2011年6月22日 (水)

ケルンのロマネスク 聖ウルズラ教会 St. Ursula

Ursu3old ケルン市内に12ものロマネスク教会があるのを知ったのは、今回(2011年5月連休)の旅行の行程を決め、ホテルもすべて予約した後でした。ほんとに、知らなかった・・・こんな素敵な教会があったとは・・・

ケルンへは以前、パリからタリスに乗って行ったことがあるので、1泊で十分と思ったのだけれど、全くの誤りでした、もう1泊したかったなあ・・・。今更言っても始まらない。そのうちの4つだけでも訪問できて良かった事にしよう!

さてまずは、大聖堂に一番近い、聖ウルズラ教会(St. Ursula)。大聖堂から徒歩20分ぐらい北西に位置する教会で、大通りを渡るとすぐに見えてきます。右上の画像は、16世紀の聖ウルズラ教会周辺。教会の右側に見える城壁には、現在、鉄道が通っています。右下の方向にケルン中央駅があります。次の写真は、南東からのもの。

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次のは、西正面。午後4時頃という、西側を撮るにはベストの時間に撮りました。フランスではあまり見かけない教会の外観に、胸ワクワクでした。それにしても、5月上旬の空は綺麗ですね。

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ここは、聖ウルズラに捧げられた教会。5世紀、英国の王女であったウルズラは、10人(伝説では1万1千人)の処女と共にフン族によって殺されたのだそうです。だからなのか、至る所に若く美しい女性の胸像が設置されていました。それにしても、聖ウルズラって、誰なんでしょう?

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初めて聞く名前だったので、”黄金伝説”を探してみましたら、ありました!”聖ウルスラ”という、濁音なしの名前が通例になっているようです。平凡社ライブラリーの黄金伝説を4冊とも買っていて、よかったー!と久しぶりに思えた一瞬でした。さらに分かったことは、なんとあのヴェネチア派のカルパッチョが、聖ウルスラ伝説をシリーズで描いていたのです。次回、ブリタニアの王女聖ウルスラが、どうしてケルンで1万1千人の乙女と殉教することになったのか、そのお話とカルパッチョの画像をアップしますね。

さてこれが、その美しい聖女ウルスラです。

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Ursula1 ロマネスクとはいえ、壁などがあまりにも白いので、今までの画像を見てがっかりされた方もいらっしゃるでしょう・・・仕方ないのです。第2次世界大戦で、ケルンの教会はほとんどが壊滅状態になったのですから・・・。元の姿を蘇らせようと、戦後数年後から大規模修復を開始したのです。しかし、その外観は、以前の姿と同じように見えるよう、考慮されているのです。

歴史的には、現在ゴシック様式の内陣に置かれていた5世紀のローマ時代の墓碑(現在、ローマ・ゲルマン博物館が所蔵)から、この場所は、かつてローマ時代の殉教者の墓地であったことが分かったそうです。866年、フランク族の大司教Guntherが新しい教会を建てたもの、881〜2年のノルマンの侵入、さらには、マジャール人の侵入によって破壊されるのです。922年、大司教Hermann de Bliesgauは、後陣と聖遺物箱を加えて、再建へ。

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この上の写真は、入り口側を撮ったもの。ドイツの教会に特徴的なのは、このように教会入口上部が必ず2階建てになっていること。ここは、皇帝のような権力者が参列する場だったそうです。現在はよく、パイプオルガンが置かれていますね。それにしても、丸いアーチが美しいです。

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Ursuplan 3つの側廊を持つという新しいバジリカ様式が建設されるようになり、12世紀中ごろ、一番右側がつまり南に側廊が増築され、右のような平面になりました。その後南側の側廊だけ、15世紀中頃ゴシックに変えられたそうです。右側の壁は、このようになっていました。

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さて、問題の《金の小部屋 Goldene Kammer》は、入り口右側にありました。1643年に設けられたこの部屋は、その4面の壁に、14世紀から17世紀の聖遺物胸像が120体もあるのだそうです。実は、これが一番見たかったものでしたが、足を踏み入れた途端、ちょっと後退りしてしまう程の部屋の狭さと骨の多さでして、あまり気持ち良いものではありませんでした。

丁度、年配の管理人の方が、3人のドイツ人に一生懸命に説明していたところでして、タイミングが悪かったみたいでした。英語で尋ねたのですが、相手は英語があまり分からなかったようで、こちらもドイツ語が分からないので、仕方ないですね。でも、しっかり彼から小冊子を購入しました。

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おわかりでしょうか?上部の模様も、全て人骨!。4面ともこのようなので、もう圧巻!どこに身を置いていいのかも分からなかったです!ローマに骸骨寺というのがありまして、そこではシャンデリアに人骨が使われていたので、ギョッとしたことがありましたが、ここでは全くそれ以上です。ヨーロッパ人の感覚が全然わかりません・・・

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このように美しい胸像の中にも、ちゃんと頭蓋骨が入っていました。実は私達、こういう骨ばかりの教会を、ポルトガルでも見たことがあります。記憶は薄れているのですが、その教会は、ここよりもう~んと広くて、現在でも一般の人々の骨を集めていて、確か教会入り口に、”貴方の骨をお迎えします”、というようなことを書いていたように思うのですが・・・また、ポルトガルの事を書くときに、整理したいと思います。(何時の事になるやら・・・)

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2011年6月10日 (金)

《カントの人間学》 中島義道

Kant1 ”中島義道”という哲学者、彼の多くの本の題名からちょっと危険な香りを感じていたので、なかなか手が出ないでいた。でも、とうとう買ってしまった。題名の意味を勘違いして、買ってしまったのだ。

”カントの人間学”とあるので、”カントが考える人間考察”だと思ったのだけれど、実際は違っていた。”カントが分析した人間考察”を、中島氏が”カント自身”に応用しし、カントという人物の分析を行なっていたのだ。

例えば、エゴイズムについては、”人は「私」という言葉を発する限りエゴイズムに陥らざるをえない”とか、それはカントによると、”「論理的エゴイスト」、「美的エゴイスト」そして「道徳的エゴイスト」という3種類に分けられること”を説明し、その後、”カントは論理的エゴイストか?”と中島氏の分析を始めているのだ。

さらに、”親切について”では、カントによる、”親切という行動は不平等を通じてだけ現れる”ものという、実に微妙な、心の奥の自分では知覚できない部分が解明されていた。

”カントは恐ろしいほど真実を語っている。他人に親切を施すとき、見逃してならないのは、そこに潜むある種の優越感であり、他人から親切を受けるとき、見逃し得ないのはそこに潜むある種の屈辱感である。・・・”

ほんとにそうなのかなあ・・・でも、そうかもしれない・・・とにかく、ドキッとする表明。カントの洞察は限りなく厳しい。

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           (小石川後楽園にて。種類が豊富)

さらに手厳しいのは、道徳的な親切の定義。物も豊かで恵まれた環境に育った幸せな人物が、道徳的な親切を他人に振る舞えるには、ただヨブのように自分の所有物をすべて失っても、依然として他人に親切である場合に限られるのだそうだ。

この時初めて、ヨブ記がかすかに見えてきたように思えた。私はどうしてもヨブ記が好きになれない。どうしてあそこまで人間をいじめるのか、神の意志が全然わからない。でも、このカントの親切の説明で、とりあえず違和感はなくなった。信仰とは、〜であるから信仰している、というものではないのだ。全てを失っても、それでも神を信じる、それが”信仰”というものなのだ。信仰とは、きびしいものですねえ・・・

”友情について”では、友情は、決して綺麗ごとだけではないこと、やはり、人間と人間の感情のぶつかり合いがあること、それでも相手を尊敬している感情だということ。心の葛藤は、人間であれば仕方ないのですね。

このように、内容はとても面白かった。カントという機械のような(変人?)人物が、以外にも人間的に感じられ始めた(まあ、これが著者の狙いではあるが)。だからといって、カントの思想がわかりやすくなった訳では、当然ない。

しかし見方を変えれば、反感を感じる人もいるかもしれないと思った。それほど、彼の筆は、鋼のように鋭い。カントの人物像を分析しながら、同時にそれは、私たちの心の奥底の分析にもなっていて、言葉が次々にグサーッ、グサーッと胸に突き刺さるのだ。

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           (小石川後楽園にて)

その中で最も興味をもったのは、中島氏の”あとがき”だった。この本は、《モラリストとしてのカントⅠ》という本を縮小改変したもので、題名に対していろいろ意見があり、《カントの人間学》というわかりやすいタイトルにしたのだそうだ。

へえ・・・中島氏は、カントをモラリストとして分析していたのかと、少々驚きだった。そして私が一番感心したのは、彼が”モラリストとはどういう人物か”を、自分なりに定義していることだった。この態度が真の哲学者!これが、”全てを自分の頭で考える哲学者”の姿なのだと、妙に納得した。

辞書に乗っている定義、一般に考えられている常識、それらすべてを捨て去り、自分の言葉にすること。これが、デカルトも求めた姿であり、哲学者がする仕事でもある。

私は、モラリストの定義さえはっきり考えたこともなかった。なんとなくこういうのかな・・・という感じ。これではいけないのね・・・

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2011年6月 3日 (金)

キプロスの太陽光パネルと日本の未来

ドイツは、2022年までに原発からの脱却を図り、自然エネルギーを推進するという結論を出しました。今回ドイツの西周辺をドライブをしていて、下の写真のように、山の上や畑の中など至る所で、この風力発電の機器を目にし、確かに、政府としてこの自然エネルギーを推し進めていることはよく解りました。

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ドイツが、環境問題に非常に高い関心を持っているのは御承知のとおり。だから17基という原子力発電所の数も、経済活動の大きさからして、かなり少ないように思われます。しかし、原発が少ない反面、化石燃料(ロシアからの輸入大)を多く消費しているので、多量の二酸化炭素排出国でもあるのです。つまり、地球温暖化にかなり貢献しているというこの矛盾。ドイツとしては、歯痒い所でしょう。

今回たった1週間のドライブでしたが、2度も原子力発電所に遭遇しました。一回目は、ケルンからアーヘンに向かう高速道路A4の北側で2基(ひょっとしてこれは3基かもしれない)。二回目は、ヴォルムスからローテンブルグへ向かう途中の高速道路A6の北側でぽつんと1基のみに。

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見渡す限り広がる緑の平原に、突然ポコンと異質な建物が建ってる光景は、やはり違和感を覚えます。遠くから見えていた施設は、近づくにつれ異様に大きくなり、また煙は不気味さを倍増していきました。

以前ならば、フランスでドライブ中など、原子力発電所が見えてきても、”ああ、あるな”としか考えていなかったのですが、(恥ずかしいけれど、私はそれほど原発の恐ろしさを感じていなかったのです。)、今回は違っていました。その建物がいやに威圧的に感じ、潜在的にコントロール不可能な人工的災害を起こす怖い存在のように見えてしまったのです。経験とは人の感覚に恐ろしく作用するのだと、改めて実感しました。

全く方向を逆にして、日本の見本になるかもしれない国の姿も、最近見てきました。それはキプロス。実は3月下旬、キプロスへ行ってきたのですが、(それについては、またいつか書く事にして)、その旅行中、車窓から見ていて非常に気になったことがあったのです。それは、新築の家という家の上に、必ず”ソーラーパネル”と”給水タンク”があったのです。これがその光景。(バスのガラス越しに撮っているので、少しぼやけているのは勘弁してください。)

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給水タンクは理解できます。キプロスは晴天日が多く降雨量が少ないため、水が慢性的に不足しているおり、不足時には、ギリシャからタンカーで水を輸入するのだそうです。しかし、このタンクの置き方場所は、地震の多い日本だとありえないですよね。とはいえ、ソーラーパネルが、各々の家に設置されているのには驚きました。家がわりと小さく、またパネルも大きくないとはいえ、費用はかかるはず。政府のサポートがあるのではと、想像しました。日本もいつか、こうなるのでしょうか?

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ところで、このレモン畑、収穫はなんと年中できるのだそうです。摘み取っても、次から次へと実がなり、途切れることがないのだそうです。さらにびっくりすることに、(エネルギーとは関係ないことなのだけれど)、キプロスにある、ユニークなシステムを知りました。それは、もし旅行者の滞在期間に雨が降ると、追加のホテル滞在費用が1週間まで無料になるのです。つまり、飛行機の便変更可能かつ滞在延長可能の場合は、旅行者にとって嘘のように有利な話になるのです。それほど雨は稀、ということですよね。

Hyou

ところが、私たちの滞在時、なんと激しい雨が降り、雹まで降ったのです!看板の上の赤い屋根を見て下さい。窪んだところに、白っぽいものが積もっているでしょう?この時は、音までたてて降っていました。でも3日前までは、真夏のような暑さだったのだそうです。ツアーなので、当然変更は不可能。おとなしく、予定された便で帰ってきました。

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2011年5月28日 (土)

フェラーラ③ スキファノイア宮殿の壁画

イタリアは大好きな国。ずーっと気になっていたフェラーラの続きを久しぶりに。今までに2度、キリコに影響を与えた街フェラーラ と ゲーテを不快にさせた街フェラーラ という題で、大聖堂とエステンセ城について書きましたが、これは、2005年9月上旬、2週間ほど息子と二人で車で廻った後に書いたもの。今回は、2008年の夏、主人と2人で車で廻った時に訪問した、《スキファノイア宮殿》や《ロメイの館》について、少し書いてみます。

Ferrara_map

上の地図(クリックすると拡大します)で、左上が鉄道のフェラーラ駅。スキファノイア宮殿は、街の中心にある大聖堂をはさんで、ちょうど反対側、つまり右下の城壁に近い所にあります。私達は、大聖堂近くから、タクシーに乗りました。フェラーラは思った以上に広いので、これお勧めです。

フェラーラの街は、マントヴァに比べて、なんとなく近代的だなあと感じたのですが、こうやって地図を眺めると、その理由がわかる気がします。ほら、道がまっすぐ延びているでしょう?中世の街では、メインの道でも緩やかにカーブしているのが普通なのですが、ここでは、直線です。ほんと近代的ですね。こういうところからも、画家キリコはインスピレーションを感じたんでしょうか。

下の画像(以前にも同じ画像をアップしましたが)は、エステ城の塔から。結構大変でしたよ、登るのは。最後の方は、鋼鉄製の足元が網目状態になっているような階段を登りました。確か、この先にディアマンテ宮殿があります。道が直線でしょう?

Fereste3

話を戻して、スキファノイア宮殿は、下の写真のように、道路に沿って細長く建っており、何の変哲もない建物です。これがほんとうに宮殿なのかと疑われそうです。宮下先生の本によると、もともとは1385年に、エステ家のアルベルト世が娯楽場として建設した建物を、ボルソ公が、宮廷建築家ピエトロ・ベンヴェヌーティ・オルディニに命じて、大改築したのもだそうです。

Schiext

Schi1_fanoia 入口内部もシンプルで小さく、おばさんが一人いるだけなので、不安を感じながらもとにかく入ることに。左の簡単なチケットからわかるように、あまり力が入っているようにも思えませんし、しかも今見ると、ラピダリオ美術館もこの5ユーロのチケットで入れるようです。あの時、もう少ししっかり見るべきだったなあ・・・。

もう記憶も薄れているのですが、一階は何かの展示があり、変な中2階を歩き、(つまり、一階の上の方に臨時の廊下が続いていた。修復中だったのだろうか?)そしてまた少し階段を上がって、メインの大広間へ。写真は禁止でしたので、購入した本から。

Schifa1

ひろーい部屋は、壁画で囲まれていました。思わず、うわーっと声が出そうに。けれども認識できるのは、この画像の正面(ここらは入ってくる)と左側の面のみ。宮下先生の本によると、《月歴の間》と呼ばれるこの広間は、18世紀に漆喰で上塗りされ、19世紀になって再発見されたのだそうです。18世紀というと、フランスは革命の後、そしてイギリスは産業革命の真っただ中で、古いものは価値がない、とみなされていた時代かもしれません。

Schi_mar3 絵の構図は、壁面を月毎に縦割りにし、そのひと月を3段に区切り、上段は、各月に相当する神々の勝利の場面、真ん中の段は、黄道12宮の寓意像、下段は、ボルソ公の豪華な宮廷生活の場面が描かれています。

右の画像は、3月。上の部屋の画像では、正面右側にある壁画です。上段は、知性の女神ミネルヴァの勝利、中段は雄羊。画像の質が悪いので、その豪華さが感じられないのが残念です。

下段は下の画像の方がわかりやすいでしょう。右側に宮殿、ボルソ公と思われる人物を、人々が取り囲んでいます。中心から左にかけて、立派な馬に乗った、見目麗しき騎士達がずらーと並んでいます。足元には犬もいます。当時の宮廷には必須アイテムなのです。左上には、働いている人たちが描かれています。

Schi_marzo

4月のは、絵はがきがあったので買ってきました。修復後の絵なので色が綺麗です。4月は、軍神マルスの月、そして牡牛座です。しかし、全体の絵葉書はなくて、部分的です。これは、下段の右方向一部分。マンドヴァのマンテーニャの”夫婦の間”に描かれている人物に似ています。

Aprile1

これは、上段の右側一部分。上部は下段に比べて、保存が格段に良いようです。優雅な世界ですね。この3月と4月は、フランチェスコ・デル・コッサによるフレスコ画だそうです。

Aprile3_2

この4月の場面は、美しく修復されましたが、残念ながら残っている絵でも、下段は一部が欠けていたり、かなり色が剥げていて、時代の流れ、そして痛々しくも感じました。しかし、場面の取り方、人物の配置の仕方など、全体の構成は非常に素晴らしい。四面とも見ることが出来た時代は、さぞかし華やかであったことでしょう。

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2011年5月22日 (日)

デカルト《方法序説》、それは月世界だった

今回のは、昨年の12月末にデカルト《方法序説》を読んで、印象を忘れないようにと、ざーっと書いたものです。5か月も経ってからのアップになっていまいました。

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Descartes1 なんと無機質な内容なのか!びっくりした。これも数学者が書いたからなのだろうか?いえ、哲学書というのは、すべてこのようなものなのだろうか?

デカルトの思想の根本となる《方法序説》を読んでいる時、なんだか索莫とした、周りには色も香りも何もない、そう、月世界のような光のない空間に、身体はなく、精神だけの”私”がたった一人で、遠くに見えるような気がする光を求めて歩いているような、そんな孤独な印象を受けた。これが、かの有名な《方法序説》とは・・・

真実を見つけるために、証明できていないものは、すべてを否定していく。今まで学んだこと、本で読んだ知識、信じていたことなど、自分を取り囲むすべてを否定するということは、自分の過去も否定することになる。だから、廻りには時間も何もない、広い宇宙に漂っている自分を感じたのだ。

彼はこの手続きを、例を使って上手に説明している。それは自分の家の建て替え。

Descartes2 《この方法を取ることによって私は、自分がただ古い土台の上に建てたにすぎなった場合よりも、また幼い時に教え込まれた諸原理のみを、それが真理であるかどうか一度も吟味せずに、自分のよりどころとした場合よりも、はるかによく私の生活を導くことに成功するであろう。・・・・私の計画は、私自身の考えを改革しようと努め、また私だけのものである土地の上に家を建てようとする以上に及んだことは決してない。》

自分の肉体さえ、それを認識しているのは、私自信の認識だから、それも証明できない。だから存在も否定する。まったくその通りかもしれない。宇宙空間に一人、身体から独立した、考えている”私”だけが、存在している。《Je pense. donc je suis.》 (彼はこの本をラテン語で書いているので、これは邪道かもしれないが、習っているので書いてしまうと、スペイン語では、Pienso, luego soy) この命題から、デカルトの考えは始まり、数学で言うところの公理(理性では定義不可能で、理由なしに認めなければならないもの)を土台にし、証明できる真理・理論を組み立てていくのがデカルトの考え方だ。

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昨年の終わりから、なぜだか哲学に興味を持ち始め、理解能力もないのに、”なんとか入門”という種の本を読み始めた。1か月半ほど夢中で一気に次の本を読んだ。で、頭の中は、ごちゃごちゃに。

『哲学』 アンドレ・コント=スポンヴィル著 白水社
『哲学入門』 中村雄二著 中公新書
『方法序説』 ルネ・デカルト著 中公クラシックス
『プラトン入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『ニーチェ入門』 竹田青嗣著 ちくま新書
『カント入門』 石川文康著 ちくま新書
『ウィトゲンシュタイン入門』 長井均著 ちくま新書
『現象学入門』 竹田青嗣著 NHKブックス

分かったことは、竹田青嗣先生の本は、たたみかけるように繰り返し説明してくれるので、非常に分かりやすい、ということ。中村先生のような古い型の先生のは、読者に理解させようという意志は全然なく、自分の知識を単に述べているだけに過ぎないこと、つまりは、知っている人が読めば、良くまとまっているなと思われるかもしれないが、私のような超哲学初心者には、猫に小判状態。やはり初心者には、”初め”は、著者の読者に対する”理解してもらいたい”という意志が見える本が良い。

さらに生意気にも、超初心者が発見したといえば、たとえ分かりやすい説明で有名な竹田先生の本とはいえ、哲学者本人の本にはとてもかなわない、ということ。それは、デカルトの『方法序説』を読んで思った。きっと、”デカルト入門”なるものを読んだら、私はデカルトを機械か何かのように感じてしまい、この驚きとこの本の意義の大きさと、何よりも彼の意気込みや人物像を感じることはできなかったのではないかと思う。ただ、訳によって、この感じも変わってくるのも確かだが。

とはいっても、入門書や解説書は素人には必要だ。難解で理解不能の本が山のようにあるので、日本人哲学者による説明が欲しい。指導者の元、実際の本を読んでいくのがベストなような気がする。

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2011年5月15日 (日)

久しぶりのドイツ旅行

この連休は、主人と二人でレンタカーで、ドイツの西方あたりをぐるっと回ってきた。ドイツは10年ぶり8回目の訪問。初めての街や教会も、2度目の場所も、共に新鮮な気持ちで楽しめた。充実していたけれど、相変わらず忙しい旅だった。私が計画すると、いつも盛り沢山になってしまう。

Aruns1

 (アルンスブルグ修道院跡、周りはホテルになっていた。フランクフルト北60キロ程)

ところで、私達が接したドイツ人の方々は、本当に親切だった。なんと気持ちの良い人々なのだろう。主人曰く、「教育が良いから」。さらに、現在ドイツは非常に景気が良いので、どこへ行ってもみんな明るく、豊かな感じがした。

海外個人旅行だと、何かしら不都合なことが発生するものなのだけれど、すべてが日本にいるときのように、スムーズに運んだ。これも堅実なドイツだからだろう。

旅行の詳細を書くのはかなり先になると思うので、概要だけ書いておくことにする。

5月1日(日)JAL407便 12:15成田発 16:45フランクフルト着。17:25AVISでレンタカーを借りる。A5を北に走り、Butzbachという小さな街に泊まる。夜は8時半頃まで明るいので、町の散歩。

この街に泊まった理由は、近くでローマ帝国の国境を見ることができるから。世界遺産に指定されたこの国境跡は、かなり長い距離にわたって延びている。ネットでいろいろ調べた結果、この辺りで見られることが分かった為泊まることに。

このように、再現された見張り塔があり、横に説明が書かれていた。国境は、少し土地が盛り上がったようになっており、その上を人があるけるほどの小道が出来ていた。

Limes1

5月2日(月)
7:30出発 → ローマ帝国国境跡 → アルンスブルグ修道院跡(最初の写真) → マールブルグ(聖エリザベート教会、シュロス) → ケルン(大聖堂地下の駐車場) → 大聖堂、宝物館 →(徒歩) 聖ウルズラ教会(入口右側の小部屋に、120もの聖遺物胸像(つまり骨ばかり)圧巻です!) →(徒歩) 聖ゲーレオン教会(外観と内部の差にびっくり!十角形の内部は素晴らしい。アーチ、色すべて見事!下の写真) →(徒歩) 大聖堂近くのホテル泊。

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5月3日(火)
8:30出発 →(大聖堂から地下鉄で)カピトール丘の聖マリア教会(ミサ中だった) →(徒歩) Museum Schnutgen(修道院跡が美術館になっている) → (地下鉄) Wallraf Richartz Museum(市庁舎の近くの建物) → アーヘン(下の写真。世界遺産指定、ラベンナを思い起こさせるような金のモザイク、凄い!でも、修復中だったので、天井は見られなかった) → 宝物館 → 市庁舎 → (車) ブリュールのアウグストゥス城と庭園(世界遺産、午後4時までの為入れず。庭は一般に解放されていたので、美しく手入れされた広い庭をゆっくり散策した) → マリア・ラーハ修道院近くのホテル(レストランでアスパラガスを注文)に宿泊。

Aachen1 Aachen2

5月4日(水)
9:00出発 → マリア・ラーハ修道院(バランスのとれた美しい建造物。柱頭などが面白い。) → エーベルバッハ修道院(レストランの経営、ワインの販売もしている。赤い外観を持つ美しく大きな建物。ロマネスクとゴシックのミックスの側廊を持つ。多数の年代物のワイン製造機や樽の貯蔵庫が必見!) → シュパイヤー(2度目の訪問、やはり凄かった!世界遺産)、地下聖堂(教皇とドイツ王のお墓を見る。前回は、鍵がかかっていて見られなかった) シュパイヤー泊

Laach2

        (上:マリア・ラーハ修道院。 下:シュパイヤーの大聖堂)

Speyer1

5月5日(木)
9:00出発 → Worms 聖ペテロ教会 →(徒歩) ユダヤ人墓地 → Lorsche (世界遺産の国立修道院跡やアルテンミュンスターを探すが、なかなか見つからない。インフォrメーションでようやく分かった。今や土台だけしか残っていないのだそうだ。どうして、世界遺産なのだろう。歴史が分からないといけないようだ。) → ローテンブルグへ (ここは2度目。前回は街の中心地しか歩かなかったが、今回は、周りの城壁の一部を歩く。魅力発見。) ”血の祭壇”のあるヤコブ教会の近くの素敵なホテルに宿泊。

下の写真は、街の南の方の城壁と野外劇場。今回、城壁を歩いて初めてローテンブルグの良さが分かった。2日歩いたのだけれど、ほとんど他の人に会わなかった。

Roten1burg

5月6日(金)
9:00出発 ローテンブルグの南門(シュピタール門辺りをまた散歩。まったく城壁の中は、中世を感じさせる。満足!) → ヴェルツブルグ(下の写真。ここも2度目、主人は3度目。それなのに、街中は歩いたことがなかった!レジデンツ前の駐車場に車を止めると、街を歩かずに終わっていたのだ。今回は街を歩く。) レジレンツ(世界遺産。あの見事な教会は、修復中で見られなかった。記憶はあったのだが・・・シュン・・・)、宮殿付属庭園 → 聖キーリアーン大聖堂(廻廊、クリプタ)、ノイエミュンスター → Messelの恐竜化石発掘現場(世界遺産) → フランクフルト空港2 → JAL408便 21:05発

Wurz1burg

Wurz2burg

5月7日(土) 15:25成田着 

気の早い話なのだけれど、次回のドイツ旅行のルートを、もう決めてしまった。ドイツはなんとなく全体を廻っているのだけれど、丁度真ん中あたりが抜けている。つまり、バンベルグより北で、ゴスラーより南、マールブルグより東でドレスデンより西。ここには、なぜだか世界遺産が集まっている。

デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国、アイスレーベントッヴィッテンベルグにあるルター記念建造物、古典主義の都ヴァイルマルなど。またこの近くには、ブーヒェンヴァルト強制収容所もあるし、その他お城や修道院もある。また魅力的なドライブコースができそうだ。しかし残念ながら、それよりも他にもっと行きたい箇所がある為、いつ実現するか分からない。

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2011年1月24日 (月)

哲学 - 思考回路が違う

語学を勉強している脳の働き方と、数学の問題を解いている時のそれとは、明らかに異なる、と感じている。それは私と同じように、数学科を卒業しフランス語を学んでいる読書会の友人とも、同じ意見だ。

数学は、公理から始まり定理を証明し、その定理を使って様々な証明をしていくというような、全くの抽象概念の世界を築いている。それに比べて、言語を覚えるという行為は、そういう抽象世界など持たなくても、私のようにセンスがない人でも、ただ単に真面目に単語や文法を覚えていけば、ある程度まではどうにかなる。対象が言語と言う現実的な行動だからかもしれない。しかし、研究者が行う文学解析や心情分析となるとまた別で、、異なる努力やセンスが必要になると思うが、それでも数学を解いていくのとは、脳の働いている場所は違っているのではないだろうか。

ところが、まだ入門書2冊と、デカルトの《方法序説》をざーっと読んだ段階にすぎないのだけれど、《哲学》というのは、その二つとは全く異なった脳の回路を働かさなければいけない学問のようだと分かった。デカルトの印象が強かったのかもしれないが、それでも、すべてについて論証を要求される哲学は、言語と数学の抽象概念を組み合わせたような世界で、しかも考える対象が人間を取り巻くすべてということもあり、途方もない抽象概念の世界を築いている。どうも今までとは別の世界を、別の脳の働き方を勉強しなければ、哲学的思考はつかみきれないように思う。

Andre2 哲学とは一体どんなものか知りたくて、今度哲学のクラスを取ることにした。1月からの教材は、Andre Comte-Sponbilleというソルボンヌ大学の哲学教授が書かれた《Presentations de la philosophie》という本だ。日本語にも、《哲学は、こんなふうに》という本に訳されている。この教授は、過去にも何冊も分かりやすい哲学の入門書を書き、一般人へも哲学的思考を進めている有名な人物だそうだ。

序文だけ読んで、これこそまさに私の知りたいことだ!いえ、やりたいことだ!、と安易な喜びに浮かれたのだが、実際読み始めると、入門書であるにもかかわらず、書かれてある理論についていけず、言葉が頭上はるかその上にある雲の上を通り過ぎるような、理解不可能状態の経験を多々してしまった。

とりあえず、私が理解できた序文の一部を紹介しよう。訳は本から。

Philisopher, C'est penser par soi-meme; nul n'y parvient valablement qu'en s'appuyant d'abourd sur la pensee des autres, et specialement des  grands philopophes du passe. La philosophie n'est pas seulement une aventure ; elle est aussi un travail, qui ne va pas sans efforts, sans lectures, sans outils.

”哲学することとはそれは自分で考えることだ。だが、それをうまくやれるようになるには、まず他の人たちの、とりわけ過去の偉大な哲学者の思想に頼らざるをえない。哲学は、場当たりの思いつきにすぎないようなものではなく、様々な努力や読書や道具なしではやっていけない一つの作業でもあるのだ。”

Qu'est-ce que la philosophie? ... La philosophie n'est pas une science, ni meme une connaissance ; ce n'est pas un savoir de plus : c'est une reflexion sur les savoirs disponibles. C'est pourquoi on ne peut apprendre la philosophie, disait Kant : on ne peut qu'apprendre a philosopher.  Comment?  En philosophant soi-meme :

”哲学とは何か? 哲学は科学ではないし、認識でもない。またもうひとつおまけに付け加わってくる知なのではなく、入手可能なもろもろの知についての考察なのである。だからこそ、カントの言ったように、哲学を学ぶことはできないのであり、学ぶことが出来るのは、哲学することだけだということになる。どうやって学ぶのか?自ら哲学することによってである。”

...Personne ne peut philosopher a notre place.....Et certes on peut raisonner sans philosopher (par exemple dans les science), vivire sans philosopher (par exemple dans la betise ou la passion). Mais point, sans philosopher, penser sa vie et vivre sa pensee : puisque c'est la philosophie meme.

”・・・・誰も僕達に代わって哲学をすることなどできはしない。・・・むろん、哲学などしなくとも理性を働かせることはできるし(例えば科学において行われているように)、哲学などしなくとも生きていける(例えば愚鈍のままにあるいは情念のままに生きることはできる)。だが、哲学しなければ、自分がどう生きるかを考えることも、自分の考えた通りに生きることもできない。それこそが哲学なのだから。”

Qu'est-ce que la philosophie? Les reponses sont aussi nombreuses.....Pour ma part, j'ai un faible, depuis mes annees d'etudes, pour la reponse d'Epicure : 《La philosophie est une activite, qui, par des discours et des raisonnements, nous procure la vie heureuse.》... ...Le bonheur est le but ; la philosophie, le chemin. Bon voyage a tous!

”哲学とはなにか。その答えは、哲学者の数と同じくらいある。・・・僕に言わせてもらえれば、学生のころからエピクロスの解答が気に入っていた。《哲学とは、言葉と推論を用いて、我々に幸福な生活を与えてくれる一つの活動である。》・・・幸福が目標だとすれば、哲学とはそこへ至る道である。では、皆さん、どうかよい旅を。”

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Andre1 序文だけを読むと、哲学とは、過去の偉大な哲学者の考え方を勉強し、様々な本を読み、自分を、そして自分を取り囲む世界について、その真理を追究し、自分で考えを進めていく作業であり努力である。

その際、自分が如何に何も知らないのかを知ることになろう、限界を知りながら、徹底的に自分に問いかけ、歴史や人類について省察し、普遍的な真理を探究し、反省し、探求していくと、それが最後には、よりよく生きる術に行き着く、というわけである。

ふう~ん・・・哲学することが幸福に行きつくか否かはわからないけれど、確かに、社会の価値観に踊らされない、自分だけの価値や真理を持っていると、常に納得した選択ができ、満足できるだろう。

しかし私のような、もともと複雑な事を考えられない人間が、考えられるようになるのだろうか?年齢は関係ないといわれているが、この凝り固まった頭で理論を進めて行けるのだろうか?はなはだ疑問。スポンヴィル先生がおっしゃっているように、訓練すればできるようになるのだろうか?

ところで、本の中では、”真理”という言葉が頻出しているのだが、様々な見慣れない言葉が氾濫している中で、何故だかその意味が分からなくなってしまった。一体、人間が生きて行く上の、そして社会の真理とは、一体何なのだろう?

もう、頭の中は、ごちゃごちゃです。

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2011年1月19日 (水)

『琳派芸術』-光悦・宗達から江戸琳派 出光美術館

P1rinpa_geijyutu 今年は、酒井抱一生誕250年だそうです。そういえば本屋で、別冊太陽の彼の特集を見た時、思わず買おうと手に取ったのだけれど、パラパラっとめくるとよく目にしている絵ばかりだったので、迷いながら本を置いたことを思い出した。

この冬は、スリランカを旅行した。以前から見たいと思っていた洞窟寺院。すばらしかったが、その余韻に浸れないまま、またすぐフランス語の授業が始まってしまった。はやりある程度の緊張を強いられ、時間が取られる。

でも、フランス語ばかりに追われていてはいけないと思い、先週久しぶりに出光美術館へ行ってみた。はやり、琳派の絵はいいですね。デザインの良い作品は、何も考えずに楽しめる。

実は今、哲学の本(といっても入門書ばかり)を続けざまに読んでいるのだけれど、西洋哲学者達が、《美》にまで定義しようと努力しているのを知り、驚いた。まあ、言葉でいろいろ定義したがるのが哲学という学問らしいから仕方ないのだけれど、芸術の項目に関しては興ざめだった。

まあそれは置いておいて、今回の展示では、改めて宗達のセンスの良さと、光琳の屏風の画面構成の格好良さにほんとに感服した。

特に下の段にある単独のガラスケースに収まっていた俵谷宗達《扇面散貼付屏風》は、金銀泥地描かれた模様自体もセンスが良い上に、さらに、張られた金地の扇子の置き方も、これまた素晴らしく、ほれぼれと見てしまった。銀色がこんなに黒くなかったら、どんなに美しかっただろうと想像しながらも、これを見られただけでも、来た甲斐があったなと思ってしまった。

Senmenh2jpgSenmenh1

Senmenmigi

(上が左隻(繋がっていなくてすみません。)、下が右隻)

そして、私の好きなのは、宗達の下絵の上に光悦が書を書いているもの。今回展示されていたのは、《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》というものだったが、図録を買わなかったので、例としてそれに似た《四季草花下絵古今集和歌巻》(畠山記念館所蔵)をアップしてみる。

Sitae_kokinwaka

いやー、素敵でしょう?草花の種類は、どんどん変化していきます。金銀泥の濃淡の変化の美しさ、上下のバランス、そして、その間を縫ってえがかれている文字の間隔、濃さ、形。そして、残る空間の美しさ。繊細なのか大胆なのか、さっぱりわからない。ただただ、宗達と光悦の才能に敬服。

次の部屋は、2章 金屏風の競演と題して、伝宗達や「伊年」印の金地に花が乱れ咲く華やかな屏風ばかり。次のは、伝宗達の「月に秋草図屏風」

Tikini_akikusa

「伊年」印 四季草花図屏風

Kusabana

3章は、光琳の絵画ばかり。これは、「太公望図屏風」。すべての線が太公望のおなかに集まっていて、いえ、逆にそこから広がっているように、画面構成が出来ている。全く人工的なのに不思議に意図的な構成を感じさせない、落ち着いた幻想的な世界が出来上がっている。人物の背景だけを見ると、全くの現代抽象絵画。面白い。

Taikoubou

次の《白楽天図屏風》は、以前(2004年)日本橋三越で開催された《日本の美 琳派展》で一番衝撃を受けた絵。なんという大胆な構図だろう。右は、唐から海を渡って日本を偵察に来た白楽天。左は、漁師のようにみえるけれど、実は、住吉明神の化身の浦の老人。詩歌について問答を交わしている場面だとか。

(丁度、学士会会報の中で、梅原猛氏が、この「白楽天」について述べている個所を、主人が見つけてくれた。二人の問答は、唐の詩と日本の和歌の優劣が比較されているそうで、唐の詩は、人間のみが作るものであるのに対し、和歌は、人間ばかりかウグイスやカエルも詠むもの(中世の古今和歌集の解釈で、盛んにこう語られていたという)であり、雨の音も風邪の音もまた和歌であり、当然、和歌の方が詩よりも上であるということになるという。)

Haku_l_rakuten Haku_r_rakuten

うまく2つの画像をくっつけられなくて残念。右の白楽天は、荒い波の中にいるにも関わらず、超然としていて、その威厳を保っている。波の描き方が本当に面白い。いくら西洋の抽象画家でも、このように美しく波を抽象化できる人は、そんなにいないだろう。右側の荒々しい波と、左側に広がっている緑色の静かな平面のバランスも面白い。光琳については、根津美術館の国宝《燕子花図》よりも、こちらの方が好きかな。

後期の展示(2月11日~3月21日)も必ず見に行こう!

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2010年12月26日 (日)

哲学? 不確かな目の認識能力

スーパーへ買い物に行こうと、マンションのエレベーターを待っていて、ふとある考えに行きついた。

何日か前、”生きていくうえで、これから何をすべきなのだろう?”と書いたけれど、その答として私が欲しいのは、”人のために尽くすべき”とか、”徳をなすべき”とか、などという高尚な事ではなくて、もっと根本的、基本的な事なのだ、という事を。

そしてそれは遺伝子のように、きっと人間としてあるべき基本的なこととして、潜在的に人間に機能としてプログラムされ、基本的に全員が行使できることなのではないか、と思い立った。だって、自分が持っているもの以上の事はできないんだもの、ね。

では、基本的な機能とは何か?自分をよく見てみると・・・まず、手足がある。これは当然、手足をよく動かして、働きなさい、ということだとはわかる。これは、ほんとに基本的な事。私も経験あるのだが、手足を骨折した場合、1か月ほど固定した後ギブスを取った時、その固定していた個所は、すぐには動かない。筋肉が動きを忘れ固まり、衰えてしまっている。張り合いのある人生を歩むには、身体を動かさなければならないことは明らか。

それから、頭。これはちょっと複雑で、もっと先で考えることにしよう。

次に、目。しっかり周りを見なさい、ということはわかる。しかし実際、これが難しい。私はどうも、観念で見てしまっているのだと、1か月ほど前改めて実感した。

Shiodome それは、スウェーデン人で彫塑家のビアンカと一緒に、汐留を歩いていた時のこと。目の前にはいくつかのビル、その間に歩道橋が手前から向こうに伸びていた。人がいなかったせいか、私は幾何学的に美しいと感じていた。ただそれだけの感覚しか持っていなかった。そう、直線的に上に伸びたビルと歩道橋・・・

ビアンカは、そのビルを見上げて、「なんてきれいなの!ほら、この反射!」と言ったのだ!えっ?反射?なんの事?私はなまじっかに「うん」と返事をしながら、もう一度ビルの方へ目を走らせた。わからない。もう一度、しっかり見た。ああ、これか!やっとわかった。平らなガラスの面を持ったビルの壁面に、空と反対側のビルがはっきりと映っていたのだ。確かに透明感があり、美しい。

右が、その時の写真。(その日は快晴で、空は透き通っていた。この写真は何故だか暗くて、明るさが感じられませんね。残念) 私は同じものを見ていながら、何も見ていなかった。頭の中でビルとはこういうもの、と景色を勝手に構築していたのだ。”見る”という単純な行為なのに、こんなにも把握できないとは!そして、見るという単純な行為に、こんなにも思考が左右するのもだとは、考えてもみなかった。心を空っぽにして、先入観を捨てて見なければ、実際の物が見えないのだ!

何も考えないで、あるがままを、初めてみるようにして見る、という行為。なんと簡単で難しいな作業なのだろう!特に私のような、ほんとは何も知らないのに、なんとなく”知ってるつもり”で行動している人に、こういう現象が多くみられるのではないだろうか。

良いことに気がついたな、と思う。”空(くう)”の大事さは、東洋思想でも言われていることではないか!これは、何か物事を判断するときにも、大事な気がする。先入観を持っていると、それにとらわれてしまうのが普通だ。ひょっとして、西洋哲学と東洋思想は、究極的には、手段は全く異なるけれど、生きる知恵として同様の事を伝えているのかもしれないと、ふと思った。

また、基本的な事を考えて行こう。下は、ビアンカと歩いた11月上旬の浜離宮。

Hanarikyu

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2010年12月25日 (土)

ヴォルテール《哲学辞典》とエラスムスの聖職者批判

Volphilo1 ヴォルテールを読むなんて、エラスムス同様に考えられなかった事だけど、文学の授業や友人達と読んでいるヴォルテールの作品などから興味がわき、この本をアマゾンで頼んでしまった。フランス語を続けていたおかげで、こんなところにまで世界を広げる事ができ、ほんとうに有り難いと思っている。

エラスムスとヴォルテールを交互に読んでいると、皮肉たっぷりに非難している方法とか、現状批判という二人の目指す方向があまりにも似ている(違いは当然あるが)ので、どちらが言っているのかこんがらがってしまう程だった。ヴォルテールもエラスムスを尊敬していた、と私は確信している。二人とも、イギリスに行って初めてその社会の見事さに感心し、目を開かされたという同じ経験をしている。面白い。イギリスって、よく歴史を知らないけれど(受験では世界史を取ったのに)、きっと偉大な国なのね。

200年も差があるのに、二人の批判内容が同じところを見ると、社会の矛盾はあまり変わっていず、やはり、フランス革命は起こるべくして起こったのかもしれないな、とも思う。ヴォルテールは言っている。”やれるなら何事によらずとことんまでやるのが人間であるから、この不平等は極端なものとなった”(《哲学辞典》”平等”)。そう、当時のフランス社会は、”極端”だったのかもしれない。

ところでこの《哲学辞典》は、”ヴォルテール自身の考察”と言いかえてもいいような気がする。”哲学”と書かれていても、恐れるなかれ、モンテーニュがエッセイで試みたのと同じ技法を使っていると考えていい。つまり、思索を集大成したもの。ただし、モンテーニュのような貴族的正当な思索ではなく、どちらかと言うと皮肉・批判も込めた啓蒙的考察と言えるだろう。

エラスムスの批判の仕方も素晴らしかったが、ヴォルテールの皮肉も負けていず、すばらしい。ここに、”神父”についての、二人の書き方を比べてみたい。口調の違いも味わってほしい。

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まずは、エラスムスの司教批判部分。《痴愚神礼讃》57章から

Erasme1 王公の好敵手としては、至高の教皇、枢機卿、司教がたがおられますね。甲乙なしどころか、王公連中そこのけという勢いです。でも、そのうちのどなたかが、反省してごらんになったら、こういうことがおわかりになりましょうよ。

つまり、雪を欺く真っ白いその法衣こそ、汚点のない生活の表徴であるし、同じひとつの結び目で繋がっている二つの角のあるミトラ(頭にかぶるもの)こそ、新約と旧約とに対する均等でしかも深遠な知識があることを示しているし、両手を包む手袋は、秘蹟を授けるためにはいっさいの人間生活の穢れから清められておらねばならぬことを示すのだし、その法杖は、託された羊の群れを監視する旨の象徴だし、前に押し立てた十字架は、人間のあらゆる情念に対する勝利を意味するのだということ、などです。

こうしたことや、その他いろいろなことに思いをひそめたら、悲哀と不安との日々を送るはずでありますまいかしら?ところが、現在では全くうまくしたもので、これらの高僧たちは、美衣飽食磨る以外に何も考えません。子羊の群れの世話は、キリストご自身なり、「兄弟(フラテル)」と呼んでいる連中なり、自分達の代理なりに任せきりなのです。自分達の「司教」という称号が勤労と注意と配慮とを意味することは、お忘れになっていますね。 ところが、いざ金儲けという段になると、このご連中も正真正銘の「司教」になる始末。つまり、そういうときには、「目をおさましになる」わけです。

次は、ヴォルテール。《哲学辞典》神父 abbeから

Voltaire1 「どこへお出かけか、神父様、・・・(聖職者の見持ちを皮肉った当時の歌謡の一説。どこへ、お出でか、神父様、蝋燭なしでおでかけとは、目指す御方も見えまいに。娘子と会うんじゃ、おわかりだろう、という歌詞)」。貴方は神父が父親を意味することをごぞんじだろうか。貴方も父親になれば、、国のお役に立つことができるのだ。おそらく男のなしうる最高の勤めを果たせば、貴方から思考する存在がうまれるであろう。そうした行為には神聖な何かがふくまれているのだ。

・・・神父は彼らの精神上の父親であったのだ。だが、時代によって同じ名称がなんと違った事がらを意味することか。精神的神父は他の貧者たちの先頭に立つ貧者であった。ところが貧しい精神的父親達は、200年このかた40万リーブルの年金を受けているのだ。今日ドイツの貧しい精神的父親たちは、一個連隊の護衛をかかえているのである。

貧乏の誓いを立てた貧者が、つまりは支配者なのだ。これはすでに言われてきたことだが、何千回も繰り返すべきであり、許しえないことである。この悪弊は法の訴えるところであり、宗教の憤るところである。着物も食物もほんとうの貧者たちが、神父様の門口で哀訴の叫びをあげているのだ。

だが私は、イタリアやドイツやブランドルやブルゴーニュの神父様たちがこう述べるのを聞いている、何故われわれが財産や名誉を集めてはならないのか、・・・司教たちはそうなっているではないか、・・・彼らのひとり(ローマ教皇)は国王以上にのし上がっている、我々もできるだけ真似をさせてもらいたい、と。

神父様がたよ、貴方たちの言い分はもっともだ。土地を奪うがよい、それは強きものや巧みな者の奪い得である。貴方たちは、無知と迷信と狂乱の時代を利用して我々の遺産を奪い、我々を足下にふみにじり、不幸な人々の糧を私服で肥やしてきた。だが、理性の日の到来におびえたまえ。

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どうです?批判視点は、そっくりですよね。宗教改革の前の人エラスムスと、後の人ヴォルテールの書く内容が同じとは、ほんと驚き!!!あんな血なまぐさい争いをしたのに、カトリック内部では大した変革はなされなかったということなのでしょうね。

モンテーニュは、宗教関係については一切触れていない。当然ですよね、争いが一番激しい頃、塔に籠って自分の思索にふけり、エセーを書いたんですもの、もしどちらかを擁護するような事を書けば、命も保障されなかったはず。賢者、危うきに近寄らず、彼はまさしくその道を選んだわけです。

しかも、彼の思索は、なにか社会の対象に対してではなく、人間そのものについてだし、しかも、まず彼はネガティヴな皮肉は書かないのだ。まっすぐに素直に豊かに、自分をそして人間を描きだしている。

エラスムスの皮肉は、素直で心地よい。ヴォルテールは弁論技法に自信を持っているのか文章は明解で、理論をぐいぐい読者に突き付け、圧倒される。時にかなりの棘を持つこともある。読んでいて面白いが、その強さゆえに時に心が重くなることも。

その点、モンテーニュはいいなあ。いつもこころが穏やかになる、ああ、人間ってみんな同じなんだと思える。

たしかに、人間というものは、驚くほど空虚な、多様な、変動する存在だ。」

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