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2008年7月の4件の記事

2008年7月27日 (日)

「キリスト昇天」と「最後の審判」を表すファサード アングレーム大聖堂

Ang_cath_fa このファサードには何が掘り込まれているのでしょう?それが知りたくて、いろいろ本を読んだのですが、いやー、ほんとに面白かったです。

大雑把に説明しますと、一番下のアーチの横列は地上の出来事でして、使途達が福音書を片手に、福音の為に世界中へ散っていく様子が表されています。

少し上に上がって、窓の両側に3段になって彫像が見えますが、それは、主に使徒や選ばれた人たちで、中央上部の栄光のキリストを見上げているところ。

そして重要なのは、窓の上の大きなアーチの中でして、マンドルラの中のキリストの他、その周りに4大福音書家のシンボル、そして多数のエンジェルが上下にたくさん飛んでいます。

このファサード一面を見ていると、教会の祭壇画をみているような気分になってきました。

Ang_faca_bas_droit1_2   

先ずは、一番下の段から。このようにアーケードには、それぞれ3人の使徒たちが手に福音書を持っていまる姿が見えます。彼らは、これから世界各地に赴き、福音を説く準備をしているのです。一番面白いのは、右から2番目。

こうして拡大してみると、とても素敵でしょう?人物の服装の襞も優雅ですし、動物や植物の彫りの深い繊細な彫刻がすばらしいです。このようなアーチの絡み合っている彫刻は、この地方の特色なのでしょうか?これをもっと大きくしたのが、スーイヤックのあのぐにゃぐにゃに絡み合った柱になるような気がします。それにしてもすごい技術です。左端の人物は、手に鍵を持っているので聖ペテロのようです。

Ang_roland

さてこの半円だけに、アーチ下の細長い所に、細かく生き生きと戦いの場面が展開されています。本の説明に寄りますと、これはフランスでも人気の叙事詩「ローランの歌 La Chanson de Roland」を表していて、左から右に向かって、先ず大司教テュルパンが”le geant Abime”と対戦している場面、そしてローランとサラセン王マルシルの決闘シーンだそうです。

Ang_vit_roland 話はそれますが、昔習ったフランス語の教科書に面白い話が出ていました。 《ローランの部隊がサラセンの大軍に不意打ちされたとき、プライド高いローランは、”角笛を吹いて援軍を呼ぼう”と勧める親友の言葉も聞かず、結局は部隊は全滅、友人もすべて失ったのです。その時彼は、自分の剣を壊そうと石にたたきつけたのですが、その際、なんとその剣は山に巨大な割れ目を作ってしまったのです。そしてその割れ目は未だにそのままでロンスヴォー(Roncevaux)の峠に残っているという事です。》 右は、教科書に載っていたステンドグラスの写真。

Ang_fac_centre いよいよい栄光のキリストの場面に行きましょう。とても綺麗ですね。

アーモンド形のマンドルラ(仏mandorie)の中にキリスト(頭部はオリジナルではありません。)が左手に福音書を持って立って、なんだか浮かんでいるように見えます。その周りを、4大福音書家のシンボルが囲んでいます。
右上:有翼人間 聖マタイ
左上:鷲     聖ヨハネ
右下:牡牛    聖ルカ
左下:ライオン  聖マルコ

頭上には、雲間からさかさまになって降りてきている天使が見えます。アーチの淵は、細いところにたくさんの天使が飛んでいます。

また、ライオンと牡牛の足元に、横に10個のメダイオンが並んでいて、それぞれ立派な人らしい顔が彫られています。マールに寄りますと、12世紀には神に選ばれた人々をこのように表現することがあったそうです。

その下、ステンドグラスの窓の上の部分との間には、6人の大きさの異なる天使がいて、キリストの昇天を喜んでいるかのように手や足を大きく広げています。動きがあってともてうれしそう。華やかな雰囲気が感じられます。

その下、窓の左横にいる女性は聖母マリアで、同じようにキリストを見上げています。彼女の髪の形は当時の女性を再現しているのだそうです。他の彫像たちも見てみましょう。

Ang_fac_damne これはファサードの左側の写真ですが、マリアの横の人達は、光背を持っている使徒達や選ばれた人々でして、みんな顔を斜めに上げ、昇天するキリストの方を祝福しているようです。

ところが問題は、下左端の2つの像です。体が変にねじれていて、キリストの方へも向いていません。左端の像は、椅子に座った人物が、を抜かれている場面です。その右側は、下から炎が見えているようで、地獄へ落ち、苦しんでいる人を表しているのです。

Ang_fac_droit 窓の右側の写真もアップしましょう。このようにみんながキリストを見上げ昇天を祝福しています。この写真の右上の動きのある人物は、この喜ばしい出来事を多くの人に伝えようと走り出そうとしているのだそうです。

一方で、この写真では右端が切れているのですが、左端と同じように右端のアーチには、体がねじれていてキリストのほうを向いていない人物がいます。これも地獄の人でしょう。

つまりこのアーケード装飾の美しいファサードは、2つの図像学のテーマ、つまり「キリストの昇天」と「最後の審判」について彫刻されているのだそうで、《世界を裁くために再臨するであろうイエスは、「昇天」の日の姿そのままななのである》のだそうです。

Cah_tam_tout ところで、エミール・マールは、”アングレームのファサードは、カオールのタンパンを模倣している”と指摘しています。有難いことに、先日のツアーでカオールの大聖堂を見ることができたのですが・・・ほんとに似ていると思いました。(右はカオールのタンパン)

マンドルラの中の左手に福音書を持っているキリスト像やその服装、また、頭の上の雲から降りてきている天使、反り返った両側の天使の格好など、ほんとそっくりです。また下にいるマリアを初め使徒達の配置の仕方も似ています。

《カオールのタンパンは、タンパン芸術が誕生して間もない時代の作品》なのだそうで、非常にすっきりと整っています。また、この教会の内部もフレスコ画あり回廊ありで、想像していた以上に魅力ある教会でした。

話は少しそれますが、前回の記事で、19世紀(1852年~1875年)に修復されたと書きましたが、その時の建築家Paul Abadieは、純粋なロマネスク建築を取り戻すという名目で修復を開始したものの、いろいろ余計な物を付け加えてしまった為に、オリジナルの姿を失わせてしまったのだそうです。

彼が加えたものは、なんと入り口の丁度上のタンパン、そのタンパンの両側斜め上にある2つの騎馬像(左は聖George 右は聖Martin)、そして上部両側に見える小塔、その間の破風なのだそうです。私はそんなこととは知らず、せっせとタンパンや騎馬像の写真を撮ってしまいました。
次回は、少しの歴史と教会内部の写真をアップすることにします。

関連記事:アングレーム①: 大聖堂の外観
              ③: 教会内部とアングレームの街

その他の教会については、こちらの「訪問した教会一覧」より参照してください。

参考文献: 教会内にあった解説書(英語版1枚裏表、これが意外と良かった)
       アングレームの街紹介の本(仏語版現地調達)
       アングレームの街のサイト
       エミール・マール「図像学上・下」
       ふくろうの本「ロマネスクの教会堂」

「ローランの歌」についてはこちらをご覧ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ローランの歌  

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2008年7月22日 (火)

ファサード一面のレリーフ アングレームの教会 Cathedrale d'Angouleme

Ang_paysage_3 「アングレームは、シャロント川州域の草原にそびえたつ円錐状の砂糖塊のような岩山の頂上に築かれた古い町である。・・・
この町が宗教戦争の頃どんなに重要であったかは、町に残っている城壁、城門、この岩山の頂につくられた城塞の遺跡などを見れば歴然である。・・・
どこにも上層には「貴族」と「権力」が、下層には「商業」と「金」があり、いつもあらゆるところで、この二つの社会地帯は敵対関係にある。」

これは、バルザック「幻滅」の中で、アングレームの紹介をしている文章。
この絵葉書の右上のほうに、道に沿って家がずらーっと並んでいますが、これは城壁の外で、しかもかなり下の方にあるのです。丁度、並木道のような木々の手前に沿って城壁が伸びていまして、手前の教会とはかなりの高度差があるのです。ヴェズレーでもポワチエでも同じですが、小高い丘の上に教会はあるのですね。

Angouleme Ang_livre パリ滞在中、私はこのアングレームという地名も、そこにあるすばらしいロマネスク教会の事も知りませんでした。右の”ふくろうの本”の表紙を見て、えっ?これ何処?なんと堂々としたファサード!これ、ほんとにフランスにあるの?

この教会をぜひとも見たい!と、この4月上旬にフランスへ行った第一目的がアングレームだったのです。パリからTGVでボルドー方面へ、直通で2時間15分ほど、ポワチエ乗り換え(こちらの方が便数多い)で2時間40分ほどかかる所にあります。

Ang_cath_fa 駅前のバス停でバス路線地図を眺めると、すぐに「大聖堂 ”Cathedrale”」というバス停が見つかりました。ただし、それもネットでちゃんとアングレームの地図を印刷していたからすぐに分かったのですが・・・。私持っているガイドブックには、アングレームの説明はなかったのです。

おお、なんと!どーんとあの本の通りのファサードが目に入った時は感激でした。本のよりかなり白い。
結構たくさんの教会を見てきたけれど、これほど広い面積のファサードをレリーフで覆っているのは、ロマネスク教会の中では、ポワチエのノートルダム・ラ・グランド以外には思い浮かびません。でも、このアングレームのサン・ピエール大聖堂(Cathedrale Saint Pierre)の方が、高さが高い分だけ威圧感も大きいかな。

教会前には、広場というものが無く、正面は、上りと下りの2方向の道路やその他の道路の変則交差点にあたっていて、割と広めにはなっているけれども、なんとなく落ち着いてファサードを眺める、という雰囲気ではないのです。交通量が少ないために、車は平気で教会正面だけでなく、交差点にある店の前に2重に駐車していたりして、この価値ある大聖堂は特別なものではなく、日常に溶け込んでいる、という印象を受けました。

Ang_cath_ext1

最初の絵葉書を見ると、塔は北側に一つ見えますが、本来は、交差廊(トランセプト)の両側に建てられていたそうです。でも残念なことに、16世紀宗教戦争の時代に破壊されてしまい、この写真(南西から撮影)のように南の塔はなく、翼廊(右に飛び出している黒っぽい部分)だけになってしまいました。

Ang_cath_ext3 後ろから見てみましょう。私が訪れたときは、博物館建設の工事中で、近づけませんでした。また、教会の東と北側の道路はトラックなどの工事車両でふさがっていて、誇りっぽいし、歩きにくいこと・・・。

後陣は19世紀にかなり改築されたそうです。4つの礼拝堂の内、オリジナルは北西にあるもののみですが、アーチ型の模様はオリジナルに近いそうです。

Ang_cath_tour1 次に塔をよく見てみましょう。

教会内に置いてあった英語版(フランス語版が無かった・・・)の説明(たった1枚のみ)に寄りますと、19世紀に建築家Paul Abadieによって全面的に修復されたのですが、その際彼は、この塔を一旦崩し、もう一度積み上げていったのだそうです。でも何という事!彼は、オリジナルの彫刻を使わなかったのだそうです!

左の写真のように、この塔、結構綺麗に見えますが・・・博物館ができると、そのオリジナルの彫刻も見られるのでしょうか?オリジナルがどうだったのか、知りたい気もします。

Ang_dome_ex 今回は、クーポラの屋根も写真を撮ってきました。松かさ状のスレートのような物は、どうやって積み重ねられているんでしょうね?

日本の屋根のようなスレートの先が下向きではなくて、上向きです。これが松ぼっくりのように見えるテクニックのようですね。

次回はファサード、その次に内部の写真をアップしたいと思います。(写真はクリックすると大きくなりますので、細かいところも見えます。)

関連記事:アングレーム②: ファサードについて
      アングレーム③: 教会内部とアングレームの街

その他の教会については、こちらの「訪問した教会一覧」より参照してください。

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2008年7月15日 (火)

知らなかったカミーユ・コローという画家

Corot_pamphe_2 去年の手術以来、美術館への外出は控えていたので、ほんとうに久しぶりの美術鑑賞。この夏は興味ある美術展が目白押しなのがうれしい。暑いので先ずは駅に近い国立西洋美術館の「コロー展」にした。

昔の私の感想は、生意気だけれど、コローの絵って、目だった特徴があるわけではないし、静かで、変に感傷的過ぎる感もあり、いやではないけれど、あまりにもアカデミックというか無難すぎていて、興味が持てないなあ、というものだった。

でもこのコロー展に行って、ほんと良かった。120点にも及ぶ彼の生涯にわたる作品を見たおかげで、今は変な先入観も消え、素直に彼の作品を賞賛できる。感じることだけでなく、知ることも必要だとつくづく思った。

Photo 次のサイトが、コロー展の公式サイト http://www.corot2008.jp/ ですので、ご覧ください。作品一覧をクリックすると、何点かの作品が見られます。

さて、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796‐1875年)の作品、初期の丁寧に描かれたイタリアの風景画などを見ると、しっかりと古典技術を勉強しているのがわかる。彼の絵の安定していて揺らぎの無い落ち着きさが、見ている私たちを落ち着かせてくれる。上は、ヴィラ・デステ庭園、1843年の作品(ルーヴル美術館蔵 絵葉書より)。がっしりした構図でしょう?まだ、初心者という感じ。

Ville_danvray_1852 次のフランス各地の風景では、彼の住まいがあったというヴィル・ダヴレー(Ville d'Avray)ののどかな景色がたくさん出てくる。パリの南西15キロにあるというので、地図で探してみたら、見つかった!

車でヴェルサイユへ行く途中、道路は高い木立の間を抜けるのだが、なんとここがVille d'Avrayという所だったのだ!知らなかった・・・一般道を走ると、”コローのアトリエ”という看板も見つかったかもしれない。

さて、この頃の絵は、右上「ヴィル・ダヴレー 水門のそばの釣り人 1852年 モントリオール美術館蔵 絵葉書より」のような深い緑が印象的。この頃のコローは、暖かく光のある春や夏は戸外で描き、寒くなると描き溜めておいた写生と記憶を元にアトリエで描いていたのだという。”最初に屋外で描いたのは印象派の画家”というのは、どうも違うようだ。

1865 そして、とうとう彼独特の風景様式が生まれてくる。左の絵は、「傾いた木 1865年 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵」。同じ風景画でも、なんだかももやに包まれたような幻想的になっている。

このように空気の湿気を感じさせるのは、NHK新日曜美術館によると、気の枝の先をぼかしているところからきているのだそうだ。確かに上の絵では、葉の先までしっかり識別できるのに、左の絵は、葉の先がはっきりしていない。

こうやって見てくると、がっしりした古典絵画から、好きな風景を自分の好きなタイプに変化させてきているのがよくわかる。

1874 話は変わるが一般に、風景の好きな画家は人物描写が苦手で、逆に人物を描くのが好きな画家は風景画苦手という傾向にあるような気がする。たとえば、典型的なモネとルノワールのように。

ところが、コローは人物画もほんとに上手い。これも古典技術をしっかり身につけているからこそできる技だろう。上のパンフレットの絵は、「コローのモナリザ」とも呼ばれているそうで、亡くなるまで自宅の居間においてあったという。これもダ・ヴィンチのモナリザと同じ。すべてが完璧に描かれていて、ほんとに美しい。

晩年の作品、右「青い服の婦人 1874年 ルーヴル蔵」(絵葉書より)の見事な服装、美しい横顔にはため息が出た。なんと自然なしぐさ、そして女性らしいボリューム、エレガントな洋服の表情、すばらしい!コローには珍しい主題だけれど、ルーヴルにこんなのあったっけ?記憶に無い。

186970 でももっと驚いたのが、「水浴するディアナ 1869-70 ティッセン・ボルネミッサ美術館蔵」!!アングルの「泉」を思い起こさせるようなポーズ。でも申し訳ないけれど、肌の色といい、体の線といい、アングルの裸体よりこちらの方が綺麗に思えた。コローがこのような絵も描いていたなんてほんとびっくり!女性像をたくさん見て、彼の技量の高さに納得させられる。

NHKの説明によると、まったく同時代を生きたドラクロワも彼の絵を賞賛していたという。ドラクロワといえば、コローとは全然タイプの異なる絵を描きますよね。社会に対して主張を訴える絵が多いので、人間の行動に主眼があり、自然はほとんど出てこない。

Photo_2  ところが、ドラクロワ晩年の作には、コローに影響された絵が描かれたという。それが右の絵。

これは、パリのサン・シュルピス教会にある「天使と戦うヤコブ」。教会に入ると、一番右手前の礼拝堂で、いつでも見られる。とても大きな絵で、しかも上の方にある為、マンテーニャの短縮法の絵のように撮れてしまった。(この4月に撮影)

緑で覆われた背景で、絵全体の中でドラクロワの絵としては人物があまりにも小さい。初めてこの絵を見た時、とてもドラクロワの絵とは思えなかった。NHKの解説でようやく納得した次第。

コローは、「最後の古典主義者にして最初の近代主義者」と言われているという。フランスだけでなく、アメリカ、カナダ、イギリス、スペインから集められた、地味と思われるけれど本当は意欲的な今回の展覧会、そのおかげでこの言葉の言わんとしていることがよく分かった。一人だけを取り上げた展覧会は、ほんとに勉強になる。

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2008年7月 6日 (日)

サント(Saintes)という街

ここでサント(Saintes)の街の紹介をしておきましょう。といっても詳しくはないので、写真をアップするだけになってしまいますが。フランスにおけるサントの位置は、こちらの緑色の地図を参照してください。

Santes_map

これは、1560年のサントの地図です。左の小高い丘にあるのが今まで述べたサン・チュートロープ教会(①、)です。城塞に囲まれた中にある高い教会が、サン・ピエール大聖堂、これについては別の機会に書くつもりですが、外観だけアップしておきます。教会の北東からとった写真です。大きくてとても全部入りませんでした。

Sat_pierre_tour1

そして、塀の右外側にある、少し大きめの建物が貴重なオ・ダム大修道院(Abbaye aux Dame)。この教会のファサードはサントンジュ地方にとって非常に重要な彫刻でして、私は訪れていないのですが、パリの建物博物館で見たとき、その細かな装飾に驚きました。写真を撮ってきているので、それをアップしておきます。

Sat_dames2

プレートの説明を書いてみますので、下の写真を見ながら読んでください。入り口のすぐ上には、両側6人の天使に囲まれた”神の手”が見えます。訪れた信者たちを祝福しています。

次の外側の円弧には、キリストの犠牲を想起させるような、羊に十字架が刺さっている彫刻が見えます。その両側には、4人大福音書家を表すシンボル(天使、獅子、牛、鷲)が紐模様の中に彫られています。

その外側は、たくさんの人が殺されているように見えますが、そのとおりで、無実の人々の虐殺を表しているのだそうです。さらに葉模様の外側は、この写真では切れてしまっていますが、ヨハネの黙示録での楽器を持った老人を迎えています。どうです?とてもとても細かいでしょう?

Sat_dames3

さて、話を戻しましょう。ミシュランによりますと、サントの街はガロ・ロマン時代にすでにこの地方の首都だったそうで、ローマ時代の建造物がいくつか残っています。先ずは、下方に見えるシャロント川にかかっている橋のアーチ。西暦19年に建設された”ゲルマニクスのアーチ(L'Arc de Germanicus)”と呼ばれ 、これは、当時サントの入り口であり、かつ、リヨンからのローマ街道の終点でもあったのだそうです。今はそこには橋はなく、このようにアーチは保存されています。

Sat_arc_germanicus

古い地図で、城壁の左上部に壊れているアリーナが描かれていますが、それが下の写真です。16世紀のその当時も崩れていたんですね。これはクラウディウスが支配していた時代西暦40年頃に建設されたアリーナで、126メートルX102メートル、丘の斜面も座席にしており15000人収容可能、今でもここでコンサートが開催されています。遠くにサン・チュートロープ教会の塔が見えていますね。

Sat_amphitheatre

古い地図ではよくわからないので、新地図もアップしておきます。普通のガイドブックにもサントの地図は載っていないかもしれないので・・・

Saintes_map_touristique

クリックして大きくしてみてください。左の①がアリーナ、②がサン・チュートロプ、③がサン・ピエール大聖堂、川沿いにある④がゲルマニクスのアーチ、⑤がAbbaye-aux-Dames、地図の右端⑲がフランス国鉄のサント駅です。

サントの街のホームページ http://www.ville-saintes.fr/

サントは、このように自然に囲まれている穏やかな街でした。

Sat_charente

サント関連記事:
   サン・チュルトープ教会  クリプト   柱頭と教会内部

 

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