2017年6月16日 (金)

レイレ修道院 Monasterio de Leyreのクリプト

スペインのロマネスク教会には、以前から興味を持っていた。そして、教会めぐりの好きな友人が、カミーノ・デ・サンティアゴを何回かに分けて歩いた話をする度、行けたらいいなとは思っていた。しかし、私に絶対に行こう!と決心させてくれたのは、単行本「スペインのロマネスク教会」(文:櫻井義夫、写真:堀内広治、鹿島出版会)の中のレイレ修道院のクリプトの白黒写真だった。”な、なに?これは!”なんという素朴な力強さ!!もう一目で魅了された。

その後、スペイン語を始め(フランス語に似ているので、理解は早かった)、どうにか使えるようになった2013年の夏、ようやく実行に及んだ。前日はサン・ミリャン・デ・ラ・コゴリャ(ブルゴスより少し東に位置する)にあるユソ修道院に宿泊していた(スソ修道院(世界遺産)と一緒にいつか書こうと思っているが・・・)。そこからこのレイレ修道院までのルート上に、ロマネスク好きにとっては見なければならないEstellaとかPuente la Reinaaaa、Snta Maria de Eunateがあったのだが、なんとすべてをパスしてしまった。私が予定を組み過ぎた為と、スペインの場合、午後長時間閉じてしまうので、それを避けるために他へ立ち寄る時間がなかったのだ。

パンプローナからのA21号線上にようやく、「Monasterio de Leyre」の看板が出てきた。これから山に登って行く。日本のように木々が多くあるわけではないので、なんとなく荒涼とした印象しか今は残っていない。あまりにも周りに”聖なる土地のような雰囲気”がないので、主人が思わず「ほんとにこの先にあるの?」とこぼしてしまったのも理解できる。実は、私も同じような気持ちだった。

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やっと到着。駐車場からの山の景色。岩なのか、はげ山なのか、とにかく美しい山とはとても思えない。ただ、凄く迫ってくる感じはあった。
今までの経験からだけれど、このように有名だけど人里離れた修道院などへ行く場合、途中、車も見ず、誰にも会わず、まるで私たちの車だけがそこへ向かっているように思えたにも関わらず、到着すると意外と多くの車が駐車されているのに驚かされることがある。はやり、価値ある教会は、訪問客も多いんだと納得する。

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もう私は飛び出した。やっと、やっとあのクリプトが見られる!はやる気持ちを抑えて、でも先に歩き出して入り口を探す。

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写真右の木の下方、黒い部分が入り口。その右周辺には、宿泊したと思われる若者たちが、のんびりと椅子に座っていた。後で知ったのだが、この三つ葉状の後陣と塔、そしてクリプトだけが、ロマネスクで、後はゴシックだった。クリプトは、この後陣の下方である。

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下の写真の右奥がチケット売り場。チケットを購入して驚く。なんと、日本語のパンフレットが渡されたのだ。パンフレットが置かれているほど日本人が多くここを訪れているなんて・・・思いもしなかった。

この左手前にある少し下がったところの3重の半円アーチがクリプトの入り口。パンフレットによると、この入り口が、この修道院で一番古い場所なのだそうだ。

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面白いことに、受付の人は、パンフレットだけでなく、私たちに鍵を渡して言った、”これは、教会入り口の鍵です。まずは、いったん外に出て、建物をぐるっと回ると教会の入り口があるので、この鍵を使って入ってください。そして入ったら、中から鍵をかけてください。いいですね。そして、教会内部の見学が終わったら、また鍵をかけてからこちらに戻ってきてください。クリプトはそれからです”。面白い!まあ、勝手に見に行ってください、でも、チケット代を払っていない人は、入れませんよということですね。

教会については別の機会に書くとして、今回は、クリプトの写真だけをアップします。

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低いアーチ、ずっしりとした落ち着いた空間、う~ん、やはり、凄い!今こうやって改めて見ても、その不思議な魅力に感心せざるを得ない。凄い!素晴らしい!ほんとにほれぼれしてしまう。

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途中から、教会に居た集団が入ってきた。なんだか落ち着かない。静かなままで見ていたかった。それにしても、この大きさも形も異なる柱頭群!。組み方も全く異なる・・・。教会内部も同じなのだが、アーチの大きさも異なるのだ。これだけ規則性はないのに、しっかり上部の教会の重さを受け止めている。

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極めつけは、これ!高さ調節とはいえ、こんな組み方をするとは!中世時代の修復時にこうなったのだろうか?初期ロマネスクといわれるこのクリプト、ほんとうに未知と魅力にあふれている。
もう、私は満足感でいっぱいだった。他には何も考えられなかった。

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2017年6月 7日 (水)

ガリシアGaliciaの海岸と遺跡Castro de Barona

昨年でのガリシア訪問では、サンティアゴ・コンポステラから西へ向かい、大西洋の美しい海岸線をドライブした。ムロスMurosという町から南へバヨナBaionaまでの入り組んだ海岸は、リアス・バハスRias Bajasと呼ばれ、良港だけでなく、美しい海と素晴らしい景観から避暑地も多い。ミシュランでは2つ星の観光地だ。

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ところで、ガリシアの海岸線には、ローマ時代の遺跡が点在している。紀元前1Cから紀元後1Cの間に住んだといわれるケルト人の住居跡で、直径5メートルから10メートルぐらいのサークルストーンが集まっている。見たかったのは、最大であるCastro de Santa Tregaという遺跡だが、ポルトガル国境近くなので、残念ながら、そこに行く時間はなかった。幸運にも、ドライブ途中にCastro de Baronaという遺跡があったので、寄ってみた。ちなみに、Castroというのは、スペイン語で”ローマ時代の砦(のある丘)”の意。

遺跡というと、その維持費の為に料金を支払うのだと思って、きょろきょろと入口らしき所を探した。建物があったのでそこで支払いをするのかと行ってみたが、そこは喫茶店でおまけに休みだった。要するに、そのような事務的なものは何もなく、ただ簡単な矢印があるだけだったのだ。その矢印に従って、森の中の細い舗装されていない道を海の方へ下って行く。

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遠くに全体像が見えてきた。この辺りは大きな岩が多い。小さく何人かの男女が見えたが、砂浜で群がっているところを考えると、どうも遺跡目当てではなさそう。もっと近づいてわかったのだが、彼らは水着姿の人とヌーディスト達だった。その傍を2人の男性が遺跡の方からこちらに向かってきているのだが、彼らは、ヌーディスト達と目を合わさないよう、下を向いて歩いていた。(関係ない話ね)

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円形の石組みがはっきりと見えてきた。江の島のように、海岸の先に突き出た場所に集落が作られている。(いつの間にか、ヌードだった女性が服を着ていた・・・)それにしても、このような地形での生活は、厳しかったであろう。嵐のときなどは、どうしていたのだろう。

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塀があるなんて、思ってもいなかった。3重にもなっている。意外に高さがあり、私の背より高いところもあった。住居のサークルの石の高さは、60センチから1メートルぐらい。きっとその上に、円錐状に木材とか枝とかで組んだ空間を作っていたのかなと想像してみる。

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wikiを読むと、食物は魚介類、羊やヤギも飼っていたらしい。金属加工品や煉瓦、布地なども現地で発見されているのだそうだ。ケルト人というと、フランスのブルターニュ地方にも住んでいた。複雑に入り組んだ紐状の模様とか、透明感ある音楽とかが連想されるが、実際、詳細は何も知らない。

でも遺跡というのが過去の人間の生活の証だと思うと、保存の義務を感じるし、遠くの私たちでもその維持を願う。2012年からリノベーションが始まったらしいが、なんだかほったらかしにされているようなこの遺跡を見て、”スペインの方々、どうぞ、守ってください”と願わずにはいられなかった。

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2017年5月30日 (火)

国境の町 トゥイ(Tui)

相変わらず、修道院や教会を回ってます。資料ばかり溜まり、全く処理できない状態です。昨年(2016年)5月の連休は、ポルトガル北部とスペインのガリシア地方を車で回ってきました。その中の一つの小さな町なのですが、とても気に入ったので、その写真をアップします。

トゥイ(Tui)という、ポルトガルとミーニョ川を挟んで対岸にあるスペイン側の町。町の道は細く、複雑に入り組んでいてる上に途中に階段があったりして、車での走行が心配になるほど。ミシュランのグリーンガイドでは、1つ星がついているのですが、観光客はほとんど見かけず、住民にも会わない。ただとにかく、中世の小道がうねうねと曲がりくねっているだけ。

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その大聖堂は堂々と、要塞のように立っていました。国境なのでその役目もあったようです。

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1232年のロマネスクとゴシックの混合です。タンパンは上から、「天のエルサレム王国の塔」「東方の三博士と羊飼いの礼拝」。下方の色が異なる部分は、15世紀に付け加えられたようです。

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教会内部は、柱の傾き補強の梁が縦横に増強(15世紀~18世紀)されています。

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太陽の光を浴び、内庭回廊の植物たちは輝いていました。

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この誰もいない回廊の隅っこ、少し階段を下りたところに小さな入り口を見つけ、そこを出たところ、小さな裏庭に出、そこから石壁を出ると、なんと目の前に下のような光景が広がっていたのです。

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ミーニョ川の向こうは、ポルトガル。水面も緑も光っていて、静かで、もううっとりでした。しばらくそこで景色を楽しんだ後、回廊に戻って進んでいくと、次の隅っこにまた、少し下がった暗い個所を見つけました。よーく見ると手書きで”TORRE”と書いています。そう塔に行けるのです。バンザーイ!と喜んで、狭く暗い階段を上る主人と私。

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上に上がると、そこは、ちょうど回廊の上が巡回できるようになっていたのです。
そのからの赤い屋根と木々たちの緑、川の青などのコントラストは、ほんとに美しいものでした。

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2015年3月 8日 (日)

一足早い春

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今このブログを書くのも恥ずかしいほど、前回から時間が経ってしまいました。恥を忍んで、写真をアップします。

多くの方と同じように、以前から河津桜を見たいと思っておりましたが、2月下旬、漸くその願いが叶い、素晴らしい天気のもとで、ほぼ満開の桜を楽しんできました。

濃いピンク色が青い空に映え、見事でした・・・しかし、人の多いこと!

下田に宿泊し、翌日はレンタカーで海岸線を楽しむ予定でした。しかし、”みなみの桜”があまりに気持ち良く、散歩に時間をかけたために、予定のコースの踏破はできず、近場を回るだけになりましたが、天気もよく、河津以外は人もまばらで、快適なドライブとなしました。

みなみの桜並木は、景色は河津の桜と同じようなのに、印象は全く異なります。自然の中に身を置き、ゆったりした時間を感じられる、のどかでいつまでもそこに佇んでいたくなる所でした。

それにしても、伊豆の海岸線は力強いですねえ。自然の力、地球の歴史を視覚で堪能した気分です。

以下は、みなみの桜です。菜の花が一面を覆い、春を印象づけます。。

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ここは案内図によると、”桜のトンネル”という場所で、一つ上の写真のような大きな桜の木がずらーと並んでいて、その下を歩けば、トンネルの中を歩いているような感覚にないります。河津も同様ですが、異なるのは、足元!河津はコンクリートで舗装されていますが、ここは土!柔らかい土を感じながら、人もまばらな優しい道をゆっくり歩いていると、いつまでもこの鮮やかなピンク色と優しい土と爽やかな空気の中に居たくなりました。

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2014年8月20日 (水)

La vida es sueño

El médico que yo consultaba desde hace siete años murió de cáncer de páncreas. Tenía 65 años y había luchado durante solo tres meses contra el cáncer. Fue el director del hospital y una persona enérgia y decidida.

Pienso que como era doctor, no creía que enfermaría ni moriría tan pronto y que tenía muchas cosas interesantes que quería hacer.

La muerte nos llega de improviso. El hombre nace aunque no quiere y muere contra su deseo.

¿Es la vida un sueño como dijo Calderón o absurda?
Ahora estoy un poco pesimista.

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         (コソボのリプリアンLipljan教会内部。)

上のスペイン語の文章は、私がお世話になっていた先生が亡くなったことを書いたものです。最後の4行目から3行分だけの訳を書いておきますと、

”死は、突然私たちに訪れる。人間は、望みもしないのに生まれ、そして、本人の願望に反して死んでしまう。人生は、カルデロン(17世紀スペインの偉大な劇作家)が言うように夢なのだろうか?それとも、不条理なのか?”

最近、つくづく感じていることです。

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2014年7月23日 (水)

トルメスのラサリージョ Lazarillo de Tormes

日本語英語共に嫌いな理数系人間だったにも関わらず、フランス語をきっかけに言語の面白さを知り、過去にラテン語、イタリア語を習いましたが、残念ながら2度の手術入院によりそれらを中断してからは、フランス語以外は習っていませんでした。

ところが、辺鄙な場所にあるスペインのロマネスク教会や修道院をレンタカーで回るために(すでに2度行きましたが、後3回ほど行きたい)、昨年から本格的にスペイン語を始めてしまいました。今まで言語学習のために、どれだけ費用をかけてきたのかと思うと気も重いのですが、まあ、人生も1度しかないと思うと、したいことをするのも良し!というところでしょうか。最近スペイン語の文章形態にも慣れてきて、すぐにでも新聞も読みたいと思うのですが、やはり単語不足、経験不足、勉強不足!フランス語のようにはいきません。現在、B1レベルに入ったばかりなので、仕方ありません。

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     (ペーニャ修道院、この有名な柱頭を見るために車を走らせました。)

この奇妙なタイトル「トルメスのラサリージョ Lazarillo de Tormes」は、初めてスペイン語で最後まで読んだ、私にとって記念すべき本の題名なのです。16世紀という時代に無名の作家によって書かれた貴重な本でして、先生であるPedroお勧めであり、また、スペインの小学校では必ずみんなが読むことになる大事な本なのだそうです。

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主人公の男の子の名前はラサロ、トルメスという名の川の傍で生まれたので、”トルメスのラサロ”となるところですが、まだ小さい子供なので、小接尾語であるーilloをつけて、”トルメスのラサリージョ”という題名になっています。

内容は、貧しい家庭に生まれた男の子が、小さいころから親から離れて様々なご主人に仕え、生き延びるために辛苦をなめるような経験し、さらに見たくもない大人の悪を見せられ、厳しい生活の中で生きる道を見つけていくという話です。

ここまで書くと、まるで日本版「おしん」のように聞こえますが、内容は全く異なります。日本のおしんは、清く正しく生きていくのですが、スペインのラサロは、仕えたほとんどの主人が当然のことのように行う”うそをつく、人をだます”などの行動パターンをまね、それを武器として、悪知恵働かせて生き延びていくのです。そうしなければ、厳しい中世という時代の中、食べ物も得られず、死んでしまうからなのです。

Pedro曰く、現在のスペインでも”生活が苦しくて、生き延びるための嘘や騙す行為は容認される”という認識が、広く一般に常識として考えられているのだそうです。

私は、こういう話を聞けることが楽しくて仕方ありません。スペイン人の考え方のほんの一部分にしかすぎないけれど、日本人としては思いつかない外国人の考えを知ることができるのは、外国語を習っているからこそ得られる楽しみだと思っています。これからも、もっともっと多面にわたっていろいろなことを知りたいと思う。しかしその前に、私がもっと勉強し、スペイン作家の本を読んだり、しっかり話せるようになるなどして、その国の文化にもっと歩み寄らなければ、あまり見聞きできないような情報は得られないのでしょう。いつまで続くかな?このスペイン語の勉強、興味はあるのですが、少々不安でもあります。

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2014年7月 5日 (土)

コソボのビザンチン2 プリズレンの生神女教会

コソボは、2008年にセルビアから独立したイスラム教徒の小さな国。首都であるプリシュティナから車で2時間も走れば、国外に出てしまう程。独立したものの、産業といえるものはほとんどなく、失業者は50%を超え、海外で働いている人の送金と、他国の援助によって支えられているとか。

コソボとしての文化的遺産はほとんどなく、南部のプリズレンが古都として美しさを残しているものの、世界遺産に指定されているのは、すべてセルビア正教の修道院ばかり。つまり、イスラム教徒の国に、セルビア正教の修道院が点在していることになり、やはり破壊の対象となるわけです。現在でも、コソボ西部にある世界遺産のデチャニ修道院やペーチ総主教座聖堂は、国連のイタリア軍に守られており、また今回アップするプリズレンの教会は残念ながら、破壊されてしまったのです。

美しい観光都市プリズレン。川の両側に町は広がり、遠くに城壁が見え、素敵なレストランが並んでいました。

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しかしほんの10年ほど年前にこの町で、旧市街にある”リェヴィシャの生神女教会”は放火され、フレスコ画は大損害を受けたのです。それも仕方ありません。長い長い歴史の中で、コソボあたりに住むアルバニア系の人たちは、セルビアから屈辱的、差別的生活を強いられていたのですから・・・。

残念ながら、内部は見学不可能状態が続いておりまして、周囲は網や有刺鉄線が張り巡らされているため、外観しか見られません。側面の写真は、細い横道に入ったところから他人の庭のようなところから塀越しに撮りました。曇り空だったので、暗い写真しかありません。午後はカラッと晴れたのですが。

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積み上げられたレンガの模様は細やかな変化があり、丁寧に建設されたことがわかりますね。小塔あたりを見上げても、側道から見る側面も、ほんとうに凝っていて繊細で美しくできています。

下の写真は、正面のエントランスの網目越しに撮ったもの。キリストの顔が見えます。窓や正面入り口の暗い中をよ~く見ると、描かれている壁画が見られました。早く内部も見られるようになるといいのですが、内部を修復しているような気配は感じられませんでした。

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11世紀に建設された教会を、14世紀初頭に増築。フレスコ画は、その頃描かれたそうですが、オスマントルコ時代に、当然のことのように傷をつけられ、その上に漆喰を塗られ、20世紀半ばにフレスコ画が発見されたのもつかの間、内乱開始後、ドイツ軍がこの教会を守っていたにも関わらず、またもやセルビア人の攻撃に対する復讐のようにアルバニア人たちによって破壊されたのです。

危機遺産に指定されている教会。修復するには、費用とともに周囲の理解が必要だと思いますが、それも難しそうです。まさに典型的な危機遺産の一つですね。

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2014年7月 4日 (金)

コソボのビザンチン1 グラチャニツァ修道院

久しぶりに、ほんとに久しぶりに、記事を書くことにします。

ポーランドの話も続けたいとは思いつつ、先月、以前から興味のあったビザンチンの修道院をみるツアーに参加したもので、それを少し書いてみたいと思います。添乗員付きのグループで移動するツアーというのは、ほんとうに嫌なのですが、今回訪れた国はコソボとセルビアでして、とても個人では回れそうにないし、めったに出ないツアーということで参加してきました。内容はとても良かったです。

実は、国内のお寺廻りも積極的にしており、海外においては、スペインも含め他にもたくさん教会や修道院を回っているのですが、毎日のするべきことをしていると、この画面に向かう時間がなくなっているのです。何時の間に、時計がこんなに早く動くようになってしまったのでしょう?そして、いつの間に、一日の時間が短くなってしまったのでしょう??そして、いつの間に、私自身が疲れやすくなってしまったのでしょう・・・?

今日は、コソボの世界遺産の一つ、グラチャニツァ修道院。コソボの首都プリシュティナ近郊にある女子修道院です。(内部の写真は取れないので、外観のみとなります。)

まずは、表の塀から。遠くの赤い車の右あたりが入り口です。

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ちょっと格好いい写真を撮ろうとしたら、バラにピントが合ってしまって(下方にあったバラをカットしました)、修道院がぼけてしまいました。片手で屈みもせずに撮ったもので・・・。

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左側が西側、つまり正面です。西側前半が後に付け加えられたナルテックスです。奥の身廊だけでは狭かったのかもしれません。このナルテックスにも身廊にも、フレスコ画が一面に描かれています。
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これは、後ろ(東側)から。アプシスの後ろって、ふつう丸くなっているものですが、直線ですね。でも、バランスが良くてきれい。
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西側のロマネスク教会とは全然異なる外観で、興奮しました。美しい!!塔の部分の煉瓦の重ね方、置き方が美しいです。

フランスにおけるゴシック様式の教会建築も終わりを告げようかという時期(14世紀初)、当時のセルビア王国のミルティン王によって建てられた修道院です。内部の壁一面に描かれたビザンチン様式のフレスコ画は、西洋諸国が求めた絵画様式とはまったく別の道を歩んでいました。様々なことを知る以前は、変だなあと思っていたビザンチンの絵画も、今では、西洋絵画の方が異様に美しく見せようとする意図があるように思えてグロテスクに感じ、むしろ、ビザンチンの絵画から人々の思いの素朴さを感じられるようになり、好きになってしまいました。(変な日本語、でも直さずにアップします。今苦しみながら友人たちと読んでいるルソーの文のように、思いを素直に書くと、このようになるのかしら。ちょっと面白いです。)

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2012年10月28日 (日)

ポーランド:マウォポルスカ地方の木造教会群①

Kracmaria2この夏(2012年)は、アエロフロートでモスクワ経由、ポーランドのワルシャワ3泊とクラコフ3泊の8日間を旅をしてきました。主人と二人だけの旅とあって、ドキドキすること(クラコフへの列車の車両がわからず(車両番号がばらばらな上に、列車の進行方向を間違えてしまった為)、プラットホームで焦る!など)もありましたが、まあ、なんのトラブルもなく帰国することができました。

(右は、クラコフのメイン、聖マリア教会。内部は、次の写真のように、信じられないくらい豪華!奥に小さく見える木造彫刻の祭壇(近くによると、とても大きい)は、国宝。)

興味深い訪問箇所はたくさんあり、それぞれに思い入れはあるのですが、その中でもなんといっても一番は、クラコフでレンタカーを借り、その車でヴィエリチカ岩塩坑やアウシュヴィッツへ行き、次の日には、朝早く出て、南東へ3時間ほど行ったところにある、小さな木造の教会を回り、さらにカルヴァリア・ゼブジドフスカへ訪れたことです。

(ここで、聖マリア教会の写真をアップしたのは、次の素朴な木造教会との違いを強調したい為なのですが・・・余計なことかな?でもいつか、この教会についても書いてみたい。)

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クラコフから南東部に広がる山岳地帯は、小ポーランド(マウォポルスカ)地方と呼ばれ、木造の築100年以上の木造教会が232も点在しているのだそうです。そのうちカトリックと東方正教の木造教会は162(内39件が東方正教に属する)あり、価値の高い6つのカトリック教会が2003年世界遺産に登録されているのだそうです。

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(この地図は、左上の方向にクラコフがあります。右端真ん中より少し下に世界遺産の教会Binarowej、さらに下(南)にSekowejが見えます。クリックすると拡大します。)

レンタカーは、マニュアルでカーナビは無し。その地方の詳細地図を苦労してみつけ、主人の運転に私が横で地図を見ながら、”次の交差点で右!、次、左!”などと指示しながら、まあ、どうにか世界遺産の3つの教会を含む合計6個を見て回ることができました。クラコフで、さらにもう1日あれば、残り3個の世界遺産の教会も回れたのに・・・残念ながら主人の仕事の関係で、これ以上休みは取れません。

まずは、これらの世界遺産の教会へ行く途中にあった教会から。クラコフから東に3時間弱。メインの車専用道路から外れ、なだらかな山道を通っていた時、主人が、「あそこに立派な教会が見えるよ。止まってみる?」「うん!」と車を降りたところ、その教会から少し離れた芝生の上に、なんとかわいい木造の教会が見えたのです!「うわーっ!かわいい!」

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これは、Siemiechowという村の教会。近くには、近代的な大きな教会が建てられていて、この木造教会は、閉ざされたままでした。

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そうかそうか、こうやって教会を見つけていくのね、とその時、この地域の木造教会を見つけるコツがわかったような気がしました。新しい土地というのは、こういう経験を経て慣れていき、もう大丈夫と思った頃、旅は終わるものなのですよね。右の写真は、この教会の後ろ側でみつけたガーゴイル。

二つ目は、Gromnikという村の教会でした。塔の先端の玉ねぎ型が、ちょっとロシア風。この村も、同じ敷地内に、モダンな立派な教会が建てられていました。

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3つ目は、Roznowiceという村。世界遺産ということで予算が入ったのか、最近修復したような新しい木肌の教会でしたが、なんといっても階段状の塔がいいですね。

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それにしても、少し離れているだけで、こんなにも外観の異なる教会があるなんて、不思議。この辺りは昔、ほんとの山奥で、建築物の材料としては、日本のように木々しかなかったのでしょうね。石の教会と木の教会とでは、印象がこんなにも違うのかと、自分でも驚いてしまったほどです。民衆に根付いた信仰の深さ、素朴さを感じます。

次回は、内部が見事な壁画で覆われているビナロヴァの大天使ミカエル教会を紹介します。

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2012年10月18日 (木)

ケルンのロマネスク カピトール丘の聖母マリア教会(St. Maria im Kapitol)

朝早く着いたカピトール丘の聖母マリア教会は、礼拝か何かの葬儀のために入れませんでした。時間がないので終わるまで待つことはできず、内部を少し覗き込んだ以外は、回廊を回っただけで終わりました。旅は諦めも肝心。よくあることです、門の目の前にいながら、入れないことは。

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ミシュランによりますと、この教会は、ローマ時代カピトール丘寺院(西暦50年頃)の土台の上に建てられた後期オットー朝時代の建築(1065年)で、その3つの半円形後陣のある内陣Dreikonchenchor(三つ葉形内陣Kleeblattchor)は、ケルン最古だそうです。さらに、内陣のほぼ全域にわたって地下聖堂が掘られており、これは、シュパイアーのドームの地下聖堂に続いて、ドイツ最大のものだとか。う~ん、つくづく残念。

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かわいいとても気持ちの良い回廊でした。この手前の通路を行き、その先の階段を登ると、教会に入れます。後方からこっそり撮った写真です。

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フランス語で書かれた小さな紙によりますと、690年頃、中ピピン(ピピン2世)の宮宰の妻が、ローマ時代の寺院の跡地にマリアに捧げられる教会の建設を命じ、作られたのだそうですが、それは、ローマ時代の神に対してキリスト教の神が勝利したことを意味するのだとか。

Kapitol14さらに300年後、イーダという女性の大修道院長が、当時のオットー朝の皇帝の家庭に出入りするようになり、そこでこの地にベネディクト派の素晴らしい修道院の建設を願い出ました。彼女は、建物の大きさだけでなく、価値をも高めようと、皇帝のお城の礼拝堂を思い出させるような礼拝堂を教会内に作り、さらに、平面図をベツレヘムの聖誕教会に似せて作らせたのだそうです。左は、1665年の絵。

ところで、三つ葉形の内陣というのは、ケルン独特のものらしいのですが、内からも外からも見ていないので、そのようなのか実感がわきません。おまけにこの教会は、アパートの建物に囲まれているので、どのように動けば、アプシス側から見られるのかわかりませんでした。もし見られるとすれば、このようなものだそうです。

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とてもきれいですねえ。見たかったなあ。でもここも、回廊に展示されていた写真を見ますと、完全に破壊されていました。跡形もなくといった感じです。よくここまで再現したものですね。ケルンのロマネスクの本から、平面図と側面図をアップしておきます。さらに、私のとった回廊と柱頭の写真を。
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訪れた日はフランクフルト到着後3日目の朝でした。予定では、その日はケルン大聖堂近くにあるヴァルラフ=リヒャルツ博物館(Wallraf-Richartz-Museum)を見た後、アーヘンへ行き、時間があればコルネーリミュンスターとブリュールのアウグストゥスブルグ城館を見、マリア・ラーハ近くに予約したホテルに着くはずでした。今考えれば、とても無理な話。

前日のゲーレオン教会の美しさに魅せられた私は、予定を変更。まず地下鉄で他の2つのケルンのロマネスク教会を見た後、また大聖堂近くに戻り(車を置いているホテルが近かったので)、とても外せない中世ケルンの板絵の膨大なコレクションを持つヴァルラフ=リヒャルツ博物館を見学し、そしてアーヘンへ行くことに決定、それ以外はすべてを諦めることにしたのです。私が計画する旅行は、いつも内容が盛り沢山すぎるのがよくないところです。


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