キリコに影響を与えた街フェラーラ① FERRARA che ha influito su Chirico
ボローニャやラヴェンナから近い街フェラーラ(正確にはフェッラーラ)、私はここで面白い体験をした。それは、この街が”キリコの作品のモデルになった”と言われる所以と同じだと思うが、それを説明する前に、簡単に街を写真で紹介してみたい。(右の写真は、エステ城の屋上より)
オレンジ色のレンガ屋根が並ぶこの静かな地方都市は、1995年、ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯が世界文化遺産に登録された。でも、パドヴァからの道筋やラヴェンナ、ポンポーザへの道など、ポー川周辺を車で走らせてきた私だけれど、世界遺産に匹敵するようなデルタ地帯の景色を見ていない。もっとマイナーな道を走らなければならなかったのだろうか?
さて、ここの大聖堂のファサードはほんとうに見事だった。私はこのように同じ高さの3つの屋根を持つ教会は見たことが無い。しかもファサードの各段の装飾が美しい。
1つの尖塔アーチに3つの細い柱を組み入れた2段目、その上は、横一直線に狭い間隔で柱を見せ、その上段は幅を広く取り太目の柱(実際は、多重柱)でアーチを作っている。なんとバランスよく配置してされているのだろう。
さらにロンバルディア様式といわれる正面の少し飛び出ている部分を見てみると(右の写真をクリックすると大きくなります)・・・なんと手の込んだ彫刻群!
破風のような三角形には、栄光のキリストが、その下の帯状は最後の審判のようで、向かって左側(キリストにとっては右側)には、天国へ行ける人であろう、聖人のような細い立像が規律正しく並んでいる。向かって右側には、地獄と判定され、打ちひしがれて泣き叫んでいる、うねった人々の様子が見える。その両側も綺麗な彫刻・・・でもはっきりわからない・・・実際の場所でもっと丁寧にみればよかったなあ、と今とても後悔している。
このDuomoは、1135年に着工されたロマネスク様式建築だったのだが、13世紀にゴシックに改築され、18世紀にはさらに堂内が大改築されたそうで、どうりで、内部は左の写真のように、うそのように凄然と整っていて魅力が無かった。
この時代の建物だと、壁画があるのは当然。それを期待して入ったら、荘厳ではあるものの、哀愁ある、ひなびた古さが全然なかったのだ。ものすごくがっかりした。
それで、早々にこの教会を出てしまったのだが、それがいけなかった。この内部で見るべきものは、ナルテックスの上にあった!そう、ここには付属博物館があったのだ!!ああ・・・ショック・・・
この博物館では、このようなのが見られるらしい。一番上の絵は、コスメ・トゥーラ(Cosme Tura 1430-1495)の「竜と闘う聖ゲオルギウス」。2番目は、同じ画家の「聖ジョルジョと王女」。
3番目が大聖堂の南門を飾っていたという「十二ヶ月」のレリーフの1つで「果物の収穫」。これは見るべき貴重なものらしい。次の彫刻は、ヤコポ・デラ・クェルチャ(Jacopo della Quercia)作「ざくろの聖母(Madonna della melagrana 1406)」、とても美しいマリアさまですね。
右の絵は、コスメ・トゥーラの「受胎告知」の一部。なんとなく顔の表情が初期フランドル派に似てませんか?それもそのはず、なんとこのフェラーラは、15世紀中頃、エステ家で教育熱心だったボルソ公(1413-71)が、ピサネッロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、そしてフランドルからファン・デル・ウェイデンも招き、各地の新しい芸術を積極的に導入したのだそうです。
それにしても一体、どこに2階への階段があったのだろうか?全然気がつかなかった・・・次回行くときは、忘れずに訪問したい。
さて、教会の外の話をしよう。この教会周辺はちょっと変わっている。上から2番目の写真を見直して欲しい。建物の右側に何が見えますか?アーケードのようなものがありますよね。
左の写真がそのアーケードですが、この教会の建物の側面は、なんと商店街になっているのです。アーケード上部の装飾は、明らかに教会のものですよね。
ここは広場になっていて、初めここを通ったときは、車がごった返し、沢山の人が通っていた。きっとこのあたりは、昔からここの住民にとって大事な市場だったのだろう。
ところが、エステ城を見た後、道路に出てびっくり!!な、なんと人が消えたのだ!!教会の前にも、この広場にも、市役所も前に、広い道路にも沢山の人や車が行き来していたのに、一瞬にして、人がいなくなってしまった。閑散としている街!
ほんと、一体何が起ったのか分からなかった。道路の真ん中で、え?え?何があったの?と立ちすくんでいた。その時、バスが乗客をたった一人だけ乗せて通っていった。怖くなって、他に歩いている人を探したのだが、遠くにちらほらしか見えない!不安なのになぜか笑いが出てきてしまった。一体みんな、どうしたの?
お腹が空いてしまったので、お店が閉まっていては困る、と思って急いでレストランを探した。閑散としたある建物の外にどうもカフェテリアらしい名前を見つけ、入ってみた・・・と、ここでもびっくり!中には、うそのように沢山の人が居たのだ!!
きっと昔の習慣どおり、昼はみんな自宅へ戻って昼食を食べるのだろう。イタリアでも少し大きな街になると、そういう習慣も消えかかっているが、ここではしっかり残っていた!まったく嬉しい経験だった。
画家のキリコは、引越しばかりしている。引越し魔で有名な北斎は江戸だけだったが、キリコの場合は国際的に移動し、イタリア国内だと1年ごとに街を変わっている。ところが、フェラーラだけには、数年暮らしていた。彼にとっては非常に長い時間だっただろう。人気の無い街角、閑散とした宮殿などの風景がキリコに影響を及ぼしたといわれているが、彼の絵のあの奇妙な寂しさが、今、私は実感として分かるような気がする。
フェラーラ関連記事: エステンセ城その他
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コメント
こんばんわ
フェッラーラ懐かしく拝読しました。
この街は、ルキノ・ヴィスコンティの映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(47)の舞台になったところで、尋ねた時は、映画に出てきた場所がそのままだったので、感動しました。
フェッラーラの近所の町コディゴロなども映画に使われていましたので、訪問しました。
大聖堂をはじめ建築物の素晴らしさに魅了されましたが、なんと言ってもフェッラーラ駅が印象的でした。
それに自転車が多いこと、ホテルやレストランテなど貸し自転車が置いてありましたね。
映画では、ポー河で、うなぎ釣りが出てきましたので、うなぎ料理はないのかと探しましたが、食べれませんでした。
日本の観光客は、フェッラーラにはほとんどこないのでもったいないな~と思います。
投稿: kju96 | 2007年9月24日 (月) 21時53分
kju96さん
いつもコメントありがとうございます。
住んでいると、こまめにマイナーで辺鄙なところへも行けていいですね。私もイタリアで住みたいです。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の舞台はフェラーラだったのですか!見たはずなのですが、内容が思い出せません。暗かったような・・・フランス語を勉強する以前の私は、恋愛物は全然理解不能状態でしたので・・・
kju96さんのように映画や音楽が詳しいと、訪問する街も違って見えるのでしょうね。駅がすばらしかったのですね!フェラーラは、他にも見忘れたものがあるので必ず行こうと思っております。その時は、必ず映画を見てからにし、駅へも足を運ぶことにしますね。
投稿: Cojico | 2007年9月25日 (火) 20時43分
Cojicoさん
kju96さんとの会話も楽しく読ませていただいています。それぞれの興味が同じ街につながって、おもしろいですね。じつは私は中世の医者(錬金術師でもあります)のパラケルススに興味大なので、彼と縁のあるこの街にもやじ馬的にですが関心があるのです。
キリコのお話、Cojicoさんの体験談を読んで、また、写真を見て、すごくおもしろくなりました!
受胎告知の絵、私もとっさにフランドル風に見えました。あちらから招いていたんですね、知らなかった~!当時の人や物の移動を追うのも楽しいものですね!
投稿: あむ | 2007年9月25日 (火) 21時50分
あむさん
こちらにも書いてくださって、ほんとうにありがとうございます。
確かにみんな興味がそれぞれ異なっているので、同じ街を見ていても、見る対象が違っていたり印象が異なっていたりと、話を聞くと面白いものがあります。あむさんのフェラーラへのアクセスは、パラケルススなのですね。
パラケルススという名は、初めて聞いたのでウィキペディアで調べたのですが、なんともかなり経歴が変わっていますね・・・興味深深です。
錬金術という裏社会の歴史も、面白い題材です。
あむさん、また調べましたら、お教えください。
フェラーラの大学もかなりすぐれた教師陣が揃っていたらしく、15,6世紀はヨーロッパ中から学生が集まっていたようです。
こんな時代から、ヨーロッパは人の交流や情報の交換が広範囲にわたっていたのですね。感心します。でも、よく考えたら、ローマ時代からヨーロッパは人の動きが激しかったんですよね。境目の無い大陸ならではです。
話は変わるのですが、実は、あむさんへの返信コメントを昨日書いて送信したのですが、全然表示されないので、不思議に思っていました。今日になってその原因がわかりました。
私ったら、送信後のスパム対策用の記号入力が出ているのに、知らずに終わらせていたのです。気をつけているつもりでも、チョンボはするものなのですね。いえ・・歳のせいかも・・・
投稿: Cojico | 2007年9月26日 (水) 20時25分
イタリアも魅力的な都市が沢山ありますね。
最近はトリノ、ジェノヴァ、アンコーナなど台湾人には余り知られていない都市に興味を持ち始めました。
トリノはサルコジ大統領の新妻のカルラ・ブルーニの生地なので最近知りました。
トリノオリンピックは台湾のマスコミでは殆ど報道されていなかったので、日本のインターネットやメディアを経由して知りました。(恥ずかしいと反省しております)
フェラーラはミケランジェロ・アントニオーニ監督の出身地で初めて知りました。
投稿: 台湾人 | 2008年7月25日 (金) 17時41分
台湾人さん
イタリアは、ほんとに魅力ある国です。都市国家を築いていたために、地方の都市も独自の文化を花開かせているので、充実していて見飽きることがありません。
トリノは工場が多く、ごたごたした感じを受けますが、文化の中心地あたりは王宮を初め素敵な建物が並んでいます。忘れられないのは、キリストの遺体をを包んだといわれる「聖骸布」の展示を見たこと。今ではこれは、後の時代に作られたものと判定されたのですが・・・
私は映画は全然知らないのですが、最初のコメントを書いてくださったkju96さん(映画大好き人間)は、ヴィスコンティの映画からフェラーラを思い、台湾人さんは、別の映画監督の名まえをフェラーラから改めて認識されたのですね。いろんなアクセス方法があるものです。
フェラーラのエステンセ城の壁画は、美しかったですよ。
投稿: Cojico | 2008年7月26日 (土) 21時46分
アンコーナ、ジェノヴァ、トリエステ、サンレモ、ポルトフィーノなどの都市は台湾ではまだ知名度が低いです。
アンコーナはイタリアの名優ヴィルナ・リージの出身地なので調べてみましたが風光明媚の港町だそうです。
トリエステも港町で昔スロベニアの領地だったそうです。
投稿: 台湾人 | 2008年8月 1日 (金) 01時04分
すみません、トリエステはスロベニアに隣接していますが昔はオーストリア帝国の領地でした。
投稿: 台湾人 | 2008年8月 1日 (金) 11時58分
台湾人さん
ヨーロッパに夢中になるきっかけは、本当にいろいろあるものです。私は教会と絵画からですが、台湾人さんは、お好きな映画や音楽を軸に興味が拡がっているのですね。研究を楽しんでください。
実は、私もアンコーナに興味を持っています。教会にも行きたいし、また画家カルロ・クリヴェッリやティツィアーノの作品もみたいと思っているのです。
次のイタリアのウィキペディアを見ると、綺麗な湾の写真がアップされています。
http://it.wikipedia.org/wiki/Ancona
アドレア海の色は、ほんとうに美しいですよ。アンコーナもきっと今頃はバカンスの人でいっぱいでしょうね。
トリエステは、イタリア人と結婚し、そしてその夫と死別した、大学教授でもあり作家でもあった須賀敦子という人が書いた「トリエステの坂道」という本で知りました。
同じようにイタリア語ですが、次のウィキペディアで美しい写真が見られます。
http://it.wikipedia.org/wiki/Trieste
台湾の海も綺麗なのではないでしょうか。
投稿: Cojico | 2008年8月 1日 (金) 22時42分
時々自分の国に対して複雑な気持ちを抱いているのが事実です。
台湾人は日本人や欧米人と違い国民の教育水準や道徳教育が低下しているので、マナーやエチケットをちゃんと守らない人達が多くいます。
自分の郷土を愛したいけれども常に失望させられたりやるせない気持ちや絶望或いは矛盾な気持ちが心の奥を横切ります。
台湾は別に中国や米国或いはロシアみたいな超大国や列強になる条件はありませんが、何故ポーランドやウクライナ、スイス或いはベルギーやルクセンブルクみたいに自然や環境を守り、綺麗で住みやすい国を目標にし、みんな一心同体頑張ろうとしないのかいつも遺憾と無念で溜め息をしたくて仕方ありません。
台湾は工業発展の為に長年河川や海洋を汚してきました。
ターラントのような港町を見ると羨ましく思います。
投稿: 台湾人 | 2008年8月 5日 (火) 16時25分
台湾人さん
私は台湾に対して、そのようなマイナーなイメージは持っていません。
地理的にも歴史も全く異なるヨーロッパのいろんな国を列挙され、台湾と比べていらっしゃしますが、それはあまりにも主観的過ぎるのではないでしょうか。
一見良さそうに見える国々も、内政的にはその国独自の問題を抱えており、それは台湾と同じなのです。隣の芝生はよく見えるだけです。
私も結構たくさんの国を見てきましたが、環境だけでなく総合的に判断すると、台湾は安定していて良い国と言えるのではないでしょうか。
話は変わりますが、フランスの哲学者ヴォルテール著「カンディード(Candide)」という本の中に有名な言葉があります。少し書いてみます。
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パングロス(先生)は、真理という名の下にいつも「人間とは・・・」とか「真理とは・・・」などのように理屈だけを言っております。それに対してマルチンは、「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません。」と言うのです。
小さな共同体の仲間は、こぞってその賞賛すべき計画(働くこと)に加わった。それぞれが自分の才能を発揮し始めた。ささやかな土地は、多くの収穫をもたらした・・・
先生がまた理屈をこね始めますと、カンディードはこう言うのです。
「しかし、僕達の庭を耕さなければなりません。」
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今の自分のするべきことをしっかり成し遂げること、それが自分の充実感へと、そして幸せへと繋がっていくのだと思います。
最後に台湾人さんへのお願いですが、コメントは記事の内容に応じた事柄にしていただけますでしょうか。(例えば、ここではフェラーラについて。)よろしくお願いいたします。
投稿: Cojico | 2008年8月 6日 (水) 21時29分