歴代国王の墓所 サン・ドニ修道院聖堂 Basilique de Saint-Denis
フランスの教会で、一番好きなのは、なんと言ってもやはりシャルトル大聖堂!!。その記事も書きたいのですが、未だに恐れ多くて書けないでおります。
その次は?と聞かれると、いくつかあるけれど、その一つとして、きっとこのサン・ドニの教会(Basilique de Saint-Denis)をあげるでしょう。右のように、決して特に外観が美しいとか装飾が特にすばらしいというわけでもないのですが、堂内は、墓碑彫刻で埋め尽くされており、他の教会にはない非常に興味深い空間を持っていると思います。しかも訪問者が多くないので、シーンとした中でゆっくりと見られるのもいいですよ。
私は、この教会の面白さは、3つあると思っています。一つは、なんといっても120年間に渡る歴代王家の墓碑があること、フランスの歴史を知らなくても十分に彫刻を楽しめます。
左の絵葉書をみてください、古くて赤っぽくなってしまいましたが、王の横臥像が一見無秩序に置かれていて、素敵でしょう?実際の教会内部はこんなに明るくありませんが、このように、メロヴィング朝の数人の王から始まり、カロリング朝、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝(ブルボン家の人々の墓石はなく、地下聖堂に葬られているのみ)、合わせて46人の王、32人の王妃、63人の王子及び王女、10人の国家の要人がここに葬られているのです。
一番大きく目に付くのは、祭壇に向かって右側にあるフランソワ一世とクロード・ドゥ・フランスのモニュメント。(右下の絵葉書)イタリアへ遠征の際、その進んだ文化芸術に刺激を受け、フランスを文芸復興させた立役者、レオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたのも彼です。偉大な彼らしく、凱旋門の形の上に子供3人と一緒に祈りの姿をしています。
左側の廊下で一番大きいのは、ルイ12世とアンヌ・ドゥ・ブルターニュのお墓(下の写真)。小さな神殿風の美しいモニュメントですが、このアーチ状の中に二人の裸の横臥像が横たわっていまして・・・これがちょっと怖いのです。生々しく苦しんでいるようにみえるのです。説明によると、”蛆(うじ)虫に食われて骸骨同様になった裸体”と書かれています・・・これは、どういう意味でしょうか?
そのほか、古いのは、面差しが優しそうで美しく、目を開き、王冠を被り、手にシャクを持った凛々しいお姿だったり、両手を胸の上で合わせて祈っている姿があったりと多種多様です。
ただ、同じなのは、お棺の中には、遺体はない、ということ。原因は、やはりフランス革命!
革命後の1793年、国民公会は、墓所への侵入、そして王家の墓の破壊を命令したのです。その時、遺体は共同溝に投げ込まれ、お墓も壊されたそうです。もっとも、それ以前から、この教会は荒れていたのだそうですが・・・右の絵は、パリのカルナヴァレ博物館にある廃墟の画家ユベール・ロベールの”Violation caveaux royaux (王家の地下納骨所の冒涜)”という絵。
その時、委員会(何の?)から委託されたアレキサンドル・ルノワールという人が、特に精巧な墓碑を選択し、臨時的にパリのプチ・ゾーギュスタン(Petits-Augustins 後フランス文化財博物館となる)の倉庫に移し、破壊から守ったのだそうです。その後、ルイ18世のとき、これらをサン・ドニに戻し、現在に至っているのだそうです。この人がいなければ、今のような墓石群は見られなかったことになりますね。
二つ目は、雰囲気のあるロマネスクの地下聖堂があること。フランス北部に多いゴシック建築の教会には、クリプトが少ないのだそうです。
初めてこの教会に行ったのは、1998年の夏、そのときの地下聖堂はとても暗くて、長年の歴史を感じさせる怖い雰囲気がありました。ところが、2000年を迎えるにあたって、フランス中の主だった教会に清掃や改築が行われ、その一環としてこの教会も綺麗にされ、黒かった壁の石は白く洗われ、地下全体も明るくなってしまいました。申し訳ないですが、明るくなったクリプトは、気の抜けたコーラのように味気なかったです。でも、北フランスではめずらしいロマネスク風の柱頭彫刻も少しですが見られますし、マリー・アントワネットのお墓もあるので、訪問の価値はあると思います。
第3に、これは後になって知ったことなのですが、この聖堂がゴシック建築最初の作品であること。そして、当時サン・ドニ修道院院長シュジェール(Suger)という偉大な指導者が、修道院改革をし、そして、従来の聖堂の考え方の一掃した新しい思想をもとに、フランス全土から優秀な建築技術師、石工師、彫刻技術師、工学に長けた人などを集め、暗く厚い壁から教会を開放し、光の聖堂を作り上げた、つまり、ロマネスクからゴシックへのはっきりした転換期の作品だ、ということなのです。
右のステンドグラス内部をご覧下さい。明らかに今まで説明してきたロマネスクの教会とは、高さや光が異なります。ところが、一番上の写真のファサードは、結構重々しく、薔薇窓も非常に小さいですよね。でもこの薔薇窓が、フランスの教会で初めてファサードに取り入れられたのだそうです。
ここで、ちょっと雑談を二つ。一つはこの教会の始め物語、もう一つは、壊れた塔の話。
伝説によると、西暦3世紀の中頃、伝道にi訪れたパリ最初の司教と言われているドニは、お供の2人と共にモンマルトルの丘で、ローマ皇帝のキリスト経弾圧の使者により様々な拷問を受け、その度に奇跡を起こしていたのですが、とうとう斬首されてしまったのです。
ところが、死んだはずのドニは、切り落とされた自分の首を拾い両手に持って歩き始め、パリの北、現在のサン・ドニの地で力尽き倒れたのだそうです。(左の絵は、パリのパンテオンで見ることができます。確か左端の最初の大きな絵だったと思います)
敬虔な婦人(伝説では、パリの守護聖人ジュヌヴィエーヌ)の手で埋葬された墓の上に僧院が建てられ、これら3聖人の聖遺物を納めたことで、多くの巡礼者が集まったのだそうです。これを見たダゴベール一世は、630年建て直しをし、巡礼者世話の為に修道士たちを住まわせたことにより、ますますこの修道院は裕福なり権威も強くなっていったということです。
もう一つの話は、19世紀中頃までサン・ドニの聖堂には、右のように2つの塔があったのだそうです。ところが、1813年、ドブレ(Francois Debret)という建築家が修復を担当した時のこと、彼はステンドグラスを中心に修理をしていたのですが、彼の中世の建築に関する知識が無かったために周りの不満も高かったらしく、1837年の雷が塔に落ちた後の彼の修復が非常に悪かったのです。1845年の終わり、とうとうそのバランスの悪い重さに耐えかね、塔は崩れてしまったのです。
プロスペル・メリメ(また、出てきましたね。)の批難を受け、彼は30年という長い仕事から去ることになりました。幸運なことに、その後に就いたヴィオレ・ル・デュック(Emmanuel Viollet-le-Duc)は、ドブレの修復した箇所を、忠実に過去の原型に戻すよう努力し、その後の修復も彼の死(1879年)まで続いたのだそうです。
このサン・ドニという町は、シャルル・ド・ゴールからパリ市内に向かって高速道路を通る時、途中に大きなサッカースタジアムStade de Franceの外観が見えてきますが、そのあたりが、サン・ドニです。
ここにはパリ市内から地下鉄で行く事ができるので、パリを旅行する人には勧めるのですが、訪れる人は多くないようです。まあ、市内から離れているということもあるのですが、フランス事情を知っている人は、この地がパリ郊外地であり、移民住民の割合が多く、暴動がよく起っている事を知っているからなのです。
確かに、車で一般道を北へ走らせると、周りの景色が一変していきます。統一感の無い家々がならび、道路にはゴミが散らばり、規律の欠けた少し怖い印象を受けてしまいます。
でも、地下鉄の駅周辺は綺麗になり、明るく安全な雰囲気なんですよ。駅から教会へもとても近いです。でも、何回かここに来たうちで、教会前の広場で市場が出ていた時もあったのですが、残念ながら、私も少し怖くてその人ごみに入れなかったことを白状しておきます・・・。
私が撮影したサン・ドニ教会内部のビデオ映像はこちらです。
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コメント
Cojicoさん、なるほどです!サン・ドニはゴシック建築最初の作品だったのですねぇ。「大聖堂」に登場する訳がわかりました。それに、不気味ながらも王家の墓の豪華なこと(・・;)
Cojicoさんの解説を拝読しながら私もぜひ訪ねてみたいと思いました。しかし、なにやらアブナそーな地域にあるのですね。地下鉄の駅から真っ直ぐ行けば大丈夫なのでしょうか??
投稿: 花耀亭 | 2007年12月20日 (木) 02時20分
花耀亭さん、
ちょっと怖がらせたみたいで、ごめんなさないね。
サン・ドニは、工業の発達によって大きくなった街なので、移民の人が多いのです。常に暴動があるわけではありませんで、(サルコジ氏が大統領になる前の事、ここで起ったある事件をきっかけに、彼が移民の人に対してひどい言葉を使ったので暴動が起り、それが全国に広がってしまったのです。)ちょっと顔が違うだけで、怖くなってしまうのです。
危ないといえば、パリ市内もどこでも襲われる可能性はあるわけで、そういう状況を考えると、サン・ドニも普通なのかもしれません。私も今度パリへ行ったら、必ず行こうと思っています。メトロ(13号線の行き先が二つに分かれているので、St.Denis-Universite行きに乗ってください)の駅から教会は近いですよ。
難しいことは分からないのですが、シュジェールの改革は、建築学的だけでなく思想的にも大きく、その考えはヨーロッパ中に広がったそうです。
「大聖堂」の修道院長フィリップのモデルは、このシュジェール修道院長ではないかと、私は思っています。シュジェールも貧しい家に生まれ、10歳の時に修道院に連れられてきました。修道院で育ったなんて、同じでしょう?しかも彼はどんどんと頭角を現し、当時の王の相談役や代役も果たしたのだそうですよ。
サン・ドニの聖堂は、本当に面白いと思いますので、是非とも行かれてください。
投稿: Cojico | 2007年12月20日 (木) 16時21分
Cojicoさん、こんばんは。
私は92年ごろサン・ドニに行きました。教会の前には、あの頃もやはり雰囲気の違う市場や人々がいましたね。
建築を勉強している友人から、パリに行くならサン・ドニを見なきゃ、といわれ、シュジェールやゴシックのことをハイライトで説明してもらって行きました(笑)。それまで何も知りませんでしたが、それでも外観も中も感動しました。石棺のことは何もおぼえていません(汗)。Cojicoさんの説明でまたいろいろ知ることができました。アントワネットのもあったんですね。地下も見ませんでした~。当時はまだ女子大生目線と変わらない程度だったのです・・・
投稿: あむ | 2007年12月21日 (金) 19時57分
あむさんも行かれましたか!この教会、いいですよね。
初めての訪問時に説明を受けられたなんて、なんとラッキーなことでしょう。私など何も知らずに見ましたが、それでも非常に感動し、いまだにその余韻が残っているようです。
なんと、この墓所の聖堂部分(1階部分)には、ブルボン家の人々のお墓は無く、彼らはみんな地下聖堂に葬られたそうです。一応ルイ16世とアントワネットについては、記念碑としての祈りの像が地上にあるのですが、ほんとうのお墓はクリプトの平らな黒い石の下にあります。
地上部分に保存されている墓石は、12世紀から16世紀の横臥像でもすぐれたものだけが残ったことになるわけです。感動するはずですよね。
でも92年頃ですと、サン・ドニは今より危ない雰囲気だったのかもしれませんね。人々のオリジンにより見事に住み分けられているのには、ほんとに驚きでした。
”女子大生目線と変わらない程度”・・痛いお言葉です。少しは年のいっている私も同じでした。フランスの”フ”の字も知らない私が主人の転勤で行くことになってしまったのですから・・・何の知識も無いまま、いろんな有名地を見ていました。しかし、本当に見るべき箇所をみていないという事、数知れず、ほんとにもったいない事をしたと思っています。
今こうやって少しずつ知識を増やし、時間があれば再訪問をしたいと思っております。
投稿: Cojico | 2007年12月21日 (金) 23時43分
こんにちは
コメントありがとうございます。
10月の末と12月初旬、パリにも行ってきました。
サン・ドニ修道院、懐かしく拝読しました。
ユトリロの絵が印象的・・刺激されて見学しました。
ワールドカップの時も近所を散策した思い出があります。
パリの北側地区も良いですよね。
トランセプトは歴史も感じます。
10月末のパリは最高でした。(バスで移動)秋を満喫しました。
今回、リヨン、マルセイユ、プロバンスなど行きましたが
やはりパリは格別ですね。晩秋のパリも素敵でした。
今回は、少しですが、建造物など見てきましたので、cojico
さんのアップを楽しみにしています。
サン・マルタンの秋は・・美しく、ビストロも最高でした。
投稿: kju96 | 2007年12月23日 (日) 13時23分
kju96さん
すみません、昨日はプチ旅行の後で疲れていて書けませんでした。
今回の長い旅行は、完全にkju96さんを魅了してしまったようですね。少し読んだだけで、その影響の大きさがわかります。
98年のワールドカップのことでしょうか?
私達も当時パリに居まして、大変な騒ぎの中に巻き込まれました。全くパリ中が、いえ、フランス中が興奮の渦の中でしたね。
パリはそんなに良かったですか・・・
最近感じるようになったのですが、住んでいた頃は、雑多な日々の生活に追われ、街を美しいとは思っていたものの、その余韻に浸ったり感慨にふけったりはしたことは無かったのです。きっと余裕が無かったのでしょう。
今、こうやって遠くにいて、少しそれに関する本などを読んで初めてその良さがしみじみと感じられるようになりました。
全く人って勝手なものです。
これからは、私もkju96さんのように、味わって楽しむ旅行をしたいと思っています。
投稿: Cojico | 2007年12月24日 (月) 10時51分
メリー・クリスマス。
何時も素敵な時間・・ありがとうございます。
投稿: kju96 | 2007年12月25日 (火) 01時52分
kju86さん
素敵なメッセージ、どうもありがとうございます。
Joyeux Noël!
投稿: Cojico | 2007年12月25日 (火) 20時51分
こんばんわ
今年もあと1日、例年、料亭のお節を取っていますが、今年は信頼感が持てないと言うことで、おせち料理に挑戦しています。
今夜と明日は徹夜で、料理を。
今年、1年、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
いい年でありますように・・・。
身体にはご自愛ください。
ありがとうございました。
投稿: kju96 | 2007年12月31日 (月) 02時15分
kjuさんがおせち料理を作られるのですか!凄い事ですね。ぜひとも主人にkjuさんの話をして、男性でもできるんだと示したいです。
私はいつも手抜きで、取り寄せの御節と共に、自分の好きな料理だけは作っております。今7時過ぎですが、今年のお仕事はどうにか終わりました。後は、紅白を見ながら、このブログの今年最後の更新をどうにか終えたいと思っているのですが・・・
kjuさんには、お世話になりっぱなしですみません。私の方こそ、お礼を申し上げなければなりません。ほんとうにありがとうございます。またこれからも、いろいろなお話をお聞かせください。
私の方は、頭の中には書きたいことが一杯あるのですが、どうも現実には、日々の雑用に終われ、思うように事が運びません。
少しテンポの遅いCojicoですが、どうぞ来年も宜しくお願いいたします。
投稿: Cojico | 2007年12月31日 (月) 19時21分