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2006年7月21日 (金)

ヴェズレーの平和の誓い

先日のNHKフランス縦断の旅「ヴェズレー」はとてもよかった。巡礼の最初の地として、そしてすばらしいロマネスク教会の説明に徹するのかと思っていた。しかし、予想は良い方に外れた。第二次世界大戦直後の1946年に、あのような平和大集会がこのヴェズレーで行われていたとは・・・心温まる良い話だった。

一人の司祭が世界へ”平和を祈る呼びかけ”を行った。すると、このヴェズレーに(フランス語の説明によると)”pour construire le chemin de croix”つまり”十字架の道を作る為”に、ヨーロッパ中から4万人もの人々が集まったというのだ。私にはこの意味がよくわからなかったのですが、つまり”le Calvaire”これは、キリストが十字架を背負ってたどった道(エルサレムからゴルゴダの丘まで)を作る為という事なのだろうか?

ヨーロッパ各地から人々の手で十字架が運ばれてきた。細い道を4人ぐらいで十字架を担いでいる姿が映っていた。歩いてきた人々は、キリストのような表情をしていたのだろうか・・・日本語訳では、単に平和を祈る為としか書かれていなかったので、どうして人々が十字架を持って集まったのか分からなかったのではないだろうか。

理由は後として、そこで、奇跡は起こった!その列の最後に、つい先ほどまで敵国だったドイツ兵がその軍服姿で、自分達が壊したフランス人の家の廃材で作り上げた十字架を担いでヴェズレーに現れたのだ!映像で見る限り、4人ほどのドイツ兵の表情は、他の国の人々よりずーっと硬かった、平和を願う為に、そしてフランス人に謝意を表すかのように。初めは厳しい表情をしていたフランス人達も、彼らのその謙虚な姿に、その場に居合わせた誰一人責める人はなく、彼らを受け入れたという。

それから60年後の今年6月、また平和を祈る為に大勢の人が集まった。その最後に歌ったロマン・ロランの「平和のカノン」

   いつの日か やってくるでしょう

   人々が理想の世界を知るときが

   ライオンのような獰猛な動物でも

   羊をいつくしむ時が

   サーベルをつぶして、鍬を作るときが

   いつの日か平和がやって来ますように

参列者全員、いえそれを見た多くの人々の胸も熱くなったでしょう

(2007年6月8日 以下追加)

フランス語とイタリア語の文をここに記しておきます。

 Canon de la Paix:  Cantate pour la Paix

    Testo: da Romain Rollamd

    Musica: Francois Terral

(フランス語)

      Ecoutez, le temps viendra

      Ou l'homme un jour saura la verite;

      Le lion s'etendra pres de l'agneau

      Et nous fondrons les piques pour des faux

      Et les sabres pour des herses,

      La paix sera notre combat:

      Faites que ce temps vienne!

(イタリア語)

   Versione italiana di Riccardo Venturi

    CANONE DELLA PACE

      Ascoltate, verra il tempo

      in cui l'uomo, un giorno, sapra la verita;

      il leone si stendera vicino all'agnello

      e fonderemo le lance per farne delle falci

      e le spade per farme degli erpici,

      la pace sara la nostra lotta:

      fate che questo tempo venga!

(追加終了)

しかし、平和を祈る人々がいる一方で必ず戦いは起こっている。今もイスラエルのレバノンへの攻撃の激しさといったら、旧約聖書の世界を見ているよう。イスラエル政府のやり方は、全く時代錯誤のような気がする。

いえ、フランスも別の顔を持っている。先月だったか、テレビのDiscoveryチャネルを見ていたら、アフリカのルワンダだかザンビアだかどこかのドキュメンタリーをしていた。その国の湖の魚をフランスが大量に買っているのだが、飛行機が空(から)のままでアフリカに来ることは無い。つまり、武器を大量に積んできて、その帰りに魚を運んでいる現状を報告していた。

フランスでは、6月に行われる航空ショーに併せて、世界中から軍事品を購入する人々で、パリのホテルは満室になる。そして、あちらこちらで商談は成立していく。世界は、平和を望む一方で、軍事補強も必要としている厳しい現実がある。

ほんとうは教会自体について書きたかったのに、何故だかこんな暗い話のほうへ行ってしまった。次回は、こんな現実の話はしたくないと思う。

*** その後のヴェズレーについての記述 ***

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コメント

ヴェズレーの記事を、興味深く読ませていただきました。
たまたま、ある方から、ロマン・ロランの「平和のカノン」について聞かれたので、参考になりました。
ところで、その原文はご存知ですか。
なかなかフランス語原典が簡単には見られないので、教えていただけると嬉しいのですが。
私はNHKの番組は見逃してしまいましたが、高校時代、ロマン・ロランのファンでしたので、ヴェズレーはその意味でも巡礼地のひとつです。
失礼をいたしました。A.E.

投稿: agnes epimethea | 2006年8月 4日 (金) 16時11分

agnes epimethea さん

どうも私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。

さて、この「平和のカノン」は、テレビのスーパーを急いで書き写したものでして、会場の方々がどういう詩を歌っていたのか全然思い出せない(録画していればよかったですね)ので、インターネットで探してみました。

そしたら、見つかりました。

Ecoutez, le temps viendra
Où l'homme un jour saura la vérité;
Le lion s'étendra prés de l'agneau
Et nous fondrons les piques pour des faux
Et les sablres pour herses,
La paix sera notre combat:
Faites que ce temps vienne!

やはり、日本人の感覚に合うように意訳されていますね。特に気になるのは、最後の2行。

 ー平和は、私達の戦いとなるでしょう
 ーその日が来るように、私達は(行動)しましょう!

テレビの日本語訳ですと、「平和」が自然にやって来るかのような表現ですが、西洋では、やはり「戦って平和を得る」という発想のようですね。

パリに居たとき、ある日本通のフランス人が、「ヴェズレーに行くという事は、日本人が伊勢にお参りに行くのと同じなのかもしれない」とおっしゃっていました。フラン人の誰もが、一度は行ってみたいと思っている場所なのだそうです。

投稿: cojico | 2006年8月 5日 (土) 21時02分

ヴェズレーからはずれますが、文中のドキュメンタリー番組は「ダーウィンの悪夢」というタイトルでしたでしょうか。環境に最も適した種が生き延び、それ以外のものは淘汰されるというのが進化論だとすると、繰り返される内戦もアフリカの地で人々が生きていくには最も相応しい形態と捉えるべきなのか?という重い問いかけだったと思います。「平和のカノン」翻訳のところで日仏の平和に対する姿勢の違いを指摘していらっしゃいますが、日本人的な感覚で平和を願うだけでは平和は訪れないというのは確かそうすね。

投稿: jonquil | 2006年8月29日 (火) 17時47分

>jonquilさん

丁寧に読んでくださりありがとうございます。
その「ダーウィンの悪夢」という番組、なんという重い内容でしょう!”自然環境の中での種の生き延びる法則”から”人類の意志の中で人々の生き延びる法則”が導き出されていることに驚異を感じます。

ラテン語の教科書の中に、次のような文が載っていました。

Si vis pacem, para bellum.
(私の訳:誰が訳しても同じですが・・・)
もし君が平和を望むなら、戦争の準備をしなさい。

ローマ時代の精神は、ヨーロッパ中に根付いているのでしょうね。
でも、それによって秩序を乱されたアフリカの国々の人々は、どうすればいいのでしょうか?

人々の叡智を信頼したいのですが・・・

投稿: cojico | 2006年8月29日 (火) 21時41分

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