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2007年8月 5日 (日)

講義「ロマネスク彫刻の形態の特徴」 la conference "le caractere de la sculpture romaine"

Panph 先月16日のことだけれど、国立西洋美術館・常設展の新館2階で開催されている「祈りの中世ーロマネスク美術写真展」(~8/26)に際して催された、東京藝術大学の越宏一先生の講演を聞いてきた。

ロマネスクの話は大変興味があるし、有名な越宏一先生ということもあって期待したのだが、先生は、学生時代の眠くなる授業を思わせるような話し方で、聴衆が理解できるような判りやすい説明、砕けた表現を使うことも無く、書いてある文章を読むように自論を進めて行かれた。(すみません、こういう書き方をしてしまって・・・。当時はかなり期待をして行ったもので、現実との差に驚きました。後で冷静になると、そのご高齢にも係わらず、こういう場で講演してくださったことに感謝しております。)

研究発表の場と、こういう一般人への講習の場は全然違うはず。やはりお年を召されたからなのだろうか、それとも不器用な学者というべきか?しかし、こういう直接話を聞けるところに価値があるのかもしれない。

Photo 美術館の案内では、題は「ロマネスク美術の見方」だった。だから私も含め多くの人は、展示されている写真の説明をキリスト教と関連づけて話してくれるものと思って応募したのだと思う。ところが、先生は一つ一つの説明をするのではなく、「ロマネスク彫刻の形態の特徴」、つまり、「建築彫刻としての彫刻」について話したいとおっしゃった。

論点は4つ。①ギリシャ建築とロマネスクの、彫刻の位置。②建築への順応・人体比例の柔軟性。③終わりなきMOVEMENT ④ロマネスクの終焉・ゴシックへ。それぞれについて先生の言葉を主として説明したい。

①ロマネスク彫刻は、”建築に付随した彫刻”である。建築に固定されており、石材と一体。ロマネスク建築なくして、ロマネスク彫刻はない。

一方、ギリシャ神殿の彫刻は、破風とか馬道(めどう)、側面の上部にあり、取り外し可能な上張りのようなものである。この点が、まったく異なる。彫刻を建築の機能に付加したところに、ロマネスクの特徴がある。

(ここまでは、先生の言葉は口語調だったが、次からだんだん難しい表現が多くなる。)

Photo_2 ②ロマネスクの彫刻は、同じように四肢を持っているのに、その比率が悪い。比例の異常性は中世美術そのもの。「非再現的要素からのorganizationを借りている」(Cojico愚痴:このような表現で一般人がすぐに判るだろうか?)。

(細長い場所にずんぐりした彫刻が並んでいたり、円形に内接するように2人の体が描かれる、柱に細長い人物彫刻するなどのスライドを見て)ロマネスク彫刻は建築に従属しているがゆえに、「Master Artの支配」「Hierarchy」が存在する。「美敵領域が内在」「決定的な形態を持たず、建築の機能的形態によって変化される。全体のコンセプトが大事。Compositionではない。etc.」

③人物像のMOVEMENT: ロマネスク彫刻は、初期の硬直した不動性のある浮き彫りから、モワサックのタンパンを支える中央柱のエレミア像のように、ひねりを加えた像もある。こういう動きは、「建築の拘束・束縛への反乱であり、服従からの解放である。」

「MOVEMENTには、人物に満たされていない自由空間が必要だが、無機質なブロックにはそれがなく、マスの中に留まらせようとする見えない拘束がある。ここに動きとブロックとの戦いが存在する。」

(スイーヤックの怪獣が絡み合った彫刻が彫られている柱を見せ)これは、ロマネスクの特徴ではなく、パターンで充満するという強迫観念の大本はケルト文化にある。地を模様で埋めてしまう文化がpreカロリング朝に導入され影響し、「望み無く絡み合いながら戦うという、最小spaceでの最大movementの表現」方法が出現した。

「つまり、絶対的服従からMOVEMENTへ、空のスペースを除去し、バルバロイの造形芸術の干渉・支配(アングロサクソンの大げさな表現)を受け、movementからくる彫刻的ラビリンス、組織化されたカオスをあらゆる場所で彫刻できる」ようになった。こうして、複雑なタンパンの造形が可能となった。

④ロマネスクからゴシックへ: シャルトルの円柱彫刻は、円柱の中心軸からとびだしていて、取り外すことも可能。彫刻は、弾力的、自由な展開へと、つまりはゴシックへと発展していく。また、円柱彫刻の人物表現もバランスがとれている。腰を突き出して体がS字に彫刻されていたりするのは、まさしくhumanismの芸術である。 

-*-*-*-*-

「」で囲んだ部分は、先生のダイレクトの言葉。きっと洋書をいつも読んでいらっしゃるのだろう。ウィーンに留学されていたらしいので、ドイツ語の表現方法なのだろうか?フランス語にもこのような表現が普通のように頻繁にでてくる。

私は以前、たまたま先生の本「ヨーロッパ中世美術講義」(岩波書店)を読んだ(難しくてよくわからなかったけれど)ことがある。だから、スライドの写真も覚えていたし(本に掲載されているのと同じ写真ばかり)、内容も少しは把握していたので、メモを取りながら余裕を持って聞くことができた。

実に内容の濃い話だったが、150人ほどの講堂を一杯にしている聴衆の中で、一体どれだけの人が先生の根本的に言いたいことを理解できたのだろうか?先生のような話し方だと、もしただ単に聞いているだけなら、個々のスライドの説明は理解できても、系統だった理解はしにくかったのではないかと思っている。

今まで、いろんな大学の先生の講演を聞いたけれど、やはり嬉しいのは、対象が一般人であることを考慮した講義で、妙に簡単にせず、かといって専門的な言葉は多用せず、理解できるように何度も同じ事を、例をいれ、言葉を変え説明してくださる先生。

時には、肝心な事柄をなかなか言わず、大事でない箇所をだらだらと伸ばし、中心部分を重要でないかのように早口でサラっというという、いやみな先生もいた(T大の女性教授、優秀な人だとか。)。配布資料が目次だけという貧弱なところを見ると、時間をかけていないのがよくわかる。お金を出して参加している聴衆を馬鹿にしているようで、聞いていて、非常に不愉快だった。なんとこの時は、何人かが途中で席を立ち、堂々と退場してしまった。きっともっと多くの人も同じ気持ちだっただろう。

反対に、前者と同じ連続講義で、K大のある教授の説明はほんとうに楽しかった。先生自身がご自分の専門分野を説明するのが楽しくて仕方が無い、といった風情で元気よく話されるのだ。スライドも構成が非常によく、配布資料も後で読み返しができるようにかなり充実していた。

今回のは無料なので、不平を言うべきではない。いやむしろ先生としては、限りある短い時間に多くの説明したかったのだろう。そして私達一般人にとっては、あまり聞けない専門的な話が聞けて有意義だったというべきなのだろう。特に、読んだ本をもう一度説明してくれたようなものなので、私としては有難かった。

(写真はすべて「祈りの中世」のパンフレットより)

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フランスの教会 Les eglises de la France」カテゴリの記事

コメント

こんばんわ
まだ東京在籍ですが、福岡に馴染み過ぎて東京には選挙や用事があるときだけ帰る。しかし、文化に関しては遅れています。これが難点です。やはり東京です。
ロマネスク写真展も見なければと思っています。
スペインも何度か行きましたが、巡礼の終着・サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院は行っていません。
是非、行かなくてはと思っていますが、先ずは、日本の巡礼からが・・・・・。結局、行けるチャンスはあったのに行かなかった。
旅は思いついたときに行かなくては行けないですね。
それとcojicoさんのようにテーマを持たないと行けないですね。
此方は、広く浅く・・・・ほとんどが映画と音楽が基本といっても
いい加減な旅が多い。
もう少しレベルアップしなければと思いながらも趣味の世界観の終始。結局、酒の日々みたいな旅ばかり(反省)
若いときは、京都や大和や奈良に毎年出かけ、寺や彫刻など興味、かな文字をはじめ日本文学など趣味が多かったのですが、最近は勉強してませんね。
勉強しないと本当の楽しさは見つからないと思うのです。
美術館めぐりは、原点だと思います。
これからも勉強させてください。

投稿: kju96 | 2007年8月 5日 (日) 02時19分

kju96さん

東京在籍のままで福岡在住なのですか!kju96さんってほんと、面白い人生を歩まれていますね。

私も主人の転勤で、熊本1年、北九州2年と九州に住んだことがあります。歴史的名所旧跡も多く、子供も小さかったこともあり、毎週末、必ず何処かへ行っていました。この3年間は非常に楽しかったです。
ですので、kju96さんの”福岡は住み良い”という気持ち、わかりますよ。

東京へ帰っていらしたときは、美術展をどうぞ思い存分楽しまれてください。沢山ありますよ。ロマネスク写真展(常設展)は、西洋美術館特別展のパルマ展と両方を楽しまれたらいいのではないでしょうか。

私は、スペインは2度しか行ったことがないので、次回は北方の小さなロマネスク教会をめぐる旅行をレンタカーでしたいな、と思っています。また、中部の小さな街を廻るのもいいなあ。

kju96さんは、ご自分の旅行を”いい加減”と形容していますが、パリの記事などを読んでいますと、画家や作家の様々なエピソードを加えながら旅している様子が、非常に豊かに感じられます。
やはり、若い頃から沢山の本を読み、映画を見、感性を養ってこられたからできることなのでしょう。
私から見ると、それがとてもうらやましいです。

kju96さんは、旅の楽しみ方をご存知のようで、今のままのスタイルのままで十分です。ボルドーのマラソンで、”完走したぞ!”と叫ぶより、”また酔っ払ってしまった・・・”という方が私は楽しいです。
いえ、kju96さんが完走を望むのなら、惜しみなく応援いたしますが・・・

投稿: Cojico | 2007年8月 5日 (日) 16時46分

たしかにCOJICOさんのおっしゃるとうり、外国語の文献を読んでいらっしゃるので日本語で話すのが大変なのと、一つの言葉が持っている意味をいちいち説明するのが面倒だったのではないかと思います。

でも一生懸命勉強した後、こういう話についていけるようになった自分にうれしくなったりもしませんか?時代背景を理解していないと美術史はわかりませんものね。ちなみに、私はこの時代が大好きで、ローマ文化がゲルマン&キリスト教文化に吸収・融合されていく過程にとても惹かれます。

投稿: HITTER 鶴 | 2007年8月 6日 (月) 21時44分

HITTER 鶴さん

おはずかしい・・・感情に任せて書いてしまいまして・・・。
今回の講義は、スライドは多かったものの、内容を理解した人は少なかったのではないか、と痛切に感じたもので、つい本音が出てしまいました。

こういう海外文献に出てくるような表現方法は、その言語の中で読んでいると非常にかっこよく、わかりやすいのに、一旦日本語になってしまうと、どうして分かりにくくなってしまうのでしょう?不思議です。

おっしゃるとおり、個々の単語が持ているイメージは、ヨーロッパ言語の場合、非常に多様ですよね。直訳はほんとにしにくい。バックに副産物のようなイメージを沢山持っている。それは分かっているのですが、プロであるがゆえにそれを自分の言葉に置き換えて、私達に説明して欲しかったです・・・。

確かに、全然知らなかった頃と比べると、理解できる嬉しさはどこかにある気がします。でも、まだまだ知らないことが多いのでこれからも勉強していきたいな、と思っています。

HITTER 鶴さんは、学生時代、こういう美術史を勉強されて、感覚的に豊かに過ごされたのですね。有意義で楽しい時間だったでしょうね。また機会があれば、お教えください。

私は数学科でして、芸術とは縁のない生活をしていました。若い繊細な時期なのに、芸術を愛でる感覚が残念ながら育たなかったのです。まったく遅い出発なのですが、少しずつ前に進んでいこうと思っています。

投稿: Cojico | 2007年8月 7日 (火) 17時10分

Cojicoさん

いやいやすっかり楽しく読んでしまいました。私だったら帰途やっぱり愚痴か不平をいいまくりだろうと思います。一つの単語にいろいろな意味、その国の風土や精神性から生まれた言葉、それを1対1に置換するのはもちろん無理があります。私もドイツのものを教える立場にいるので痛感します。

でもこのお話の例では、おそらく講演者がご自身の発見に対して喜びがなさそうですね。分析調査の結果整理までしかできていないのかも。レリーフから3次元的な彫刻への移行がなぜ起こったのか、核心を突き止められていないのかも?そもそも人間が石に何かを刻印したくなるとき、何が人を動かすのでしょうか?

立ち返ってみるなら、さらに、レリーフ期の彫刻のおもしろさ、アーキタイプのもつおもしろさが見出せていないのかも!!??

なんて、私も感情まかせです。暑いんですもん。

投稿: あむ | 2007年8月 7日 (火) 23時02分

あむさん、おはようございます。

同感のお言葉、有難いです。
私も教える立場を経験したことがあるので、特に強く感じたのかもしれません。

>講演者がご自身の発見に対して喜びがなさそうですね。
よくお分かりになりましたね、これだけの文章で・・・。そうなのです。ご自分で理論を作り上げたのならば、感動があるはずなのに、それが全然感じられなかったのです。不思議でした。高齢のせいか、それとも彼にとっては言い尽くされた内容だったからなのか、それとも彼本来の性格だからなのか・・・

>レリーフから3次元的な彫刻への移行がなぜ起こったのか、核心を突き止められていないのかも?

丁寧に読んでいただいて、ほんとにありがとうございます。それにしても、あむさんの鋭いご指摘には感心いたしました。全くその通りなのです。

柱頭に付いては、ゴシックの天井があまりにも高くなったし、壁がステンドグラスにとって代わり、柱頭彫刻の意味が無くなったと説明はありましたが、3次元彫刻への移行理由の説明はありませんでした。
タンパンのあの複雑な彫刻の成立過程の詳しさに比べ、単調に終わったのが不思議でした。時間がなかったせいもあると思います。もう一度、先生の本を読んでみる必要を感じているところです。

>暑いんですもん。
ほんとにありがとうございます。この言葉によって私も救われました。

投稿: Cojico | 2007年8月 8日 (水) 08時50分

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