2017年8月10日 (木)

オビエドのプレロマネスク Santa Maria de Naranco サンタ・マリア・デ・ナランコ教会

櫻井氏の本「スペインのロマネスク教会」は、彼の「フランスのロマネスク教会」よりも私には魅力的に見える。スペインにはあまり見慣れていない形の教会が多いからだろうか?その本の中で、レイレ修道院以外でもう一つどうしても見たいと思った教会があった。それは、オビエドにあるサンタ・マリア・デ・ナランコという教会。

その本では、普通は見開きの2ページに1つの教会の平面図や説明、写真が掲載されている。ところが、ナランコの教会については、3ページが費やされていた。小さな直方体の建物で、とても教会には見えない。外側にハの字につけられている2階への入り口階段がなんとも素敵だ。さらに、内部の控えめな装飾が非常にエレガントに思えた。

訪れたのは2015年の5月の連休。レオンでは晴れていたが曇り空になり、越えるべきカンタブリア山脈に近づくにつれどんどん黒い雲が増え、とうとう雨になっってしまった。この山脈は日本では見られなような様相をしている。横に300キロ程続いているのだが、その上部には、岩のような絶壁が連なっており、一見すると屏風のように見えるのだ。

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白いのは雨粒。山の上の方は、このようなごつごつした岩が続いている。屏風のような岩の下にあるトンネルを過ぎると、山越えをしたことになる。そして驚いた。カンタブリア山脈の南と様子が全く異なるのだ。どう表現していいのかわからないが、なんだか違う国に来たような気がした。荒涼感たっぷりのごつごつ感はなくなり、水分たっぷりのみずみずしい緑の山々が続いている。空はどんどん真っ青な青になって行った。

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オビエドの街に入った。これまたびっくり。近代建築物が並んでいる。古い建築物が立ち並ぶスペインの街並みにはとても見えない。後で旧市街も訪れたが、それはほんの一角で、ほとんどが中世を感じさせないような建物だった。高い山を越えると、こんなに気候も文化も異なるのかと驚いた。
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レオンLeonから車で北へ2時間弱に位置するオビエドOviedo。街中から北西方向の山の中にその教会はあった。何度か道に迷った。住宅地を通っていかなければならないのが、なんとなく不思議な感覚だった。教会の前の道が駐車禁止だと気が付いたが、周りに駐車場がないので、近くの倉庫のような建物の前に車を止めた。ちょっと気が引けたが、教会の前にも赤い車が止まっていたので、大丈夫かなと思いながら。

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空は真っ青、緑の絨毯。オビエドOviedoの世界遺産サンタ・マリア・デ・ナランコはこんな気持ちの良い場所にあったのかー。9世紀に建造された元国王ラミーロ1世の夏の離宮、プレロマネスクの建物だ。12世紀になって教会となったらしい。じつはこの少し先に、サン・ミゲルという小さな教会(次回、少し写真をアップします)があるのだが、確か説明によると水に流されて教会の建物の半分が消失したという。池田先生の本によると、そのせいでこの建物が教会になったのではないかと推測されていた。あの時、教会のガイドさんがそう話されたのかもしれないが、私にはわからなかった。優雅な雰囲気を醸し出している。近くによって、建物を一周してみよう。

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近くによると、なんとも教会にふさわしくない、がやがやと騒がしい声が聞こえてきた。元気で楽しそうな高校生の一団だった。手前の赤い服の男性はどうもその関係者らしかった。建物を回りながら、いつものようにチケット売り場を探す。

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南側。現地で購入したスペイン語の解説本を読むと、この建物には、入り口が2か所あったが、いつからか北側の1つだけになったそうだ。この南側の中央はその失った入り口の痕跡だろうか?

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南西からの写真。東西にあるテラスは、同じ形状をしていて、全くの左右対称だ。この建物を2階建になっていて、後になってわかったのだが、この西側のテラスの階下が小さな事務所兼受付場所になっていた。この扉はいつもは閉ざされている為わからなかった。建物の向こうに、高校生達がサン・ミゲル教会へと歩いて行っている。

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これは、北側の写真。高校生たちが出て行った後に撮った。美しいフォーム、なんとエレガントなのだろう。普通教会のファサードなどに感じられる威厳さなどが見られず、楚々とそこにいらっしゃる、という感じ。教会の入り口は、この階段を上った所にある。2方向から登る階段、とても教会のものとは思えないが、ゴシック時代にこのように改築されたと書かれていた。

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これは東側に置かれている祭壇。こんな場所に置かれているなんて、とても信じられない。

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このアーチの周囲を見てほしい。線状の模様が施されている。そして、縦方向の柱のような箇所にも浅い線状の模様が走っている。これが何とも言えず、優しい雰囲気を醸し出している。サン・ミゲル教会にも同様な模様が施されていた。

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アーチの周囲にも外側にも施されているこの線状の模様が、この建物全体の統一感を生み出し、控えめなエレガンさと和むような素朴な味わいを出している。

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なんといってもこの入り口の階段のあたりがいい。左下の女性のように、下に少し座れる場所がある。私たちもチケットを購入した後で、この辺りで座って待っていた。昔はここでどのような人々が何を語り合っていたのだろうか?アストゥリアはイスラムに占拠されなかった。レオンから北西はキリスト教徒であり続けることができたのだ。

(長くなったので、内部の装飾については、次回にします。)

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2017年8月 7日 (月)

レイレ修道院の教会内部

指示された通り預かった鍵で門を開け、中に入ってまた鍵を閉める。私たちだけかと思っていたら、なんと先客のグループがいた。

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レイレ修道院の教会内部は、窓があまりにも少ないため、ライトが付いていても暗い。ろうそくだけの時代では、後陣にある細長い数本の明り取りからの光で、祭壇だけが明るく、身廊は真っ暗に近かったのではないだろうか。

あまりにも暗いので、中にあった説明版も残念なことに私の不注意で鮮明に撮れなかった。これは、教会の側断面図、左側の内陣の下にクリプトがあるのがよくわかる。この場所はロマネスク第1期(小さい黒い丸の色はわからないが濃い色)つまり一番古い部分にある。右半分の高い建物の下半分にある黄色の丸はロマネスク第2期、赤い丸はゴシックと書かれている。

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そして時代別平面図。これは全く読めない。残念。でもぼやーっと変遷が見て取れる。手前が入り口、奥が内陣。

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中央身廊(12世紀)は単身廊だが、一番古い内陣(11世紀)だけは3身廊になっていた。ところが写真でもわかるとおり、なんと両側の身廊の幅が異なるのだ。向かって右が少し幅が広い。おまけに、上部の柱頭あたりが狭くなっていて、鍵型のモサラベ様式が少し感じられる。おまけに中央の円形も綺麗な半円にはなっていない。もうすべてが面白い。その上、内陣の半円は2重なので、よりエレガントに見える。内陣には入れなかったが、やはりここが一番美しいと思う。柱頭彫刻も葉の模様とか花とか素朴ながらしっかりと施されていた。(写真が悪くてすみません)

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中央身廊の右側つまり南壁側に、聖女ヌニロとアロディアに捧げられた小さな礼拝堂が繋がっている。その入り口はなんと12世紀ロマネスク様式のファサードだ。下の写真は、礼拝堂側から本堂向きに撮った写真。タンパンには、Crismo(クリスモン)と呼ばれるキリストも銘(ギリシャ文字でキリストの名前の最初の2文字χ(カイ)とΡ(ロー)を組み合わせたモノグラム)がある。

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天井は、16世紀後期ゴシック様式。下の写真は、上記の礼拝堂の天井。

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教会内部は、ロマネスク、ゴシックと、少しのモサラベの雰囲気の融合だった。シンプルでどっしりとしている。この修道院は、歴史的にパンプローナの重要な役を担っていたらしいが、私は全くの素人なのでここには記載しないでおく。最後に著作権を侵害してしまうが、現地で購入した本の表紙があまりにも美しいので、それを載せていただくことにする。この教会の一番古く一番美しいロマネスクのアプシスと塔の写真。素人でこの方向、この高さでの写真は撮れない。

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2017年8月 6日 (日)

レイレ修道院 Monasterio de Leyre の教会 スペシオーサの正門

櫻井氏の本の中での、レイレ修道院のクリプトの衝撃があまりにも大きかったので、教会の建物自体への興味は全く持っていなかった。だから、受付で鍵を渡され”まず教会へ行ってください。その後こちらへ戻ってきてクリプトへ”と指示された時、正直なところ行きたくなかった。何がなんでもクリプトを真っ先に見たかったのだ。

全く、教会オタクらしくない気持ちだ!と自分を戒めつつ、現在ホテルになっている部分を悶々とした思いで回っていった。これは、教会の北側面。なんと、窓がどこにもない!ロマネスクであることがよくわかる。教会内部は暗いだろうと想像される。手前に広がる広場は、かつてゴシック様式の回廊だった所で、その出入り口をふさいだ跡が見える。遠くに1つだけ残ったバットレスが見えるが、その奥が内陣、その地下がクリプトになる。

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(この旅行をしたときは、主人以外に息子(右下)も一緒だった。かわいそうに彼は、初めてのスペインだというのにマドリードも見られず、こういう田舎の修道院ばかりを巡る旅に付き合わされたのだ。イタリアを回っているときも常にこういう状態だったから、彼も慣れてはいると思うけれど・・・。好きな運転をさせてもらえたので、悪くはなかったと思うが。)

クリプトと反対側、つまり西側に着いた。ファサードを見て、あれーーー!びっくり!そして興奮状態。こんな面白いものがあるとは想像もしていなかった。タンパンとその周囲にある多くの小さな怪物達。なんだか入り口を作った後、はめ込んだように見える。

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この西門は、”スペシオーサの門《Porta Speciosa》(スペイン語の本では、La Puerta Bella(美しい門)と説明されている)”と呼ばれ、11世紀から12世紀作成の貴重な門だという。タンパンは素朴なロマネスク、しかしその周りの飾り迫縁や装飾帯は彫刻のタイプが異なるので、作成年代は異なるらしい。タンパンの中央はエル・サルバドール(El Salvador)、向かって左側は聖母、そしてその左右に聖ペトロ(鍵を持っている)と聖ヨハネ、その両外側にそれぞれ手が非常に大きな福音史家。素朴で、見ていてほっとするような感じ。聖母は衣服の縁取りの模様が非常に繊細で美しい。そして福音史家達の手が非常に非常に大きいのが印象的だ。

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アーチ上部の装飾帯にも、様々な場面の彫刻がされているが、このような上部が四角いタイプはフランスではあまり見られない。しかし、スペイン北部では普通にあるようだ。後に訪問したサングエサでは、見事な彫り物を施した装飾帯に驚いた。また、いつか書くつもりですが。

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日本語のパンフレットによると、左上から、聖ミカエル、キリストの変容、聖女ヌニロとアロディアの殉教と書かれている。

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写真が悪くて申し訳ないが、こちらの方が面白い(クリックすると画像は拡大します。)。上部右から左に向かって、ヨナとクジラ(ヨナは神の指示に背いたのでクジラに飲み込まれる)、受胎告知(聖ミカエルが怪物のように見える)、怪物の大きな顔面、その左も怪物?悪魔?。その下は、聖母マリアの訪問、司教など。

フランスやイタリアの教会のファサードではあまり見ない装飾方法に、面白味を感じた。四角い網目模様は、一つのパッチワークのパターンのように、周りのどことも関係なく置かれている。サングエサでも同様だった。

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2017年6月16日 (金)

レイレ修道院 Monasterio de Leyreのクリプト

スペインのロマネスク教会には、以前から興味を持っていた。そして、教会めぐりの好きな友人が、カミーノ・デ・サンティアゴを何回かに分けて歩いた話をする度、行けたらいいなとは思っていた。しかし、私に絶対に行こう!と決心させてくれたのは、単行本「スペインのロマネスク教会」(文:櫻井義夫、写真:堀内広治、鹿島出版会)の中のレイレ修道院のクリプトの白黒写真だった。”な、なに?これは!”なんという素朴な力強さ!!もう一目で魅了された。

その後、スペイン語を始め(フランス語に似ているので、理解は早かった)、どうにか使えるようになった2013年の夏、ようやく実行に及んだ。前日はサン・ミリャン・デ・ラ・コゴリャ(ブルゴスより少し東に位置する)にあるユソ修道院に宿泊していた(スソ修道院(世界遺産)と一緒にいつか書こうと思っているが・・・)。そこからこのレイレ修道院までのルート上に、ロマネスク好きにとっては見なければならないEstellaとかPuente la Reinaaaa、Snta Maria de Eunateがあったのだが、なんとすべてをパスしてしまった。私が予定を組み過ぎた為と、スペインの場合、午後長時間閉じてしまうので、それを避けるために他へ立ち寄る時間がなかったのだ。

パンプローナからのA21号線上にようやく、「Monasterio de Leyre」の看板が出てきた。これから山に登って行く。日本のように木々が多くあるわけではないので、なんとなく荒涼とした印象しか今は残っていない。あまりにも周りに”聖なる土地のような雰囲気”がないので、主人が思わず「ほんとにこの先にあるの?」とこぼしてしまったのも理解できる。実は、私も同じような気持ちだった。

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やっと到着。駐車場からの山の景色。岩なのか、はげ山なのか、とにかく美しい山とはとても思えない。ただ、凄く迫ってくる感じはあった。
今までの経験からだけれど、このように有名だけど人里離れた修道院などへ行く場合、途中、車も見ず、誰にも会わず、まるで私たちの車だけがそこへ向かっているように思えたにも関わらず、到着すると意外と多くの車が駐車されているのに驚かされることがある。はやり、価値ある教会は、訪問客も多いんだと納得する。

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もう私は飛び出した。やっと、やっとあのクリプトが見られる!はやる気持ちを抑えて、でも先に歩き出して入り口を探す。

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写真右の木の下方、黒い部分が入り口。その右周辺には、宿泊したと思われる若者たちが、のんびりと椅子に座っていた。後で知ったのだが、この三つ葉状の後陣と塔、そしてクリプトだけが、ロマネスクで、後はゴシックだった。クリプトは、この後陣の下方である。

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下の写真の右奥がチケット売り場。チケットを購入して驚く。なんと、日本語のパンフレットが渡されたのだ。パンフレットが置かれているほど日本人が多くここを訪れているなんて・・・思いもしなかった。

この左手前にある少し下がったところの3重の半円アーチがクリプトの入り口。パンフレットによると、この入り口が、この修道院で一番古い場所なのだそうだ。

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面白いことに、受付の人は、パンフレットだけでなく、私たちに鍵を渡して言った、”これは、教会入り口の鍵です。まずは、いったん外に出て、建物をぐるっと回ると教会の入り口があるので、この鍵を使って入ってください。そして入ったら、中から鍵をかけてください。いいですね。そして、教会内部の見学が終わったら、また鍵をかけてからこちらに戻ってきてください。クリプトはそれからです”。面白い!まあ、勝手に見に行ってください、でも、チケット代を払っていない人は、入れませんよということですね。

教会については別の機会に書くとして、今回は、クリプトの写真だけをアップします。

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低いアーチ、ずっしりとした落ち着いた空間、う~ん、やはり、凄い!今こうやって改めて見ても、その不思議な魅力に感心せざるを得ない。凄い!素晴らしい!ほんとにほれぼれしてしまう。

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途中から、教会に居た集団が入ってきた。なんだか落ち着かない。静かなままで見ていたかった。それにしても、この大きさも形も異なる柱頭群!。組み方も全く異なる・・・。教会内部も同じなのだが、アーチの大きさも異なるのだ。これだけ規則性はないのに、しっかり上部の教会の重さを受け止めている。

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極めつけは、これ!高さ調節とはいえ、こんな組み方をするとは!中世時代の修復時にこうなったのだろうか?初期ロマネスクといわれるこのクリプト、ほんとうに未知と魅力にあふれている。
もう、私は満足感でいっぱいだった。他には何も考えられなかった。

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2017年6月 7日 (水)

ガリシアGaliciaの海岸と遺跡Castro de Barona

昨年でのガリシア訪問では、サンティアゴ・コンポステラから西へ向かい、大西洋の美しい海岸線をドライブした。ムロスMurosという町から南へバヨナBaionaまでの入り組んだ海岸は、リアス・バハスRias Bajasと呼ばれ、良港だけでなく、美しい海と素晴らしい景観から避暑地も多い。ミシュランでは2つ星の観光地だ。

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ところで、ガリシアの海岸線には、ローマ時代の遺跡が点在している。紀元前1Cから紀元後1Cの間に住んだといわれるケルト人の住居跡で、直径5メートルから10メートルぐらいのサークルストーンが集まっている。見たかったのは、最大であるCastro de Santa Tregaという遺跡だが、ポルトガル国境近くなので、残念ながら、そこに行く時間はなかった。幸運にも、ドライブ途中にCastro de Baronaという遺跡があったので、寄ってみた。ちなみに、Castroというのは、スペイン語で”ローマ時代の砦(のある丘)”の意。

遺跡というと、その維持費の為に料金を支払うのだと思って、きょろきょろと入口らしき所を探した。建物があったのでそこで支払いをするのかと行ってみたが、そこは喫茶店でおまけに休みだった。要するに、そのような事務的なものは何もなく、ただ簡単な矢印があるだけだったのだ。その矢印に従って、森の中の細い舗装されていない道を海の方へ下って行く。

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遠くに全体像が見えてきた。この辺りは大きな岩が多い。小さく何人かの男女が見えたが、砂浜で群がっているところを考えると、どうも遺跡目当てではなさそう。もっと近づいてわかったのだが、彼らは水着姿の人とヌーディスト達だった。その傍を2人の男性が遺跡の方からこちらに向かってきているのだが、彼らは、ヌーディスト達と目を合わさないよう、下を向いて歩いていた。(関係ない話ね)

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円形の石組みがはっきりと見えてきた。江の島のように、海岸の先に突き出た場所に集落が作られている。(いつの間にか、ヌードだった女性が服を着ていた・・・)それにしても、このような地形での生活は、厳しかったであろう。嵐のときなどは、どうしていたのだろう。

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塀があるなんて、思ってもいなかった。3重にもなっている。意外に高さがあり、私の背より高いところもあった。住居のサークルの石の高さは、60センチから1メートルぐらい。きっとその上に、円錐状に木材とか枝とかで組んだ空間を作っていたのかなと想像してみる。

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wikiを読むと、食物は魚介類、羊やヤギも飼っていたらしい。金属加工品や煉瓦、布地なども現地で発見されているのだそうだ。ケルト人というと、フランスのブルターニュ地方にも住んでいた。複雑に入り組んだ紐状の模様とか、透明感ある音楽とかが連想されるが、実際、詳細は何も知らない。

でも遺跡というのが過去の人間の生活の証だと思うと、保存の義務を感じるし、遠くの私たちでもその維持を願う。2012年からリノベーションが始まったらしいが、なんだかほったらかしにされているようなこの遺跡を見て、”スペインの方々、どうぞ、守ってください”と願わずにはいられなかった。

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2017年5月30日 (火)

国境の町 トゥイ(Tui)

相変わらず、修道院や教会を回ってます。資料ばかり溜まり、全く処理できない状態です。昨年(2016年)5月の連休は、ポルトガル北部とスペインのガリシア地方を車で回ってきました。その中の一つの小さな町なのですが、とても気に入ったので、その写真をアップします。

トゥイ(Tui)という、ポルトガルとミーニョ川を挟んで対岸にあるスペイン側の町。町の道は細く、複雑に入り組んでいてる上に途中に階段があったりして、車での走行が心配になるほど。ミシュランのグリーンガイドでは、1つ星がついているのですが、観光客はほとんど見かけず、住民にも会わない。ただとにかく、中世の小道がうねうねと曲がりくねっているだけ。

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その大聖堂は堂々と、要塞のように立っていました。国境なのでその役目もあったようです。

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1232年のロマネスクとゴシックの混合です。タンパンは上から、「天のエルサレム王国の塔」「東方の三博士と羊飼いの礼拝」。下方の色が異なる部分は、15世紀に付け加えられたようです。

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教会内部は、柱の傾き補強の梁が縦横に増強(15世紀~18世紀)されています。

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太陽の光を浴び、内庭回廊の植物たちは輝いていました。

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この誰もいない回廊の隅っこ、少し階段を下りたところに小さな入り口を見つけ、そこを出たところ、小さな裏庭に出、そこから石壁を出ると、なんと目の前に下のような光景が広がっていたのです。

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ミーニョ川の向こうは、ポルトガル。水面も緑も光っていて、静かで、もううっとりでした。しばらくそこで景色を楽しんだ後、回廊に戻って進んでいくと、次の隅っこにまた、少し下がった暗い個所を見つけました。よーく見ると手書きで”TORRE”と書いています。そう塔に行けるのです。バンザーイ!と喜んで、狭く暗い階段を上る主人と私。

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上に上がると、そこは、ちょうど回廊の上が巡回できるようになっていたのです。
そのからの赤い屋根と木々たちの緑、川の青などのコントラストは、ほんとに美しいものでした。

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2015年3月 8日 (日)

一足早い春

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今このブログを書くのも恥ずかしいほど、前回から時間が経ってしまいました。恥を忍んで、写真をアップします。

多くの方と同じように、以前から河津桜を見たいと思っておりましたが、2月下旬、漸くその願いが叶い、素晴らしい天気のもとで、ほぼ満開の桜を楽しんできました。

濃いピンク色が青い空に映え、見事でした・・・しかし、人の多いこと!

下田に宿泊し、翌日はレンタカーで海岸線を楽しむ予定でした。しかし、”みなみの桜”があまりに気持ち良く、散歩に時間をかけたために、予定のコースの踏破はできず、近場を回るだけになりましたが、天気もよく、河津以外は人もまばらで、快適なドライブとなしました。

みなみの桜並木は、景色は河津の桜と同じようなのに、印象は全く異なります。自然の中に身を置き、ゆったりした時間を感じられる、のどかでいつまでもそこに佇んでいたくなる所でした。

それにしても、伊豆の海岸線は力強いですねえ。自然の力、地球の歴史を視覚で堪能した気分です。

以下は、みなみの桜です。菜の花が一面を覆い、春を印象づけます。。

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ここは案内図によると、”桜のトンネル”という場所で、一つ上の写真のような大きな桜の木がずらーと並んでいて、その下を歩けば、トンネルの中を歩いているような感覚にないります。河津も同様ですが、異なるのは、足元!河津はコンクリートで舗装されていますが、ここは土!柔らかい土を感じながら、人もまばらな優しい道をゆっくり歩いていると、いつまでもこの鮮やかなピンク色と優しい土と爽やかな空気の中に居たくなりました。

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2014年8月20日 (水)

La vida es sueño

El médico que yo consultaba desde hace siete años murió de cáncer de páncreas. Tenía 65 años y había luchado durante solo tres meses contra el cáncer. Fue el director del hospital y una persona enérgia y decidida.

Pienso que como era doctor, no creía que enfermaría ni moriría tan pronto y que tenía muchas cosas interesantes que quería hacer.

La muerte nos llega de improviso. El hombre nace aunque no quiere y muere contra su deseo.

¿Es la vida un sueño como dijo Calderón o absurda?
Ahora estoy un poco pesimista.

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         (コソボのリプリアンLipljan教会内部。)

上のスペイン語の文章は、私がお世話になっていた先生が亡くなったことを書いたものです。最後の4行目から3行分だけの訳を書いておきますと、

”死は、突然私たちに訪れる。人間は、望みもしないのに生まれ、そして、本人の願望に反して死んでしまう。人生は、カルデロン(17世紀スペインの偉大な劇作家)が言うように夢なのだろうか?それとも、不条理なのか?”

最近、つくづく感じていることです。

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2014年7月23日 (水)

トルメスのラサリージョ Lazarillo de Tormes

日本語英語共に嫌いな理数系人間だったにも関わらず、フランス語をきっかけに言語の面白さを知り、過去にラテン語、イタリア語を習いましたが、残念ながら2度の手術入院によりそれらを中断してからは、フランス語以外は習っていませんでした。

ところが、辺鄙な場所にあるスペインのロマネスク教会や修道院をレンタカーで回るために(すでに2度行きましたが、後3回ほど行きたい)、昨年から本格的にスペイン語を始めてしまいました。今まで言語学習のために、どれだけ費用をかけてきたのかと思うと気も重いのですが、まあ、人生も1度しかないと思うと、したいことをするのも良し!というところでしょうか。最近スペイン語の文章形態にも慣れてきて、すぐにでも新聞も読みたいと思うのですが、やはり単語不足、経験不足、勉強不足!フランス語のようにはいきません。現在、B1レベルに入ったばかりなので、仕方ありません。

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     (ペーニャ修道院、この有名な柱頭を見るために車を走らせました。)

この奇妙なタイトル「トルメスのラサリージョ Lazarillo de Tormes」は、初めてスペイン語で最後まで読んだ、私にとって記念すべき本の題名なのです。16世紀という時代に無名の作家によって書かれた貴重な本でして、先生であるPedroお勧めであり、また、スペインの小学校では必ずみんなが読むことになる大事な本なのだそうです。

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主人公の男の子の名前はラサロ、トルメスという名の川の傍で生まれたので、”トルメスのラサロ”となるところですが、まだ小さい子供なので、小接尾語であるーilloをつけて、”トルメスのラサリージョ”という題名になっています。

内容は、貧しい家庭に生まれた男の子が、小さいころから親から離れて様々なご主人に仕え、生き延びるために辛苦をなめるような経験し、さらに見たくもない大人の悪を見せられ、厳しい生活の中で生きる道を見つけていくという話です。

ここまで書くと、まるで日本版「おしん」のように聞こえますが、内容は全く異なります。日本のおしんは、清く正しく生きていくのですが、スペインのラサロは、仕えたほとんどの主人が当然のことのように行う”うそをつく、人をだます”などの行動パターンをまね、それを武器として、悪知恵働かせて生き延びていくのです。そうしなければ、厳しい中世という時代の中、食べ物も得られず、死んでしまうからなのです。

Pedro曰く、現在のスペインでも”生活が苦しくて、生き延びるための嘘や騙す行為は容認される”という認識が、広く一般に常識として考えられているのだそうです。

私は、こういう話を聞けることが楽しくて仕方ありません。スペイン人の考え方のほんの一部分にしかすぎないけれど、日本人としては思いつかない外国人の考えを知ることができるのは、外国語を習っているからこそ得られる楽しみだと思っています。これからも、もっともっと多面にわたっていろいろなことを知りたいと思う。しかしその前に、私がもっと勉強し、スペイン作家の本を読んだり、しっかり話せるようになるなどして、その国の文化にもっと歩み寄らなければ、あまり見聞きできないような情報は得られないのでしょう。いつまで続くかな?このスペイン語の勉強、興味はあるのですが、少々不安でもあります。

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2014年7月 5日 (土)

コソボのビザンチン2 プリズレンの生神女教会

コソボは、2008年にセルビアから独立したイスラム教徒の小さな国。首都であるプリシュティナから車で2時間も走れば、国外に出てしまう程。独立したものの、産業といえるものはほとんどなく、失業者は50%を超え、海外で働いている人の送金と、他国の援助によって支えられているとか。

コソボとしての文化的遺産はほとんどなく、南部のプリズレンが古都として美しさを残しているものの、世界遺産に指定されているのは、すべてセルビア正教の修道院ばかり。つまり、イスラム教徒の国に、セルビア正教の修道院が点在していることになり、やはり破壊の対象となるわけです。現在でも、コソボ西部にある世界遺産のデチャニ修道院やペーチ総主教座聖堂は、国連のイタリア軍に守られており、また今回アップするプリズレンの教会は残念ながら、破壊されてしまったのです。

美しい観光都市プリズレン。川の両側に町は広がり、遠くに城壁が見え、素敵なレストランが並んでいました。

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しかしほんの10年ほど年前にこの町で、旧市街にある”リェヴィシャの生神女教会”は放火され、フレスコ画は大損害を受けたのです。それも仕方ありません。長い長い歴史の中で、コソボあたりに住むアルバニア系の人たちは、セルビアから屈辱的、差別的生活を強いられていたのですから・・・。

残念ながら、内部は見学不可能状態が続いておりまして、周囲は網や有刺鉄線が張り巡らされているため、外観しか見られません。側面の写真は、細い横道に入ったところから他人の庭のようなところから塀越しに撮りました。曇り空だったので、暗い写真しかありません。午後はカラッと晴れたのですが。

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積み上げられたレンガの模様は細やかな変化があり、丁寧に建設されたことがわかりますね。小塔あたりを見上げても、側道から見る側面も、ほんとうに凝っていて繊細で美しくできています。

下の写真は、正面のエントランスの網目越しに撮ったもの。キリストの顔が見えます。窓や正面入り口の暗い中をよ~く見ると、描かれている壁画が見られました。早く内部も見られるようになるといいのですが、内部を修復しているような気配は感じられませんでした。

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11世紀に建設された教会を、14世紀初頭に増築。フレスコ画は、その頃描かれたそうですが、オスマントルコ時代に、当然のことのように傷をつけられ、その上に漆喰を塗られ、20世紀半ばにフレスコ画が発見されたのもつかの間、内乱開始後、ドイツ軍がこの教会を守っていたにも関わらず、またもやセルビア人の攻撃に対する復讐のようにアルバニア人たちによって破壊されたのです。

危機遺産に指定されている教会。修復するには、費用とともに周囲の理解が必要だと思いますが、それも難しそうです。まさに典型的な危機遺産の一つですね。

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