一連の結果を私達に見せているのだそうです。それらは、ライオンやグリフォンの襲撃、4足の鳥(なんと4足獣だったとは!)の貪り合いなどで象徴されています。

Trum_cen2 これらの今まで見たことも無いような異常な絡み合いは、混沌の世界から来る不安だけでなく、ガゼルや手足を失った犬、鳩、そして人間も含めて、犠牲者(動物?)が感じる恐怖をも感じさせているのです。

Trum_cen1 一番上で、お腹をハゲタカに襲われている人間は、な、なんとよく見ると、頭が猛獣の口に噛まれて砕かれそうなのです。あまりにも高いところにあるので、実際にはよく見えないのですが、撮った写真を見てびっくり。こうなっているとは・・・

破壊される以前は、入り口の中央にあったわけで、そのときははっきりと見えたことでしょう。こういう風にお腹を猛禽に啄ばまれている人間をみると、西洋の人はすぐに、ギリシャ神話のプロメテウスを思い浮かべるらしいのです。

人間に”火”を与えたためにゼウスの怒りをかい、山に繋がれ、毎晩大鷲に肝臓をついばまれる運命になったプロメテウス。しかし、彼は不死身の身ゆえ、夜中に治ってしまうので、また次の日、肝臓を食べられるという永遠の苦しみを味わうことになるのです。彼主題の絵は、よく見ますよね。

さて、最後の左面は、前回説明したとおり《イサクの犠牲》でして、その内容も同じようなので、こちらは省略させていただきます。

スイヤック関連記事:
   驚くべき柱彫刻 Souillac①
   タンパン:ティオフィロスの伝説 Souillac③
   イザヤ像と柱頭彫刻 Souillac④

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2008年9月16日 (火)

Per Te (for you)

初めて、トライします。できるかどうか・・・失敗すれば、削除するだけですが・・・

えっ?えっ?できたのかしら?バンザーイ!

私の好きな歌手、Josh Groban の ”Per Te”です。英語で”for you”の意。

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2008年9月14日 (日)

驚くべき柱彫刻を持つスイヤック① Souillac

私は急いで探したのです・・・何処にあるの・・・あの複雑に込み入った彫刻の柱は・・・

教会の入り口の外側にあるはずと、建物の外側をうろうろ探したのですが、見つかりません。ここまで乗せてきてくれた親切なタクシーの女運転手さんに尋ねると、彼女は、「じゃ、私は向こうの広場でコーヒーを飲んでるから。」とさっと背を向け、立ち去ってしまいました・・・

いったい何処?ただただそれを探して教会内に入り、急いで視線を内部全体に走らせたのですが、ない!どうしてないの・・・、と少し歩き始めて、ふっと入り口を振り返った時に、”あーっ、こんなところに!”

Porte2

想像もしていないところ、上の画像のように教会入り口の内側にあったのです。有名なねじれた体のイザヤもその柱のすぐ後ろに見えました。
(この入り口の向こうは、屋外ではなく、ナルテックスのように別の部屋になっています。)

Trum_droit タンパン彫刻も、普通は入り口外側の上部にあるのに、ここは内側にあるのです・・・それが、とてもとても不思議でした。宗教戦争などで壊され、修復時に内側に設置し直したのかな?と推測したのですが、後で調べると、はたしてその通りでした。

こういう教会入り口の中央に設置されている柱は、フランス語ではトリュモー(trumeau)と呼ばれるそうです。何はともあれ、とにかく何が彫られているのか知りたくてたまらないでしょう?

正面は、動物や鳥が絡み合ってお互いを銜えている様子ですし、右側は、人間が戦いあっている場面ばかり。そして、左側は人間が逆さまに彫られていたりして、ほんとうにわかりません。

ミシュランによると、トリュモーの右側には、人生のそれぞれの時期に次々と訪れる煩悩が描かれていて、正面はその煩悩の結果(お互いを貪り食う怪物たち)が描かれているのだそうです。

へーっ、煩悩・・・右の写真が柱の右側なのですが、暗いし近すぎていてよくわかりませんね。すみません、下手で・・・。2人ずつ戦っているペアが上から数えて3組彫られているのですが・・・

Trum_droit2

右の写真の一番下の争いは、髭を生やし、髪も少しずつ束ねた老人と精悍な若者が組み合っています。
左の写真は、真ん中の争いで、髭を伸ばした年配者と、髪を菩薩さんのように丸くいくつかにまとめている若者が組み合っています。

一番上の組み合わせが一番面白くて、髭の老人が、両手を祈るように前で合わせている女性のような表情の若者の髪を掴んでいるのですが、なんとその老人の上にはワシがいて、そのワシの鋭い爪が老人の首に突き刺さっているのです。おお、これは何を表しているのでしょう?!

購入した小冊子に寄りますと、こういう争いの表現は、典型的な”不調和”を表しているのだそうです。その結果、次の正面の写真のように、次から次へと争いの連鎖は化学反応のように広がり、”相手を銜えていると思っても、別の相手から銜えられている・・”という戦いばかりの世界が出来上がっていくんですね。う~ん、考えさせられます。

Trum_cen4_3 Photo

正面の彫刻には、人物はたった一人、一番上にしかいません(左の写真)。彼は、大きな鋭いくちばしについばまれていて、困った顔をしています。大きなくちばしから考えると、この生き物は鳥のように思えますが、よく見るとなんと四足動物なのです。

正面のもう少し下は、写真が悪いので、以前アップしたパリのLe Musee des Monuments francaisで撮ったのをまたアップします(右の写真)。掴み掴まれ、噛んで噛まれて、食って食われて・・・ほんとに信じられないくらい見事に絡み合っています。

Trum_gauc_isac そして最後に柱の左側は、分かりやすい《イサクの犠牲》(右)です。ようやく聖書の場面が出てきました。現地での写真は、非常に分かりにくい(私の腕が悪いため)ので、パリの Musee で撮った写真をアップすることにします。

髭の長い人が左手で若者の頭の髪を掴み、右手を振り上げています。まさに、殺そうとしている場面ですが、若者は、静かに目を瞑り、相手に身を任せています。

まさにその時、空から天使が舞い降りてきて、アブラハムの手を止めています。そして、天使の左手には、代わりの羊まで連れてきています。

写真を大きくしてみると、この天使も羽が付いていました。初めは、さかさまの人物がいるので、何をしているのだろうと不思議でしたが、納得です。

こんな細く限られた場所に、よくこんなに上手く物語りをはめ込んでいますよね。もう感心ばかり。

さてここで、一番上の写真に戻って、ぼーっとトリュモーを眺めていただくと、なんとなくいくつかの×(バツ)印が見えてきませんか?

Moi_pilier1_2 そう!エミール・マールによると、これは、モワサックのトリュモーと同じ芸術家グループの作品なのだそうです。この優秀なグループは、モワサックの後、ボーリューで作成し、その後このスイヤックでもすばらしい仕事を成し遂げたのです。

左は、同じくパリのMuseeで撮ったモワサックのトリュモーです。
確かに似ていますが、スイヤックのtrumeauは、モワサックのより深く複雑に掘り込まれていますね。こちらの生き物は、メスのライオンばかりで、少し口を開け目は鋭く顔は怖そうで、お腹には複数の乳房があります。どうして、雄ではなくて雌なんでしょうね? 

 

この教会の正式名称は Ancienne Eglise Abbatiale Sainte Marie de Souillac スイヤックの聖マリア旧大修道院付属教会、きっと、”スイヤックの教会”でいいと思うのですが。

この記事の最後に、教会の外観をアップしておきます。入り口は、この建物の右にある細い道の先、左側に入り口があります。歴史やタンパン、また教会内部については、次回に書くことにします。

Soui_ext

《スイヤック関連記事》
  柱彫刻説明修正  Souillac②
  タンパン:ティオフィロスの伝説 Souillac③
     イザヤ像と柱頭彫刻 Souillac④

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2008年9月11日 (木)

プリンタが使えない!

Gatto_nero

昨日の夜から、プリンタが使えなくなりました。

ヒューレッド・パッカード製の、写真の印刷だけでなく、コピーとかスキャンもできる複合機で、写真も綺麗で、ほんとうによく動いてくれていたのに・・・

OSはVISTA、プリンタの認識はしていて、「準備完了」になっていて、キューにドキュメントは溜まるのに、印刷できないのです。
数時間前まで、動いていたのに・・・

今日の午前中は、ヒューレッド・パッカトードのカスタマーセンターとなんと合計2時間ほどお世話になり、おっしゃるとおり、いろいろ調べたり、アンインストールし、再度インストールし、すべてが順調に終わり、ちゃんとまたプリンタは「準備完了」になったのに、また同じ症状。

キューにドキュメントは溜まるのに、印刷できないのです。コピー機能は正常。

向こうの方も、「もう、他にすることはありません。新しいヴァージョンのソフトを送りますので、それを説明書のとおり、現在のソフトをアンインストールし、新ヴァージョンをインストールしてください。」と、一見投げ出されたかのような指示。

新ヴァージョンで動くようになるのでしょうか・・不安。印刷もスキャンもよく使っている機能なので、もうほんとショック!

パソコンの状態が悪くなると、こちらの気持ちまで重くなりますね。だから、ほっとできるように、写真はねこちゃんにしました。6月のある日の公園です。

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2008年9月 5日 (金)

サン・テチエンヌ・デュ・モン a Paris

今年の春パリを訪れたときに撮った、最後のビデオです。 場所は、パンテオンのすぐ左後ろにある教会で、名前はサン・テチエンヌ・デュ・モン教会(Eglise St-Etienne-du-mont)。オルガンの練習をしていたので、思わずカメラをビデオに切り替えて撮りました。

ここには、パリの街を守ったという聖ジュヌヴィエーヌの遺品が、美しい聖遺物ケースに入れられ祭られています。また、別途写真で紹介することにしますね。

8年ほど前に始めて見た時、その美しさと非常に珍しい構造に驚き、ぜひとももう一度訪れたいと思っておりました。

特徴は、ジュペと呼ばれる身廊と内陣の間の高廊で、パリではここでしか見られないものです。また、両側の回り階段もほんと優雅です。

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2008年9月 4日 (木)

明治初期の日本画画家

Niousokki やはり「仁王捉鬼図」はすばらしかった!

いったい何色の色を使っているのだろう?緑色のグラデーション、背景の青色からオレンジ色への移り変わり、背景の繊細な模様の中にある薄いピンクや黄色、そして薄い赤、オレンジっぽい赤、仁王様が巻いている紐の色だけでも黄緑色、青、くすんだ緑、ピンク、くすんだピンクと5色ある。色の洪水。

今回は、2年前よりもしっかり見た。仁王の手の中にいる邪気の様子がとてもおもしろい。目が飛び出し、手足は引きつり、その様子が漫画を見ているよう。ズボンの色がピンク色も笑いを誘う。

背景のシャンデリアのようなランプ、その向かいの黒っぽい柱には小さな竜がいる。ランプの飾り?それともこの世界の生き物?右下の槍を持った小さな人物は、邪気を追いかけているのかな?それとも彼自身が逃げている邪気なのかな?

芳崖が苦しんでこの作品を生み出したのではなく、楽しんで完成させたと信じたい。

先先週見に行った、芸大美術館での「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」でのこと。

以前から、狩野芳崖(1828-1888)と橋本雅邦(1835-1908)については、その全貌を知る展覧会を開いてくれないかなと、首を長くして待っていた。今年は、その願いが2つともかなってしまった。

橋本雅邦については、今年2008年1月下旬、川越市立美術館で開催された「没後100年 橋本雅邦」で、多くの作品を見ることができた。そして今回やっと狩野芳崖を見る機会が訪れた。

Rakan_2 この二人は、似たような人生を歩んでいる。生まれは、雅邦は江戸、芳崖は長府と離れているけれど、同じように狩野派絵師の家に生まれ、幼い頃から絵を学び、江戸で木挽町狩野派の門下に同日入門しているのだ。これは、運命的出会いというしかない。(左は、羅漢図)

二人はめきめきと力を伸ばし、入門10年後”二神足”と呼ばれるほどになっていた。しかし、さらに10年後には明治維新となり、今度は二人とも職を失う。

雅邦はなんと海軍に入り、どうにか生活は続けていけたらしいが、彼の妻は、時代の波についていけず発狂し、数年後に亡くなっている。

一方芳崖は、家を継ぐために長府へ帰っていたが、維新後絵の仕事は何もしていない。屋敷などを売ったお金で養蚕業を始めたが失敗し、文具店などを開いたりしている。苦しかったのだろう。

芳崖が50歳の時、知人を伝に東京へ上京、細々と陶器などの下絵を描く仕事を始める。52歳の時、雅邦の紹介で島津家雇いとなり安定して絵を描けるようになる。後に芳崖の養子と雅邦の三女が結婚し、彼らは親戚関係に。

Sisi_3 フェノロサに会ったのは1882年彼が55歳の時。1888年、岡倉天心から東京美術学校の教諭に推薦されたにもかかわらず、この年に亡くなっている。享年61歳。彼がフェノロサの庇護を受け、影響を強く受けたのは、たった5年間ほどでしかない!

一方雅邦は、ビゲローの庇護を受け、同じように東京美術学校の教諭となったのが54歳の時。以降74歳でなくなるまで、横山大観や菱田春草などの日本画家を育てると共に、展覧会にも毎回積極的に作品を出している。

だから・・・狩野芳崖の作品の点数は多くないし、晩年の作品は天心のおかげで東京芸大に残っているが、若い頃つまり江戸末期の作品は、彼の故郷である下関市立美術館や山口県立美術館からの出品が多かった。

数え15歳の時描いたという「馬関真景図巻」には驚いた。赤間関の景色と描いたものだが、巻物状で、これでもかというほど細かく家々、船、人々が描かれてた。子供の頃から丁寧な狩野派の技術を受け取っているのがよくわかる。

右の「獅子図」は、フェノロサからの影響を受けてからの作品。描かれた年(明治19年、芳崖59歳)、なんとイタリアから曲馬団が来日していて、ライオンや像を使ったサーカスを東京各地で興行したのだそうだ。芳崖は、このサーカスを見て、多くのデッサンを残している。

それにしても、この頃イタリアからサーカス団が来ていたとは驚き。見たこともなかったライオンも生々しい力強さを表に出している。

Oowasi_3 力強いといえば、この鷲の迫力もすごかった。最晩年61歳時の作「大鷲」は、当時の首相伊藤博文に贈りたいと弟子達も巻き込んで一緒に作成したという。

下がってみなければ全体が見えないほど大きくて、首相に日本画のすばらしさを見せたいという芳崖の気持ちが感じられる。日本画の卓越性を信じていたフェノロサや天心の影響も大きかったと想像できるし、また、「廃仏毀釈」の流れも変わり、再び日本画の時代が訪れた芳崖の喜びの表れではなかったのだろうか。

そして、絶筆のなった「悲母観音」へと続くのだが、その前に何枚もの大小さまざまな下図も展示されていた。

Sitae 右図の中央下の裸体図を見て、またびっくりした。胸のラインをキッと太く強調しているのは、私がデッサンを習ったときと似たような線だったからだ。

日本画でこのようなリアルな線を描くのだろうか?私はわからないが、これはやはりフェノロサがアメリカから持ってきた西洋のデッサン画を見て、芳崖も描いたのではないかと思ったりした。

Hibokannon そしていよいよ部屋の中央にどーんと置かれている「悲母観音」へ。その前にはいすが置かれていて、ゆっくり見られるようになっている。国立近代美術館で展示されていたのを見たことがあるので、新鮮味はないけれど、やはり今回の主題でもあるのでじーっと見てしまった。

観音様は、小さな髭は残っているものの表情が穏やかで、目は優しく幼児の方を向いている。日本画で、このように漢音様が子供に慈愛のまなざしを向ける図はあるのだろうか?日本にそのような考え方があるのだろうか?

芳崖に孫が生まれたので、こういう図が浮かんだのではないかと書かれていたが、私はフェノロサから見せられた絵の中に、聖母マリアの絵があったのではないかと想像している。

初めて見たときから、この絵は、天空のマリア様が、ただ衣装を変えただけのように感じていた。衣装はほんとに繊細で美しくやわらかく描かれていて、奈良にある薬師寺の国宝「吉祥天図像」の美しい衣装を思い出させる。

芳崖は、この絵に落款を自分で押すことはできなかった。最後の仕上げである金砂子の蒔き付けを、15歳からの友人であり親戚にもなった雅邦に託して亡くなったのだ。

雅邦の悲しみも相当大きかったのではないかと想像される。共に学び、共に不遇な時代を生き抜き、共に日本画に励んできた二人。しかし、彼らが切り開いた日本画の新しい道は、彼らの技術や精神と共に、ちゃんと弟子達によって継承されている。

付け足しなのですが、この展覧会では、芳崖自身の生涯についてはあまり触れられていない。

激情家だったと言われる芳崖。狩野派の元で勉強しておきながら、その粉本主義から脱却できないことを批判し、「絵画を進歩させるには、別に更に自己というものを出さねばならぬ」(橋本雅邦図録より)と公言した。そして、禁止されていた文人画や宋元絵画の技法を取り入れるなど、狩野派の「法外」を自認し、その名の由来となったことなど、少しは説明があってもよかったのではないかと思うのだが・・・。でも、今回の展覧会の主題とは関係ないので、必要ないかな?

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2008年9月 3日 (水)

サント・シャペル a Paris

今回は、サント・シャペルです。 下の教会から狭い回り階段を上がると、教会全体に満ち溢れた美しい光に驚きますよね。 高くそびえたつステンドグラスは圧巻です。

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